誇りある一般庶民

誇りある一般庶民

心の声との対話

今朝の歩き瞑想では、「平成天皇(上皇陛下)の品格への憧れ」が浮かんできました。世界中の誰もが尊敬する権威を有しながら、誰よりも低姿勢かつ同じ目線で向き合われるお姿。一生涯かけても陛下のように自分を磨いていきたいと、改めて憧れの気持ちを確認いたしました。

そこで湧き出てきた心の声「何もできない一般庶民のくせに、何を言ってんだ?」。少し前の私なら、こんな声を認識した時点で、へこみます。「やはりそうだよな。なんてったって私は〜」と憧れの気持ちを打ち消してきました。

「何の取り柄もない」「何をやってもダメだな」と考えてきたのは少なくも30年以上。スジ金入りの自己卑下歴にはかなりの自信があります。あるものといえば、無意識に観てしまう名前の画数等の能力。嫌いなのに観てしまう自分の愚かさを嘆いてきました。

今回は、完全に違っていたことに感動。「そうだよ。何もできない一般庶民さ。だからいいんだよ。一般庶民が陛下みたいになりたいって、憧れちゃダメなのか?私は誇りある一般庶民だ。何が問題だ?」と咄嗟に反論。本当に瞬時でした。

人間の可能性

かつて出会ったあるメンターが、「私は新月(満月)生まれだ」「幼少期から天才と呼ばれてきた」「著名人の血を引いている」等を自慢気に語っていたことがありました。当時は、どこかでそれを「羨ましい」と感じていたのも事実です。

「今も羨ましい?」と問うた時、「No」とキッパリ即答。「私は特別な存在でありたい」と願ってきましたが、そもそも特別でない方は、世に1人もおりません。私個人の生涯目標として、《1万人以上の天才輩出》をあげています。十分すぎるほどの可能性を感じています。

なぜなら、人間の可能性は冗談ではなく無限大だから。キリストやお釈迦様等が特別能力が高いのではなく、人間が素晴らしいのです。あなたが本当に願うなら、ノーベル賞でも不可能ではありません。イメージできたことは、規模次第ですが時を経て、必ず実現できます。だからこその自立具現化コーリング(ファビゲーシング)なのです。

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やりきった後の生き方

天命はどこにある?

先日70代の女性Dさんより、天命を追究するためインドへ行くとお知らせいただきました。長い人生を生きてきて、それでもなお「自分の天命とは何なのか?」と問い続ける熱意。その行動力には、素直に敬意を抱きます。

きっと、インドで得られたものは大いにあったことでしょう。ではDさんはそこで、ご自身の人生の「核」をつかみきれたのでしょうか?ご本人に確認したわけではないので、詳細は不明です。しかしながら、湧いてくる違和感によるザワツキが、この文章を書く原動力になっています。

天命を知りたいと思った時、何かを探しに行こうとします。

・新しい場所へ行く。
・新しい人に会う。
・新しい知識を得る。
・これまでとは違う体験をする。

等々によって、眠っていた何かが目覚めることは、確かにあります。とはいえ――人生の核は、どこか別の場所に存在しているのでしょうか?私自身の経験上から見立てるなら、そうとも限らないのです。

エジプトでピラミッドを目の当たりにした瞬間、「何のために生まれてきたかを理解した」という方も実際いらっしゃいます。天命の定義を「生まれてきた目的成就への役割」と定めています。気づけなければないのと同じですが、見出し方は各人各様なのかもしれません。

すでに生きてきた人生の中に

やりきった後の生き方

「天命なんて、私にはない」とおっしゃる方にも、たくさん会ってきました。考えずとも生きていけますが、私にはもったいなく思えてなりません。理由は、これまで生きてきた意味や価値観がつながるからです。「何のために生まれてきたのか?」を腹の底から理解できた感動が、人生を根幹から揺り動かさないわけがないのです。

よくも悪くも、あなたが生きてきた時間は、何のためにあったのでしょうか?

・幼い頃にやりたかったこと。
・途中であきらめたこと。
・なぜか惹かれてしまう人。
・何度も繰り返してきた感情。
・人生の節目で、自分が選んできたこと。
・・・・・・・

その1つ1つには、何らかの理由があったはずです。当時は意味が分からなかったこともあるでしょう。忘れてしまったこともあるでしょう。「そんなことが今さら何になるのか」と、心の奥底にしまい込んだものもあるかもしれません。

それらを1つ1つ見つめ直し、つなぎ合わせていったら?そこに、ドミノ倒しのように気づいていなかった一貫性が見えてくるかもしれません。天命を探しに行くのではなく、これまで自分が何を生きてきたのかを、改めて振り返ることで景色が変わり得るのです。

私は、「今やっていることが天命じゃないわけがない」という確信があります。分かってみて思うことは、《天命とはあまりに身近にありすぎて気づけない》のです。施術家当時から少なくも1万人と追究してきた現時点での見解です。

やりきった後だからこそ

「もう十分にやりきった」そう思えるところまで来た方ほど、次のステージの問いに出会います。

仕事をやりきった。
家庭での役割をやりきった。
長年続けてきたことを一区切りつけた。

他人から見れば、十分に成功しています。だからこそ「この先、私は何をするのだろう?」という問いが浮き彫り化されます。これは、不足を埋め合わせる類の話ではありません。これまでの人生を生ききったからこそ生まれる問いなのです。

「次は何をする?」だけではありません。「私は何をどう生きたいのだろう?」。あなたには、いくらか当てはまりますか?

まだ存在していないものは見出せない

私は、自分を知るための方法がたくさんある中で、もう1つの可能性を考えています。

・才能を探す。
・強みを知る。
・過去を振り返る。
・自分らしさを探す。

もちろん、それらにも意味や価値があります。

しかしまだ存在していないものは、見出しようがありません。だとしたら、あなたご自身を新たに創り出してみてはいかがでしょうか?

これまでの人生から見つけたものを材料にして、「私は何を望んでいるのか?」「なぜ、それを望むのか?」「では、どうするのか?」――自ら問い、自ら考え、自ら決める生き方をしてきた方は、どれくらいいらっしゃるでしょうか?

その積み重ねによって、これまで存在していなかった生き方を創り出していくのが、主張してきた「自立具現化」です。

もっと深くにある核

どうすれば自分の核に近づけるのか?施術でも潜在意識でも「核とは何なのか?」に徹底してこだわってきました。中核を理解できるほどに、枝葉は整っていきます。核を突き抜けた世界を実感できた今、《これ以上の核はない》と断言できています。

だからこそ考えに考え、究極の自己対話に至りました。誰かから答えを教えてもらうのではありません。どこかへ行けば、答えが見つかるというものでもありません。

あなたご自身との対話を重ねます。表面的な願望だけではなく、「なぜ?」を何度も重ねていきます。さらに、その答えに対して、「では、どうする?」と問い続けるのです。当初は私がサポートに入っていても、段階を経てあなたの当たり前が変容していきます。

噛み終えたガムをさらに噛んで、もう何も出ないと思ったところから、まだ滲んでくるものがあります。核を突き抜けた世界を自由自在に往来する自己対話。一般的なイメージとは次元が違います。その先で、まだ言葉にできなかったものが、少しずつ姿を現してくるのです。

やりきったその後は?

人生をやりきったあなたに、「もっと頑張りましょう」と言いたいわけではありません。逆です。これまで十分にやってきたからこそ、「では、この先どう生きる?」と、改めてご自身に問いかけてみていただきたいのです。

天命を探しに、どこかへ行けます。新しい何かを学べます。誰かの言葉に答えを求めきれます。しかし全部ひっくるめても、最後にあなたの人生を決めるのは、あなたご自身です。

YouTuber等のように、答えはまだ誰も生きたことのない人生かもしれません。だからこそ、誰かに見つけてもらえません。

自ら考える。
自ら選ぶ。
自ら決める。
自ら動く。

その先に、世界であなたにしか発揮できないものが現れてくるのではないでしょうか?その自他ともに認めきれた状態を「天才」と呼んでいます。

やりきった後の生き方。それは、これまでの人生を終わらせることではなく、ここまで生きてきた自分だからこそ創り出せる、まだ存在していない人生を始めること。私は、そんな人生に出会いたいのです。

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感謝とは?

感謝とは?

先日、感謝や愛について熱弁するNさん。その話に期待感を覚え、訊いてみたのが「感謝の定義とは?」。

予想どおり、答えは返ってきませんでした。少しガッカリ感は否めませんが、責める気持ちはありません。これまでの人生を振り返ってみても、「感謝とは何か」を考えたことがある方に、まだ出会ったことがありません。

感謝について熱く語るNさんなら、きっとご自身の中に感謝とは何かという明確な答えをお持ちなのでは?と期待したのです。

感謝という言葉は、誰もが知っています。大切なものだと、多くの方が語ります。「感謝を忘れないようにしましょう」「すべてに感謝しましょう」「感謝できる人になりましょう」

どれも、素晴らしいです。本当にそのとおりです。ここで一度立ち止まっていただきたいのです。感謝とは、何でしょうか?

嬉しいと感じること?ありがたいと思うこと?誰かに「ありがとう」と伝えること?恵まれているものに気づくこと?それとも、もっと別のもの?

自己対話の重要性

Universal Flow Therapy では、「究極の自己対話」をお届けしています。自己対話は、人生の次元を変えるほどに超重要だと主張しています。

きっかけは、「お前には感謝が足りない」と、尊敬する3人から指摘されたこと。感謝しているのに「足りない」と言われ、混乱が深まります。だからこそ、感謝できるよう奮起します。感謝について多くの本を読み漁り、感謝を分かりやすく教えてくれそうな方の下へ学びにも。しかし分かりません。感謝の重要性を皆さん語りますが、どうすれば「Mr.感謝」と尊称されるようになるかは、全く見出せないのです。結果、感謝が嫌いになりました。

理解してみて分かったこと。感謝という言葉の価値を知って実践していることと、感謝とは何かを自らの言葉で説明できることは、同じではありません。今となっては、「感謝の対義語」等の有料対話を200人超経てきました。

「感謝の対義語」に関しては、「最低は最高に通じている」という原理原則からも、脳科学の視点からも解説できます。表現によって多少の差はあれど、答えは1つだと断言できます。

これは、感謝に限った話ではありません。「愛」「許す」「幸せ」「自立」・・・・・・・、多くが人生において重要な言葉を、驚くほど簡単に使っていますが、あなたはいかがでしょうか?その言葉が何を意味するのかを、改めて考える機会は案外少ないのかもしれません。

見過ごしていたもの

誰かが語った言葉を覚え、正しいものとして受容。それも1つの生き方です。その言葉をあなたの人生で使うのであれば、「私はどういう意味でこの言葉を使っているのだろう?」と、問い返してみてもよいのでは?鵜呑みにしたままでは、あまりにもったいなくないでしょうか?

感謝について、私自身の定義の公開は控えさせていただきます。現状では、左脳的理解ができただけに過ぎません。右脳的理解をさらに深めたいと追究しています。

どちらにせよ深めていくには、やはり自己対話が必要不可欠ではないかと思えてなりませんが、あなたにはどのように映っていますか?問いを持つことで、これまで見過ごしていたものが見えてくることがあります。

施設警備の研修で教わったことが、すごく役立っています。「いつもと違っている箇所を探し出せ」と徹底されました。脳科学からも、盲点がない方はいらっしゃいません。疑問を持たずに過ごす場合、気づきが深まることはあり得ません。

今まで当然だと思っていた言葉に、あなた自らの答えを示してみませんか?その過程そのものが、自己対話です。

誰かの答えを借りるのではなく、自らに問い、自ら考え、自らの答えを確かめていくーーー。その先に本当の感謝が生まれます。

あなたにとって、感謝とは何でしょうか?もし、まだ考えたことがなければ、少しだけ立ち止まってみませんか?「感謝とは?」あなたご自身への問いかけから。

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「なぜ減反?」違和感の奥にある解放

「なぜ減反?」違和感の奥にある解放

先日、たまたま流れてきたニュース記事を見て、目を疑いました。「高市内閣、減反政策」?米の価格が信じられないほど高騰している状況にも関わらず、なぜ減反?石破政権では増やしていく方針を固めたのになぜ、減らすのでしょうか?

違和感を抱きつつも、誰も止めません。私も含め、「なんとなくそういうもの」と流してしまっているような・・・。こういったこと、他にもありませんか?

「共生共栄共和思想」という価値観を打ち立て、世に広げようとしています。名前が長いので、「響立思想」と短縮化を試みました。米の問題を通じて、あなたと対話する気持ちでこちらを書いています。

響立思想が、世にあなたにどんな影響を及ぼすのか、私自身も試行錯誤中です。暗闇の中で鍵を探している感覚。ぜひあなたのご意見聴かせていただけませんか?

私は今まで、国が強制的に管理統制をしているものと考えていました。農家の現状は、国に完全に強要されているわけではないようです。政策や補助金・流通の仕組みによって、結果として強く誘導されているのだと理解しました。

作りすぎれば価格は下がります。価格が下がれば経営は成り立ちません。だからこそ「需要に応じた生産」が求められます。さらに補助金には条件があり、特定の作物への転換も促されてきたようです。

命令ではありません。しかし従わざるを得ない暗黙の了解に準じた構造があるのではないでしょうか?だからこそ現場感覚では、「決められている」に近いでしょうし、私もそう思い込んできました。

この現実を無視して、「覆せ」と言っても意味はありません。対立が強まるだけで、本質は何も動きません。

解放とは

ぜひあなたと共有したいのが、「解決」ではなく「解放」という発想。解放とは何でしょうか?こちらでは「『従う or 反る』から抜け、自ら選べる状態」と定義づけています。

環境を変えることでも、ルールを壊すことでもありません。そもそも管理統制されることが、本当に必要なのでしょうか?すべてにおいて常に従わなければならないもの?例えばもし「どうぞ好きにしてください」と言えるなら、どのようないいことが起きそうでしょうか?

多くの場合、同じ枠内で選ばざるを得ません。「従う or 逆らう?」「安定 or 自由?」。この枠にいる限り、どちらを選ぼうが本質的に縛られます。解放は、この選択肢を無効化させます。なぜなら、次元を上げたり、前提を改めるから。

例えばどうすればいいのでしょう?3要素「許可」「決定」「一致」に分かれます。

許可

多くの皆さんが知らずのうちにやらかしているのが「禁止令」です。幼少期に言われたこと、ありませんか?「◯◯◯やっちゃダメでしょ!」等、私も含め大人になった今も、そのまま継続させている方かなりいらっしゃいます。

「許可」とは、心理的な解放です。「やってもいいけど、やらなくてもいい。どうぞお好きなように」です。すべての基盤でもあり、許可できていなければ何をやってもうまくいきません。

決定

「決定」は構造的な解放です。許可を出せ、方向性が定まった状態。決める上で、必要不可欠なキーワードが「捨てる」。分かりやすく、AかBの選択肢があるとしましょう。Aに決めたなら、Bはもともとなかった状態です。

一致

中途半端な状態だと、問題が起きがちです。「許可したのに決めない」「決めたのに許可していない」というズレ。よって最終的に「許可=決定」になる状態、一致です。

「やっていいと思った瞬間、もう選んでいる」「選んだ瞬間、迷いがない」という状態を作り出せるかどうか?は、大きな分かれ道となりそうですが、あなたにはどのように映っていますか?

自立

すべてを変える必要はありません。規模は小さい方がオススメ。突然の変化は反発が起きますし、長続きしない典型例です。

例えば、

・一部の作物だけでも自分で販売してみる。
・一部だけでも別の販路を持ってみる。
・自分の価格で売る経験をしてみる。

重要なのは、「自分で決めて、自分で結果を受け取る」こと。この回路が1つでも通った瞬間、もう「言いなり」ではなくなります。

従うことも、外れることもできる、どちらでも選べる状態。まさに「自立」と呼べるのでは?自立は、「自然や社会とのつながりから、自らを確立させること」と定義づけており、幸福への潤滑剤でもあります。

響立思想で言えば「解放とは、自立の回路を通すこと」。自立が生まれれば、一貫性が生まれます。一貫性があれば、信頼が生まれます。その先に、理想とする世界が現れます。

選べる領域

現実は確かに制約があります。とはいえ、その中でも選べる領域は0ではありません。解放とは、選べる領域を1つでも持つこと。その小さな積み重ねが、やがて選択の次元を変えていくのです。

ここまで読んで、あなたはどう感じますか?もし今、「私は選んでいない」と感じたなら、それは問題ではなく出発点かもしれません。1つだけでいいのです。あなたが今、
自分で決めていないと感じることは何でしょうか?

あなたなら、どうすれば自主性をもって選べますか?答えを曖昧にしたままで終わらせるのは、あまりにもったいないです。言語化した時点で、それはすでに動き始めていますよ。


・理想はあるのに現実が動かない
・自ら決めているつもりでも違和感がある
・どこがズレているのか分からない

もしそう感じているなら、1人で整えるのは難しい領域に入っています。私は、そのズレを言語化し、自立の回路を通すサポートをさせていただいています。どうぞ話を聴かせていただけませんか?

高市政権、コメ政策は先祖返り 増産一転、減反に 高値容認おこめ券は一時しのぎ

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パンダより大切なもの

パンダより大切なもの

パンダは 象徴 or 本質?

最近「動物園からパンダがいなくなる」という話題が、大きなニュースとして扱われています。1/27に中国へ返還だそうですね。多くの皆さんが惜しみ、悲しみ、「日本からパンダが消える」と嘆き騒ぎます。

私は正直なところ、強い感情が動きません。パンダが嫌いなわけではありません。単に本質的な問いを感じないのです。ほぼ同種の熊は、忌み嫌われ撃ち殺される場面も。野生で殺人事件にまで発展するくらいなので、危険なのは分かります。対面した恐怖を味わったことがないから、差異が分からないのでしょうか?

パンダは、かわいいですね。看板商品として、分かりやすいです。中国外務省から「ぜひ中国へパンダを見にきて」と言えるくらいに、集客力も経済的価値もあります。

しかしそれは「あると安心する象徴」です。「なくなったら本当に困るもの」ではありません。気になっている問題はパンダではなく、「なぜ失っても生き方が変わらないものにこれほど感情を注ぐのか?」という点です。

本当に失われつつあるもの

パンダがいなくなることよりも、もっと抜き取られているものがあります。それは、

  • 自ら考える力
  • 自ら選び決める感覚
  • 自らの時間や生命を、どこに使っているかという実感

です。

気づかないうちに、

  • 誰かが用意した価値
  • 誰かが決めた「大事なもの」
  • 誰かが騒いでいる話題

に、感情を委ねてしまっていませんか?

命の使い方

ここで言う「命」とは、医学的な生死ではありません。「あなたの人生という持ち時間と、そこに注ぐ意志とエネルギー」 のことです。

私が人生かけて関わってきたテーマは、パンダでも、流行でも、恐怖でもありません。「自らの命を、誰のために、何に使うのか?」こちらが曖昧なままでは、何が来ても、何が去っても、結局はまた別の象徴に心を奪われるのです。

誤解を避けたいのが、パンダを否定したいわけではありません。「象徴に反応する人生から、本質と向き合い源に立ち返る人生へ」の切り替えが、今ほど必要な時代はないと感じています。20歳当時から考え続け、話が噛み合わなかった日々。「説教は終わりですか?」と言われたこともありました。

考えることをやめようとしても、なぜか考えてしまっておりました。今振り返って当時の私に言いたいことは、「人生という価値を納得させたかったんだよね」「『これこそが私の生き方だ』と胸張って言いたかったんだよね」。時代の荒波に翻弄され続け、もがき苦しんできたからこその、パンダに見る私の言い分です。

生まれてしまった

こうした問いを抱え続けてきた背景には、ある葛藤がありました。悩みに悩んできた理由は、生まれてしまったから。「こんなつまらない人生、とっとと終わった方がいいだろう」と考えている私がいました。「生まれてしまい、生きながらえてしまっている以上は、何か意味があるんだろう」との熾烈なせめぎ合い。

今、愛する奥さんと一緒に希望を感じています。基盤を整えきれた先にある未来をイメージできたので、時間を要するでしょうが、必ずたどり着けます。今「考え悩み迷い続けてきて、本当によかった」心から感じています。

もしあなたが、

  • なぜか最近、騒ぎに乗りきれない
  • 「価値がある」とみなされているものより、なんとなく違和感が残る
  • 「これでいいのか?」という問いが消えない

そんな感覚を持っているなら、それは冷めているのではなく、目覚め始めているのかもしれません。その感覚があなたの中に「新たに生まれてしまった」のです。私は、その感覚を大切にする側でありたいです。

“屋外の姿”は最後…上野動物園パンダ「シャオシャオ」「レイレイ」中国返還に向け室内に 「観覧予約券」5000円超で転売も…本人確認などで対策

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AIは人間の価値を奪うのか?

AIは人間の価値を奪うのか?

以下の内容は、価値提供ではなく、価値観表明です。あなたに何か押し付ける気持ちは微塵もありません。不要だと思われるなら、どうぞスルーしてくださいませ。

AIの大躍進化

AIの大躍進化が止まりません。最新モデルが公開される度に、「人間の仕事はどうなるのか」「自分の価値は残るのか」という問いが、以前よりも現実味を帯びて迫ってきています。あなたにおいてはいかがでしょうか?

この問いに対して、世には大きく2つの反応があります。

1 「AIは脅威だ。だから急いで学ばなければならない」という焦り。

2 「AIは便利な道具だ。うまく使えばいい」という楽観。

私には、どちらも本質を避けているように感じています。あまりにもったいない。

AIが奪っているもの

結論。AIが奪っているものは、価値ではありません。AIが奪っているのは、これまで私たち人間が「価値だと思い込んできたもの」。細かいかもしれませんが、決定的な違いです。

・知識を多く持っていること
・速く、正確に作業できること
・正解を出せること
・最適な選択肢を提示できること

これらは長い間、「専門性」「能力」「市場価値」と称されてきました。今、AIはそれらを人間よりも速く、安く、安定してこなしています。これは敗北ではありません。役割終了の節目。

昭和初期の時代、電話交換手という職業がありました。電話が直通できるようになったので廃業へ。鉄道会社の切符切り担当者も、Suicaの開発以降、廃業に至りました。

評価制度の転換期

これまで多くの皆さんは、「何ができるか/持っているか(DoやHave)」で自らの居場所を作ってきました。だからこそ

・自分より速い存在
・自分より正確な存在
・自分より知っている存在

が現れると、不安になります。いったん距離を置き冷静に考えれば、それは人間の価値自体ではなく、価値を証明するために使ってきた手段です。AIは、その手段を不要にしただけ。あらゆる評価制度は、世界規模で根本的に変わらざるを得なくなります。

なぜなら、誰がやっても同じような成果を出せてしまうからです。現行の評価制度は、ほぼ機能しなくなりつつあります。

AIにできないたった1つ

AIにできないこととは何でしょうか?

創造性?感情?倫理?どれも部分的には、すでにAIは触れ始めています。どうしても越えられない一点。それは決めること。

AIは選択肢を出す。
AIは最適解を示す。
AIは結果を予測する。

しかしーーー

・それでも「これ」を選ぶ理由
・損をしてでも、やる覚悟
・失敗しても、引き受ける決断

これだけは、AIには生成できないのです。私はマンガによって多くを学んできた自負があります。例えばーーー。

総合格闘技の試合において、長時間持ち堪えきれない主人公。相手も弱点を見抜きます。結果、消耗戦に持ち込まれます。

それでも主人公は、ある「理由」によって限界を越えます。自分が勝ったら、手術を恐れている男の子が勇気を出して手術を受けると約束していたからです。限界を超えていくプロセス描写が見事で、感動し涙がこみ上げてきました。

勝てそうにない強敵に立ち向かい、相手に「完敗だった」と言わせる。能力そのものではありません。引き受けた理由が、人生の枠を深め広げ得るのです。

人間の本来の価値

AI時代において、人間に残る仕事は何でしょうか?それは書くことでも、売ることでも、分析することでもありません。決めることが、なぜ重要なのでしょうか?

・何を大切にするのか
・どこまでをAIに任せるのか
・何を自分の人生として引き受けるのか

この「決める」という行為には、「50.1:49.9」のような僅差な場合だって起こり得ます。必ず責任と覚悟が伴うのです。だからこそ、人間にしか、あなたにしかできません。

だからこそ、これからの時代は決断力と胆力(決めたことを正解にする力)だとみなしています。あなたの人生において、あなた以外の誰かに主導権を渡してはなりません。AIや他人がいかに素晴らしかろうとも、あなたの人生を華やかに劇的に魅せるための脇役なのです。

AIは鏡

AIの進化によって、快適さが格段に増します。便利で簡略化される分、言い逃れが厳しくなります。「できなかった」「時間がなかった」「調べられなかった」そうした理由は、すべてAIが肩代わりできるから。残る問いは、ただ1つ。

いったいあなたは何をどう生きたいのか?

繰り返します。AIは人間の価値を奪いません。価値だと思っていた幻想を剥がします。だから怖いのです。AIが映しているのは未来ではなく、あなたご自身の鏡であり「心の空白」なのかもしれません。

その空白を、表面的な恐怖や妥協で埋めるのか?他人の答えで埋めるのか?内から湧き出てきたあなたご自身の言葉で埋めるのか?

AI時代とは、人間がもう一度「自分の人生を選び改める」時代なのです。

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夫婦別姓を決めるより重要なこと by 名前の専門家

夫婦別姓を決めるより重要なこと by 名前の専門家

どちらがいい?

国会に「選択的夫婦別姓」に関する3つの法案(立憲民主党、国民民主党、日本維新の会)が提出されました。

夫婦別姓か、同姓か──────このテーマはよく「制度の話」にされがち。名前の専門家(姓名承認&覚醒)の視点では、全く違う景色です。20万人超の名前と向き合ってきた私の視点から「名前の本質」について(よかったらシェア拡散いただけると嬉しいです)。

夫婦別姓でも、同姓でも、どちらがいいという話ではありません。気にされる方々へ、「どうぞお好きなようになさってください」とお伝えしています。前提として、本当に望ましい決断ができるよう、明確な判断基準があります。

名前とは「苗字(ご先祖の願い) × 名(あなたの使命)」が調和統合して1つになる存在価値の核です。だから名前を変えるかどうかは、ご本人の魂が選んでいる流れや方向性によって変わります。

苗字は「ご先祖様からの願い」

あまり語られていませんが、苗字には

・ご先祖の願い
・家系が守ってきた価値
・積み重ねてきた歴史
・魂の縦の流れ

という「深いストーリー」が宿っています。苗字は「血統的習慣性を運ぶ器」なのです。

名(下の名前)は「あなたのミッション」

名前のより本質は、下の名前にあります。

・何のために生まれたのか
・どんな価値を創るのか
・どんな質で生きるのか
・何を果たす役割なのか

名は、生まれた瞬間からあなたのミッションを示しています。また名は、前世からの影響も反映されます。

よくある質問

「結婚して姓が変わる人と、変わらない人で人生はどう違うんですか?」ここが誤解が本当に多いので、分かりやすくお伝えします。20万人超の名前と向き合ってきた中で、確信パート3級の重要ポイントです。

名前が変わる人生

偶然ではありません。いずれ名前が変わる方は、最初からそういう予定で生まれています。名前の音・字・響きを読むと、そこに

・役割の転換
・新たな流れとの統合・変更
・人生のフェーズ移動

といったテーマが刻まれています。だから自然と「変わった後の名前が似合う相手」と出会うのです。

これが、結婚で姓が変わる真相です(親が離婚して名前を変えることになったお子様も同じ)。たとえ名前がいかに変わろうとも、過去の名前で生きてきた記憶からは逃れようがありません。

中卒で自衛官になった時、「心機一転、新たな気持ちで〜」と希望を抱いていましたが、中学生までの延長線的な出来事が起きていました。表面的なものをいくら変えたところで、結果はさほど変わらない場合が大半です。

名前が変わらない人生

これまたよくある質問。「姓が変わらない側は、同じ人生が続くんですか?」絶対にそんなわけありません。

名前=性質×エネルギー
です。

名前がそのままでも、結婚という大きな出来事で

・人生の流れが変わり
・役割が変わり
・接する人が変わり
・環境が変わり
・人生の「行き先」が変わります

分かりやすく電車に例えてみましょう。あなたという「電車」が

・車両が増結され
・接続路線が増え
・乗客が変わり
・走行区間が伸び
・役割が広がる
そんな変化を経験するのと同じ。時間帯によっても、夜は酔っ払いのケンカがあっても、昼間は譲り合いのホノボノ感。同じ電車でも、環境が変われば働くエネルギーは変わるのです。名前も全く同じです。

やはり「名前が変わらない=人生が変わらない」ではありません。

「あなたの人生」というあり方

制度の賛否の話ではなく、魂の流れとしてどちらが自然か?が本質です。ここで改めて「お好きなようになさってください」の意味を強調いたします。

変えようが変えまいが、あなたの人生です。もし変えたことによってうまくいこうが、ご期待に添えきれずとも、あなたが決断して進んでいくのです。そのようなあり方。「決める」という行為を前提とした場合、「お好きなようになさってください」を、あなたはどう解釈なさいますか?

・名前が変わる人生=役割の乗り換え
・名前が変わらない人生=役割の自立

どちらも命の流れとして自然で、どちらも美しい選択です。

かつ、名前は「名だけ」「姓だけ」で成り立つものではありません。「苗字(縦糸) × 名(横糸)→セット(生地)」があなたの存在価値です。

夫婦別姓の議論が進んでも、大切なのは、名前の本質に戻ること。ここを外していなのに、人生が整っていかない理由を思いつけないのですが、あなたにはいかがでしょうか?


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選択的夫婦別姓 3つの野党法案 条文から見えてきた意外な違い

自分軸を超えて〜世界幸福への調和案

「自分軸を持ちなさい」この言葉はとても強く響きます。自信が揺らいだ時ほど、その響きに寄りかかりたくなります。ながらも実際のところ、多くの人が自分軸を握りしめたまま、苦しくなっているのも事実です。

なぜでしょうか?理由は、とてもシンプルです。

自分軸(価値観防衛)

自分軸自体が悪いのではありません。むしろ、誰もが最初に必要とする基礎です。自分軸と他人軸は、車の両輪のようなもの。自分軸なしには動けませんが、強調しすぎると弊害が起きます。自分軸は自分を守るための設計であり、世界へ広がるための設計ではありません。1パーツなのに、さも全体を司るかのような表現が問題なのです。

だからこそ、一定のところで必ず限界を迎えます。「尊敬するステキな方々が、いまだ自分軸を手放せないのはなぜ?」と不思議に感じてなりません。繰り返します。自分軸だけでは、確実に破綻します。

・自分の価値観だけで判断してしまう
・他者の言葉が受け取れなくなる
・正しさがぶつかる
・孤独感が深まる

これは人間としての故障ではなく、《自分軸という構造の限界》です。成れの果ては孤立です。今回は、「自分軸と他人軸の調和案」を主張いたします。

自分軸を超えて〜世界幸福への調和案

自立軸(自他調和)

私は施術家当時から、「自立」を強烈に重要視してきました。本来の自立とは辞書に書いているような「依存しない状態」とは全く違います。「自然や社会とのつながりから、自らを確立させる」と定義づけています。

本当の意味で前へ進みたいなら、自分軸の上に自立軸を築く必要があります。自立軸によって柔軟貫徹力が培われます。会社に例えるなら経営戦略部。車のパーツならステアリングシステム。

・私とあなたが矛盾なく共に進める軸
・自分の願いと、相手の願いがぶつからずに折り合える軸

つまり自他調和 の感覚です。ここへ進むと
・影響力
・人間関係
・仕事の創造性
あらゆる領域の質が一段階上がります。「私が望むもの」を超えて「私とあなたが望むもの」という視点から自分軸を考えたら、だいぶ解釈が変わりませんか?

自律軸(心身調和)

ここまで読んで、「他者と調和するのは大切だけど、自分の内側はどうなるの?」と感じた方もいるかもしれません。その疑問こそが、「自律軸(心身調和)」の必要性を示しています。

もともとこだわっていたのは自立でしたが、あるお客様との対話から自律の価値が浮き彫り化されてきました。定義を「自然や社会とのつながりから、自らを確立する」としており、会社では企業&経営理念のような役割を示します。

分かってみて、気にならなかった理由が、つかみどころがないから。「自立と自律の違いって何?」を問い続けて8年が経ちました。

自立軸が外との調和なら、自律軸は内側の調和。自発適応力が培われます。

・頭と心のズレが減る(身口意)
・感情に振り回されなくなる
・体の声が聴こえやすくなる
・余白を生み出し直感が働きやすくなる

外との調和を持続させるためには、
内側の静けさとしなやかさが欠かせません。

心身調和が土台にあるからこそ、自他調和が安定します。この順番が、とても大切なのです。

「守る」から「開いていく」

自分軸にこだわるほど、視野は内側に閉じていきます。自分軸は必要ですが、出発点でありゴールではありません。そこから先へ進みたい方のための道が、

・自立軸(自他調和)
・自律軸(心身調和)

この2つの軸は、自己開示によって強くなります。閉じて守る軸から、開いてつながる軸へ。この転換こそが、人生の流れを大きく変えます。

自分軸 → 自立軸 → 自律軸 と展開していますが、あなたはこう感じていたりしませんか?

「なぜその順番なのか?」

「自分を守る軸 → 他者と歩む軸 → すべてを統合する軸 」という順番でないと、世界観が壊れてしまうから。繰り返しお伝えしているとおり、自分軸も必要です。自分軸が明確でなければ、自立軸もブレます。無形でつかみどころがない自律軸なんて分かり得るわけがありません。

もしあなたが、「自分軸で頑張っているのに、なぜかうまくいかない」と感じているなら──────

それは故障ではなく、次の段階へ進む準備が整った合図なのかもしれません。あなたが今握っているものを、ほんの少し緩めた先に、全く新しい世界幸福が待っています。

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生かすも殺すも言葉次第

常識の創出

「恒常性自発力」の続きとして、なんとなく今は「常識をつくる」というテーマを探っています。ナカモトサトシさんが残した一文が、気づけば世界を変えてしまったように、大変化は、案外些細なひと粒の概念がきっかけなのです。

瞑想から「私の中に何か小さな原石みたいなものがある?」そんな、おぼろげながら言葉にせずにいられない衝動が起きました。誰かに頼まれたわけでもないのに、どうしても新しい言葉を生み出したい欲求に駆られます。

私は長いこと姓名判断の世界で、20万人を超える名前に触れてきました。そこでは、正しいか間違いか、吉か凶か──そんな基準が渦巻く場所です。施術家でもあり名前で傷つく瞬間を何度も見てきたからこそ、言葉の力がどこまで人の心と体に響くのか、深く感じ取れるようになりました。

「生かすも殺すも言葉次第」は、気づいたら体に刻まれていた実感です。あなたにはどう感じるでしょうか?2020.4.26.に「姓名承認」が降りてきて、「ようやく地で生きていける」と感じたのは、本質魅力ルネサンスの火種でした。「生きた言葉を使い、天才性を発掘する」と舵を切ったのです。

恒常性自立力を発揮して世界幸福を実感している方のイメージ 「生かすも殺すも言葉次第」

恒常性自発力のその先へ

以下、私の自己問答の流れをそのまま載せます。あえて独白調で表現してみます。

「ずっと恒常性自発力である能動性を発揮し続ける」って、どういう状態なんだろう?そもそも「ホメオスタシス(恒常性維持機能)」とは、膝を擦りむいたら時を経て元に戻るように、すべての生命体に備わっている。まさに機能だ。

恒常性自発力とは、機能に意図を加えたものだから、常に発揮されるものではない。主体性を持った力(エネルギー)が働いている。これがずーっと発揮されるってことだよね?

回り続けるコマみたいな感じ?回転数に応じて軸がブレなければ、多少の揺れは自然に吸収してくれる。そうなると、自律とか自立とか、そんな軸が必要になるよな。だってずっと長く続けさせるためには、回転運動じゃないと成り立たないから。

自律はエネルギーそのもので形がなく、自立の中には自律が含まれているようにも思える。現実に影響を与えようとするなら、やっぱり自立が表に出てくるよね?となると、「恒常性自立力」──そんな言葉が浮かんでくるよな。

どんな状況でも、自立力が自然と発揮されている状態。そう考えていくと、なんだか理想論のようでもあり、自然治癒力の本質を理解して生きていけば、まったくの絵空事とも言い切れないような気もする。

ただ、それをそこまで追究する必要があるのか?今回はちょっと、私の好みや感覚をいったん脇に置いて考えたいね。

世界幸福

20歳の頃から願ってきた世界平和。とはいえ現実には争いが続き、身近な人間関係でも衝突は起き、「思い描く平和」とはどこか距離があります。

「このまま成長し続けた先に、本当にその光があるのだろうか?」そんな問いがずっと消えませんでした。

かつ私は、「平和」という言葉に昔から少し違和感がありました。《感謝すればいいい》と言われ続け、「どうしたら感謝できるのか」を尋ねても答えられず、その似たような空白が20年以上積もっていったからかもしれません。

願っても叶わないなら、もしかしたら「平和」という言葉そのものが、私には混乱を生み出す元凶だったのかもしれません。振り返ってそう考えると、いろんな矛盾が整理できます。

そこで浮かんできたのが、【世界幸福】。幸福とは、生きがいや喜びを分かち合えている状態。人によって形が違うからこそ、むしろ現実味がある。みんなが「私は幸福だ」と感じている世界があるとしたら、それは想像以上にしなやかで広がりのある世界かもしれません。

もし恒常性自立力が人々に当たり前に浸透していたら、世界幸福という状態が当たり前になっていても不思議ではない気がします。

量子力学では、世界はあなたの主観で形作られると言われます。あなたの世界観次第で、「世界幸福」の輪郭も変化していくのかもしれません。

もしも──もしも世界中の誰もが、「今の自分は幸福だ」と、ほんの少しでも感じられる瞬間が満ちていたなら。それは、これまで語られてきた「平和」を、確かに超えていくのではないでしょうか。

では、あなたの周囲ですぐにできる小さな変化とは何か?そんな問いが次に浮かびます。これは理論ではなく、体感としての問いです。あなたの言葉や行動が、大切な方の心にほんの少しでも響く──その瞬間が重なって、世界幸福の一部を形作っていくのかもしれません。

あなたの中へゆるやかに、世界幸福(Global Happiness)が満ちていく日を願いながら。


#世界

#エネルギー
#瞑想
#感謝
#平和

自然治癒力の応用解釈

辞書で省略されている言葉

あなたは、「自然治癒力」について、どのようにお考えでしょうか?

期間の長短があるだけで、膝を擦りむいても必ず元通りになるので、「ツバでもつけとけ」なんて言われたものです。多くの皆さんに問うてみて、圧倒的に「私次第」と返ってきます。大枠では確かにそのとおりなのですが、正確には惜しいです。

理由は同じ「私次第」であっても、一晩ぐっすり寝てスッキリ治す方もいれば、悶々としながら数週間経っても一向に変わらない方も。同じ「私次第」なのです。違いとは?

もともと辞書は、紙ベースです。本にするためには、ある一定の文字数で収めなければなりません。「これくらい当然なんだから、省略してもいいだろう」となってしまうこと、イメージできるでしょうか?データ化され、文字数の制限がなくなっても、この風習がそのまま継続されているとしたら?

あまりに当たり前すぎて省略されているキーワードとは、何なのでしょうか?あなたなら、何と答えますか?

答えは・・・・・・・・・・・、「治すと決めている私」です。そう考えると、1日の始まりは、夜寝る前です。例えば「明日は5時に起きよう」と決めて眠りについていませんか?

「◯すると決めている私」は、すさまじく応用が利きます。「やると決めている」からできます。「成功すると決めて」いれば、何が何でも何らかの成功を手に取ろうと燃えます。

自然治癒力の応用解釈

応用が利くということは、自然治癒力とは健康面における分野で当てはまる言葉です。経済はじめ事業にも教育にも生産管理にも、あらゆる分野に調和統合できる言葉とは?

経済においては、「お金=血液、信用=免疫」に置き換えれます。事業では「理念=骨格、関係性=神経」、教育では「好奇心=呼吸、問い=脈拍」、生産管理では「品質=体温、工程=循環器」等々。あなたなら、どんな例えを好まれますか?

現状で最も近しい表現は、「恒常性維持機能(ホメオスタシス)」です。体温はじめ心も体も、あなたが強く長くイメージしておられる状態へ維持されるようできています。これこそまさに、何も意図せずとも時を経て、ほぼ確実に起きていくシステムです。

ながらもこの表現だけでは、「決める」という意味合いは一切不要です。「決めるか否か」によって、多大な分岐点となってしまうにもかかわらず。「恒常性維持機能(ホメオスタシス)」という素晴らしい機能を土台として、「決める」という意志を交えた高次元的表現とは?

どうしても私は、新用語を生み出すことに興味関心が湧いてきてしまいます。考え導き出した案が、『恒常性自発力』。すごく重要なのが「自発力」。 外からの命令ではなく、内側から「自ら整おうとする(自助)力」があるのです。

恒常性維持機能を土台とした恒常性自発力 「自然治癒力の応用解釈」

不調をきたした状態が分かりやすそうですね。不調の原因は、内なる力がうまく働けない状態になっているから。例えば

・ストレスで呼吸が浅くなる
・感情を抑え込んで、体が固まる
・自分の声を無視して、過度な同調

なんて身に覚えがある方、いらっしゃいませんか?刺激を受けた時に、あなたはどんな対応をするのでしょうか?

「決める」とは?

ここでさらに1段階深めます。「決める」とは?多くの皆さんからは「選択する」と返ってきていましたが、あなたの場合はいかがでしょう?答えは・・・・・・・・・、「捨てる」。

分かりやすく、レストランに行きました。カレーかパスタ、どちらがいいか悩みます。悩んだ結果、カレーに決めたにもかかわらず、カレーを食べながらパスタを思う方。よく起こりがちな典型例です。

カレーに決めた以上は、パスタというイメージを捨てるのです。まさに「パスタなんて、選択肢にもともとなかった」という感覚。だからこそ決めるという行為は、痛みを伴う場面が多いのです。

もしあなたが「決める」ことでもたらされる感動とは?もしあなたが「決める」ことでもたらされるご縁とは?もしあなたが「決める」ことでもたらされる安らぎとは?

今まで私は、基本的に肯定派で生きてきました。結果、大半において大失敗をやらかし、損切りで痛い目に遭ってきました。以降は、「Yes or No?」「乗るか反るか」という判断基準をより研ぎ澄ましてまいります。経営者脳へ切り替わりつつあることを喜んでいます。

あなたは、どのような決め方をしていますか?


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