未だ訴えられ続けている根本原因
先日の韓国の裁判所にて従軍慰安婦で虐げられたと訴える女性12人へ、損害賠償を支払うという件に関して思うこと。
結論。「天皇の祈りへ原点回帰してみよう」です。
菅首相の意見に、大いに賛成派です。全くのデマに対して、なぜ損害賠償なのか、甚だ疑問です。本当に未だ損害賠償を支払い続けなければならないのなら、一時的な国交断絶もあり得るとみなしています。
しかしながら、「人の噂は75日」という諺があるとおり、偽りは長続きしません。共産主義はじめ怨念等の低次元な発想から生まれるアイデアは、長くて人間の寿命程度の継続力です。
真相を受け入れず、頑なに「日本は過ちを犯してしまった」と盲信している方がいるからこそ、韓国側も訴える価値があると見込んでいるのです。情報操作しだいでは、いかに嘘でも真実に見せかけることができます。
全体主義における倫理観
前に「日本軍敗戦の理由」で書いたとおり、当時の大日本帝国には絶対に勝てない理由がありました。欧米諸国の「帝国」とは完全に意味合いがちがいます。大東亜共栄圏という理想を掲げ、東南アジア諸国を欧米の植民地から解放したいと考え遂行した動機は、本当に素晴らしいですし感動します。
とうてい受け入れがたいのは、全体主義における倫理観です。零戦の構造上、操縦士の生命は軽視されている点からも、潔く死ぬことを美学だと情報操作していきました。死にゆく方々を、いかに駒のように扱っていたのか・・・。ドイツとイタリアにおいても全体主義を唱えていましたが、日本との比ではなかったようですね。
反動として、戦後アメリカGHQの洗脳政策であるWar guilt informationによって、完全に悪者扱いされるようになりました。戦争へ行かれた方々の話を聴こうとも、快く話したがらない方とたくさん出会ってきました。全ての戦争を終わらせるために、勇敢に戦った方ほど葛藤に苛まれてきたはず。「過ちを犯してしまった」という自責の念が、怨みへ変換されているのです。
怨念を感謝へ
怨念を、細かく砕いてみて分かること。それは、崇高な愛情が出発点なのです。辞書には「感謝の対義語は怨嗟(怨み)」と書かれている場合がありますが、断じてちがいます。怨みの出発点は「●●に本気で尽くしたにも関わらず、見返りがなかった」場合です。感謝が金太郎飴のようにどこをどう切っても「感謝」なら、対義語としてふさわしい用語も金太郎飴である必要があります。
20歳当時、大絶賛に左翼主義者でした。中学生当時、長崎市長の「戦争責任は昭和天皇にもある」という意見に大賛成でした。真相を知って毎月15日、靖国参拝させていただいております。英霊の皆さんの気持ちを理解して、未来へつなげるために。
「天皇陛下万歳」と、声高らかに散華された英霊と対話して感じるのは、とにかく【感謝】です。「天皇のためなら死ねる」と逝かれた方々は、どのような目的だったのでしょうか?
昭和天皇はじめ歴代の天皇が願ってきた世界は、「みんな1つ屋根の下」です。今こそ天皇の祈りに、原点回帰する時ではないかと考えるのは、私だけでしょうか?