自縄呪縛からの解放
施術時、「根本解放するためにも、幼少期の記憶は超重要ポイントです」と繰り返しています。
ながらも私自身がまったく不透明で、とても言えたもんじゃないって状況でした。早く体験談を語れるようになりたいと考えてきました。
2012.2.21. 20:37、ずっと悩んできた原因が、やっと見えて来たように感じています。
保育園当時、相手に指の骨が見えるくらいに噛み付いた時、言い返す言葉が見つからず無言だった事。親が菓子折り持って謝りにいきましたが、「それくらいの事されて当然だ!」と、頭を下げる事はありませんでした。
なぜ何も言い返せなかったのか、どうしても分かりませんでした。
2012.1.24、やっと親に心からの感謝を持てました。親の事を思い出すたびに、感謝の涙。多くのメンターの導きによるものだと、感謝にたえません。
こうして見えてきたのが37歳ですから、封印歴はかなりの長期に渡りました。やっと解放できる「時」に来たんだと、ものすごく感謝しています。
こうして、「根本解放」を声高らかに謳えるようになりました(もちろん極めようとしていますから、さらに継続します)。
名前の由来
きっかけは名前です。「ともみちゃぁん」と嘲られ、大騒動になりました。噛み付いた理由に対して、恥ずかしくて言い出せませんでした。以降もケンカの歴史は、まさに名前との戦いでした。
以降成人するまで恥ずかしく、自己紹介では「吉永とも○です」と、語尾を濁していました。何度も訊き返され、さらに顔を赤らめていました。
今は何とも思いません。むしろイイ名前じゃないかとさえ感じています。
なんてったって、「己を智る(智には「物事を明らかにする」って意味があるそうです)」って意味合いが、まさに私の使命そのものじゃないかと痛感しています。
つなげていくうちに、夢をなぜ持てなかったのかも見えてきました。
昔よく「何でこがん名前にしたとや!?」って泣きながら親に問い質した事があります。その都度母は、「私ゃ反対したとばい!」と返し、父は無口でした。それが続くと夫婦ゲンカになり、「やめろよ!」と仲裁に入って親子ゲンカ・・・が典型パターン。
名前は父方のばあちゃんが付けたらしく、私が生まれてすぐに亡くなったばあちゃん。なぜそう命名したのか、父には理由が分からなかったようです。
2013.8、さらに自分を見つめ、親の愛がこんなにも大きく深かったのか!と感動しました。
TVでも暴力沙汰系に見慣れていたからか、家でも学校でも、派手なケンカにためらいはありませんでした。
「家庭内でイザコザがあったら、対人関係にも確実に影響が出る」
昨今特に言われるようになりました。まさにそれだったと感じています。
私はかなりのワルだったようです。小3の先生に出会うまで、ケンカばかりしていました。ケンカしないと誓ってからも、内側に復讐心は依然残っていました。「死んで化けて出てやる」なんて本気で考えていました。実際に、死んで幽霊になって恨み殺す夢をよく見ていました。
暗中模索だった思い
今思えば、親の愛情を確認していたんじゃないでしょうか。
「ここまでやらかしても、親は私を愛してくれるのか?」と・・・。
「名は体を表す」ということわざがあります。印鑑営業で姓名判断の仕事に携わっていた時分にも、意味があったんだと諭されます。
ものすごく嘲られているのに、名前がなぜ付けられたのか理由が分からなければ、人生に価値を見出せないと考えてしまったんじゃないのか?潜在意識下で、「俺は捨て子なんじゃなかろうか?」なんて考えてたんじゃないか?
だとすれば、かなりつじつまが合ってきます。
「愛している。目に入れても痛くない」と言っていた父。的をついた質問をするとはぐらかし、都合が悪くなると手が出てくるばかりでした。ここで、「世の中、本音と建前があるんだ」と学んだのかもしれません。大人になりたくないと考えていました。
まずもって自分自身を信用できませんでした。鏡の法則から、他人を信用できるはずがありません。
早く親元を離れたく、中卒で自衛官になりました。もし地元の高校に通っていたら、「オッチャン」と先生からも呼ばれ続け、あきらめ荒みきった心に拍車がかかってたかもしれません。
そこからも波瀾万丈な人生があり、今に至ります。
今思えば、親元を離れてよかったですし、すべての生涯に感謝できるようになりました。