
これは、誇らしさを語るものではありません。「希望を失いつつも、命は続いていく」────そんな体験エピソード。当時、完全に負け戦の中にいました。私の正義も、志も、実力も、何もかもが空回り。全力で向き合った末に、全てを失いました。
智己さんへ
あきらめという無力感
命を定め、志を育んできたつもりだった。結果は惨憺たるもの。「うまくいかせなければならない」と意気込みすぎて、君自身が壊れていったよね。
施術家としての活動も限界。奥さんからも離婚を突きつけられ、生きる希望もろとも根こそぎ失ってしまった。肉体がある以上は生活はしつつも、魂の深い喪失感。「もうどうなったっていいや」すべてにおける、あきらめという無力感。
すべてを失う直前に関わり始めた、教材販売の会社へ就職。脳科学を主としており、「最優先にやりたいことではないが、他に選択肢を見出せない」と決断。「ここで新たな再出発だ」と腹を決め、歩み出す。
受講生の皆さんへの対応役を任され、親身に関わってきた。結果として、私の名前に関する手法が口コミで伝わり始めた。ある方は、教材よりも私に興味を持ってくださり、列をなすほどに。
スタッフ側としては、鼻持ちならないものがあったのか、事務処理系のバックオフィスへ。「隠れた才能があるから」という言い分で、「当時のスタッフの中では」という前提。決して得意ではない担当へ。「名前関連で転職したら?」と多くの皆さんに勧められつつも、拒み続けてきたよね。
就職した当時の意気揚々としていた気持ちも、空元気だったと気づいた。あきらめきった人生の中で、「私にはもう何もない」と決め込んでいたね。「こんなどうしようもない人生で、バカにされながら死んでいくんだろうな・・・」
気づかせるための伏線
転機は、奥さんとのご縁。元奥さんから離婚を突きつけられ、「男性としても人間としても失格だ。最低最悪だ」と考えていた矢先、トントン拍子に結婚することに。
とはいえ、結婚したとしても君は「何もない」と決め込んでいる。加えて結婚した途端、窓際族へ。お先真っ暗な状況で、コロナ禍。緊急事態宣言・・・・・・・・。畳みかけるように、絶望感が加速していく。どんなに抗おうとも、飲み込まれていく恐怖。
希望なんて何も持てない中、出会いを求めて交流会へ。そこで10年ぶりの友人と再会。施術に感動してくださった1人でもあり、「しがない会社員でいる場合じゃない」と応援。
心の底からあきらめていたものの、奥さんと一緒に生きたい。このままでは確実に途絶えてしまう。「だけど、私なんかに何ができる?私には何もないじゃないか・・・」
振り返れば「極陰、陽に転ずる」が現実化された瞬間だった。「私には何もない」と言い続けた結果、「姓名承認」という言葉をひらめいてしまった。姓名判断が嫌いで、「牛丼屋でバイトした方がマシだ」と拒み続けてきた。「姓名承認」という造語なら、何の淀みもないどころか、完全に地でできる。「素の自分」を表現していいんだ!
本当に感動したよね。次の日の朝4:30、夢で「りゅう あんしん」と名乗っている。感覚の手応えからも、どう考えても「未来の私」としか思えない。「これが私の天命じゃないわけがない!」という全身にみなぎる確信。
過ぎてみれば愛だった
奥さんと一緒になれた時点で、「人生の半分は成功だ」と思えるほどの感動があった。だからこそ、離れたくない、一緒にいたい。奥さんと出会うために、今までの苦しみやわだかまりがあったと考えると、納得できる。
君1人では、すぐにあきらめていたよね。それほどに絶望しきっていたから。それでも、統命思想という価値観から君の生き方を照らし合わせてみたら、「だからこその人生」とも言えるのでは?今までをそう振り返れるのなら、これからだってそうなっていくだろうね。
21歳から座右の銘として言い続けてきた言葉。君の人生、やはりこれだね。「過ぎてみれば愛だった」────────────
私の思いを受け取ってくれて、ありがとう。君の想いを受け取らせてくれて、ありがとう。
君が生きてくれて、本当によかった。ありがとう、智己さん。