
名を決める覚悟
「これが、私の今の答えです」
悩みに悩み、考えに考え抜いた。約1年かけて龍先生と語り合って思い巡らせてきた結論。
「型と命(めい)の融合者──これが私の遺名です。舞を生き、舞に救われ、舞で多くを伝えてきました。ながらも私は、型を教えたかったわけじゃない。命をどう込めるか?を、生命がけで問い続けてきました。
すごく参考になったのが、龍先生の問いかけです。何か損得勘定を抜きにした、真理追究の結晶体かのような、純粋な問いかけ。本当に感化されました」
画面の向こうの龍先生が、深く頷く。
「ありがとうございます。そうだったんですね。私は一心不乱無我夢中にやってきただけです。そんなに評していただき感無量です。
やはり『スジが貫かれた名』ですね。これから、この名が富美子さんを支え、導き、そして多くの皆さんの勇気になります。特にこだわっているわけではないと思いますが、どれだけ世に広がっていくかは、いかに魂と向き合ったかに比例します」
少し涙ぐみながら、富美子は言葉を継いだ。
究極の節目
「はい。本当にどうでもいいです。今の私には、これが最善の答えです。
ここで、1つの疑問が湧いてきました。もしかしたら未来の私が、もっと大切な何かに気づく日が来るかもしれません。だとしたら、今回の遺名は、私の死にふさわしいものとは言えなくなります。だけど今回決めた以上は、覆せないものなんでしょうか?」
「さすがです。いい質問ですね。結論から言うと、『究極の節目』です。今回の遺名は、遺言や遺書の名前バージョンです。遺言も、『死んだ時のために』と早い時期から書いておく方もいらっしゃいます。 死ぬかもしれないという気持ちで、死をイメージしながら書くのが遺言です。 遺名も同じです。
では、更新されたものには価値がないんでしょうか?法的には無効かもしれませんが、ご本人においては?『どんな死に方をするか?』をイメージすることで、生き方に変化が起きませんか?
仮に更新できないものとしてみましょう。死ぬまで1回しか決めきれません。だとしたら、死後に誰かによってつけられるものと同レベルになってしまいます。『自ら決める』からこそ、緩みを持たせて更新可能なものとするんです。」
今を生きる覚悟を問う
大きく柏手を打った。「なるほど!確かにそのとおりですね。この1年間、今までないくらいに真剣に向き合いました。実際にやってみなければこの価値は分かりようがありませんね。『究極の節目』すごく合点がいきました」
「そうですよね。私もさんざん自殺願望と向き合ってきました。自分が嫌いだったからこそ、どうすればいいかを考えざるを得ませんでした。結果として、死生観につながっていったんですね。
かつ、志を持てた今と当時では、また違います。今は『どんなことがあっても絶対に死ねない』と考えています。迷惑をかけながらも期待してくださった方へ、恩義に報わずにはどうしても死ねません。」
手を合わせ、深く一礼する。「ありがとうございます。もともと当家は仏教徒ではないので、戒名というしきたりはありませんでした。ながらも夫の死に際して、戒名料を要求されたことが納得できていなかったんです。今、すごく晴れ晴れした気持ちです」
「そうでしたか。よかったです。私もきっかけは親父の死でした。仏教徒ではないのに、強烈な不快感を感じていましたよ。そういった思いが、今回の富美子さんを通じて覚悟できましたよね。こちらこそありがとうございます。」
「この名と共に、私は生涯現役を貫きます。」
未来へ託す自己の核心
「遺名」とは、死後のために誰かにつけられる名ではありません。それは、生きている今を凝縮し、自ら選び決める、命の約束のこと。
あなたなら、どんな名を遺しますか?
型のように固めず、命のように変化する──あなた自身の「遺名」が、今この瞬間から始まります。