1993.8.11.東京都昭島市役所へ提出した出生届を発端に話題になった「悪魔ちゃん命名事件」。親御さんが自分の子どもに「悪魔」と名付けようとした際、市役所が受理を拒否し、最終的には裁判まで発展しました。いったん受け入れつつも、後日に拒否という事態が、市役所と法務局の両方で起きています。
悪魔という名前が裁判で認められましたが、結果的には「亜駆(あく)」と名付けられました。
当時私は自衛官で、裁判論争している時に知りました。大いに社会に波紋を広げ、「名前とは何か」という根本的な問いを投げかけました。今回は当事件を振り返りながら、名前と愛情、呪(マントラ)としての力について考察してみます。
「悪魔」という名前に込められた親の意図
社会的に「悪魔」という名前の否定的なイメージは確実です。親御さんがその名前を選んだ背景は、単なる反抗や悪意ではなく、何らかの愛情や思いが込められています。「悪魔」という名を通じて、他者の評価を超えた強さや個性を伝えたい意図がなければ、命名に至るわけがありません。
ここで重要なのは、名前自体に「良し悪しはない」という視点です。むしろ名前に込められた親の愛情や願いをどのように解釈するかが、ご本人の人生を左右します。私も本名をウラみ憎んできましたが、由来を解説され納得できていれば、暗黒時代を歩むことはありませんでした。
社会的なイメージが悪いのは歴然です。いじめのターゲットとなるであろうイメージは、多くの皆さんが浮かぶのではないでしょうか?それでも市役所へ提出したということは、かなり明確な自信があったのでしょう。
お父さんの言い分は、「珍しい名前だから人の記憶に残る。人の記憶に残り、人が集まる。そうなれば普段出会わない人と出会う確率も上がるし、いろんないい経験もできると思うんですよ」「悪魔は悪の世界で最強。何かでトップになる。そんな子供に育ってほしいから」
サイト検索した限りには、名付け親のお父さんは残念ながらな生き方をしておられます。個人的には憤慨する気持ちを抱きつつも、秘められた本質を見出すことにこだわってまいります。
名前は最も身近な「呪(マントラ)」
誰しもが、自らの名前を人生で何度も聞き、呼ばれ、書きます。名前は無意識の中で繰り返される「呪(マントラ)」であり、ご本人のアイデンティティや生き方に影響を与えます。
般若心経の全文274文字の中に、「呪」という文字が4つあります。「呪」とは縁起が悪いイメージありますが、仏教系の宗教用語です。何度も繰り返し唱えることで心を整え、真理に近づくプロセスが込められています。
同じことを繰り返すうちに、内面が洗練され、深まっていきます。まさに螺旋運動に似ており、繰り返す度に精度が上がり、人生の意味を深掘っていくのです。一見無意味に感じるような出来事でも、後々につながっていく感覚を味わってきました。
自衛官当時に司令部等の本部勤務を経るまでは、食器洗いの臨時勤務等、多種多様に経験してきました。毎日3ヶ月間、全く同じことを繰り返します。無意味だとふてくされていた一連が、有意義な価値があると気づけた時、すごく感動したことを覚えています。
きっと親御さんは、どんな試練に遭おうとも、絶対に克服へ導けるイメージを持っていたのでしょう。
「悪魔」という名を巡る裁判と姓名承認の価値観
一般的な姓名判断の視点では、名前には吉凶があるとされます。姓名承認の価値観では、どのような名前にも価値があり、必ず親の愛情や意味が込められていると主張しています。たとえ「悪魔」という名でも、どう解釈し、どう生きるかはご本人次第です。
よく字を分解して検証しています。悪の上の部分の「亜」を名前に使うことは、「補佐的」や「二番目」という単純な意味を超えて、優雅さや控えめな美しさ、次代を担う期待感を込めることが多いです。また、伝統と革新のバランスを表す文字として、親の深い愛情や価値観が反映されています。プラス「心」ですから、「悪」という文字は悪いと決めつけず、精査してみる価値があるのかもしれません。
魔を分解してみると、「林の中に鬼が潜む空間」となります。「魔」は単に「悪」や「災い」を指すだけでなく、人生の中で直面する試練と、克服し得られる成長を象徴する漢字だとも言えます。ならば「魔」の存在は、避けたいものではなく成長のための試練や学びの対象とも解釈できます。
かつ「悪魔」という画数は32で、先見力を表します。インスピレーションにかけてはズバ抜けた能力を持っています。
実際に名前に否定的な意味を込めたとしても、名前の意味を再解釈し、人生の糧に変えていけます。逆にいかに素晴らしい意味を持つ名前でも、ご本人がその名前を受け入れなければ、本領発揮されることはありません。
名前は人生の螺旋運動の根幹
「名前は繰り返し呼ばれ、螺旋運動のように人生を成長させる」と考えています。同じ名前でも、幼少期、青年期、そして晩年で解釈が変わるように、同じことを繰り返しながらも、少しずつ成長し、深みを増していくのです。
基本、死ぬ前にはすべてを置いていかねばなりません。唯一持っていけるものは、あなたの名前です。いかに改名しても、本名で生きてきた記憶からは逃れられません。存在価値の核は、絶対に名前なのです。
親からもらった名前には、必ずご本人なりの「意味」を込めた意図が隠されています。どんな名前であれ意味に気づき、人生に活かすことで自己承認度を高め、未来への指針とできます。
姓名承認では「この世には悪い名前はない」と強く主張しています。反面、「目的に対してどうか?」となると、話が大きく変わってきます。会社名においても、変更した途端に業績が変わった等の話を聴きます。「目的に対していかに効果的か?」なのです。
もし「悪魔」と名付けたい親をサポートするなら
もし親御さんが「悪魔」と命名したい意図を持ち、私に相談に来たとしましょう。その名前の良し悪しを見定める前に、以下を問いかけます。
・その名前に込めた本質の思いは何ですか?
・子どもに死ぬまでどんな人生を歩んで欲しいですか?
・その名前から、あなたの愛情を子どもにどう伝えようと考えていますか?
親自身がその名前をどう活かすかを共に考えます。名前を選ぶことは、人生をデザインする行為です。どんな名前であれ、その意味を再解釈し、愛情を注ぎ、子どもの未来を導くための大切なプロセスなのです。
本質を徹底的に問い、深掘ります。だからこそ、潜在意識の解放(ディープマインドセラピー)は大いに役立ちます。少なくとも2回に分けます。初回で問いかけ、ご夫妻で考え深めていただきます。
1〜2週間を目安に、分解しようがない素数や素粒子のようなエネルギーレベルへ落とし込み、親御さんご自身に決めていただく方針です。話し合って出てきた和合案を語っていただき、見合った名前を一緒に考え、決断できるようサポートさせていただきます。
結論〜名前は愛のメッセージ
どんな名前であれ、どう解釈し、どのように人生に活かしていくかが鍵です。名前は、繰り返しの中で深まっていく「螺旋運動」の根幹として、人生を支えます。姓名承認の視点では、名前に込められた意味や愛情を大切にし、ご自身のアイデンティティとして受け入れることが、自己承認度を高め、充実した人生を送るための第一歩となります。
あなたも名前に込められた意味を見つけ、螺旋を描くように深めてみませんか?人生のどこかで、あなたの名前が放つ本当の光に気づけますよう祈りながら・・・。