生まれてしまったから

波瀾万丈だった日々

先日、ある誕生日を主とした運命鑑定を受けました。そこで「あなたの運命は、とても安定していますね」のはじめの一言。「そんなわけはないですよ」とにこやかながらも、強く否定しました。

ここ最近、潜在意識の浄化に徹底フォーカスしています。改めて自分史を振り返っています。すごく実感するのが「よく死なずに生きてきたな」です。

とりわけ何の才能も自覚できず、社会から疎まれ孤独だと思い込んできた期間は40年以上。「こんな自分、生きてたってしょうがない。やっぱり死んだ方がいいよ」「私が頑張っても、結果として他に迷惑をかけることになる」「私はハリキラない方がいいんだろうが、輝きたいな・・・」心の奥底で、かなり長期にわたってつぶやいてきた自己問答の決まり文句でした。

40年以上自殺願望は常にあり、あきらめという泥沼の中でもがき苦しんできました。小1の海開きの日に溺れたりと、実際に死ぬような目に何度も遭ってきました。「なぜ俺は死ねないんだ?」と死にきれないことを嘆いた日々。

整体師時代等、仲間ができ世界進出を本気で考えた時期もありました。調子に乗って突っ走り、大混乱を招いて大失敗。離婚を突きつけられ、会社勤めせざるを得なくなりました。

巡りめぐって、ようやく再び大志を語れるようになり、実現へ向けて準備をしています。「安定した人生ですね」の一言に、「何を言ってんだ!?」となるのはお分かりいただけますか?

生まれてしまったから

操られ翻弄され続けてきた人生

次の一言で、まるっきり価値観が変わりました。「すごくいい人だから、周囲に振り回されたのでしょうね」。ということは私の今までは、誰かに操られ翻弄され続けてきた・・・?確かに幼少期から、夢が全くありませんでした。

操られ翻弄され続けてきた人生だったのなら、大いに合点がいきます。しかし逆に振り回されていない人生だったら、安定しているのは高低どちらの側でしょうか?

死ねなかった最大の原因は、「生まれてしまったから」です。せっかく生を受けて地上世界で生活している以上、誰かの役に立てずに死んでいくのはどうしても耐えきれません。もし今死んだなら「やっぱりあいつはそれだけのやつだったな」と、多くの皆さんをガッカリさせてしまうことが目に浮かびました。

今でこそ言葉にできる「誰かの役に立ちたい」「貢献したい」欲求がありつつも、時と場と状況を読み解き相応しく行動できなかったことが、大きなお世話呼ばわりされる要因となりました。自分本位に動くだけではね・・・・・・・・・。

「誰かに操られ翻弄され」の誰かとは、いったい誰?前に『自己否定の正体』で書いた、理想自己や義務自己なのでは?

ある霊能者さんに観ていただいた時に、私の背後には約2,000の守護霊が憑いているそうです。当初はありがたく思いましたが、その霊の皆さんが、「私はこんなサポートをしたい!」と主張しあってケンカになっているようです。「まずは、交通整理ですね」とアドバイスいただきました。

今は「歩くルルドの泉」という夢を持って生きています。講演家デビューし、話を聞いているだけで、様々な問題解決し癒されていきます。すべての霊の皆さんをも従えるように、立派に成長していくよう期待されているんだと、改めての認識でした。

自己否定の正体