存在価値の核

存在価値の核

名前に込められた意義とその影響

あなたは「存在価値の核とは?」と問われたら、何と答えるでしょうか?確実に20万人超の名前と向き合ってきて、少なくとも15年は主張し続けてきた結論は名前です。

「あなたの名前、悪いですね=あなたにはこの世に存在していない方がいい」なのです。姓名判断を教わったからこそ言い続けてきましたが、なんとなく忌み嫌ってきた違和感の正体。

誕生日なら、バイオリズムがあります。「今はよろしくありませんが、来年は好転します」等言えます。名前の場合、一生涯同じです。「あなたの名前は凶ですね」と言われた時点で、死ぬまで残る傷となり得ます。

吉ばかりだったとしても、優劣をつける時点でナンセンス極まりない。かつ観ている側の都合で、どう解釈しているのでしょうか?ご本人の努力や真心・愛情を一切顧みない、時代遅れな診断だと主張しています。

現世界では、存在価値を全否定することはあり得ません。もしあったとしたら、あなたはどう受け止められますか?今現在はありませんが、過去にはあったのです。逆説的に考えることで、価値が浮き彫り化されます。

存在価値を否定される苦悩

存在価値を全否定していたのは、中国の一人っ子政策です。私も「そんなことはあり得ない!」と考えていました。知ることになったきっかけは、マンガの『島耕作(弘兼憲史著)』。たまたま入った中華料理店に、弟がお金をせびりにきました。結局マフィアに殺され、骨となって中国へ帰還。

何があったんだろう?と疑問が湧き、実際に検索してみました。一人っ子の家庭には、報奨金が支払われます。2・3・4・・・と増えていくほどに、加税されていきます。結果として、お金欲しさに「うちは一人っ子家庭です」と申告していた家庭が多かったのです。

親としては良心の呵責もあったのでしょうが、2人目以降の子ども達にしてみれば、「金で売られた」となります。名前がなければコミュニケーションが成り立ちません。何かしら呼び名はあったはずですが、国に認められていない以上は、パスポートや免許が作れません。

国に存在を認められていない以上、国外に出た方がいいと考えるのでしょうが、密出国せざるを得ません。もし私だったら・・・と考えた時、マフィアに入る気持ちが伝わってきました。

唯一無二の価値

同姓同名で誕生日や血液型・・・・すべてのデータが一致している方がいるとしましょう。しかしその方々は、同じ人生を歩むことは絶対にありません。なぜなら、立場や環境が違うからです。点で観た場合は同じでも、線や面・立体で観た場合、同じであるわけがありません。

当初は希望を持って生まれても、虐げられ嘲られ罵られる状況が長期にわたって継続されれば、さすがにねじ曲がってしまいます。出生時の状況がもちろん重要ですが、プロセスが重要でないわけではないのです。

以降は、私の勝手な想像です。一人っ子政策は2014年に法改正され、なくなりました。Wikipediaでは、表面的に書かれています。法規制は、国の政治家や官僚達がやります。

彼らに子どもができ、その子ども達が成長し大人になった時、彼らは子ども達とどう向き合うのでしょうか?子ども達が作る社会とは、どのようになっていると考えたのか?頭脳明晰な彼らは、未来をイメージをしてしまったのでは?

最悪の問題点は一人目です。一人目の彼らが、二人目以降を観ている視点とは?優秀に成長していった彼らが、見合ったポストに就いています。どんな社会が築けそうでしょうか?

今まで極力、完成予想図をイメージできるよう努めてきました。たどり着く最終形態とは、どのようなモデルなのでしょうか?永続性は、循環が絶対条件です。蒔いた種は、実ります。結果は、よくも悪くも相応の原因があるのです。

結論。存在価値の核とは、名前です。同じ名前であっても、名前が持つ力と意味は個々人の経験や環境によりけりです。名前はその方の存在価値を示す重要な要素であり、それぞれの人生において唯一無二なのです。

一人っ子政策

『島耕作』

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