ようやく全体像が見えてきましたか?

自立具現化コーリングを続けてきて、「どうしたら分かりやすく伝えきれるのか?」考えに考えてきました。今回、改めてムダだと痛感。

ようやく全体像が見えてきましたか?

自然に発してきた質問

お客様との2人3脚で潜在意識の解放を終え、ビフォーとアフターの違いが明確になったところ(約2時間後)で、確認を兼ねて尋ねてきました。

「ようやく全体像が見えてきましたか?」ーーー「ようやく」ということは、その段階に至るまでは、分かり得ないことを無意識に理解していたのです。

とはいえ、単なる変化の確認ではありません。あまりに自然に発してきた質問だったので、意味や価値があるとは考えてもいませんでした。2020年から投げかけ続けてきた、私の中での当たり前。

私は始める前から、私自身が何をやろうとしているのかを相応に理解し把握しています。それでも、お客様には全体像を説明しません。手順を1枚に図解化できていますが、説明したからと理解できる域ではないからです。

全体像を先に説明すると起きてしまう問題

ビフォーの段階にいる方に、「あなたはこれからこう変わります」「最終的にはこういう状態になります」「このセッションでは、こういうことをやっています」と説明したとしても、その方は現在のご本人が持つ認識の範囲内で、理解することになります。

すると、どうしてもすでに知っているものに当てはめようとします。コーチング?カウンセリング?セラピー?自己啓発?あるいは、これまで経験した何かに似たもの?私がやろうとしていることを、その段階で既存の何かに当てはめて理解していただくことが、本当に必要なのでしょうか?全くそう考えておりません。

だから先に説明をいたしません。いかに客観的に検証しようとも、確実にどれにも当てはまりません。カウンセリングとコーチングとコンサルとヒーリングの要素を持ってはいます。それらを合わせても、足りません。現状では既存の何かに相当する「何か」ではないのです。

先に起こるのは体感

自立具現化コーリングでは、まずその方ご自身の内側で変化が起こっていきます。そして、あるところまで進んだ時「以前の私と今の私では何かが違う」という感覚が、ご本人にも明確になっていきます。

そこで初めて「ようやく全体像が見えてきましたか?」と尋ねます。現状ではすべての皆さんが「あ!」と体感なさいます。私もようやく詳細を説明できる段階へ。

今まで紹介していただきたいと願ってきましたが、圧倒的に少なかった理由です。あまりに既存枠に当てはめきれなかったため、何と伝えればいいのか分からないのです。アトランティス等当時の記録が残っていない時代にはあったかもしれませんが、比較できずに困っています。

ご本人が、ここまでの体験を通してしか見出せないものです。当初はさっぱり見えなかった景色が、後になってつながってきます。私の話がスーっと入ってくるように。「ああ、だからだったのか」と。

私とあなたの「映っている景色」

自立具現化コーリングを理解する上で、とても重要なポイント。

今でもまだまだ完全ではありませんが、2006年に原型を創り出し、施術で信頼関係を築けた方へ冗談交じりに無料で共有しておりました。当時は、分かったかどうかの確認もしないくらいに本気に考えていませんでした。

有料化するために、次元が変わるほどの改良が必要でしたが、私自身においてはあまりに当たり前でした。次元が変わる前提に、姓名承認という土台なしにはあり得なかったのも大きな1つです。

私とビフォーお客様方の映っている景色には、大きな違いがあるのです。単に経験年数や知識量の違いではありません。私自身が、30年以上の時間をかけて追究してきたもの。「人間における核中の核とは?」という問い。

ずっと核を追究してきました。「感謝」「運勢」「許す」等の定義に始まり、「人は何によって苦しむのか?」「なぜ自分を見失うのか?」「何があれば、自分自身として生きられるのか?」「何を手放せば、本当に自立できるのか?」・・・・・。

体においても潜在意識においても、「問題の核は何?」を問い続けてきました。表面的な問題を1つ解決しても、その奥にはまた別の問題が立ちはだかります。「そのさらに奥には何があるのか?」1つ1つ追究していったのです。

核を突き抜けた世界

追究すればするほど、「これが核だ」と思っても、さらにその奥が。だから追究を止めきれませんでした。

ある日、変わりました。明確な手応え。「これこそが最核なのではないか?」という地点をさらに突き抜けた時、「もうこれ以上の核は存在しない」と実感できる世界。

核を見出せたという感覚とは少し違います。「核を追究すること自体を突き抜けた」という感覚。だからこそ、核の反対側から現実世界が観えるようになったのです。

手応えとして参考になったのが、佐藤康行さん。「私は頂上へ登りきり、降りてきた」と語っていたのです。玉ねぎを剥いていけばいくほど、さらに内側へ。剥ききった中心核は空洞です。「無形なのにどうやって『核』だと実感できるんだろう?」と疑問はありましたが、言葉では伝えようがない限界があることを理解できました。

「核への追究」という興味関心

自立具現化コーリングは、そこから始まっています。お客様に「核を探してください」と言っているのではありません。《核が突き抜けた世界がある》ことを体感していただいているのです。

「核への追究」という興味関心から逃げきれませんでした。周囲と話が噛み合わず、「変なことばかり考えてしまう私は、とんでもなくバカなんだろうな」と信じきっておりました。

だからこそ説明をあえて控えています。ご本人が自らの足で立つ瞬間を、ただただ信じてその場に居続けています。たどり着いたその時に尋ねられる段階へ。

よって強要じみたオススメは絶対にいたしません。理由は、お客様ご自身が自発的な意思のもと取り組んでいただけなければ至りようがないからです。いくら私が「あなたには〜」と可能性を訴えようと、信頼関係なしには厳しいのです。

「ようやく全体像が見えてきましたか?」それは、答えを教え与えるための問いではありません。ご本人自身が、自らの足で到達できたことを確認するための問い。今まで分からないことを、「どうしたら分かるように伝えきれるのか?」をひたすらに試行錯誤してきました。

考えに考えて、あまりに当たり前に尋ねている私を客観視してみて、「考えるだけムダ」だと見定めた次第です。


#カウンセリング

#コーチング
#感謝
#自己啓発
#龍
#信頼関係
#自立

なぜ私?

なぜ私?

私の器をはるかに超えた思想体系

少なくとも2020年からずっと考えてきたテーマ。おそらくは一生ずっと悩み迷い続ける気がしています。

自立具現化コーリングという、私の器をはるかに超えた思想体系について、だいぶ形にできてきました。人生をあきらめていた会社員時代、コロナで緊急事態の最中、窓際族に追い込まれました。姓名承認という造語が降りてきた瞬間、ドミノ倒しのように1本道ができました。1週間で有料セッションが組み立ち、当初は「名前ヒーリング」。

「今まで私は、このために生きてきたのか」「天命じゃないわけがない」と強烈な確信。とは言え、2006年に原型を見出し、ずっと邪険に扱ってきました。現状においても、全体像を明確化できたわけではなく、あまりに時期尚早だと感じてなりません。

ながらもAIの進化発達によって、いよいよ時代が追いつきつつある手応えを得てもいます。当初は価値があるなんて、全く考えてもおりません。「私が生み出したものが素晴らしいわけがない」といった根深い確信もあり、均衡を崩していくのが困難の極みでした。

出発点は疑念

施術もそうでしたが、お客様より好評価をいただくことで見解が変わっていきます。自立具現化コーリングに至っては、「あきらめきれない思い」と「AIの客観的評価」は大きかったです。

出発点は疑念です。「いつの日かボロが出てくるだろうから、早いうちに問題点を洗いざらい正していこう」から始まりました。いかに多角的に問題点を見出そうにも、ボロが出てくる気配がありません。どころか「ひょっとしてこれって、直感したとおりとんでもなく価値があるのでは?」に変わっていきました。

調べていくほどに、前例がありません。思いつく限りの検証を繰り重ね、あらゆる価値観と比較した結果、将来の主流思想になれない理由が浮かびません。そういった事実に気づくほどに湧き出てくる疑問。

なぜ私?

できなかった鵜呑み

人類史上、多くが当たり前のように受け入れてきたこと。誰かがそう言えば、「そういうものなのだろう」と受け取ってきたこと。

なぜ鵜呑みにできなかったのでしょうか?

「感謝とは?」
「幸せとは?」
「愛とは?」
「自立とは?」

等々、言葉としては、誰もが知っています。

しかしその意味を自分の言葉で説明しようとすると、意外なほど難しいのです。私は、そこで止まれませんでした。誰かの答えを知れば終わりではなく、「本当にそうなのか?」と、また問いが生まれてきました。

だからこそ考えます。試します。違和感があれば、また考えます。それを繰り返してきました。幾度となく聞こえてくる「そんなこと、いくらやったってムダだよ。どうせ〜」という心の声。私自身、現代社会には受け入れられるものではないこと、重々分かっています。時代がいつ追いつくのか、いかにして本物だと伝わるのか、謎だらけです。

なぜ私?

気がつけば、人生のかなりの時間を使っています。「姓名承認&覚醒」という発明をできて思うのが、師匠がいないことが本当にラッキーでした。施術における「臓器と感情の関連表」にせよ、師匠と仰いでいた方からは、しつこすぎると嫌われ追い出されます。

もし師匠から教わったことを疑問を持たず忠実に実践していれば、今の私は確実におりません。それでも「なぜ私?」という問いは残っています。結果的に、世界が自立具現化コーリングによってめまぐるしく変わり得ます。創り出した私自身が、想定される未来に「なぜそんなことに?」と驚きを隠せずにいます。

特別な才能があったから?たまたま?何か必要に迫られたから?納得せずにはいられない何かが、最初から私の中にあったから?

分かりません。死ぬまで分からないのかもしれません。何にせよ私は、この問いを終わらせるつもりはありません。なぜなら「なぜ私?」という問いそのものが、私を動かしてきた1つだからです。

#ヒーリング
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#人生
#直感
#覚醒
#心の声
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「自分軸」という言葉の罠——あなたの人生が空回り続ける理由

「自分軸」への疑問

最近、ビジネスや生き方の文脈で「自分軸を持ちましょう」という言葉をよく目耳にします。しかし世間で語られる「自分軸」の多くは、どこか独りよがりな主張であったり、周囲との分断を生む単なる開き直りに過ぎないことがあります。「軸」を用いることで、なんとなくいいもののように感じてしまう危うさを感じますが、あなたにはいかがでしょうか?

本来の「軸」とは、固定された硬い棒のようなものではありません。自然や社会という大きな巡りの中で、あなたを推し進める「滑らかに回転し続ける歯車(ギア)」そのものです。

なぜなら、世間は激しく動いています。ガッチリ固定されたままでは、身動きとれるわけがありません。「自分軸」という自分の何を軸としているのか不明確では、気持ちの上では活発に動いていても、言葉のエネルギーに飲み込まれていくのです。

私が主張する「本当の軸」とは、以下の「3自」がきれいに噛み合い、循環している螺旋状の円環運動(「3軸」)を指します。些細な動きかもしれませんが、動きなくしては次のステップにつなげきれません。円環運動でない運動は、散漫か暴走です。

稲盛和夫さんが提唱する「人生や仕事の結果 = 考え方 × 熱意 × 能力」にも通じています。自主がまさに考え方と同類で、ウラミや憎しみが内なる声の発端だった場合、マイナスの結果となってしまいます。

「自分軸」という言葉の罠——あなたの人生が空回り続ける理由

・自主(意思):自らの内なる声に素直であること

・自律(姿勢):自然や社会とのつながりから、自らを確立すること

・自立(存在):自然や社会とのつながりから、自らを確立させること

最初のギアを回す

いかに立派なビジョンや理想を頭の中で描いていても、ギアが噛み合わなければ動力はどこにも伝わりません。すべての出発点は、「自主軸」という最初の小さな歯車です。

大きな覚悟や決断をする必要はありません。「本当はどうしたいのか?」という、内側の繊細な声にただ素直になること。かつどれほど些細であっても、その声に従って最初のギアをわずかに動かしてみるのです。

そのたったわずかな「自主軸」の回転が、ゆるぎない美学(自律軸)を伴って、やがて他者や社会という大きな歯車(自立軸)と噛み合い、あなたの人生全体を螺旋状に1つ上のステージへと押し上げていきます。

自律と自立、どちらが先かで悩みました。試行錯誤した現状での結論は、自律が先です。「する」という自発的な意思がない限りは、「させる(拡大)」「される(受け身)」等の結果につながりません。

一般的には「右回りは閉める(解放・自己の開花)、左回りは開く(結実・確立・定着)」という意味があります。どちらに回すにせよ、遠心力と求心力のように、バランスがとれた状態が望ましいです。速すぎれば大回りでブレてしまいます。遅すぎれば変化を嫌い、期限に間に合わなくなります。

問いの価値

和製バフェットと称された竹田和平さんが、「貯徳問答講・まろわ問答講」という会を主宰していたという話を耳にしました。彼が実践していた問答の核心は、「答え(知識・ノウハウ)を一方的に授けることではない」という点にあります。

「人生のキーワード」と称して9つのキーワードを考えつきました。答えを言わず、ヒントを出して答えていただく方針。和平さんと同じことをやっていたと感動しました。

交流会を主催していた当時、答えを導き出すことをテーマとしたことがあります。分かった方は分からない方のためにヒントを考えます。本当に分かっていなければヒントなんて出せません。結果、相乗効果的な素晴らしい時間となりました。

答えをサラッとお伝えしたところで、サラッと流れていくもの。例えば分かりやすく、他人から一方的に決められた経営理念。自ら考え抜いたものと比べいかがでしょうか?「あなたの理念は何ですか?」と訊かれて答えきれる時間や情熱の違い、どちらも試みたことがあるあなたにはお分かりですよね?

「人生の主人公」を思い出す

あなたはもともと「人生の主人公」でした。いつの日か、素晴らしい方や嘲笑し陥れる方との出会いから、自ら「主人公」の席を放棄してきたのです。施術家当時、体との通訳を受け持っておりました。3万人超の体たちは、「ご主人様」「ご主人さん」と呼んでおりました。ながらも「全くご主人様らしくない」とボヤいてもいました。

施術では変化が顕著に現れるので楽しかったです。「痛み=信頼関係の復活作用」とみなし、痛みに封印された記憶を解放できた時の感動。そんな数々の経験が、今の私を作り出しています。

だからこそ、徹底して《一緒に考える》方針を貫いています。お客様が答えきれない理由は、私のヒントの出し方がまだ曖昧だからです。的確なヒントを出すためには、あなたの話をよ〜く聴くことが大切です。

私の役割は問いを通じて、あなたご自身の中に眠る「内なる声(自主)」を呼び覚まし、あなただけの歯車を円滑に回し始めるための「滑走路」です。私はあなたの欲求を満たすために、雇われている身だと考えています。

他人の価値観で生きるのを、いったんやめてみませんか?自らの内なる声に素直になること。そこから、あなただけの本物の循環が動き出します。だからこその【自立具現化】なのです。

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日常の静寂からの逆算〜永続的な人生の主人公へ

第1回では姓名判断の虚構性と代案、第2回では結婚等によって名前が変わる本当の理由について。第3回では、『白鳥運子は31画』というマンガを通し、全承認のシステムが引き起こし得る「都合のいい自己正当化の狂気」について触れました。

「すべては幸せのための伏線」という言葉を、単なる現実逃避の免罪符にしてしまえば、他者の尊厳を踏みにじる怪物へと容易に変貌します。「つけられた名前が悪いから」等の隠れ蓑によって、欺瞞をさも本当であるかのように正当化できます。

では私たちはその狂気や欺瞞に落ちることなく、いかに「自らが創造主となる人生」を実践していけばいいのでしょうか?

答えは、脳内での都合のいい日和見感をいったん止め、日常の中で自らのエネルギーを観察する「瞑想的な逆算」にあります。日々欠かさず歩き瞑想を重ねていますが、何かしらあなたを活性づけるヒントになれば幸いです。

脳の暴走を止める「日常の観察」

私たちは、放っておくと頭(脳)だけで物事を解決しようとします。「この失敗にはこういう意味があるはずだ」「あの人が悪いのはこういう理由だからだ」と、頭の中でストーリーをこねくり回し、都合のいい解釈の檻を作ってしまいます。これこそが、第3回の主人公が陥った罠です。

「名前肯定感」や「人生の主権を取り戻す」という営みは、日和見感とは無縁です。まずひっそりと座ったり日常を歩きながら、自分の内側にある性質とエネルギーを、たまたまつけたTV番組を見るかのように客観的に定点観測。

・今、「私の内側」はどのようなエネルギーで満たされているか?
・外側のルール(他人の評価や吉凶の言葉等)に触れた時、「私の内側」はどう動いているか?

頭のノイズをシャットアウトし、「今ここにあるあり方」を客観視点でホールド。この静寂の時間が、主観の暴走に対する強力なブレーキ(安全弁)となります。

意識的にノイズは止められません。よく活用するのが、潜在意識の解放セッションで用いる「客観視」です。「あ、怒ってる。はぁ〜、だからこうなったんだ」等の感情を、物語を読み進めるかのように。

「時を計り損ねた現場」からの逆算

日常の静寂からの逆算〜永続的な人生の主人公へ

どれほど静かに自分を観察していても、私たちは生きています。時を計り損ねて大失敗をやらかすこともあれば、泥水をすするような現実に直面することもあります。私自身、何度も出会してきました。

しかし当事者意識を持つ方は、責任転嫁も罪悪感への埋没もしません。その泥沼の現場で、静かに深呼吸をし、内側のエネルギーを逆算し始めます。「この手痛い大失敗のエネルギーを、どうやって大逆転の燃料に変えていこうか?」。

これは、無理やりポジティブに思い込もうとする「綺麗事の自己啓発」とは根本的に異なります。 今起きている現実を100%引き受けた上で、そのエネルギーの性質を冷静に見極め、自発的な意志で扱いこなすと決める「冷徹なリアリズム」です。

五行論等の智慧を「鵜呑み」に盲信する生き方をやめませんか?先人が築き上げたルールを納得レベルまで「理解&把握」した上で、自らのエネルギーとして完全に扱いこなす生き方へ移行するのです。まさに「型破り」の奨励です。

自分の名前に宿る性質とエネルギーのすべてを、心血注ぎながら『自分の意志で扱いこなす』人生とは、「エネルギーの逆算」を日々淡々と、日常の泥臭い実践の中で繰り返していくことに他なりません。

あなた自身が主導権を握る

他人が決めた「吉凶」に一喜一憂し、都合のいい言葉に依存する生き方は、一見楽に見えます。小さくまとまり、安定した生き方を選ぶのも、あなたの人生です。どうぞお好きなように。

しかしもしあなたが、「私が決めたことだから」とハラを決めて視える世界は、圧倒的に次元が違うこと、お分かりでしょうか?きっかけや動機は、多種多様にあるでしょう。「私が決めたことだから」という1点だけは、あらゆるすべてに通じているのではないでしょうか?

「私が決めたことだから」とハラを決めても、まだまだ甘い箇所があるかもしれません。だからこそ深めがいがあります。頭の中の言い訳(免罪符)をすべて焼き尽くし、日常の静けさの中で自らのエネルギーをコントロールする主導権を、自らの手で握り直してください。

あなたが本当の幸福感を全うできますよう、私はただただ祈っています。

あなたへの問いかけ

・今まで頭の中でこねくり回してしまった「自分への都合のいい言い訳」は、例えば何でしたか?

・その思考のノイズを一度止め、静かに息を吐き出した時、あなたの内側に残る「本当のエネルギー」はどんな色や形をしていますか?

「すべては幸せのための伏線」という全承認の狂気

白鳥運子は31画(1) (マガジンポケットコミックス)

あなたは『白鳥運子は31画』(原作:松明明利、作画:ますやまある)というマンガ、ご存知でしょうか?「どうせ姓名判断系の、薄っぺらい話だろ」と冷えた感覚で読み始めたのを覚えています。

「あなたの名前は素晴らしい。大吉数だから、絶対に幸せになれる」

親からそう言われ、呪文のようにその言葉を握りしめてきた主人公。現実に待っていたのは「運子(うんこ)」(本名は「かずこ」)と弄ばれいじめられ、踏みにじられ続けた卑屈な人生。 そんな歪んだ人生の果てに、ついに一線を越え、殺人を犯してしまった1人の物語――。

『白鳥運子は31画』という物語の強烈な始まり。

殺人を偽装し、嘘のDNA鑑定書まで作り出します。なぜなら「これもすべて、私が最高の幸せを掴むための、完璧な伏線だから」という強烈な確信。

不気味で、ゾクッとするほどの狂気。この1話目を読み終えた時、占い業界や世の自己啓発やスピリチュアルが孕む「最大の闇」と「核心」が、ここにすべて凝縮されていると確信しました。

占い業界が生み出した「怪物」

既存の姓名判断は、まるっきり悪印象なやり方で人間を縛り付けます。「この画数は大凶だから不幸になる」とアラ探しをし、不安を煽って依存させます。

しかしこの物語の主人公に起きた悲劇は、その真逆です。 彼女は「31画という大吉数(固定された正解)」を押し付けられたがゆえに、悲惨な現実とのギャップに心が耐えきれなくなり、決定的に歪んでいきます。

そして、追い詰められた彼女の魂が、最後にたどり着いたのが「解釈の逆算」。

「この殺人や強奪・偽装でさえも、私が私の人生の主人公として、より大きな救いを得るために自らセッティングした完璧なプログラムなのだ」。ここであなたに、問いたいのです。「本人が100%納得していれば、その解釈はすべて正義なのか?」。

他者を徹底的に排除し、自らの内側のつじつま合わせ(主観)だけを肥大化させた時。全承認のシステムは、他者の尊厳をも踏みにじる「全肯定の怪物」を生み出してしまいます。

「被害者」を辞める本当の覚悟

私が提唱している「姓名承認」や「幸せ解釈」においても、「どうぞ都合のいいように解釈してください」と言ってきました。このマンガを読んで、「現実逃避のための免罪符」を作り出してしまっているかもしれないと、恐怖を感じました。

主人公の彼女の決定的な間違いは、全承認のシステムを「犯した大罪から目を背け、自分を正当化するための言い訳」に使ってしまった点にあります。

本当の「人生の主権を取り戻す」とは、どういうことなのでしょうか?私が考える限りには、【自らがやらかしてしまった大失敗も、背負ってしまった業も、傷つき傷つけてしまった過去も。そのすべてを「自分が引き受けた上で、どう周囲へ光を発信していけるか」という圧倒的な当事者意識(魂の覚悟)のこと】です。あなたのお考え、聴かせていただけませんか?

「名前が素晴らしいから幸せになれる」という、外側のルールに依存しているうちは、大吉数であろうがいじめられ、最後には怪物を生み出す原動力になりかねません。この世に、素晴らしくない名前は存在していません。昔の私のように、「悪い人生だ」と思い込む要因は、名前への歪んだ解釈です。だからこそ、自己肯定感の前に「名前肯定感」なのです。

主人公は、「うんこ」と嘲られ卑屈な人生を送ってきました。中にはいかに嘲られようとも、逆手にとってウケをとる方がいるかもしれません。「名前が素晴らしい」と言われながらも、名前によって卑屈な人生となった本当の原因は、主人公自身が名前の理解を納得レベルに落とせているのか疑問です。

「人生の主導権を誰にも渡しちゃダメですからね」施術家当時から一貫して伝えてきたメッセージ。画数があなたを幸せにするのではありません。あなたがその名前に宿る性質とエネルギーのすべてを、心血注ぎながら「自分の意志で扱いこなす」と決めた瞬間からしか、本当の人生は始まらないのです。

綺麗事のスピリチュアルを焼き尽くす

「名前を肯定すればハッピーになれる」 そんな甘い言葉で、占い業界やカウンセラーは今日も優しい言葉を売り付けています。

この『白鳥運子は31画』の狂気は、その綺麗事を一瞬で焼き尽くします。「解釈を変える」「主権を取り戻す」ということは、人生の全責任を自らが背負うという「狂気的なほどの覚悟」と同義なのです。

他人が決めた「吉凶」のルールで安心している人生も、大いにけっこうです。小さくまとまり安定した生き方、悪くありません。あなたの人生です。逆に、時を計り損ねて大失敗をやらかした方もいるでしょう。その泥水をすすりながら「このエネルギーすらも、ここから大逆転の燃料にしてやる」と言い切れるか。

主権を他人に渡したまま、周囲の価値観という檻の中で飼いならされる人生。どんな泥を塗られた今までであろうと、自らが創造主となって物語を創造する人生。どちらがあなたにふさわしいのでしょうか?

繰り返します。あなたの人生。あなたの人生を、他の誰かに操られるのは、あまりにもったいなくないでしょうか?あなたが本当の充実感や安らぎを全うできますよう、祈っております。

あなたへの問いかけ

・あなたが「自分に都合のいい言い訳(免罪符)」として使ってしまっている、占いや他人の言葉はありませんか?

・人生の「大失敗」さえも、責任転嫁や罪悪感に囚われながらも「自分の燃料にする」と決めた時、あなたの内側からどんな感情が湧き上がってきますか?

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結婚等で名前が変わる本当の理由〜呪縛の被害者から人生の創造主へ

結婚等で名前が変わる本当の理由〜呪縛の被害者から人生の創造主へ

「結婚して画数が悪くなり、夫婦仲が悪くなった」
「親の離婚のせいで、不条理に名前が変わって自分の運命が狂わされた」

人生の最大の転機とも言える「結婚と離婚による改姓」のリアルな現場。もし名前の呪縛に、被害者として立ち止まっているのだとしたら、大いにもったいなくないでしょうか?

結婚等で名前が変わる「事実」

一般的に、結婚して名前が変わるのは「相手を好きになったから」「家族になるから」という理由で語られます。20万人超の名前と人生に向き合ってきた私には、全く違う見解です。

あなたがその方と結婚し、その姓を名乗ることになった本当の理由。それは単に相手に惚れたからよりも、あなたご自身の魂が名前が変わる将来性に興味を持ち、「その生き方を自ら引き受ける」と覚悟したからです。

既存の多くの姓名判断業者は、「結婚して画数が悪くなったから、このままだと離婚しますよ」などと脅してきます。ナンセンス極まりない頭ごなしな決めつけです。彼らはもともと、そうした嘘をまことしやかに言っているにすぎません。

なぜなら、印鑑等の売り付けたい目的があるからです。彼らにはあまりに当たり前すぎて悪気はないのかもしれませんが、結果としてアラ探しをせざるを得なくなります。売るためには不安や恐怖に陥れるのが簡単だからです。

どんなに仲が良かろうが、今のご時世、離婚の可能性が0の夫婦なんて存在しません。にもかかわらず、いざ離婚となった時に「ほら見たことか、名前のせいだ」「相手のせいだ」と、相手や運命を怨むように仕向けるのです。

怨んで幸せになれるのなら、どうぞお好きなだけ怨んでください。ながらも、それであなたが心からの幸せを実感できるようになるとは、私には到底思えません。

「性質とエネルギー」ですべて説明できる

本当は逆です。もし仮に、新しい名前になって激動の人生が始まったのだとしましょう。あなたは「その激動を経験してでも、手に入れたい何か」があったから、自らその名前を引き寄せたのではありませんか?

結婚したその瞬間には、確かにその名前(生き方)に興味があったのです。時に人は離婚という選択をします。それはなぜか。「もうその生き方に興味がなくなったから」です。

興味がなくなったのであれば、その名前でいる必要はありません。だからこそ、元の名前にリセットして再出発。それはとても自然で、主体的なエネルギーの切り替えです。

逆に、離婚してもお子さんとの関係や仕事の都合等で、あえて名前を変えない選択をする方もいらっしゃいます。既存の姓名判断なら「元夫の運気を引きずる」なんて不吉なことを言うでしょう。

ですが、変えない側も同じ道理です。名前に宿る性質やエネルギーが、「2人の状態」から「1人の純粋な状態」へと戻るだけ。変化がないわけでは決してありません。

既存の姓名判断には、この「性質やエネルギー」という発想自体がありません。だから画数だけで価値観を強制固定し、縛ろうとします。しかしこの視点さえあれば、人生のあらゆる選択を説明できるようになります。

何かデメリットがあるでしょうか?

さらに言うと「幸せ解釈」に、何かデメリットがあるでしょうか?

交流会等で、名前をほぼ瞬時に解説できるため、「私は?」と列を作ることも多々ありました。Google検索よりも確実に速いので、間違ったことを口走っているかもしれません。構わず言いきることにしています。理由は、その方の幸せを心から願っての言葉だから。一期一会、もう会うことがないかもしれません。その瞬間を大切にしたいのです。

・「環境や名前に人生を狂わされた被害者」として生きるのか。
・「自分の興味とエネルギーに従って、自ら人生を選択してきた勇敢な主人公」として生きるのか。

どちらにせよ、「私が決めたことだから」と言えるのならば、どちらでもいいと考えています。とは言え、どちらをあなたの人生に採用した方が、生きるエネルギーが湧いてくるでしょうか?答えは明白です。吉凶という価値観に一喜一憂し、環境に支配されるのはもう終わりにしませんか?

過去の記憶すべてを引き受ける

過去の名前も、今の名前も、よくも悪くも生きてきた記憶からは逃れられません。改名したからと、その記憶が消えるわけではないのです。

ならば、やるべきことは「悪い画数を排除する行動」ではありません。「その名前で生きてきた自らの全承認」だと主張してきましたが、あなたはどのようにお考えでしょうか?

子どもの頃に親の離婚で名前が変わった経験を持つ方もいらっしゃいます。一見不条理な被害に見えるその激動も、体内記憶において「もしや離婚して姓が変わるかもしれない」という前提のもと、受精したのだとしたら?「他人に人生の主導権を渡さない『真の自立』を果たす」ために、必要があって自ら演出したシナリオだったのだとしたら?

あらゆるすべてにおいて、いいも悪いも含まれています。一見悪い(凶)名前だと感じていた中にこそ、真の自立(吉)という本質魅力が眠っているのです。

誰が決めたかも分からない古いルールに言いくるめられ、被害者として生きる必要なんて、微塵もありません。あなたが歩んできた改姓の歴史は、あなたが主人公として輝くための、完璧な伏線です。

環境や名前に支配される側から、あなた自らが人生の創造主となる側へ。その主導権を、もう一度あなたの手に握り直しましょう。いよいよ、あなたの出番です。

運気が悪いのは名前のせい?幸せを実感できる秘訣

怒りに震えて批判していた2020年当時から、冷静に客観視している今だからこそ書けること。

運気が悪いのは名前のせい?幸せを実感できる秘訣

姓名判断20万人超と6年間紡いできた確信

これまで連載してきた「堺歩美さん物語」等は、前回の最終回をもって一区切り完結いたしました。お付き合いいただき、ありがとうございます。

物語という形を通して私が伝えたかったこと。それは、登場人物たちの生き様であると同時に、今こちらを読んでいただけている「あなたご自身の人生の物語」でもあります。

今回はフィクションの幕をいったん閉じます。あなたご自身の現実と「名前と運」について、「伝える」と覚悟を決めた2020年からの6年間と、20万人超の名前と向き合ってきた話をさせてください。

27歳で全く信じていなかったながらも職業として始め、真剣に向き合ってきたからこそ条件反射レベルに至ります。多くの皆さんに「Google検索より速いですね」と驚かれます。

しかし姓名判断が大嫌いで、仕事にしようとはどうしても思えません。よって私には、師匠がおりません。だからこそ「姓名承認」という完全独自の文化を紡ぎ出せたのは、結果として幸せだと噛みしめております。

「画数が悪いから不幸」という呪縛

世間には、長年稼ぎ続けている姓名判断業者が溢れています。 彼らは「この画数は凶だから不運になる」「名前のせいで人生がうまくいかない」と、不安を煽り立てます。そして「改名しなさい」「この解決策◯◯◯を買いなさい」と、手軽な行動を勧めてきます。

私は、こうした既存の姓名判断が持つ構造を、問題だと感じつつも2020年当時ではいくら言っても無理だと痛感しました。今ならわずかな違いを感じています。彼らのビジネスは、あなたを中毒症状へ巻き込むシステムです。

「名前のせいで不幸になっている」という被害者のポジションにあなたを留め置き、人生の手綱を放棄させようとします。例えば流派によって言い分にズレがある事実、あなたはご存知でしょうか?理由は、できた経緯が曖昧だからです。

分かりやすく、ボールを転がしたとしましょう。バックスピンでもかけない限り、転がした方向へ向かいます。同じように「悪い」と言い始めたら、「嘘も100回繰り返せば真実に」という諺があるように、まことしやかに聞こえてきます。吉凶とは、「思い込ませてきた技術」にすぎません。

そんな「既存の時代遅れな遺産」に過ぎない客観的な正しさや、流派のルールに、あなたの貴重な人生を振り回されていいのでしょうか?古い枠組みで深い闇へ陥れ呪縛をかけ、洗脳しようとするシステムの残骸に、あなたの人生が言いくるめられるなんて残念でなりません。

徹底追究

人間はどうしたら、心からの幸せを実感できるのか?

真偽を重要視してきた私は、ある日自らに問いかけました。「今、幸せ?」答えは当然No。「じゃあ、どうする?」となります。「幸せ?」と問うている以上、「幸せかどうか?」が最大の命題だと考えることにしました。これが「幸せ解釈」の原点です。

この究極の問いから逆算し、多くの名前と向き合う中で、「姓名承認」が降りてきた2020年から一貫した確信があります。例えば私の本名は26画です。26画は、波瀾万丈だと評されています。確かに大いなる波瀾の中生きてきました。

26画が持つ性質やエネルギーは、「一貫性」です。一貫性という矛盾を嫌い、つじつまを合わせたがる傾向性を持っています。そのエネルギーが強いほどに、周囲が矛盾だらけに思えてきます。結果、巻き込まれてしまうのです。

とはいえ、巻き込まれようとひたむきに向き合い続けていると、だんだん波風が緩まっていきます。いつの日か、拮抗する凪のような調和状態となる日も十分あり得ます。要は、ご本人自身が質や量を適切に理解と把握を経て、扱いこなせる人生を作り出せるか次第です。

すべての画数において、性質やエネルギーを一覧表化し、ストーリーを作り出しています。結婚して名前が変わる場合も、「◯◯◯という名前から、⚫︎⚫︎⚫︎をしたかったからなんでしょうね」と、即興で変容のプロセスを物語化できます。

こうなってくると、吉凶とは全く無関係だという点、お分かりでしょうか?「私には師匠がいない」という理由は、私ほどに追究する方に会ったことがないからです。姓名判断とは似て非なるものなので、一緒くたに扱われることを嫌ってもきました。

「本当 or 嘘」の解放

「だから何だっていうんだ」「ゴロ合わせ、でっち上げ、思い込みじゃないのか」

そう思う方もいるかもしれません。実際、まちがいかもしれません。しかしそんな真偽の判定は些細なこと。超重要なことが抜けています。

大切なのは、この解釈をあなたご自身の人生に当てはめた時の納得感です。
・いかに深く心の底から「どおりで」「だから!」と腑に落ちきるか?
・「私が決めたことだから」と言いきれるエネルギーが湧いてくるかどうか?

それこそが、人間が幸せを実感するための確かな道筋だと主張いたします。本来の吉凶という価値観は、陰陽五行に基づいています。吉の中にも凶を含んでおり、凶にも吉が存在しています。

姓名判断で言う吉凶がナンセンス極まりないのは、頭ごなしな決めつけです。画数すべてにおいて、いいも悪いも含まれているのです。あなたにはどう映っていますか?

過去の名前も、今の名前も、よくも悪くも生きてきた記憶からは逃れられません。すべてはあなたが「あなたとして存在する」ために必要で、引き受けてきたもの。親から愛情込めてつけられた名前が、吉凶といういつ誰が決めたか曖昧なルールに縛られ呪われる必要が、あるのでしょうか?本当に?

環境や名前に支配される側から、あなた自らが人生の創造主となる側へ。 これから、あなたの人生の手綱を取り戻す「姓名承認」、1歩ずつ始めてまいります。

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言葉につまる夜〜堺歩美さん物語1

言葉につまる夜〜堺歩美さん物語1

青天の霹靂

「娘さんが、万引きで保護されています。できる限りお早めに、こちらの署へいらしていただけますか?」

警察から電話があったのは、飯田橋の編集部で校正を確認している最中だった。

まさに青天の霹靂で、何の冗談かと意味が分からなかった。大学生の次女 直美は、静かで手がかからない子だと思っていた。

私は席を立ち、必要な連絡を済ませ、中央線に乗った。車内はいつも通り混んでいた。
誰も動揺していない。私も、動揺していないはずだった。怒りは湧かなかった。悲しみも、焦りも。

事実を処理する段取りを考えていた。怒るべきだろうか、と一度だけ考えた。まずは、店に謝罪し、弁償し、今後の手続きを確認する。それが私の役割かつ、正しい母親の対応。

私が立たねばならない

吉祥寺に着く頃、ふと、札幌の冬を思い出した。父が死んだあの夜も、私は同じように段取りを考えていた。母が抱きしめ号泣する中、私は泣かず立っていた。「歩美はしっかりしてるね」父の言葉が、今も体のどこかに残っている。

私は堺歩美、47歳。出版社の編集部長として、企画やインタビュー・校正等を受け持っている。新聞記者だった父の死から、12歳ながら長女として家族を守っていくと決めた。高卒で進学のため上京し23歳で結婚したが、夫の浮気で34歳当時に離婚。夫からの援助なしで、娘2人を育ててきた。

23歳の長女 育美は、高卒で家を出て今は横浜市在住。何をやっているのか詳細を理解しかねるまま、日本中を巡っている。母 麻由美は地元の札幌にて、もともとは戸建てだったが私の上京の際にマンションへ引っ越した。

父の死は表面的には事故死だったが、何か知られてはならない禁忌事項を突き止め、解明しようとしていたに違いない。死ぬ前の父は、よく「もし私が死んだら〜」と語っていた。だからこそ私が立たねばならないと、気を引き締めてきたのだ。

言葉につまる

警察署で直美は、ずっとうつむいたままだった。電車の中で想定した段取りに基づき対応。

帰宅後、沈黙の中「ママって、絶対怒らないよね。」

「は?」と、本気で不思議に思う。怒る必要があるだろうか?まず謝罪と再発防止だ。父が死んだあの夜から、段取りを優先するようになった。突如言われた返答には、思いがあっても言葉につまる。

答えを探す。叱る?諭す?慰める?どれが正しい?

直美は私を見ている。その視線の意味を考えているうちに、今日が終わった。

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揺らがない火〜外舘美奈さん物語23

揺らがない火〜外舘美奈さん物語23

3年連続の三つ星

10年後。

三つ星、3年連続。発表の日も、厨房で知らせを受け取った。前年と同じ方針と流れ。火入れの秒数も変えていない。発表の連絡が入っても、仕込みの手を止めなかった。

世界の料理誌が特集を組み、海外の若手料理人が研修を願い出る。本場パリの怪物職人と並び、「フレンチ基準を変えた料理人」として名が挙がっている。競い合う気持ちはない。評価の軸が違う。

昔の私なら、違った。星を意識した瞬間、皿を寄せにいっていた。審査員が来ると聞けば、火を強め味を濃くし、印象を作ろうとしていた。周囲は好ましく評してくれるかもしれないが、今振り返って感じているのは隠したかった黒歴史で、だからこそ成長の軌跡と言えるのだ。

今はしない。なぜか?星を得たいがための料理をやめたからだ。星が増えたのは、待つと切り換えた年からだった。

証明から決断へ

10年前。舌ガンの告知。医師は3人とも切除を勧めた。私は拒否した。無謀だったかもしれない。その夜初めて気づいた。

私は料理を「愛していた」のではない。料理で「証明」していた。

母への反発。
業界への対抗心。
自分への劣等感。

それを燃料にしていた。それでは、永続性がない。いつか終わりが来る。舌ガンは、私にとって方向修正だった。

肥やしにする

自立具現化コーリングを1つに集約するならこの問い。

「それは、あなたが決めたこと?」

答えられなかった。

三つ星も、世界一も、誰かに魅せるための目標だった。ようやくそこで初めて、自ら決め直した。世界一を目指すのは、《私があきらめきれないから》だと。

母の影響も、過去の折り目も、病も、材料にすると決めた。否定しない。肥やしにする。

そこから具体的に変えた。

・メニューの回転数を減らした
・客単価を上げた
・SNS露出を止めた
・星狙いの演出を外した
・仕込みを分業にした
・重ね煮野菜はじめ、世の調理法を研究した

結果、初年度は売上が下がった。批判も来た。仲間に見切られるかもしれない。それでも戻さなかった。星がなくなるかもしれない不安が襲ってきた。それでも決断を曲げなかった。

2年後、星が増えた。

4年後、三つ星。

揺らがない

今は分かる。星は「狙った料理」には来ない。軸を打ち重ねた結果である。3年連続は、驚きではない。再現性があるから。誰が来ようと、同じものをお客様へおもてなすのだ。

舌は戻った。だが戻ったから星が増えたのではない。舌へのプライドを保ちながら、「私の自主・自立・自律とは?」を追究してきたからだ。私の中核と向き合ってこれた達成感がある。

母から、毎週野菜が届く。仲間と定期的に畑の手伝いへ行くようにしてから、さらに団結が深まった。彼ら全員が、独立しても立派にやっていけるレベルにある。引き抜きの誘いもあるだろう。堅く一緒に関わり続けてくれていることが、本当にありがたい。

振り返って思うこと。10年前の私が恐れていたのは、舌を失うことではない。自分の人生に納得できないまま料理を続けることだった。だから向き合った、真剣に。だから今、揺らがない。

三つ星3年連続も、本場の怪物職人と並ぶ評価も、10年前からの積み重ねの延長。今まで道を作ってきた。今日からまた始める。これからだ。

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伝統を読み解く〜外舘美奈さん物語22

伝統を読み解く〜外舘美奈さん物語22

体に沁むまで

畑へ向かう朝。手帳を確認して、母の畑へ向かう予定を組んだ。手順だけを知りたければ、本を読めばいい。体感しなければ分からないことがある。最優先に考えている以上、何としても母の生き様を読み解き、核となる奥義を体現していく覚悟である。体に沁むまで。

土の感触を確かめる。水分はどうか、硬さはどうか、日照の角度や時間はどうだったか。収穫の熟度はどう判断していたか。目で、手で、体で読む。干し野菜の重さや層の並び方、鍋に落とすタイミング——それらはすべて、母の判断基準による。その微差の根拠とは、机上の空論では分かり得ないのだ。

戻した干し野菜を出汁に落とす。温度、浸す時間、置き方。それだけで、手順の意味が浮かび上がる。頭で考えなくても、体が先に理解する感覚。手順をなぞるだけでは決して辿り着けない深み。

母の背中を見ながら思う。手順だけを身につけても意味はない。本当に消化するためには、判断の理由や環境まで読み解く必要がある。母のやり方を自分の体に取り込み、消化し、自分の生き方でアレンジして初めて、意味が成立する。

深みの体現

江戸時代から受け継がれてきた我が家の重ね煮の伝統。母は他のことに興味が湧かなかったのだろうか——。ふと、過去の記憶がよみがえる。5歳の祝いに作ったケーキを否定され、17歳で家を出て以来、一切帰らなかった日々。私のような気持ちが湧いたことがないのか?

今、畑の端で黙々と草を抜く母の背中を前に、疑問が自然と手や目に流れ込んでくる。何にこだわり、何を取捨選択してきたのか——。言葉にする必要はないと言わんばかり。ひたすらに黙し、作業を続ける母の姿に、長年の重ね煮思想を示しているように感じられる。

全てが母の意思の現れであり、過去の折り目を消そうとする必要もない。理解しようとするのではなく、体に刻まれた判断の流れを感じ、吸収する——将来の輝く私になるために。

もともと寡黙な母。私も、所作から読み解いていきたい。今日、畑で確かめたことは、フレンチの現場で生かせる。「温度」「間」「火入れ」の感覚として、手に残る。それは単なる技術ではない。母の哲学を、体と手で理解した結果だ。

母が受け継ぎ実践している伝統を読み解くのだ。深みは、ここでしか得られない。これこそが、世界一のシェフへの道を、確かな手応えとして示してくれる。


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