「喜ぶ」という奉仕

先日、毎週出張先の山梨で、とても感動的な体験ができたエピソード。

お母さんに勧められたかのような風景

お母さんからのシェア

お母さんがずいぶんよくなってきたため、老人会ツアーでの紅葉がすごく綺麗だったと感動シェア。「ぜひあんた方も行ってきないさいよ」の一言で、娘さんの車でご一緒させていただきました。

確かにすごく綺麗で、かなり目の保養になりましたし、来てよかったと思えました。そこで、2人ほぼ同時に口に出た言葉。

お母さんをばせたいね。

そこから、さらに話し合うようになりました。お土産を買って来たからと、喜んじゃくれないでしょう。物理的な何かじゃ決してないはずです。お金は十分あるし、老人会で行って来たばかり。

愛は動詞である

考え抜いて浮かんできたのが、『7つの習慣』コヴィー博士の言葉。「奥さんを愛していないことに気づいたなら、愛してあげればいい」というやりとりの応用でした。

本田健さんの「喜んであげよう」に結びつき、ただ単に嬉しそうに表現するんじゃなく、オーバー気味に演技するような気持ち。実際2人で練習までしました。紅葉を観るより盛り上がりました。

私たちは誰しも、喜びを得ようと生きています。「奥さんと一緒に散歩したい」「ついつい名前を鑑定してしまう」等は、明らかに自発的な喜びを得るための行為です。自分以外の第三者に頼まれた行為は、確実に長続きしません(ゴミから教わったこと)。

お母さん宅に戻り、「よかった!!!」と大絶賛。お母さん「そうでしょう(*^o^*)」とご満悦。私たちも、すごく嬉しくなりました。

「喜ぶ」を与える

多くの皆さんは、「受ける」ことに引け目を感じてしまいがちですが、あなたはいかがでしょうか?

営業で何度も断られ続けてきた私には、かなり大きな人生のテーマです。受けることが苦手だったから、与え方が分からず喘ぎ苦しんできたのかもしれません。

あなたは、あまりにも大きな愛情を受けた時、理由なく反発したことありませんか?オファーをいただいたら、ごく短時間かつ無意識のうちに返せるかどうかを判断しています。

よくも悪くも、許容範囲外の受容力は、極端に落ちます。お母さんが喜んでくださったことから、許容範囲を深め広げる価値を教えていただきました。

夜には施術予約が入っていましたが、約1時間遅れてしまいました。ながらも詳細な理由を話し、そのお客様も喜んでくださいました。彼には全く無関係なんですが・・・。

「喜ぶ」というエネルギーが、時空や対人関係を超えて伝わるものなんだと、実感できました。「喜ぶ」という感情表現には、素晴らしい価値があるんですね。

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