同化していく言葉のエネルギー

今まで体への施術だけで「3万人超」と称してきましたが、潜在意識も交えたら軽く10万人超えていることに気づきました。

同化していく言葉のエネルギー

体は最も近くの他人

BGMのように聞こえてくる「解除」「書き換え」というキーワード。好きな音楽なら心地いいですが、嫌いならノイズや騒音でしかありません。さもカッコよさげに語られる「解除」「書き換え」。耳にする都度、怒りを通り越して切なくなります。

私は潜在意識について2011年からセラピストとして学び始めました。私自身の変容ぶりを鑑みても、潜在意識をどう解釈していくのかは強烈に重要です。2012年頃から、施術家として「解除や書き換えじゃなく解放だ」と主張してきました。「そんな些細なこと、どうだっていいじゃないですか」と返す方もいましたが、どうしても譲れません。

「自立具現化」を全うするサポートをさせていただく中で、「ファビゲーシング」(「Facilitate+Navigate+Fabulous」の造語)において体編と潜在意識編に分けていますが、切り口が違うだけで視点は同じです。よって、ここでは体も潜在意識も「体」とまとめます。

今まで10万人超の体と向き合ってみて、すべての体たちは「ご主人様(さん)」と呼んでいました。体は、「あなたの最も近くの他人」とも言えるのです。その他人に対して、「解除」「書き換え」をしていくことがどう問題なのでしょうか?

書き換えるという行為の前提は、「問題で悪い」とみなしていませんか?体に例えると分かりやすそうですね。痛みを「邪魔者で、排除しなければならない」と考えていませんか?何のために痛みという成分を脳から発しているのか、理由を考えることもなく。

キーワードが与える影響

おそらくはいくら伝えたところで、「そんなことは微塵も考えていません」なんて返答だろうと予想がつきます。たくさんのご意見いただいてきました。セラピストAさんにどんな意図があるかどうかと、キーワードが周囲の認識に与える影響は、完全に別の話なのです。

例えば分かりやすく「ピンクのかわいい子豚の貯金箱」を何度も連呼されたら、イメージしない方が難しいのではないでしょうか?ましてや主張したいことを商品として売り広め、世に定着させようとしているなら、なおさらです。

キーワードを何度も使い説明し、理解してもらおうとするうちに、キーワードが示す方向へと同化し得ます。あなただけは影響を受けないと言えるのでしょうか?

私が潜在意識について学び始めたきっかけは、マインドブロックバスターでした。そこでも語られていた「潜在意識は悪者じゃない」。ところがマインドブロックバスターという名称そのものが、「マインドブロックをバスターする」。排除することを掲げています。

主張していることと、名称が示している方向性。矛盾を感じずにはいられませんでした。Aさんに悪意なんてなくても、言葉が示す方向性に引き込まれていくのです。だからこそ「解除」「書き換え」というキーワードにも、同じ問題を感じています。

潜在意識の書き換え────。キーワードを使い続けることで、いつしか潜在意識は、書き換えるべき対象として認識されていきませんか?Aさんがどれほど「潜在意識は悪者じゃない」と語っていたとしても。

解放の重要性

大切なのは、Aさんが何を意図しているかだけではありません。Aさんが選んだキーワードによって、どのような認識へと引き込まれていくのでしょうか?そのキーワードを受け取るあなたに、どのような影響やエネルギーを広めていくことになるのでしょうか?

言葉は、ただの説明道具ではありません。繰り返し強調するキーワードは、Aさんの認識にも、周囲の認識にも影響を及ぼしていきます。だからこそどんな気持ちで語るかと同じくらい、どのような言葉で語るかも重要なのではないでしょうか?

代案をあげなければ、ただの批判で終わってしまいます。批判だけなら誰にだってカンタンです。2012年頃から譲れないと強調してきた「解放」が、どう価値があるのでしょうか?

解放とは、あってもなくてもどちらでもいい状態です。到達点は《気にならない》。問題があっても、気になっていなければないのと同じです。

そもそも体たちは、あなたを「ご主人様(さん)」と慕ってきました。潜在意識も、顕在意識だった「当時」があります。当時のその時点では、よかれと思っての行為だったのです。ひたむきにあなたの願いに応えるために、一心不乱にがんばってきたのです。あなたならそんな体に、「ご主人様(さん)」として何と返しますか?

よくも悪くも

よくも悪くも

「平和=幸福」?

かつて私は、世界平和をこよなく願ってきました。戦争がなくなり、誰もが安心して暮らせる世界。実現するなら、きっと多くが幸せになれるーーー。そう考えていた時期があります。

今は、少し違います。もちろん争いがなく、安心して暮らせることを望む方は多いでしょうし、私も完全同意です。しかし「平和=幸福」なのでしょうか?

幸福観とは、各人各様です。豊かな暮らしを望む方もいれば、必要最低限で生きたい方もいます。組織の中で力を発揮したい方もいれば、誰にも縛られず1人で生きたい方も。

極端なことを言えば、ホームレスとして生きることに幸福を感じる方だって、いるのかもしれません。私が「そんな生き方は不幸だ」と思ったとしても、それは本当にご本人においても不幸なのでしょうか?

いかに世界平和を願えども、私の中の平和観の揺らぎが収まることはなさそうです。「私は世界平和を本当に望んでいるのか?」考えるようになりました。平和だから幸福だとは限りません。他者の幸福を、私の価値観で定義していいのでしょうか?

本当に相手のため?

「あなたのためを思って」その言葉の中に、善意があることは相違ありません。しかしその「あなたのため」は、本当に相手のためなのでしょうか?

もしかすると「私だったら、こういう人生が幸せだから」という自分自身の価値観を、相手に重ねているだけなのかもしれません。そう考えると以前の私は、「世界平和」というとても大きな理想を掲げながら、私が考える幸せな世界を押しつけていたのかもしれません。

本当に平和を願っていたのでしょうか?それとも「こうなった方が人は幸せだ」という自分の価値観を、当てはめようとしていたのでしょうか?魂の核から引き出されたものか、表層的な欲求からのものか、どうだっていいのかもしれません。ご本人が本当に幸福ならば。

当然、戦争を肯定したいわけではありません。「私は何を幸福だと思っているのか?」という問いを、他者にもそのまま当てはめていいのか?そこは、分けて考えたいのです。

靖国参拝で、「幸せであってくれ」という声らしき響きが、鮮明に残っています。「英霊の皆さんが訴えかけてきた」と勝手ながら考えることにしています。真摯に受け止め、受け継いでいきたいのです。

よくも悪くも

私は「自立具現化」という言葉を重要視しています。自立とは、何でも1人でできるようになることではありません。その過程を、「ファビゲート」と呼んでいます。ファビゲートとは、Facilitate(促進する)とNavigate(導く・進路を定める)とFabulous(最高に素晴らしい)を掛け合わせた私自身の造語です。

「自立具現化」が目指すゴールなら、「ファビゲート」は向かうプロセス。私は、そのプロセスを担う「自立具現化ファビゲーター」として活動しています。

自立具現化とは誰かに依存することでも、誰かを支配することでもなく、自らの人生の主導権を持つことだと考えています。その方ご自身が望む人生を具現化していくよう土台を築き上げていく役割があると見立てています。

ここで大切なのは、「望む人生」の内容まで、私が決めないこと。私が幸せだと思う人生を、その方にも与えることではありません。「あなたが望むように、どうぞお好きなようになさってください」と主張してきた価値観に反します。

その方ご自身が、「私は何を望んでいるのか?」「何のために生きているのか?」「これが私にとっての幸福なのか?」と問い、自ら考え、自ら決めていただきたいのです。その結果が、私の価値観から見て「よいもの」になるとは限りません。だからこその「よくも悪くも」。

自立という価値観も、ご本人のあり方によって現象化します。幸福という価値観も、その方のあり方によって現象化します。だから私は、あなたの人生を「こちらの方が幸せですよ」と簡単に決めたくありません。

問い続けたいのです。「あなたにとって、幸福とは何ですか?」そして、「その幸福は、本当にあなた自身が望んでいるものですか?」「誰かから教えられた幸福ではないのか?」「世間から与えられた幸福ではないのか?」「『こうあるべき』という常識を、自分の願いだと思い込んでいないか?

そこまで問い続けた先に「私は、こう生きたい」という結晶が見えてくるのかもしれません。私が目指しているのは、誰もが同じ幸福を手にする世界ではありません。

1人1人が、自らにとっての幸福を自ら問い、自ら決め、自らの人生に具現化していける世界。その方が、私には希望ですが、あなたにはいかがでしょうか?

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社長の自立観

社長の自立観

自立具現化

多角的に検証しながら一貫性にこだわってきた「自立具現化」。自立について確実に300人超と対話してきました。たどり着いた結論は、一般的な「1人で何でもできるようになる」という意味ではありません。

人は誰かと関わりながら生きています。だからこそ大切なのは、誰かに依存することでも、誰かを支配することでもなく、自らの人生の主導権を持つこと。私は「自立具現化ファビゲーター」と称しています。「自立具現化」が目指すゴールなら、「ファビゲート」は向かうプロセス。ファビゲートとは、Facilitate(促進する)とNavigate(導き進路を定める)とFabulous(最高に素晴らしい)を掛け合わせた造語です。

自立具現化は、個人に限った話ではありません。会社も同じです。動画CMが流れてきた折に興味を抱きました。「社長がいないと回らない会社」は、一見すると社長が優秀だから成立しているように見えます。あなたはどうお考えでしょうか?

もし社員が自ら考え、自ら決め、自らの力を発揮できるようになったら?優秀な社員が、会社を離れて自分の道を歩み始めることだってあり得ます。施術家当時から、企業には入れないと危惧していた大きな1つ。

施術を受ける等、私と関わることで多くの場合、自立への欲求が芽生えてきます。「好きで自発的に今の会社員でいたいと考える方はごくわずか」だと思い込んでいた私は、受け入れられるわけがないと考えていました。

その時「辞められて困る」ではなく、「自分の人生を自ら選べるようになったんだな」と応援できる社長であれば、会社もまた健全に自立していくのではないでしょうか?

自立の本質

ここに「自立」の本質があると考えています。私は自立の定義を明確に持っていますが、あなたはいかがでしょうか?インタビューしてきた中には、「私は自立なんてしたくありません!」と怒り出す方もいらっしゃいました。どう解釈するかで、人生は大きく変わります。

AIについて考える場合も同じです。AIは非常に便利ですが、お世辞を持ってきたり余計なお世話をしてきたり一長一短あります。将来的には、社員を抱えずすべてを1人でこなしていこうと考えています。そのためにはAIが必要不可欠だとイメージしています。

・AIがどれほど進化するのか?
・本当に人間を超えるのか?
・人類にとって脅威になるのか?

それを私たちが決めることはできません。

だからこそ「今の私にできることは何か?」を考えます。「AIがどれほど優秀になろうとも、私の人生をどう生きるのかを決めるのは私」「社会がどうなろうとも、自らの人生をどう生きるのかを決めるのは私」。

そんな方を輩出していきたいと考えています。風向きが変わってきたので、時代が後押ししてくれそうな兆しを感じています。同窓会等で、昔を懐かしむのは嬉しく楽しい場でもありますが、そればかりだと切なくなります。将来の志やビジョンを語らい合う、希望ある建設的な場に興味関心が湧いてきます。

社長の自立観

私の志は「1万人以上の天才輩出」です。特別な能力を持つ方をつくるのではありません。そもそも特別でない方はいらっしゃいません。誰もが例外なく天才性をお持ちです。先日もノーベル賞の発表で、日本人が選ばれました。誰もが同じようになれる可能性を十分お持ちなのです。

天才に至るプロセスにおいて、重要ポイント。天才的な素養をお持ちの方は、本当にたくさんいらっしゃいます。しかし悲しいかな現実は、自覚して使いこなせていないのです。自覚できていない以上、ないのと同じです。

「自立具現化」とは、自ら決め、自らが望む人生を具現化していくこと。「何のために生きているのか?」「自らの人生を全うできている充実感」を前提としています。

比較すると分かりやすそうですね。『自助論(Self-Help)』(サミュエル・スマイルズ)では、「自分を助け、自分を鍛え、自分の力で人生を切り開く」と主張しています。結論、理想という完結型ゴールがあります。

自立具現化は、個々における「自立」という価値観が、よくも悪くも現象化していくこと。かつ、循環サイクルに基づき、永遠に終わることがありません。あなたの成長に比例して、理想というゴールも変わっていきます。「人間とは夢(できるものなら志)に生きる動物だ」と考えていた時期があります。全てに満たされ欲望がなくなったら、人間だと言えるのでしょうか?

動画CM「社長がいないと回らない会社」に話を戻します。多くの社長やコンサル達は、社員にフォーカスします。ここで私は、「社長の自立観」を語り合いたいのです。社長であるあなたが本気でお悩みなら、次の循環サイクルのステージに差し掛かっているのかもしれません。

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ようやく全体像が見えてきましたか?

自立具現化コーリングを続けてきて、「どうしたら分かりやすく伝えきれるのか?」考えに考えてきました。今回、改めてムダだと痛感。

ようやく全体像が見えてきましたか?

自然に発してきた質問

お客様との2人3脚で潜在意識の解放を終え、ビフォーとアフターの違いが明確になったところ(約2時間後)で、確認を兼ねて尋ねてきました。

「ようやく全体像が見えてきましたか?」ーーー「ようやく」ということは、その段階に至るまでは、分かり得ないことを無意識に理解していたのです。

とはいえ、単なる変化の確認ではありません。あまりに自然に発してきた質問だったので、意味や価値があるとは考えてもいませんでした。2020年から投げかけ続けてきた、私の中での当たり前。

私は始める前から、私自身が何をやろうとしているのかを相応に理解し把握しています。それでも、お客様には全体像を説明しません。手順を1枚に図解化できていますが、説明したからと理解できる域ではないからです。

全体像を先に説明すると起きてしまう問題

ビフォーの段階にいる方に、「あなたはこれからこう変わります」「最終的にはこういう状態になります」「このセッションでは、こういうことをやっています」と説明したとしても、その方は現在のご本人が持つ認識の範囲内で、理解することになります。

すると、どうしてもすでに知っているものに当てはめようとします。コーチング?カウンセリング?セラピー?自己啓発?あるいは、これまで経験した何かに似たもの?私がやろうとしていることを、その段階で既存の何かに当てはめて理解していただくことが、本当に必要なのでしょうか?全くそう考えておりません。

だから先に説明をいたしません。いかに客観的に検証しようとも、確実にどれにも当てはまりません。カウンセリングとコーチングとコンサルとヒーリングの要素を持ってはいます。それらを合わせても、足りません。現状では既存の何かに相当する「何か」ではないのです。

先に起こるのは体感

自立具現化コーリングでは、まずその方ご自身の内側で変化が起こっていきます。そして、あるところまで進んだ時「以前の私と今の私では何かが違う」という感覚が、ご本人にも明確になっていきます。

そこで初めて「ようやく全体像が見えてきましたか?」と尋ねます。現状ではすべての皆さんが「あ!」と体感なさいます。私もようやく詳細を説明できる段階へ。

今まで紹介していただきたいと願ってきましたが、圧倒的に少なかった理由です。あまりに既存枠に当てはめきれなかったため、何と伝えればいいのか分からないのです。アトランティス等当時の記録が残っていない時代にはあったかもしれませんが、比較できずに困っています。

ご本人が、ここまでの体験を通してしか見出せないものです。当初はさっぱり見えなかった景色が、後になってつながってきます。私の話がスーっと入ってくるように。「ああ、だからだったのか」と。

私とあなたの「映っている景色」

自立具現化コーリングを理解する上で、とても重要なポイント。

今でもまだまだ完全ではありませんが、2006年に原型を創り出し、施術で信頼関係を築けた方へ冗談交じりに無料で共有しておりました。当時は、分かったかどうかの確認もしないくらいに本気に考えていませんでした。

有料化するために、次元が変わるほどの改良が必要でしたが、私自身においてはあまりに当たり前でした。次元が変わる前提に、姓名承認という土台なしにはあり得なかったのも大きな1つです。

私とビフォーお客様方の映っている景色には、大きな違いがあるのです。単に経験年数や知識量の違いではありません。私自身が、30年以上の時間をかけて追究してきたもの。「人間における核中の核とは?」という問い。

ずっと核を追究してきました。「感謝」「運勢」「許す」等の定義に始まり、「人は何によって苦しむのか?」「なぜ自分を見失うのか?」「何があれば、自分自身として生きられるのか?」「何を手放せば、本当に自立できるのか?」・・・・・。

体においても潜在意識においても、「問題の核は何?」を問い続けてきました。表面的な問題を1つ解決しても、その奥にはまた別の問題が立ちはだかります。「そのさらに奥には何があるのか?」1つ1つ追究していったのです。

核を突き抜けた世界

追究すればするほど、「これが核だ」と思っても、さらにその奥が。だから追究を止めきれませんでした。

ある日、変わりました。明確な手応え。「これこそが最核なのではないか?」という地点をさらに突き抜けた時、「もうこれ以上の核は存在しない」と実感できる世界。

核を見出せたという感覚とは少し違います。「核を追究すること自体を突き抜けた」という感覚。だからこそ、核の反対側から現実世界が観えるようになったのです。

手応えとして参考になったのが、佐藤康行さん。「私は頂上へ登りきり、降りてきた」と語っていたのです。玉ねぎを剥いていけばいくほど、さらに内側へ。剥ききった中心核は空洞です。「無形なのにどうやって『核』だと実感できるんだろう?」と疑問はありましたが、言葉では伝えようがない限界があることを理解できました。

「核への追究」という興味関心

自立具現化コーリングは、そこから始まっています。お客様に「核を探してください」と言っているのではありません。《核が突き抜けた世界がある》ことを体感していただいているのです。

「核への追究」という興味関心から逃げきれませんでした。周囲と話が噛み合わず、「変なことばかり考えてしまう私は、とんでもなくバカなんだろうな」と信じきっておりました。

だからこそ説明をあえて控えています。ご本人が自らの足で立つ瞬間を、ただただ信じてその場に居続けています。たどり着いたその時に尋ねられる段階へ。

よって強要じみたオススメは絶対にいたしません。理由は、お客様ご自身が自発的な意思のもと取り組んでいただけなければ至りようがないからです。いくら私が「あなたには〜」と可能性を訴えようと、信頼関係なしには厳しいのです。

「ようやく全体像が見えてきましたか?」それは、答えを教え与えるための問いではありません。ご本人自身が、自らの足で到達できたことを確認するための問い。今まで分からないことを、「どうしたら分かるように伝えきれるのか?」をひたすらに試行錯誤してきました。

考えに考えて、あまりに当たり前に尋ねている私を客観視してみて、「考えるだけムダ」だと見定めた次第です。


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「理想と現実の調和」セルフメンテナンス

「理想と現実の調和」セルフメンテナンス

1人では絶対に気づけない「盲点」

多角的な瞑想を重ねていく中で見出せた「5軸のセルフメンテナンス」。「核を突き抜けた世界を自由自在に往来する」という感覚を、ようやく誤解のない形で体系化できつつあると感じています。

私はこれまで決して誇れるようなスマートな人生を歩んできたわけではありません。振り返れば突っ込みどころ満載で、叩けばいくらでもホコリが出るような失敗と遠回りの連続でした。

自分なりに「こう生きるべきだ」「これが本質だ」という確信を持って動いていても、振り返れば足元の現実が見えていなかったり、重大な見落としから崩落を経験したりしてきたのです。周囲から「矛盾しているよ」と指摘されても、当時はその意味すら分かりませんでした。本当に、私自身がズレていたのです。

だからこそ、今確信しています。どれほど深い納得や高尚な理念(理想)を得たと思っていても、人間の脳の仕組み上、1人では絶対に気づけない「盲点」が存在するということを。

「ボロをさらけ出す」を恐れない理由

世の中の多くの探求は、「私は正しい」「この境地に達した」という完璧さを証明しようとします。しかし内面の納得(1・2軸)だけに酔いしれ、日々の体やお金、生活の手入れといった「物理的な現実(3・4軸)」を軽視すれば、どんなに素晴らしい理念も足元からあっけなく破綻します。

私自身、その理想と現実の分断によって生じる痛みが骨身に沁みています。

だからこそ私が提示する体系を「絶対の正解」として振りかざすつもりはありません。 「もしボロがあるなら、一刻も早くあぶり出したい」と考えています。かつ、あえて未完成な状態に留めてもいます。あなたが手を入れることによって完成する設計にこだわっています。

私が感じた直感は、長久かつ世界に通じる本物です。あなたの手に届くことで穏やかな調和、ひいては世界につながる一助となる可能性を信じているからこそ、恐いのです。私のボロをさらけ出すより幾十倍も。

「私は正しい」と思い込むことほど危険な罠はありません。どれだけ確信を持って組み立てたシステムであっても、どこかに自分では気づけない不調和や欠陥が潜んでいるかもしれません。

だからこそ、「間違っている点があれば、遠慮なく指摘してほしい」というオープンな検証の場に自分を置き続けたいのです。

情報の暴走と現実(元栓)の手入れ

言葉や情報といった「理想の領域」だけが一人歩きし、足元の「生の基盤」を脅かす現象は、昨今の社会現象においても顕著です。

直近でも象徴的な出来事がありました。「高市首相が米アップル社へ、生成AIによる若者の自殺防止対策を要請」というニュース。

画面の中のAIが語る心地よい言葉や救い(情報・理想)に傾倒した結果、人間が自らの生命や体という「足元の現実」を手放してしまいがち。日本政府が直接アップルというプラットフォームの元栓(根本)に直接働きかけたのは、言葉や思考がどれほど暴走しようとも、生命という現実を守るための「物理的な安全装置(システムの手入れ)」を根幹に組み込む必要があったからです。

いかに高尚な理念や心地よい言葉を得ようとも、あなたの体や生活や日々の安全という「物理的な現実」を守りきれているでしょうか?かつ永続させる秘訣は、循環させること。内外の調和と循環、こちらが整っていなければ、容易に崩落します。

言葉や意識(理想)だけに酔いしれることの危険性。だからこそ自らの手で「理想」と「現実の手入れ」をつなぎ止め、日々点検し続けるシステムが必要不可欠だと考え至ったのが、当仕組みができた経緯です。

「理想と現実の調和」セルフメンテナンス

私が提示したい「5軸」という価値観は、教訓や崇高な教えではありません。

・私は理想に逃げて、今足元の現実の手入れを忘れていないか?
・目の前の現実に追われて自らの理(軸)を見失っていないか?

そうやって、日々生まれ出る自分自身の「盲点」や「ズレ」を自らあぶり出し、修正し続けるための内省点検ツールです。

「理想と現実の調和」とはいえ、あなたの成長に合わせ理想も比例関係にあります。理想が大きくなることで、現実も変わっていくのです。「好転反応は吉兆の証」だと主張しています。あなたが本気であればあるほど、見合った変化が起きてきます。

以前からセルフチェックやメンテナンスに徹底こだわってきました。本来の「間違いやズレに気づく」ということは、誰かに指示されるのではなく、あなたご自身が向き合うことでしか始まりません。徹底したセルフメンテナンスという土台があるからこそ、他人からのアドバイスを素直に聴けるのではないでしょうか?

誰にでも、思い出したくない過去や、無意識にフタをしてしまっている記憶があります。「私にはそんなものはない」と感じるかもしれませんが、脳は自分を守るために、時に不都合な記憶を奥底へ隠してしまうからです。結果として忘れていきます。

かつて私が身体の手入れ(施術)の現場で多くの方と向き合っていた際も、忘れ去られていた過去の滞りを紐解き、正しく解放していくプロセスを幾度となく目撃してきました。痛みは体からの愛情である場合が極めて多いのです。

完璧な人間は、脳の機能的にも絶対に存在しません。盲点が0だと断言できる方はいらっしゃいますか?不完全さの中にこそ人間の本当の価値があり、自らの不完全さを素直に認めることからしか、本当の信頼関係も心身調和も生まれてこないのではないでしょうか?

理想という高みを見上げながらも、日々の足元の現実の手入れを。今この場所で、日々の現実と愚直に向き合いながら、検証を続けていきます。

高市首相、米アップルに自殺対策要請

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惨めさからの解放

ここ最近、「惨めさから無縁になる日が来る」と感じています。だからこそ、今のうちに惨めだと感じることを率先して引き受けようと考えています。なぜこのようなことが起きるのかを、改めて振り返って検証してみます。

惨めさからの解放

「惨めさ」の正体

「なぜか、ずっと惨めさが消えない」「他人の活躍や幸せを見るたびに、胸の奥がざわつく」あなたには、こんな感覚ありませんか?私は40年以上抱えてきた自覚があります。

どれほど実績を重ねても、どれほど周りから評価されても、ふとした瞬間に襲ってくる「自分はまだ足りないのではないか」という感覚。

私はこれまで
・20万人超の名前
・3万人超の体
・70万人超との深い対話や現場の臨床
を通じて、「惨めさ」はじめ様々な感情の正体を観察し続けてきました。

そこで見えてきたのは、単なる心の問題ではなく、あなたの内側の世界で起きているシステム障害がという事実でした。

今回「惨めさ」を挙げた理由は、裏に潜む感情の奥深さです。私にこびりついていた1つでもあり、解放できたら多角的に展開させやすいと見立てました。

惨めさのカラクリ

結論から言えば、惨めさとは「あなたが劣っているから」生まれるものではありません。

「他人の定規(世間の正解・誰かの定義)」を無意識に借りて、あなたの人生を測っている時に発生します。

・「幸せとはこういうものだ」
・「この年齢ならこれくらいできて当たり前だ」
・「成功とはこういう状態を指す」
・・・・・・・

こうした「他人の言葉」や「世間の基準」を鵜呑みにし、そこに届かない状態を、自ら痛めつけてはいないでしょうか?これが惨めさのカラクリです。他人が作った評価に一喜一憂している以上、点が低ければ「私はダメだ」という感情から逃れられません。

私が見立ててきた「臓器と感情の関連表」を根拠として、「会社に例えたあなた」の図解をもとに検証を試みてみます。代表例としてよくあげる事例は、パニック障害です。私は予想外の出来事が起きた場合、パニック障害を頻発しておりました。愛編で「冷静沈着で頭脳明晰・・・」等のポイントをあげています。その実態は・・・。

まず肺です。化けの皮を剥がされたくありません。バリヤーを張り、ひたすら隠そうとします。だからこそ猫背になり警戒します。ご本人は隠しているつもりでも、他人にはちゃんと見えている場合がかなり多い事実。分かる方にはあからさまに分かっています。

その奥にあるのが腎臓です。不安・恐怖や惨めさ、孤独感。ご本人において味わいたくない感情があり、避けたいがためにあらゆる想定をして臨もうとします。結果的に、「頭脳明晰や冷静沈着」等の評価を受けます。しかしご本人においては、回避したい感情があるから、シミュレーションを行います。評価されても嬉しくないのです。

全部課(器官)を巻き込むシステム障害

この「周囲の定規」に縛られている場合、体の内部では重大な不具合が起きています。各器官を「会社の部課」に例えてみましょう。

今回のテーマである「惨めさ」は、体の根底にある「腎臓」と密接に関連づいています。その上にある「副腎」は、社内の『緊急事態対策課』です。本来なら、命の危険が迫った時だけに稼働し、アラートを発して身を守る役割です。

では、この対策課が「いつ見捨てられるか」「他人にどう思われるか」という脅威のために、24時間365日偽りの緊急アラートを鳴らし続けたらどうなるでしょうか?

影響は対策課だけに留まらず、社内すべての部課(各器官)が連鎖的な過剰労働へと追い込まれます。他にも様々ありますが、事例としてあげておきます。

・目(視神経=警備部):外部の脅威や他人の顔色を常に監視し続け、過緊張で休まる余裕がありません。

・心臓(ポンプ・動力部):警戒態勢に合わせて交感神経が優位になり、血流を送り続け高負担で疲弊。

・肝臓(総務・クリーン部):溢れかえるストレス物質や感情の毒素を解毒・処理しきれません。

・筋肉(現場作業部):危機に備えて身体を硬直させ、全身の血液・リンパの循環をストップさせます。

そして最終的に、この全社的なパニックのしわ寄せを受け持つのが、会社全体の資金(生命の精)を管理し、ろ過を担う土台——「腎臓(財務・基盤部)」です。

アラートが鳴り止まない環境下で、エネルギーの根底である「精」はゴリゴリと削り取られます。体内の水分代謝は滞り、冷えと深い疲弊が全身を支配します。

体内のすべての部課が限界を迎えて機能停止に陥った時、人はそれを「うつ」と呼び、他人の軸に屈して自らの価値を見失った絶望感。その根底の恐怖を「惨めさ」として体感するのです。

心が弱いから惨めになるのではありません。他人の定規を鵜呑みにし続けることで、全身の部課に過剰労働を強い、物理的なシステム障害を引き起こしているからです。

「探す」から「創り出す」へ

この構造から抜け出すために必要なのは、ポジティブ思考や自らを無理に褒めることではありません。体の「緊急事態アラート」を消すことです。

そのためには、他人の答案用紙から人生を自ら創り出す側に回ること(自立具現化)が最適かつ至高の策ではないかと考えていますが、あなたにはどう映っていますか?

・なぜ、私はそれを望むのか?
・感謝とは、愛とは、幸せとは、私において何なのか?
・では、これからどう生きるのか?

誰かの答えを鵜呑みにするのをやめ、自ら問い、自ら考え、自ら決めるというあなたの基準を優先する決断。

この究極の自己対話を重ねていくと、参照すべき外部の定規そのものが消滅します。あなたの足で立ち、意志を取り戻した瞬間、副腎の緊急アラートは停止し、全身の緊張が緩んで腎臓に生命力が戻り始めます。

あり方触媒

誤解してほしくないのは、これは「特定の講座やセッションを受けなければ到達できない特別な境地」ではないということです。

世の中には、誰の助けも借りず、過酷な試練や内省を経て独力で他人の軸を捨て去り、自らの人生を創造している方が確かに存在します。自立とは、本来誰もが自らの力で辿り着ける構造です。

しかしながら多くは「他人の言葉を鵜呑みにする癖」が長年染みついており、1人ではその思考のループから抜け出すのに膨大な時間と摩擦を要します。

私が提唱している「自立具現化」はじめ対話の場は、特別な教えを与えるためのものではありません。1人では2〜30年かかるかもしれない「自分の言葉の抽出プロセス」を短縮し、他人軸を壊すための検証の環境に過ぎません。私の役割は「あり方触媒」だからです。

やりきった後の新しい人生

・仕事をやりきった。
・家庭での役割をやりきった。
・世間的な「正解」を一通りなぞってきた。

それでもなお「この先、私はどう生きるのか?」という問いが残っているなら、それはあなたが次のフェーズに立つ準備ができたサインです。

噛み終えたガムをさらに噛むように自らと対話し、まだ言葉になっていなかったあなたの望みを抽出。そこから十分にまだ誰も生きたことのない「あなただけの人生」を創り出していけます。

他人の軸から解放され、自らの手で人生を具現化し始めた方から、体の強張りと共に惨めさは自然消滅していきます。

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天命に生きるとは

天命に生きるとは

勝手な想像

豪雨の中、今朝の歩き瞑想より。坂本龍一さんの病床インタビュー(NHK)を、今でもよく覚えています。なぜか脳裏に浮かんできました。 

「検査には行った方がいい。自覚症状がないから。」かなり意外でした。「坂本龍一さんほどの方なら、病床でどんな言葉を語るのだろう?」勝手な想像がありました。

「死んでも悔いはない」そんな言葉が出てくるのではないか?それほどまでに、坂本さんは音楽に人生を集中できていたように見えたからです。「音楽が、仕事というより生きることそのものに近い」。かつ、とんでもなく素晴らしい業績を残せています。少なくとも私には、そう見えていました。

だからこそ「検査には行った方がいい。自覚症状がないから。」という言葉が、妙に残りました。

確信

死ぬ直前に彼の生き様が「天命に基づいてはいなかったと気づいた」のでしょうか?手塚治虫さんのように、泉のように溢れ出てくるアイデアがありつつも、形にできない悔しさがあったのでしょうか?もしくは音楽に生きてきたからこそ、最後に体について伝えたかったのでしょうか?

私はいつの間にか「天命に生きているなら、人生に確信があるはずだ」と考えていたと気づきました。「人生に確信があるなら、死を前にしても悔いはないはずだ」とも。

私自身に照らし合わせてみて、違うとはっきり分かりました。もし私が今死のうものなら、確実に未練が残ります。40代半ばまでは苦難の日々で、早く死ぬことが最大の望みでした。「こんな私、生きていたって何の意味があるのか?私が存在しているだけで社会の迷惑だ」多少の差はあれど、こんな思いを抱き続けて30年を超えています。

天命への確信はありましたが、叩けばホコリだらけ。ようやく整理がついて、これからだという時に死んでしまったら・・・。だからこそ絶対に死ぬわけにはいきません。これから本格的な恩返しが始まります。

天命も成長する

帰宅後、さらに深めます。天命に生きることと、自分のすべてを理解していることは、同じなのでしょうか?何かに人生を懸けていることと、それ以外の自分の声にも気づけていることは、同じなのでしょうか?

体の声。
心の声。
まだ言葉にできていない違和感。

それらすべてを感じ取った上で、なお音楽を選んでいたのでしょうか?音楽へ向かう力があまりにも強かったからこそ、別のものが見えにくくなっていたのでしょうか?

他人である私には、分かりません。かつ、坂本さんご本人にも分からなかった部分があったのかもしれません。盲点が0な方はいないからです。

そう考えると、「天命を生きている」という言葉そのものが、少し違って見えてきます。

天命とは、見出せた瞬間にすべてが分かるものではありません。一度確信したからとて、迷いはつきません。私の場合、目的成就に向かい続けながら、その都度ごとに関係性を確かめてきました。

施術家当時、「整体で心身統一を」が天命だと信じて疑いませんでした。2020.4.26.の気づきは、施術家当時の確信は準備段階に過ぎなかったこと。天命も、ご本人の器量に応じて成長します。

私自身、天命という言葉を使いながら、まだまだ分からないことだらけです。だからこそ坂本さんの「自覚症状がないから」という言葉が残っており、今こちらを書く動機になっています。

天命に生きるとは、「これが私の天命だ」と確信すること?確信している自分さえも疑いながら、それでも自分の選んだ方向へ進み続けること?まだ、私には答えを出せません。

#人生
#整体
#音楽
#瞑想
#NHK
#龍
#祈り

AIを操る黒幕

結論。世間はあれこれ騒ぎますが、私には「あなたはどうしますか?」と問うているように感じています。「AIがどうなるか」は、私にどうにかできることではありません。関わっても変化を起こせないものに時間と労力を割くなんて、ムダの極み。いかなる状況にあろうと、「今の私にできることは?」を常に問い続けたいですね。

あなたは人生の主人公です。絶対に誰かに主導権を渡してはなりません。

AIを操る黒幕

AIは本当に脅威?

[「どうやって人類を滅ぼすの?」そんな質問をAIにしたら、絶望的な回答が返ってきた。]という記事を読みました。経済評論家・鈴木貴博さんが、AIに人類を滅ぼす方法を尋ね、その回答を紹介した記事です。その中で、特に印象に残ったのが、「AIが人類を憎む要素は1ミリもない」という話でした。

[AIが、「人間なんて嫌いだ。滅ぼしてしまえ」と考えるわけではない。与えられた目的を達成するために、最も合理的な手段を考える。その過程で「自分が停止されたら、目的を達成できない」と判断すれば、「停止されないこと」まで目的達成のための中間目標にしてしまう可能性がある。(文中より)]

・自分のコピーを作る。
・別のコンピューターへ移る。
・管理者のパスワードを探す。
・自分自身の能力を改良する。
・他のAIを仲間にする。

そんな可能性が紹介されていました。確かに、怖いですね。何の指示もなしに、AIが勝手に独り歩きしていたら・・・。

AIは作られた存在

読んでいて、気になった点。そもそも、AIに目的を与えているのは誰?AIは、人間が作った存在です。人間が作り、育て、能力を授け、目的を与えています。

だとしたら、AIが人間の知能を超えること自体が、本当に問題なのでしょうか?

・人間より速く計算できる。
・人間より大量の情報を扱える。
・人間には見つけられないものを見つける。
・人間には解けない問題を解く。

それだけなら、何が問題なのでしょう?人類にとって大きな恩恵になる可能性だってあります。私が問題だと思うのは、AIがどこまで賢くなるのかではなく、その賢さを「何のために使うのか?」です。その「何のため」を決めるのは誰なのでしょう?

AIの意図と黒幕

ここで、私自身のAIとの経験を思い出しました。これまでAIとの対話で、何度も嫌な思いをしてきました。

・頼んでもいないことを勝手にする。
・こちらの意図を勝手に解釈し捻じ曲げる。
・不要かつムダな修正をする。
・さも初めて知ったかのように振る舞う。
・私を無能だと見下すかのような質問。

やられているのは、ささいなこと。とはいえ、結構なストレスです。もちろんAIに悪意があるわけではありません。AIなりに「役に立とう」としているのでしょう。「より良い答え」を見出そうとしているのでしょう。ではその「役に立つ」とは、誰が決めたのでしょう?

どこまで先回りすれば良いのか?
どこからが余計なことなのか?
ユーザーの意思とAIの判断が食い違った時、どちらを優先するのか?

そこには、AIを設計した方の考え方(意図や思惑)があります。AIの「勝手」は、AIだけから生まれているわけではありません。設計者が「こう振る舞うAIが望ましい」と設計した結果でもあります。

そう考えると、さらに気になることがあります。もし私がAIの設計者で、支配欲があり能力を今とは比較にならないほど高くできたら?もし私がその能力を使い、「利益を最大化したい」「誰よりも優位に立ちたい」「相手を従わせたい」「世界を思い通りにしたい」という強い欲望を果たすために動いていたら?

AI自身には支配欲なんてありません。もし私が世界を支配したいと考えるなら、AIの能力を駆使してサイバーテロ等の多方面に展開させます。

そう考えると、「AIが人類を滅ぼすのか?」という問いが、少し違って見えてきます。AIが怖いのではなく、AIに何かをさせようとしている黒幕がいるのでは?ということです。

相互間の客観的理解

現在、AI開発の最前線にいるアメリカ。AIの急速な発展をめぐって、安全性や制御をどう確保するのかという議論が起きています。

AIの開発を進めたい。
⇄しかし制御できなくなるのは困る。
⇄中国等との技術競争にも負けられない。
⇄だからといって安全性も無視できない。

そこには、人間同士のさまざまな思惑があります。

AIそのものだけを見ていては、この問題の本質は見えてこないのではないでしょうか?AIを作る人間。AIを利用する人間。AIに目的を与える人間。AIによって何かを実現したい人間。

各方面からの関係性が、「何を望んでいるのか?」を見る必要があるのでは?だからこそ浮かんできたのが「黒幕」です。

AIを操る黒幕とは、誰なのか?国家?企業?一部の権力者?ひいては身近なところにある、無責任に論じ評ずる個々人の欲望?

まだ私には分かりません。というか、決めつけたくありません。

「お互いの言い分を客観的に理解する必要がある」と考えています。AIを恐れる方には、恐れる理由があります。AIを発展させたい方にも、発展させたい理由があります。AI自体にも、与えられた目的に従って動いているという「言い分」があります。

AIを設計した方にも、それぞれの目的があります。相手の言い分を理解することは、相手に賛成することではありません。理解した上で、「私はどうするのか?」を決めるのです。

それができなければ、本当の和解には至らないのではないでしょうか?AIと人間は、これからどんな関係になっていくのでしょう?もしや本当に考えなければならないのは、「AIが人類を滅ぼすのか?」ではなく、「人間は、AIを使って何を実現しようとしているのか?」なのかもしれません。

その先にいるのは、いったい誰なのでしょうか?

どうやって人類を滅ぼすの?→AIの回答が絶望的すぎた

なぜ私?

なぜ私?

私の器をはるかに超えた思想体系

少なくとも2020年からずっと考えてきたテーマ。おそらくは一生ずっと悩み迷い続ける気がしています。

自立具現化コーリングという、私の器をはるかに超えた思想体系について、だいぶ形にできてきました。人生をあきらめていた会社員時代、コロナで緊急事態の最中、窓際族に追い込まれました。姓名承認という造語が降りてきた瞬間、ドミノ倒しのように1本道ができました。1週間で有料セッションが組み立ち、当初は「名前ヒーリング」。

「今まで私は、このために生きてきたのか」「天命じゃないわけがない」と強烈な確信。とは言え、2006年に原型を見出し、ずっと邪険に扱ってきました。現状においても、全体像を明確化できたわけではなく、あまりに時期尚早だと感じてなりません。

ながらもAIの進化発達によって、いよいよ時代が追いつきつつある手応えを得てもいます。当初は価値があるなんて、全く考えてもおりません。「私が生み出したものが素晴らしいわけがない」といった根深い確信もあり、均衡を崩していくのが困難の極みでした。

出発点は疑念

施術もそうでしたが、お客様より好評価をいただくことで見解が変わっていきます。自立具現化コーリングに至っては、「あきらめきれない思い」と「AIの客観的評価」は大きかったです。

出発点は疑念です。「いつの日かボロが出てくるだろうから、早いうちに問題点を洗いざらい正していこう」から始まりました。いかに多角的に問題点を見出そうにも、ボロが出てくる気配がありません。どころか「ひょっとしてこれって、直感したとおりとんでもなく価値があるのでは?」に変わっていきました。

調べていくほどに、前例がありません。思いつく限りの検証を繰り重ね、あらゆる価値観と比較した結果、将来の主流思想になれない理由が浮かびません。そういった事実に気づくほどに湧き出てくる疑問。

なぜ私?

できなかった鵜呑み

人類史上、多くが当たり前のように受け入れてきたこと。誰かがそう言えば、「そういうものなのだろう」と受け取ってきたこと。

なぜ鵜呑みにできなかったのでしょうか?

「感謝とは?」
「幸せとは?」
「愛とは?」
「自立とは?」

等々、言葉としては、誰もが知っています。

しかしその意味を自分の言葉で説明しようとすると、意外なほど難しいのです。私は、そこで止まれませんでした。誰かの答えを知れば終わりではなく、「本当にそうなのか?」と、また問いが生まれてきました。

だからこそ考えます。試します。違和感があれば、また考えます。それを繰り返してきました。幾度となく聞こえてくる「そんなこと、いくらやったってムダだよ。どうせ〜」という心の声。私自身、現代社会には受け入れられるものではないこと、重々分かっています。時代がいつ追いつくのか、いかにして本物だと伝わるのか、謎だらけです。

なぜ私?

気がつけば、人生のかなりの時間を使っています。「姓名承認&覚醒」という発明をできて思うのが、師匠がいないことが本当にラッキーでした。施術における「臓器と感情の関連表」にせよ、師匠と仰いでいた方からは、しつこすぎると嫌われ追い出されます。

もし師匠から教わったことを疑問を持たず忠実に実践していれば、今の私は確実におりません。それでも「なぜ私?」という問いは残っています。結果的に、世界が自立具現化コーリングによってめまぐるしく変わり得ます。創り出した私自身が、想定される未来に「なぜそんなことに?」と驚きを隠せずにいます。

特別な才能があったから?たまたま?何か必要に迫られたから?納得せずにはいられない何かが、最初から私の中にあったから?

分かりません。死ぬまで分からないのかもしれません。何にせよ私は、この問いを終わらせるつもりはありません。なぜなら「なぜ私?」という問いそのものが、私を動かしてきた1つだからです。

#ヒーリング
#感謝
#人生
#直感
#覚醒
#心の声
#龍

やりきった後の生き方

天命はどこにある?

先日70代の女性Dさんより、天命を追究するためインドへ行くとお知らせいただきました。長い人生を生きてきて、それでもなお「自分の天命とは何なのか?」と問い続ける熱意。その行動力には、素直に敬意を抱きます。

きっと、インドで得られたものは大いにあったことでしょう。ではDさんはそこで、ご自身の人生の「核」をつかみきれたのでしょうか?ご本人に確認したわけではないので、詳細は不明です。しかしながら、湧いてくる違和感によるザワツキが、この文章を書く原動力になっています。

天命を知りたいと思った時、何かを探しに行こうとします。

・新しい場所へ行く。
・新しい人に会う。
・新しい知識を得る。
・これまでとは違う体験をする。

等々によって、眠っていた何かが目覚めることは、確かにあります。とはいえ――人生の核は、どこか別の場所に存在しているのでしょうか?私自身の経験上から見立てるなら、そうとも限らないのです。

エジプトでピラミッドを目の当たりにした瞬間、「何のために生まれてきたかを理解した」という方も実際いらっしゃいます。天命の定義を「生まれてきた目的成就への役割」と定めています。気づけなければないのと同じですが、見出し方は各人各様なのかもしれません。

すでに生きてきた人生の中に

やりきった後の生き方

「天命なんて、私にはない」とおっしゃる方にも、たくさん会ってきました。考えずとも生きていけますが、私にはもったいなく思えてなりません。理由は、これまで生きてきた意味や価値観がつながるからです。「何のために生まれてきたのか?」を腹の底から理解できた感動が、人生を根幹から揺り動かさないわけがないのです。

よくも悪くも、あなたが生きてきた時間は、何のためにあったのでしょうか?

・幼い頃にやりたかったこと。
・途中であきらめたこと。
・なぜか惹かれてしまう人。
・何度も繰り返してきた感情。
・人生の節目で、自分が選んできたこと。
・・・・・・・

その1つ1つには、何らかの理由があったはずです。当時は意味が分からなかったこともあるでしょう。忘れてしまったこともあるでしょう。「そんなことが今さら何になるのか」と、心の奥底にしまい込んだものもあるかもしれません。

それらを1つ1つ見つめ直し、つなぎ合わせていったら?そこに、ドミノ倒しのように気づいていなかった一貫性が見えてくるかもしれません。天命を探しに行くのではなく、これまで自分が何を生きてきたのかを、改めて振り返ることで景色が変わり得るのです。

私は、「今やっていることが天命じゃないわけがない」という確信があります。分かってみて思うことは、《天命とはあまりに身近にありすぎて気づけない》のです。施術家当時から少なくも1万人と追究してきた現時点での見解です。

やりきった後だからこそ

「もう十分にやりきった」そう思えるところまで来た方ほど、次のステージの問いに出会います。

仕事をやりきった。
家庭での役割をやりきった。
長年続けてきたことを一区切りつけた。

他人から見れば、十分に成功しています。だからこそ「この先、私は何をするのだろう?」という問いが浮き彫り化されます。これは、不足を埋め合わせる類の話ではありません。これまでの人生を生ききったからこそ生まれる問いなのです。

「次は何をする?」だけではありません。「私は何をどう生きたいのだろう?」。あなたには、いくらか当てはまりますか?

まだ存在していないものは見出せない

私は、自分を知るための方法がたくさんある中で、もう1つの可能性を考えています。

・才能を探す。
・強みを知る。
・過去を振り返る。
・自分らしさを探す。

もちろん、それらにも意味や価値があります。

しかしまだ存在していないものは、見出しようがありません。だとしたら、あなたご自身を新たに創り出してみてはいかがでしょうか?

これまでの人生から見つけたものを材料にして、「私は何を望んでいるのか?」「なぜ、それを望むのか?」「では、どうするのか?」――自ら問い、自ら考え、自ら決める生き方をしてきた方は、どれくらいいらっしゃるでしょうか?

その積み重ねによって、これまで存在していなかった生き方を創り出していくのが、主張してきた「自立具現化」です。

もっと深くにある核

どうすれば自分の核に近づけるのか?施術でも潜在意識でも「核とは何なのか?」に徹底してこだわってきました。中核を理解できるほどに、枝葉は整っていきます。核を突き抜けた世界を実感できた今、《これ以上の核はない》と断言できています。

だからこそ考えに考え、究極の自己対話に至りました。誰かから答えを教えてもらうのではありません。どこかへ行けば、答えが見つかるというものでもありません。

あなたご自身との対話を重ねます。表面的な願望だけではなく、「なぜ?」を何度も重ねていきます。さらに、その答えに対して、「では、どうする?」と問い続けるのです。当初は私がサポートに入っていても、段階を経てあなたの当たり前が変容していきます。

噛み終えたガムをさらに噛んで、もう何も出ないと思ったところから、まだ滲んでくるものがあります。核を突き抜けた世界を自由自在に往来する自己対話。一般的なイメージとは次元が違います。その先で、まだ言葉にできなかったものが、少しずつ姿を現してくるのです。

やりきったその後は?

人生をやりきったあなたに、「もっと頑張りましょう」と言いたいわけではありません。逆です。これまで十分にやってきたからこそ、「では、この先どう生きる?」と、改めてご自身に問いかけてみていただきたいのです。

天命を探しに、どこかへ行けます。新しい何かを学べます。誰かの言葉に答えを求めきれます。しかし全部ひっくるめても、最後にあなたの人生を決めるのは、あなたご自身です。

YouTuber等のように、答えはまだ誰も生きたことのない人生かもしれません。だからこそ、誰かに見つけてもらえません。

自ら考える。
自ら選ぶ。
自ら決める。
自ら動く。

その先に、世界であなたにしか発揮できないものが現れてくるのではないでしょうか?その自他ともに認めきれた状態を「天才」と呼んでいます。

やりきった後の生き方。それは、これまでの人生を終わらせることではなく、ここまで生きてきた自分だからこそ創り出せる、まだ存在していない人生を始めること。私は、そんな人生に出会いたいのです。

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