存在価値と本領発揮

ある側溝掃除にて

今朝ある経緯から、グレイチング(側溝)掃除をしていました。ここで約7m区間、水が流れずゴミを掃けない状況。大きな置物の下にあり、今まで側溝があることさえも知られていませんでした。

ゴミをいくらすくおうとも、大半は悪臭を放つ水です。水をどうにかしなければ、キレイになることはあり得ないといった具合でした。ながらも、道具はスクレイパー(皮スキ)と小ちりとり。毎月の「掃除に学ぶ会」における街頭清掃では、 汚泥はじめゴミを回収していただけます。それがすごくありがたいことだと、身に沁みました。

かなりイラついており、ビフォーの写真を撮れなかったことが悔やまれます。

継続するうちに、排水口にさしあたり、一気に流れ出てくれました。排水口がゴミに埋もれ、機能を果たせていませんでした。一点の穴が渦に変わり、水がすごい勢いではけていく様には、いたく感動しました。

突如一点の穴が空き、渦に。みるみるうちに、吸い込まれていきました。

すごくスッキリな、まさに宿便を出しきった解放感!以降は、スムーズに進みました。

本来あるべき状態とは?

さえぎっていた水に対して、本当にジャマで憎しみを抱くような心境でした。振り返ってみれば、私に気付きを与えんがために存在していたと省みれ、愛しく思えてきます。

水だって、私に恨みの気持ちを持たせたいがために存在しているわけがありません。何らかの理由があるにも関わらず、水の立場になって接しきれなかったことが、イライラの発端となりました。

水は、なぜ悪臭を放っていたのか?もし私が、排水口の機能を麻痺させたゴミや悪臭放つ水の立場なら・・・・・・・・。長期にわたって、誰にも気づかれず存在していることに、何を思うでしょうか?彼らのメッセージだったと、感じてやみません。

毎月新宿の掃除研修で、側溝のヘドロと向き合うことに喜びを感じています。悪臭と治安の悪さが比例関係にあると、とても納得していますが、あなたにはいかがでしょうか?街の治安と一緒に、私の心も浄化されていると痛感しています。

今回のゴミや水においても、同じようなことが言えるとみなしています。本は、誰かに読んで欲しいがために存在しています。音楽は、誰かに聴いて欲しいがために存在しています。何においても、存在価値がないモノなんてありません。

結果的にゴミとみなされてしまった彼らは、本来どう処理して欲しかったんでしょうか?どんな生き様を望んでいたんでしょうか?どうすれば、本領発揮できたと喜べるのか?1日想いを馳せながら、時を過ごしました。

掃除の師匠である、鍵山 秀三郎 氏を活模範として、精進を重ねています。いかに鍵山先生が素晴らしくとも、生まれた時点で聖人君子だったわけがありません。鍵山先生だに、マジメにコツコツ積み重ねていく中に、似たような経験を味わって来たんじゃないか?と、追体験させていただけていることを嬉しく思いました。

ゴミから教わったこと
完成人と自然体
心あるところに宝あり

夜明け前

掃除ボランティア
2016.3.17.歌舞伎町

今朝の歌舞伎町掃除では、久々に頭から突っ込んだ側溝に、抜け出せなくなり引き上げていただけました。折れたケータイが目に止まり、どうしても取り出したくなりました。
掃除ボランティアとは、誰のためにやるというんじゃなく、「自分自身の達成感」のためにあると考えています。「今日はよくやってたね」なんて言われても、何か違和感があります。掃除の中にこそ、根本解放の秘訣が秘されています。
一見どうでもいいような出来事が、意外なところでつながっているなんて、たくさんあり得ます(最高と最低、左右・高低、極と極、・・・)。

山口組抗争

開始前に世話人代表から、「山口組抗争で、歌舞伎町は緊張状態にあります。くれぐれも気をつけてください」と念を押されました。気は重くなりますが、確かにヤバイ状況・・・。
今日は、仙台から側溝掃除でヘドロと向き合いたくて、夜行バスで来たという方がいらっしゃいました。なじみなベテランさん(街頭掃除が始まって以来参加)らと、ずっと付き添って進みました。
そのベテランさんが、繰り返し口にしていた言葉が「歌舞伎町も随分変わったよ。以前は、クレジットや財布、注射針なんかが落ちてた。今は質が全く違う」
私も同感です。注射針はお目にかかった事ありませんが、私自身スられた財布が歌舞伎町パチンコ屋から届け出がありました。ヘドロ掃除では、財布とカード類は本当によく見かけました。

善悪の二極化

「起きる出来事は必然」と考える派の私は、何かにつけて意味や価値をつけようと試みます。

今回の抗争事件が起こってきた要因は、まさに【善悪の二極化】ではないでしょうか?歌舞伎町は、約20年間鍵山先生はじめ多くの掃除ボランティアが、尽くしてきた街です。日本の中心街の1つで、卑猥な見方をされがちだった歌舞伎町が、どんどん変化してきています。なのに今、なぜこんな問題が浮上してきたのか?

例えば第2次大戦当時のソ連は、なぜ米英側と組んだのか?それは、共産主義というソ連帝国を世界規模にするために、ヒトラーが邪魔だったからです。戦後すぐに北朝鮮ができ、朝鮮戦争〜東西冷戦へ発展していきました。泥水から水と油のように、きっちり分けるためにも、ソ連はドイツを倒さねばなりませんでした。

施術においても、「課題の焦点化」はかなり重要視しています。根本解放には必要不可欠です。

〈何が分からないのかが分からない〉からこそ、何もできないかのように錯覚
   ↓
結果、手をつけきれず、時間ばかりが過ぎる
   ↓
焦ってしまい、簡単なポカミスが増える
   ↓
自己卑下・嫌悪
   ↓
どうにか自分を認めたく、責任転嫁or現実逃避
が、暗黒時代の私の典型例です。あなたには当てはまらないでしょうけどね。

自分と向き合う

今のあなたに、最も必要なものとは、何だと思いますか?
おそらくは「表面的善人」も、ものすごい勢いで払拭されていくんじゃないでしょうか?まずは、ご自身の現状把握(棚卸し)からーーー。少なくとも私の中には、洗い出さねばならない記憶が、確実にあります。
1日の中で、夜明け前が最も暗く寒いです。新聞配達当時、身をもって経験しました。夜明けは、輝かしい朝は、必ずきます。
魂が輝く最高のあなたへ、心からのエールを贈りますm(_ _)m
究極の根本解放整体
認知症の根本解放策
コリリンテーブル
自己矛盾との向き合い歩記

完成人と自然体

鍵山先生と(靖国2007.8.15)
鍵山先生とin靖国神社(2007.8.15)

私の人生観を、根本解放的に激変させたエピソード。

完成に近づくほど、一見何の変哲もない、そこらへんにいる何ら変わらない平凡人になるようです。

初めて題名である「完成人と自然体」を実感したのは、歌舞伎町の掃除で鍵山先生に出会った時です。本を読んで、内容に感動して掃除への参加を決めました。まだ写真さえも見た事がなく、どんな方なんだろうと、かなり楽しみでした。

忘れもしない2005.3.3、なんと鍵山先生とペアになりました。ながらも顔を全く知らない私は、「みすぼらしいじいさんだなぁ」くらいの感覚でした。TVカメラがずっとついて回っており、「なんでこんなじいさんに・・・」と不思議に思っていました。「ここは~した方がいいよ」とアドバイスを下さっていたにも関わらず、「うるせぇ!俺に指図すんじゃねぇよ!」くらいの心境でした。もちろん口には出さず、黙々と取り組みました。

掃除が終わって、「この方が鍵山先生だよ」と紹介を受けた時、まさに目ん玉が飛び出るほどの衝撃!その時は、ただ笑ってごまかすしかありませんでした。

2007.8.15、初めての靖国参拝でばったり出くわし、すべてさらけ出して謝りました。鍵山先生一同、大笑いしていました。全部出しきったおかげで、かなりすっきりできました。絶対に嫌われると覚悟していましたが、逆に好感持たれてしまった・・・。

この事で気付いた点です。前のある職場で、先輩にクリスチャンがいました。彼はいつもイエス様がどうだと話していました。ある日、「私は道であり、真理であり、生命である・・・」と聖書の引用を解説してきました。

前に聖書を興味本位で読んでいたものの、眠くなって最初の数ページで断念しました。聖書を読んだ事があるからと、彼は何かと私にまとわりついてきました。その時も「あぁ、またか・・・」くらいの心境でした。

鍵山先生を紹介された時、まさにこの聖句が頭に浮かんできました。聖書が言ったとおりに書かれているのか賛否様々ですが、「私が言っている事が~」とは一言も言っていません。

鍵山先生のどこをどう尊敬しているのか?それは生き様そのものです。先生は、一言も偉ぶった事を口にしません。言う必要がないくらいに実践されています。あまりに目立たなすぎて、注意深く探さなければならないくらいです。TVカメラがつきまとっていようが、誰も見てなかろうが、いつも変わらず黙々と・・・。

たまねぎの皮を剥いていくと、しまいには何も残らなくなります。その何もないところに「核」ができるといった感覚でしょうか?

言うだけなら、いくらでもどんな事でも言えます。それを行動に移すとしたら、当然腑に落とせていなければ、願い通りの結果は難しいでしょう。判断基準が、2007.8.15.を境に大きく変わりました。

私も鍵山先生みたく、【自分自身そのものが真理体でありたい!】 これこそが、生活費も底を突き新聞屋で住み込みで働くしか道がなくなるくらいまで尽くした理由です。

そこまでやっても、成長はしているでしょうがゴールはまだまだ程遠いです。死ぬまでにそんな境地までたどり着けるかどうか分かりません。しかし大きなメリットがないはずがありませんから、憧れを持ち続け実践の継続を心がけています。

魂〜受け継ぐ

ヘドロはお宝!?

菅刈公園掃除後

掃除の後で

先日、中目黒の菅刈公園へ、掃除研修へ。掃除後、管理事務所の用具置き場で、プチ雑談。これがまた、すごくよかったです!

まず、鍵山先生の博識ぶりに感動です(*^◯^*)
たわいもない雑談から、グッと踏み込んだ話になります。
驚き、「スゴい>* ))))><何でも知ってますね!!!どうしてなんですか?」と訊き返したら・・・。返答の奥深さに圧巻です。
「関心ある事は、とことん追求したくなるんですよ。関心ある分野が深まり広がっていくのは、楽しくてたまりません」
嬉しそうに語られるその姿に、とても80過ぎたじいさんとは思えない若々しさを感じました。

離れた席からの話(別日)ですが、
「【『海賊と呼ばれた男』の◯ページの▷行目に感動しました】と、覚えてる事がとっさに出てくるなんて、すごくないですか?」
と先生に訊いている方の話が、聴こえてきました。

今回は草刈りが主でしたが、【掃除を通して人生を学ぶ】を痛感です。毎日だというから、またスゴい・・・・・。今まで掃除の重要性を訴えてきた方はたくさんいました。それでも社会運動に発展させた方は、誰もいませんでした。接するほどに、人格の奥深さを噛み締めています。

運命を主導していく根本解放策

私は側溝のヘドロ掃除が大好きです。
世話人になる前はわざと遅れていき、道具なしに勝手にフタを開け手を突っ込んでいました。
ちょうどその話題になり、とんこつラーメン店前の側溝は大量のラードだ等、えらく盛り上がりました。
洗剤の使いすぎは様々な化学変化を起こし、カチコチに固まって強烈な悪臭を放ちます。

あなたは、「割れ窓理論」という言葉を、聴いた事ありますか?
これはたわいないようなポイ捨てが、積もり積もって凶悪犯罪に発展していくという考え方です(ハインリッヒの法則とも通じていますね)。

そう考えると、根本解放的な元凶は、【臭い】じゃないかと見なしています。特に側溝のヘドロは、見た目にはさほど汚くは見えません。しかし手を入れ中にあるものを取り出した時、強烈です!臭いが染みつき、予約前にシャワーが絶対必要な事もありました。かなり深い場合、手の長さだけでは届かず、上半身ごと入らければならない箇所もあります。

Universal Flow 整体において向き合うべき相手は、表面的にはさっぱり分からない、潜在的問題(たわいもない対話から、秘された欲求を見抜いていきます)です。バックボーン(背景)に、いかに関心を持つかが、大きな分岐点となります。

こうして取り出した、大量のヘドロは・・・・・【過去の汚れた自分】であるかのように感じてやみません。ヘドロと向き合う事で、過去の清算をさせていただけていると実感しています。

割れ窓理論(はてなキーワード)

危機意識と生命の尊さ(ハインリッヒの法則)

認知症の根本解放策

常識を疑う〜ひらめきの秘訣

ひらめき大全

変わりたいあなたへ

いらっしゃるお客様方はじめ、多くの皆さんと接していて感じることは
あなたには、無限に秘められた可能性が埋もれている

中学時代、サッカー部ベンチで声を枯らしながら応援していた頃から、
俺はこがんもんじゃなかろう!まだまだ何かできるはずゃろ(@_@;)!と、人知れず自らを叱咤激励していました。それは今も続いています(方言はだいぶなくなったと思いますが^_^;)。

しかし前のあなた自身と比べてみて、どれくらいの変化があるでしょうか?その時と同じくらいor凌駕する変化の可能性は、どれくらい望めるでしょうか?または微々たるものでも、成長・発展を継続させていける可能性は、どれくらいでしょうか?

変化は、体と心の関係が、密接です。年を経て体の成長が遅くなるほどに、内面的な成長にも制限を設けてきた方、多くありませんか?

幼稚園児と先入観

警備の仕事をしていた当時、障害者の幼稚園児が描いた展覧会に就いた事があります(東京駅の丸ビルでした)。「観ている方と一緒に見回ってていい、一緒に評し合っていい」と言われましたから、いらした方々とたくさん語り合いました。元から関心あったので、仕事でこんな有意義な時間を持てた事に、ホントに感動でした。

皆さん共通してのコメントは、
子供たちの感性には、心が浄れる!感動した!!!
シンプルな問題なのに、先入観ゆえに難しく感じてしまう事ありませんか?子供たちの方が簡単に解いてしまう・・・・・。あなたの成長・発展は、いかに先入観を払拭させていけるか?が、大きなポイントなるんじゃないでしょうか?

先入観の代表は、まさに常識だと考えていますが、あなたにはいかがでしょうか?(常識:一般人が共通に持つ、また持つべき普通の知識・意見や判断力(goo辞書))。

常識とは現状において、「当たり前」だと見なされている定義づけです。それはあくまでも「今」であり、未来永劫必要な定義ではない場合も大いにあり得ます。よって更新はものすごく重要です。

解決策

だからと言って、「退化してください」なんてつもりはさらさらありません^^; どうすれば、先入観を覆せるのか?

大きくは、2つ。

1.自問自答

最近ほとんどやった事がないような方は、自分への質問を繰り返すうちに、マイナス的な自虐思考に陥り自己嫌悪してしまう場合もあるでしょう。お風呂に浸かっている時等、リラックスできるような状況下に持っていく事は、ものすごく大切です。

「何のために生きているのか?」
「なぜ〇〇をしてしまったのか?」
「どうしたら〇〇さんと感動を分かち合えるのか?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・。

繰り返すほどに、おそらくあなたの価値観が深まっていくのを実感できるでしょう。もし価値観という枠組みが、あるのかないのか分からないくらいに広がり深まっているなら、先入観はどれくらい残ってるでしょうか?

2.掃除の実践

毎月掃除ボランティアで、世話人をさせていただいています。2005.3.3.に鍵山先生とご縁を持ててから、自称弟子だと謳っています。多くの素晴らしい気づきがあります。

ゴミから教わったこと
は、何回読み返しても感動します(*^。^*)

あなたは、まだまだいくらでも、無限の可能性を発揮させる事ができます!!!

鍵山先生と2005.10.14-2鍵山先生と2005.10.14-1

先日、久々にあった先輩から、昔の写真をいただきました(2005.10.14.NHK取材)。今思えばふてぶてしく、エゴの塊のような恥ずかしさを禁じ得ません。【人は誰もが成長する】この写真を見て、改めて痛感しました。

無自覚領域の根本解決策
ゴミから教わったこと
完成人と自然体
遅れの法則
変形性同質要素
深めれば、広がる

感謝・反省・決意

3つでセット

うだつのあがらなかった営業当時、ある先輩からの一言。あーでもないこーでもないと、葛藤を交えながらも考え実践して実感できた、珠玉な名言です。「心からの反省をしてこそ、本当の感謝ができる。反省を経て得た感謝は、何回同じ言葉でも繰り返したくなる。逆に、過ちは繰り返されることがない。3つでセットだ」と、口グセのように言われた思い出が懐かしいです。

感謝するためには、相応に反省することが土台として必要です。だからと言って、無理に強引に反省しようとも、悔いるだけにとどまってしまいがち。バランスをうまくつかみきれず、もだえ苦しんできました。

そもそも感謝とは、どう定義づけましょうか?Universal Flow 整体としては、「今あるもの(こと)に気づく」と謳ってきました。ここで気づきは、大いに関係があります。

気づき

気づきとは、いつもと同じ日々の出来事の中で、全く新たな発見をしたかのような状態です。気づくことで、問題点の肝が分かって解決策を見出せたり、俯瞰し「なぜこんなことで悩んでいたのか?」とさえ思えるように。

大きな気づきを得たいと考えるなら、相応な実践は必要不可欠です。「量より質」派な方でも、「最低限の量」なしには質を高められません。『人事を尽くして天命を待つ』のとおり、やるべきことをなさずに成果を期待しても、裏目に出て良心の呵責にさいなまれるんじゃないでしょうか?

達成感を感じきれるような実践を経て、体がご主人様であるあなたに感動した時、心と体の調和がもたらされます。体が、何らかの現象を通して最適な「何か」をシェアします。それこそがよく言われる【気づき】です。

初めての世話人

2014.2.20.歌舞伎町掃除20周年記念

気づいた時、どんな変化が起こるでしょうか?

例えば、初めて「掃除に学ぶ会」の世話人になった時のエピソード。この時はこの流れでしたが、「感謝・反省・決意」という順番が、時と状況によって変わり得ます。

歌舞伎町掃除を始めて20周年という節目な日で、参加者が全国からいらっしゃいました。地方で歌舞伎町が初めてという方に、迷わないよう案内役を賜りました。

掃除をする皆さんが、光り輝いて見えました。今までひたむきに掃除に取り組んできた私の投影が、掃除をする皆さんだと実感しました。夢中に実践していると、周囲が見えなくなります。だからこそ、世話人という役割分担が必要なんだと気づきました。

気づきを得た時点で、今までの出来事が回想されました。なぜ私は、「自分勝手に掃除場所を進めるな」と注意されていたのか?まさに疑問が氷解した瞬間でした。それでも、今こうして存在できています。許されている実感。この時、「反省」という意味を強烈に味わいました。

同時に、許されて存在できている喜びも、こみ上げてきました。だからこそ、2度と同じ過ちを繰り返さないと決意しています。「周囲をよく見ろ」と、掃除だけじゃなく様々な場面で言われてきた喜びと恥ずかしさ。深く味わい噛みしめます。

Universal Flow 整体では、発症経路を根絶やしにするべく、原因の原因をたどります。結果、あなたが願う「本来あるべき状態」「理想の状態」を目指します。「感謝・反省・決意」は、キーワードとしてかなり多用します。あなたの理想を具現化するために。

ゴミから教わったこと
完成人と自然体
心あるところに宝あり

心あるところに宝あり

整体とは一見無関係に見えるかもしれませんが、Universal Flow 整体では、超重要視しています。

靖国参拝(2007.8.15.)で謝ってから、鍵山先生(イエローハット創業者)と急速に近しい関係になりました(完成人と自然体)。嫌われる覚悟で話したのに、逆に好感を持たれてしまいました。

イエローハット中目黒にて
常に一流たるを目指せ
2010までの当時は、三軒茶屋に住んでいました。そんな中、中目黒イエローハット本社に掃除研修に行った事があります。

「きれい」という基準がまったく違います。ごみ収集部屋がまったく臭くなく、ずっとそこにいたい感覚になった事をはじめ、給料とはまったく無関係ながら社員の皆さんが率先してホウキ等を持って取り組まれていた事・・・、手際のよさや物を大切にする気持ちに感動しました。

生ゴミを近くの公園に持って行き、集積場へ積んでいました。それを堆肥にするんだとか。地域の皆さんから感謝されてないわけがありません。今は移転し、イエローハット本社ではありませんが、「日本を美しくする会 事務局」は近くにあり、菅刈公園で毎日継続されています。

奥さんから「分別の鬼」と言われていましたが、きっかけとなった場所です。

今でも分別には極力気を使いますが、「ゴミ回収業者の皆さんはどんな気持ちでこれを持っていくんだろう?」と考えるようにしています。業者の皆さんが、感動するような分別を心がけてます。「目に見えないもの」というと、宗教っぽい等好印象は得にくい場合が多いですが、この場合も、「私」には見えていない事が多いですよね。ゴミを拾ってみないと、なかなか当事者(ここでは回収業者の皆さん)の気持ちは分からないでしょうね。

終えてたたみかけるように、何人かの皆さんで朝食の場を持っていただきました。その日(1回目)はたまたま、先生は広島に出張講演でいらっしゃいませんでした。しかしそれでラッキーだったと感じています。

そこにいた皆さんが口を揃えて、鍵山先生の話題ばかり。よほど先生を尊敬しているんだと伝わりました。当時の私なら、「私は鍵山先生と出会って~に成長した」と自分自身の証を中心に話していたでしょう。そこで”人を見極める基準は、その人自身じゃなく周囲にどんな方がいるか?”だと身をもって諭されました。不思議と似たような方が集まってくるものです。整体の師匠に出会ったのは、まさにこの判断基準でした。

帰り間際に、『心あるところに宝あり』という講演文集をいただきました。それを見た時目頭が熱くなり、逃げるように去りました。白地に筆書きの題名で、見た瞬間先生の思いが伝わってきました。自称「波乱万丈の人生」を慰労されているような感覚だったと、はっきり覚えています。

成長するとは、「限界枠を深め広げる」事だと考えています。限界枠とは″自分の器″です。器が大きくなったかどうかが分かるのは、どれだけ「私」自身が限界と向き合っているかどうかじゃないでしょうか?そんな文字を見ただけで感動し涙している自分に、また感動しました。

ペン揮毫
約1年後、歌舞伎町の掃除であらかじめ買ってた先生の本に一筆お願いしました。雨が降ってましたから、渡したボールペンをとってササーッと書いてもらえれば十分でした。それをポケットから筆を取り出し、本が濡れないようにハンカチを地面に置き、四つんばいになって「心あるところに宝あり」と書いていただけました。体を覆わせて、本が濡れないよう細心の注意を払われていました。

後日、鍵山先生や皆さんにその事(本の『』に感動した事、一筆書いていただけた事、…)をお伝えしました。先生は照れ笑いされつつも、周囲の皆さん大変喜ばれてました。

今現在は、脳梗塞でリハビリ療養中ですが、「早く掃除したい」と意気込んでおられます。鍵山先生との出会いは、確実に私の人生を大きく変えました。すでに80歳近いご高齢の身でもありますから、ずーっとお元気で世に光を与えていただきたく感じています。先生の後継者になれるよう、精一杯の精進を重ねていきます。

完成人と自然体
ゴミから教わったこと

ゴミから教わったこと

掃除後の歓談。青空の下で、充実感を満喫。
掃除後の歓談。青空の下で、充実感を満喫。

鍵山秀三郎さん(イエローハット創業者)に、掃除で自称弟子入りボランティアしていた時期がありました(今現在、毎月の街頭清掃では世話人させていただいています)。生活できなくなるくらいまで熱中し、底をつき新聞屋に住み込みで働くようになりました。

鍵山先生は、今でもすごく尊敬するお一人です。見た目には、「何の変哲もないじいさん」です。そこがまたすごい・・・。そんな出会いを基に体験したエピソード。

ある駅前掃除にて

ある日どうにも再利用できそうにない、腐った本が無造作に山積みしてありました。もしそれが私ならと考えると、「そりゃ腐るよなぁ…」といった同情心が湧いてきました。すごく申し訳ない気持ちになりました。本来あるべき使われ方をしていないからです。

「ゴミ」とは、人間が勝手に決め付けているから「ゴミ」になっているだけで、「ゴミ」と見なせるような物は何一つ存在しないと考えています。どんな物でも、捨て方次第で再利用の価値が生まれてきます。使い方次第で鉛筆も殺人の道具になり得、銃や刀も芸術品として崇められるようなものになり得ます。

「せめて私は、願われるような処理をするから・・・」という思いで触れた時、ビビッときました。”本が私を信頼してくれた!”という実感があり、感動して大粒の涙が溢れてきました。

人は誰しも、どんなに自分で自分を信頼しようとすぐに限界がきます。他(たとえゴミでも)から信頼される事で初めて自分の価値を認識できるようになります。自分を信頼し愛せている分、他を信頼し愛せるようになります。すべては「鏡」です。

それまで私は、ボランティアとは自分以外の誰かのためにやるんだと考えていました。ゴミは”自分自身の喜びのためにやれ”と教えてくれました。

ボランティアとは、誰かに頼まれてやるようなものじゃありません。自発的なものでなければヤラセになってしまいます。与えることで、「与えた喜び」を受けています。教えてもらえた感謝の気持ちと、それまでの自分の不足さを反省しました。人生を大転換させた経験の1つでした。

変形性同質要素

いつもではありませんが、捨てたゴミから捨てたその方の気持ちが、伝わってきた体験記があります。

同じく掃除していた時(新宿アルタ前でした)、誰かが吐いた汚物がありました。それを素手で片付けている時、上司に散々いびられ、言うに言えなかった悲しみが伝わってきました。どうやら隔てるものがないほど、純粋に感度がいいらしいです。その体験以降、私はその掃除の場では手袋をしないよう努めています。

「問題から逃げると、ますます問題が大きくなります。避けられない問題は受け容れる。その上で、できるだけ問題に近づいて問題解決を図ることです」(鍵山秀三郎)

様々な批判をしてくる方、何かにつけて腹を立てている方、たまにいらっしゃいますね。自分の中にも、必ず「変形性同質要素」があります。私たちの脳は、オファー波(送信)とエコー波(受信)という関係にあり、ご本人の周囲を見ればご本人自体が見出せると言われています。私はそこをよく見つめ味わうことで、たくさん解放された感があるんですが、あなたには似たような経験ありませんか?

経験からの実感で、普遍的なものだと断言できます。ゴミ(他にも「金」や「食べ物の好き嫌い」いろんな面において同じです)を見つめる目と、人を見つめる目は、そっくりです。