無我の境地=没頭の極み

会社に見立てたあなた

先日あるご縁で、「五十肩を治して欲しい」という方と知り合いました。「なぜそう思うんですか?」と訊いてみると、「ツライから」「キツイから」の一点張り。確かによくなるわけがないと、しみじみ思えてきました。

五十肩と無我の境地に、何の関係があるんでしょうか?

いかなる症状であろうとも、脳の支配を超えることはありません。なぜなら、脳はあなたのすべての情報を、一括管理しているからです。円滑に物事を進めていくために。

分かりやすく、あなたという存在を会社に見立てたとしましょう。脳とは本部・総務のようなものであり、骨や臓器や筋肉等は、所属の部署です(優劣ではなく、役割としての分類)。

営業や製造等の部門別における専門知識は、本部スタッフにも分からないことだってあります。ながらも各部署の選りすぐりが、本部に引き抜かれる場合が大半です。本部の担当者は、その部署の専門分野を知り抜いているからこそ、担当者になっています。

すべては「役割」で成立しています。

本部スタッフとは、他部署や他社との関わりをスムーズに調整していく役割を担当しているように思えますが、あなたにはどう見えていますか?

死ねば楽になる

どんなに真心を尽くしても、〈ヌカに釘〉に思えてやまなかった時期があります。そんなところで、ある恩師から「死ねば楽になる」と言われました。「はぁ???じゃ自殺しろとでも言うんですか?」と、当初はケンカ腰に返しました。

そうでもなさそうです。何を言わんとしているのか、いくらやりとりをしてもサッパリ。約半年、そんな期間が続きました。体もキツく、日々を生きていくのが過酷に思えてきます。「過労死するのかな?」そんな不安も頭をよぎりました。

ある日のやりとりで「要は、やり続けることです。そうできれば、結果は自然についてきますよ」の一言に、確かな【啓けた感】を持ちました。様々な場面で「成功の秘訣は、できるまでやること」と、しつこいくらいに言われています。ながらも、さも初めて聴いた言葉かのように思えた瞬間でした。

なぜ腑に落としきれたのかを、さらに深めていきました。

継続の必須要素

あなたは『弓と禅』という本を、読んだことありますか?この本は、あるドイツ人哲学者が書いています。時は明治、弓に興味を持ちつつも、なかなか当たりません。ところが師匠は、目隠しをしても当たる。なぜ???と悩み始めます。

いかにすれば当たるのかを考え抜いた中にたどり着いたのは、「無我(禅)の境地」と言えるもの。体を鍛えようとも、熟考しても、分からない・・・。彼は成果を出せるまで、ありとあらゆる策を講じてきたんじゃないでしょうか?

自衛官当時、年1回射撃をしていました。私は隣りの的を撃ったりと、なかなか当たりません。強調して教えるべきだと、マークされます。

教官から「まずは、当てようとは思わないでください。狙いつつもリラックスして、的がボヤけてきた時が撃ち時です」というアドバイス。何のことやらお手上げです。おかげさまで在職期間、ずっと惨憺たるものでした。

瞑想から得たこと

瞑想がいいと、昨今言われるようになりました。当初は、やってもやっても集中できず、心が折れそうになりました。あるアドバイスを機に、簡単だと思えるように。

瞑想は、2つに大別できると考えています(他にもありますか?)。
1.1キーワードを何度も繰り返す。言葉の選定にこだわった方がいいですね。
2.無になるために、湧き出て来る煩悩を紙に書き、破り捨てる。

私の場合は、1で拓けてきました。2も実践してみましたが、「無になろうとする我」に耐えきれません。結果「ある」と認め、とことん繰り返すことで、成果を得れたと感じています。

瞑想を機に、気づけたこと。それは、一心不乱無我夢中に没頭しきった時、自然と無我の境地に至れているんじゃないでしょうか?

集中できることとは、あなたの興味関心度と、比例関係にあります。理想のキーワードとあなたが1つになった時、無我の境地に入れます。

そこに、新しいあなたが存在しているかもしれません。

『弓と禅』
心と脳と体の調和

玉音放送(口語訳)

以下は昭和20年8月15日正午、昭和天皇がラジオを通じて国民に、戦争の終結を伝えたものです。陛下が、どれだけ国民を想っていたのか・・・。

——————

私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。

私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。

先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と、東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すような事は、元から私の望むところではない。

 

ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにも関わらず戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしてない。

それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか、全く予測できないまでに至った。

なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。

このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これこそが私が日本国政府に対し、共同宣言を受諾(無条件降伏)するよう下命するに至った理由なのである。

私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては、遺憾の意を表せざるを得ない。日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。

戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、私が深く心を痛めているところである。考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も、私はよく理解している。

しかしながら私は、時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫の平和な世界を切り開こうと思うのである。

私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。

もし誰かが感情の高ぶりから、むやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。

ぜひとも国を挙げて、一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう、決意しなければならない。

あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。

以上