パンダより大切なもの

パンダより大切なもの

パンダは 象徴 or 本質?

最近「動物園からパンダがいなくなる」という話題が、大きなニュースとして扱われています。1/27に中国へ返還だそうですね。多くの皆さんが惜しみ、悲しみ、「日本からパンダが消える」と嘆き騒ぎます。

私は正直なところ、強い感情が動きません。パンダが嫌いなわけではありません。単に本質的な問いを感じないのです。ほぼ同種の熊は、忌み嫌われ撃ち殺される場面も。野生で殺人事件にまで発展するくらいなので、危険なのは分かります。対面した恐怖を味わったことがないから、差異が分からないのでしょうか?

パンダは、かわいいですね。看板商品として、分かりやすいです。中国外務省から「ぜひ中国へパンダを見にきて」と言えるくらいに、集客力も経済的価値もあります。

しかしそれは「あると安心する象徴」です。「なくなったら本当に困るもの」ではありません。気になっている問題はパンダではなく、「なぜ失っても生き方が変わらないものにこれほど感情を注ぐのか?」という点です。

本当に失われつつあるもの

パンダがいなくなることよりも、もっと抜き取られているものがあります。それは、

  • 自ら考える力
  • 自ら選び決める感覚
  • 自らの時間や生命を、どこに使っているかという実感

です。

気づかないうちに、

  • 誰かが用意した価値
  • 誰かが決めた「大事なもの」
  • 誰かが騒いでいる話題

に、感情を委ねてしまっていませんか?

命の使い方

ここで言う「命」とは、医学的な生死ではありません。「あなたの人生という持ち時間と、そこに注ぐ意志とエネルギー」 のことです。

私が人生かけて関わってきたテーマは、パンダでも、流行でも、恐怖でもありません。「自らの命を、誰のために、何に使うのか?」こちらが曖昧なままでは、何が来ても、何が去っても、結局はまた別の象徴に心を奪われるのです。

誤解を避けたいのが、パンダを否定したいわけではありません。「象徴に反応する人生から、本質と向き合い源に立ち返る人生へ」の切り替えが、今ほど必要な時代はないと感じています。20歳当時から考え続け、話が噛み合わなかった日々。「説教は終わりですか?」と言われたこともありました。

考えることをやめようとしても、なぜか考えてしまっておりました。今振り返って当時の私に言いたいことは、「人生という価値を納得させたかったんだよね」「『これこそが私の生き方だ』と胸張って言いたかったんだよね」。時代の荒波に翻弄され続け、もがき苦しんできたからこその、パンダに見る私の言い分です。

生まれてしまった

こうした問いを抱え続けてきた背景には、ある葛藤がありました。悩みに悩んできた理由は、生まれてしまったから。「こんなつまらない人生、とっとと終わった方がいいだろう」と考えている私がいました。「生まれてしまい、生きながらえてしまっている以上は、何か意味があるんだろう」との熾烈なせめぎ合い。

今、愛する奥さんと一緒に希望を感じています。基盤を整えきれた先にある未来をイメージできたので、時間を要するでしょうが、必ずたどり着けます。今「考え悩み迷い続けてきて、本当によかった」心から感じています。

もしあなたが、

  • なぜか最近、騒ぎに乗りきれない
  • 「価値がある」とみなされているものより、なんとなく違和感が残る
  • 「これでいいのか?」という問いが消えない

そんな感覚を持っているなら、それは冷めているのではなく、目覚め始めているのかもしれません。その感覚があなたの中に「新たに生まれてしまった」のです。私は、その感覚を大切にする側でありたいです。

“屋外の姿”は最後…上野動物園パンダ「シャオシャオ」「レイレイ」中国返還に向け室内に 「観覧予約券」5000円超で転売も…本人確認などで対策

#エネルギー
#幸せ
#中国
#感情
#人生
#パンダ

3神 or 塩?〜人間の起動前夜に

「1」では、感動も感謝も盲点が起点だと書きました。盲点が突かれて剥がれ落ち、世界の見え方が変わる瞬間。そこから「私が決める」へ届くかどうか?でした。

「2」では、主語が薄まるか暴れるか、2極化の時代。暴力に勝る脅威があると書きました。「操縦されているのに、自分が操縦しているつもりになる」「冤罪型の正しさの顔」も含め、主語が扱えなくなる構造があるのです。

今回は「3」。中心はAIでも情報量でもなく、目的意識や判断基準です。あなたの節目における決断や選択いかんによって、プラスにもマイナスにも一気に振れます。その分岐点を、私は「自主軸」にあると見立てています。

3軸「自主×自律×自立」——かけ算が吉にも凶にも

自律と自立は、たいてい良いものとして語られます。

自律軸とは、自然や社会とのつながりから、自らを確立すること。(心身調和)
自立軸とは、自然や社会とのつながりから、自らを確立させること。(自然や社会との調和)

問題は、これが自主とかけ算になった瞬間です。ここで言う自主「自分から動く」では足りません。私はこれを自主軸と呼びます。軸とは回転運動。エネルギーを持ちます。行動や実践の結果の規模が大きく変わり得ます。

自主軸とは「自ら決め、方向と基準を持って動く」こと。方向と基準が狂えば、強さは倍率で狂います。方向と基準が空白なら、強さは他人の都合で勝手に加速します。優秀さは、凶器になり得るのです。私はこれを、脅し文句ではなく現実として知っています。

私が自衛官をやめた理由

ここでは、一般論ではなく、私自身のエピソード。

私は自衛官でした。ながらもある宗教にハマりました。今振り返れば、主語のすべりでした。黒歴史として葬ろうと考えてきましたが、最近ようやくカミングアウトできるように。いつの間にか、判断基準を団体に明け渡していたのです。それでも「自ら選び決めている」と思い込んでいました。

当時は、自律も自立も強かったと思います。師団司令部へ異動になり、エリート街道を突き進むと期待されていました。

今回の「自主軸」に当てはめるなら、ウラミのエネルギーです。表面上は優秀さを装いつつも、何かとんでもない事件をやらかしそうな、内側に秘めた汚物処理はお手上げでした。教理の話を聴いた時、嫌だと言いながらものめり込んでいくのが分かりました。結果、私は自衛官を辞めざるを得なくなりました。

カミングアウトできるようになった理由は、黒歴史を解放できたからとみなしています。まさに自主軸の空白やねじれと、判断基準の外部化です。自発性が残っていないのに、自発性があると思い込んでいたこと。翻弄されているのに、操縦できていると決め込んでいたこと。

振込詐欺に遭っているにも関わらず、指摘されると怒り出すという、指摘する側の話を聴いたことがあります。この錯覚が、本当に危険です。

「神 or 塩?」

3神 or 塩?〜人間の起動前夜に

判断基準は、立派な理念として語れるかどうかではありません。無自覚な咄嗟の対応で出ます。例えば分かりやすく、神対応と塩対応の差。

想定外の瞬間、こちらのあり方が漏れます。だからこそ第三者視点の評価で、「神 or 塩?」の対応が決まります。あなたは常日頃、知らずして「神 or 塩?」の対応をしていらっしゃいます。よくも悪くも、いつか必ず何らかの評価を受けるようになります。

だからこそ、今年のテーマを「基盤」といたしました。反応で生きていないか?上書きに飲まれていないか?冤罪を作っていないか?主語を残せているか・・・?あり方の確立こそが、「塩対応的な私」を遠ざける秘訣だと考えているからです。

神対応は、すごい技術というより、自らへの振る舞い方の結果として出ます。塩対応は、自己否定の漏れとして出ます。どちらも盲点のまま出るから、なお怖いのです。

「私が決めたことだから」

私は、2020年から一貫して主張し続けてきました。改めて自覚した役割は、「『私が決めたことだから』と言える人を増やすこと」です。施術家で世界進出を志しながら大失敗し、ブラック企業で人格否定の卒業試験を経てまいりました。ご自身で納得できてもいないのに、素晴らしい人生を全うできるわけがありません。

目的地だけでは足りません。基準が必要不可欠です。基準があればこそ、偶然は偶然のまま扱いつつも、「それでも私はこう決める」が残ります。その一言がどのようなエネルギーで出てくるかが、人生を決定づけていくのではないでしょうか?

起動前夜とは、その足場を整える時間だと解釈しています。軽さと速さの時代ほど、錨や揺るぎないものが重宝されると見立てています。今、その錨を作っている真っ最中です。

#感謝
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#宗教
#カミングアウト
#自己否定
#幸せ

2暴力に勝る脅威〜人間の起動前夜に

書きながら確信が深まりました。私の役割は、「私が決めたことだから」と言える方を増やすことです。

2暴力に勝る脅威〜人間の起動前夜に

主語の2極化時代

「主語の2極化」とは、主語が薄まる方向と、主語が暴れる方向が同時に進むこと。

「1」では、感動も感謝も盲点が起点だと書きました。盲点を突かれはがれ落ち、世界の見え方が変わる瞬間。そこからいかに「私が決める」へ届くのか?の照合を続けています。

今回は「2」。なぜ今、「私が決める」まで届きにくいのか?私はAIの限界より、社会の形式を疑っています。あまりに矢継ぎ早すぎるのです。

主語が薄まる——「決めたつもり」が増える仕組み

30代くらいまで、「主語がない」とよく言われてきました。文法上の話ではありません。当時は意味不明でしたが、しみじみ噛みしめています。分かりやすく物が壊れた時に、「壊れた」で終わるのか、「私が壊した」まで言えるのか?後者だけが修正を始められます。

今問題だと思うのは、個々人の癖ではありません。社会の様相として「主語が薄まりやすい」こと。

・反応が速すぎる
・次の刺激が早い
・注意が分断される。

盲点を突かれても、気づきとして定着する前に上書きされています。すると「決める」前に次の流れが起きます。結果、操縦されているのに、自らが操縦しているつもりに。ここが決定的。

あなたは、「デフォルト・モード・ネットワーク(「何もしていない時に働く脳の回路」)」という言葉をご存知でしょうか?今はスマホの普及により、信号待ちでもスマホを確認している方の何と多いことでしょう。ボーッとできないのです。

自衛官時代、ものすごく優秀な同期がいました。彼に「これからどうなっていきたいですか?」と問うた時、ヘラヘラ笑いで「分からない」。その時なぜか、背筋が凍りついたのを覚えています。目的意識が空白の優秀さは、外部の都合で簡単に加速させられる——今ならそう言えます。

本当に厄介なのが、《自主×自律×自立》。3軸のかけ算です。自発性(自主)がすべるほど、自律と自立の強さが「マイナス方向」に効き始めます。

主語をすべらせる——「預言」という上からの形式

先日奥さんから「高田馬場の、あれ行こうよ」と誘われた折に、「預言」のキーワードが出てこなかったことがショックでした。ただの脳内検索ミスで名前が出てこなかっただけだと思います。行くこと自体に大きな抵抗はありません。

預言は、私個人としては本当に感謝しています。整体師を志すきっかけとなったのが、拡大解釈的な啓示であり、預言だったから。「どうせムリだ」とあきらめていた背中を、強くあと押しいただけました。整体師の経験なしには、今はあり得ません。

それでも引っかかっています。仮説ですが、「預言」という形式は、予測や助言とは違います。出どころが「上」に設定される言葉。当たり外れ以前に、主語がすべりやすい構造があります。主語が滑ると、誰かが統べやすくなるのです。

問題のポイントは、予想外な言葉を受けた時。言葉が強いほど、「私が決める」が薄くなりがち。真摯に受け止めようとするほど、形式うんぬんより「私が決めたから」と言えるかかが重要です。

主語が暴れる——責任の明確化が、冤罪になる瞬間

主語の問題は、「薄い」だけでは終わりません。逆に、主語が過剰に暴れることもあるのです。私はこれを散々見てきました。自他ともに。

物が壊れた時、本当は「何が原因か」を確認すべきなのに、「誰が壊したか」を先に決めます。その瞬間、主語は修正のためではなく、犯人づくりのために使われるのです。

冤罪型の怖さは、正しさの顔をして起きること。責任を明確にするという名目で、思い込みで責任を押しつけます。結果、構造は改善されないまま、人だけが消耗するのです。

主語が薄いと修正しようがありません。主語が暴れると修正が歪みます。どちらでも、「私が決める」は育ちません。

だからこその基盤——主語が戻れる足場

題名の『暴力に勝る脅威』は、あなたに主語を正しく適切に扱わせないこと。うやむやに煙に巻くことで、真綿を〆るように【いつの間にやら】飼い慣らされていくのです。

だから私は、今年のテーマを「基盤」に置きました。評価を待つのではなく、修正できる自分を先に作ります。主語が薄まる流れにも、主語が暴れる冤罪にも、翻弄されない足場を。

基盤とは、派手な成果はありません。ものすごく地味。多くの皆さんが避けたがるし、私自身も距離を置いてきました。

特に若い頃、「私に期待している方なんているわけがない」等が口グセでした。おかげさまで波瀾万丈の人生となり、幾多の振り回され翻弄されてばかりの半生となりました。何度も味わってきたおかげで、パターンが分かってきました。カラクリを把握できてきたので、今年は卒業試験のようなものだと見立てています。

・反応で生きない。
・上書きに飲まれない。
・盲点の発火を、気づきとして定着させる。
・「私が決める」を残す。

起動前夜とは、風の時代だからこその足場を整える準備期間だと解釈しています。軽く流れていくからこそ、評価や世論に一喜一憂したくありません。錨の役割を全うしたいのです。私は今、そんな時間を生きています。

#幸せ
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1感動の臨界点 〜人間の起動前夜に

1感動の臨界点 〜人間の起動前夜に

今回の『人間の起動前夜』における出発点は、プチ講座でのMさんのコメントでした。
「AIには感動させきれない」

Mさんが言いたかったのは、おそらくこういうことです。
「①『演出や構成で心を揺らすこと』や、②『意味を刺すこと』はできても、最後に③『人の行動や選択の芯を立ち上げるところ(=私が決める)』までは届かない。」

私は、その断定の表現が気に入りません。というか、嫌いです。問題をAIの性能にすり替えているように見えます。感動が③に育つ条件自体が、薄められている環境にないか——確かめてみたくなったのです。曖昧にしたくない情熱が、メラメラ湧いてきました。

盲点から観た感動の到達点

まず前提は、《感動や感謝は、根っこでは「盲点」に触れた時に起きる》です。盲点は決して欠陥ではありません。脳の省エネ構造そのもの。私たちは見ているようで見ていません。当たり前なことほど盲点になります。

もし脳が盲点を完全に払拭していたら、瞬間餓死するほどのエネルギー消費量です。だからこそ脳は省エネにこだわり、重要度が低い情報をどんどん省略します。

そんな状況で盲点を突かれ認識できた時、驚き・快感・満足が生まれ、心が動きます。だからこそ、感動を単なる「泣けた」「震えた」で終わらせたくありません。盲点を突かれはがれ落ち、予測が破れ世界への視点が変わること。それを〈感動の発火点〉だと考えています。

ここで整理しておきます。感動には3つの到達点があります。

① 揺れる:刺激で心が動く
② 刺さる:意味が入り、解釈が更新される
③ 決める:ただ感じて終わらず、「私が決める」で締めくくる

本題は③までたどり着く前に、「私が決める」が曖昧にされる流れが定着していることです。

盲点がはがれ落ちる

私は映画『素晴らしきかな、人生』を20歳で初めて見て、以降ずっと繰り返し見てきました。少なくとも4人に紹介し、一緒に涙を流しました。結末を知っていても、やはり感動します。

主人公は、尽くしてきたことを当たり前だと考え、報われない苛立ちもあります。窮地に追い込まれ、自殺まで考えます。ところが、ある出会いを機に世界の見え方がまるっきり変わり、「私は幸福なんだ」と気づきます。ここで起きているのは、盲点がはがれ落ち「視点が反転する」感動。

今年のテーマを「基盤」としています。たとえ評価されずとも、時が熟すのを待つことにいたしました。時代が追いつくまで、結果を焦らず土台を整えると再確認したのです。

きっかけの「AIには感動させきれない」は本当?AIが感動させきれないのではありません。盲点に触れても、気づきとして定着する前に、

・社会が回収してしまいやすい
・反応が速すぎる
・注意が分断される
・内省が育つ前に次へ流れる

のです。だから感動は薄っぺらい①②で終わりやすく、③に育ちにくくなります。問題は、

・「自分で決めたつもり」が減る
・「決められた中でやる」が増える

という、人生の操縦権を放棄し、指示待ちや受け身思考の温床となります。会社員時代は、朝目が覚めた時の憂鬱感が強烈でした。1日の始まりを喜べません。行きたくもない会社へ行き、喜んで働いているように偽っておりました。もう絶対に当時の過ちを繰り返したくありません。

自主軸=目的地設定

今まで「主語」という表現を使ってきましたが、伝わっていない懸念が消えませんでした。ながらも適切な言葉が思いつきません。ようやく降りてきたのが「自主軸(自らテーマを起こす&目的を定める)」。

だからこそ「感動が当事者に届く=私が決める」に変わります。自主軸は、判断基準の原点となり、車で言えば目的地設定とハンドル。盲点に気づく(感動)が、目的地設定(自主軸)に接続した時、感動は③に届きやすくなります。

起動前夜とは、盲点がはがれ視点が変わり、決断が生まれる手前の時間。今、その臨界点を照合しています。『素晴らしきかな、人生』を何度見ても感動し涙するように、感動を構造化させ、手順を踏まえ簡素化できないかを思案中です。

※あえて「盲点」という語を使った理由は、盲点こそが感動の出発点だと見なしているからです。詳細は過去文にまとめました。

感謝&感動の原因は盲点〜脳から観た幸福感

序〜人間の起動前夜に

現状ではこちらのみが、私の情報発信の場。後々どんな価値を見出すのか?楽しみにしています。

生活のほぼすべてにおいて、執筆を継続させていくことに集中。これが今のあり方であり今年のテーマ「基盤」。

序〜人間の起動前夜に

噛み合わない感覚

最近、人が集まる場に身を置きながら、どこか隔離されたような瞬間を覚えることが増えました。場は穏やかで、会話も途切れていません。誰かが困っている様子もありません。それでも、私の内側だけがサーっと冷めていく感覚があります。

「つまらない」と言えば簡単です。「相性が悪い」と片づけることもできます。しかしそのどちらでもない感覚が、確かに残っています。そこにあったのは、私の主語が薄くなっていくような、自分がいようがいまいが、あまり関係がないように感じてしまっている状況。

盛り上がることはできます。場の空気を和らげることもできます。その役割を終えた瞬間、自分がそこに居る理由が、急に分からなくなるのです。あなたはいかがでしょうか?

この感覚を、個人的な疲れや年齢のせい、運気が下がっている等へ関連づけていくのもありでしょう。しかしどうしても説明がつきません。納得できないのです。

考え続けるうちに、1つの言葉が浮かびました。それが「起動前夜」という感覚です。

起動前夜

何かが始まっていないわけではありません。というより多くはすでに動いています。技術も、情報も、仕組みも、かつてない速度で更新され続けています。だからこそ高度経済成長期に見られたような、外側の豊かさと内面の置き去りが反比例する感覚が、以前よりも目につきやすくなっているように感じています。

能力や努力や成長の話ではありません。もちろん誰かが遅れているという話でもありません。人が本来持っているはずの

・感じ取る力
・受け止める力
・引き取る力
・「私はどう思うか」と立ち止まる力

が、使われないままになっているのでは?

今回、4分割構成で、違和感を整理するための記録としてのブログ化を試みています。誰かを起こすためのものでも、答えを示すためのものでもありません。

私個人において今はまだ夜で、夜明けは来ていません。しかし確かに空の色は変わり始めています。まさに人間の起動前夜。

そう感じたところから、この整理が始まりました。もしこの感覚を、あなたと分かち合えるなら幸いです。

#人生
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#セッション
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#龍
#運気

土の匂いが促すもの〜外舘美奈さん物語20

定休日の非日常

定休日の朝。東京駅。昨晩、スタッフに最低限の伝言だけ残した。任せる、というより——任せられる範囲だけを、淡々と切り分ける。

新幹線の中で、胸の奥が跳ねる。「帰る」と言った。言ってしまった。それで現実化している。だから今日は、余計な言葉を増やさない。畑を手伝う。それだけ。

電車の窓に、自分の横顔が映る。昔の顔じゃない。なのに、昔よりも逃げ腰な自分がいる気がして、腹の底が無性にざわつく。

お迎え

改札を出ると、父が先に立っていた。背は少し縮んだ。けれど、立ち方は変わらない。

「・・・来たな。面影はちゃんと残ってるな。すぐに分かったよ」

「うん。畑、どこから?」

父は、言いかけて止めた。
「・・・手、洗ってからにしろ。朝露がまだ残ってる」

車の中は、必要な会話だけが続いた。畑の段取り。腰の調子。最近の天気。母の話題は、出ない。出さない。——出る前に、父の方が話題を切り替える。

家が見えた瞬間、胸の奥が少しだけ冷えた。冷えたというより、熱が一段落ちた。火を弱める前の、あの感じ。

土の匂い

土の匂いが促すもの〜外舘美奈さん物語20

畑に出ると、土の匂いが先に来た。懐かしい、ではない。正しい匂いだと思った。理屈じゃなく。土の匂いが、考える前に膝を折らせる。

母は、すでに端で草を抜いている。背中しか見えない。あの背中は、ずっと記憶の中で固まっていたが、今日は動いている。

「・・・遅い」

声が飛んできて、私は手袋を受け取った。謝りもしない。言い訳もしない。かわりに、畝に膝をついた。

草を抜く。土をほぐす。根を切らないよう、ゆっくり引く。作業は単純だ。単純なのに、呼吸が整っていく。私が厨房でやっていることと、似ている。余計な確認が消えていく感じ。

母が、隣の畝へ一歩ずれた。それだけで、距離が変わった。近づいたのではない。重ならない位置が、自然に決まった。

「手、速いね」母が言った。褒めでも評価でもない。観察に近い。

「店で、こういうのもやるから」それだけ返した。

重ね煮も、特集も、封書も言わない。言った瞬間、畑が別の場所になる気がした。

台所の蓋

昼前、母が言った。「1回、上がれ。水飲め」

台所に入ると、鍋が火にかかっていた。母は迷いなく、火を弱め、蓋をした。蓋が閉じる音が、やけに響く。——母においては淡々と、日常の中で決まる音なのだろう。

湯気が、蓋の縁から薄く漏れる。自然とその温度を見ている。嗅いでいる。料理の言葉じゃないのに、分かる。幼い頃に、見ていた風景。体に沁み込んでいた記憶がよみがえって来る。

母は、お茶を置いて、私の手元をチラッと見た。爪の間の土。指先の傷。

「無理すんな。今日は帰るんだろ」

「うん。夜、店がある」

「そう」

それで終わった。会話としては短いながらに、妙に減らせないものが残った。

帰り支度の時、母が小さな瓶を差し出した。梅でも味噌でもない。干し野菜。

「持ってけ。店で使うなら、好きにしろ」

私は受け取って、頷いた。礼を言う言葉が喉まで上がったが、形にしなかった。言った瞬間、「和解の始まり」みたいな匂いが混ざるのが嫌だった。

手順だけを進めた

駅へ向かう車の中、父がハンドルを握ったまま言った。

「・・・母さんな。最近、——」

そこで、父は止めた。止めたこと自体が、情報だった。

私は窓の外を見たまま、「うん」とだけ返した。「聴く準備がある」という意味の、最小限。

改札の前で、父が言う。「また、畑。手が要る時は言う」

「うん。店の定休日なら」

電車が動き出す。もらった瓶が、膝の上で揺れる。

まだ言っていないことは山ほどある。でも、今日の私は、逃げなかった。宣言もしなかった。——手順だけを進めた。

店に戻れば、また火を入れる。けれど今夜は、包丁より先に、土の匂いが手に残っている。

温度と間が伝わる形〜外舘美奈さん物語19

完全にノーマークだったフレンチが、候補打診へ。『昔ながらの重ね煮思想が、現代の料理にどう受け継がれているか』というテーマにどう折り重なっていくのでしょうか?

翻訳事例としての成立

編集部の会議は、報告から始まった。担当は資料を置かず、結論だけを先に言った。

「候補扱い、終わりでいいと思います」誰も「どんな味だった?」とは問わない。
訊いた瞬間、話が平らになる。編集部が欲しいのは評価ではなく、次号テーマに対する「翻訳事例としての成立」だった。

編集長が一言だけ返す。「理由は?」

温度と間が伝わる形〜外舘美奈さん物語19

担当は、言葉を選ばなかった。選ぶ必要がないからだ。「思想を掲げていないのに——揃ってます。説明じゃなく、実践として。——読者が分かったつもりで終わらない、温度と間がしっかり伝わる形がイメージできました」

会議室に、短い間が落ちた。沈黙は躊躇ではない。ここで熱を入れた瞬間に、宣伝が始まってしまうからだ。

本格打診

編集長が、視線を上げずに言う。「取材依頼に切り替える。ただし、言いきらない文面で」

「言いきらない?」若手が反射的に訊いた。

編集長は顔を上げた。「確信したと言い切ると、こちらの物語になる。薄まる。こっちは、事実として手順を踏むだけ。相手が断れる余白を残す」誰かのメモをとる音だけがした。

封書の文面は決まった。熱は入れない。褒めない。煽らない。目的はただ1つ——関係を壊さずに、打診する。本格的に。

同じ夜、もう一通も用意された。地方の寄稿者宛て。外舘美智子。次号テーマの意図と、編集部が探している「看板ではない翻訳事例」について。

封筒が2つ並ぶ。担当者の1人がポツリと一言「次の一手次第なのは、たぶん相手じゃなくて、こっちです。」

会議は終わった。ここからが始まりだ。

必要な手順

私の元に、再度封書が。今度は本格的な打診。予感していたことが現実になってしまった。龍先生に相談し、着実に解放を進めてきた。実現するか未定だったにせよ、心がザワつくことを問題だと解釈しておいてよかった。

40年の隔壁を重く感じていたが、そうも言っていられない。必要な手順だけを先に進めよう。編集部には受領の一文だけ返し、何か動きが起きる前に帰省した方がいいかもしれない。今週末は店が埋まるから無理だ。帰るなら定休日。日帰りで畑を手伝うだけ——。

心を落ち着け、実家へ電話。「今度、帰る。畑、手伝うよ」
父「・・・急だな。店は?」
「大丈夫。日帰りで開店には間に合わせるから」
(奥で母が何かを落とす小さな音)
父が一瞬黙り、すぐ咳払い。「・・・分かった。駅まで迎えに行く」

#幸せ
#瞑想
#父
#畑
#フレンチ
#帰省

出せない名前〜外舘美奈さん物語18

今回は、母 外舘美智子さん。主人公ではありませんが、今回に限り美智子さん視点で書いているので、「私=美智子さん」です。

自然との調和の中に

畑の端で、最後の草を抜いた。手袋を外すと、指先に土の匂いが残る。水を一杯飲んで、台所に戻った。今朝の朝食用に、自家菜園の庭から収穫したばかり。今日は大根と人参が甘い。葉物は少しだけ苦みが立っている。季節の変わり目だ。

包丁で切り、野菜たちの層をつくる。鍋に重ね、塩をひとつまみ。火を入れる前に、いったん手を止める。重要なのはタイミング。鍋の中の食材たちに、どうして欲しいか問いかける。暮らしは、自然との調和の中にある。

朝食後、主人と散歩に出かけることを日課としている。まもなく米寿を迎えるが、100歳を超えても元気でい続けたい。だからこそ日々の活力を、自然の恵みからいただいている。無理をせずに、続けられる形で続ける。

封書の温度

ポストに入っていた封書が目に止まる。封筒は都内の出版社。季刊のコラム連載で、何度もやり取りしてきた編集部だ。台所の隅で、封を切る。紙がすべる音。

文面は丁寧で、余計な熱がない。

・先回の4ページ特集への反響が想定より大きいこと。
・次号以降の構成を検討していること。
・「思想が看板としてではなく、実践として染み出している翻訳例」を探していること。
・現時点ではまだ検討中で、編集部側でも確認を重ねていること。
・もし差し支えなければ、打ち合わせの時間をいただきたいこと。

褒め言葉や称賛はない。続けるための用件だけが、淡々と並んでいる。それが逆にありがたい。続けるための言葉は、いつもこういう形でいい。

先回に限り、コラムと追加で4ページの特集。何を書けばいいのか迷ったが、編集部の助言があって形にできた。読者目線と私の主張を噛み合わせてもらえたことに感謝している。

出せない名前

出せない名前〜外舘美奈さん物語18

手紙を読み終え、折り目に沿って畳む。その時、胸の奥が疼き出す。理由は、言葉にしたくない。しかし、分かってしまうのが本当に厄介だ。

——あの子のことは、出せない。出さないのではない。出したら、余計なものが混ざる気がする。暮らしの話が、別の話になってしまう。私が残したいのは、意味ではなく、手触りだ。温度だ。

鍋の火を見ていれば、それが分かる。火は嘘をつけない。こちらの揺れが、そのまま湯気に出る。味に直結する。

砂時計の砂が落ちきった。火を止める。湯気が上がる。鍋の中で、野菜の層がゆっくりほどけていく。

返事を書く前に、今日の味を確かめよう。焦って決めない。私にできることが何なのか——それは、頭で決めるより、舌と体で確かめた方がいい。

暮らしの中で続いてきたものは、今日も同じように、静かに続いている。

あとがき

次回も、編集長視点です。スタッフに確認させ、Goサイン。

#感謝
#収穫
#鍋
#季節の変わり目
#幸せ
#畑

残るか薄まるか〜外舘美奈さん物語17

次回の主人公予定。美奈さん愛読誌の編集長 堺歩美さん。現段階では主役でないので、「編集長」という呼称に留めます。

都内某社の会議室 残るか薄まるか〜外舘美奈さん物語17

水面下の編集室

都内某社の会議室。机の上には、反響の集計と、読者の短い声をまとめた資料が並んでいる。編集長は、ページをめくらない。めくる必要がない、という顔つき。

「・・・想定より、出てる」皆が短く息を飲む。

これは単なる成功の話ではない。次の一手を間違えたら、全部が薄まる。それだけは避けたい。その感覚だけが、全員の間に共有されていた。

反響の中心は、例の外舘美智子さん特集4ページ。江戸時代から続く暮らしの重ね煮――。毎回1ページのコラム連載しているが、地味だったはずのものが、今回は妙に刺さっている。

「料理ページなのに、生活欄から反響が来てます」
「健康系の読者層も動いてます」
「『説明されていないのに腑に落ちる』って、同じ言い回しが多いですね」

翻訳事例を探す

次号の会議で決まったテーマは——『昔ながらの重ね煮思想が、現代の料理にどう受け継がれているか』。翻訳事例を探さなければならない。

看板を掲げる人を集めても、記事が予定調和になる。編集長は言葉を選びながら、方針を置いた。「説明より、染み出している事例を拾いたい」

候補は出た。
・精進寄りで『整える食』を看板にしている料亭板前
・マクロビで陰陽を語れる料理教室講師
・薬膳・陰陽五行を前面に出す薬膳料理家
・発酵で『腸と暮らし』を謳う発酵マイスター

どれも正しい。けれど、読者が読んだ瞬間に「分かったつもり」で終わってしまう。ページが平らになる。

不発の確認

担当が、候補先を回った報告を淡々と並べる。「悪くはないです。ただ・・・記事の芯が立ちません」誰も反論できなかった。《芯が立たない》という表現があまりに的を得ているからだ。重ね煮という思想を、活きて実践する形に翻訳されている事例が欲しいのだ。「分かったつもり」では終われない。

その時、控えめな声が上がった。元番組制作に縁があるという新人スタッフ。「1つ、気になる店があります」

編集長が顔を上げる。「和食?」

「いえ。フレンチです」

会議室に、抵抗が走る。重ね煮。伝統。暮らし。フレンチは、最初から枠外だったはず。

「はい、ノーマークです。候補ですらありません。だからこそ、あげるつもりはありませんでした。ながらも何となく引っかかっているのが、当時のカメラマンのオススメです。『あそこは他と一風変わってるよ』って。どう変わってるのか、確認の価値ありませんか?」

編集長は、すぐには頷かなかった。ただ、その一言が、妙に引っかかる。

封書という打診

「どう変わっているのか、確かに興味深いわね。その方に詳しく訊けるかしら?どちらにせよ、取材依頼はまだしない。まだ何も言い切れないから」編集長は決めるというより、整えるように言った。

「最新号を一冊。参考程度の打診。それと——この一行だけ添えて」メモは短く、問いだけ。『昔ながらの重ね煮思想が、現代料理にどう受け継がれているか?』

余計な熱は入れない。確信がない時ほど、文章は無機質がいい。確信がないからこそ、封書の中身は打診だけに留める。

封筒が閉じられる。「ここで急いだら、全部が宣伝になる。残るか薄まるか――この一手は間違えられない」全員の顔が引き締まる。

「だから、先に確かめる。まずは食べてみよう。言葉は、そのあとでいい」

あとがき

次回は、事のきっかけを生み出した、母 外舘美智子さん。4ページの特集記事が予想以上に好評で、特集の続編を企画中。美智子さんは、今回の出来事をどのように受け止めているのでしょうか?


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主張せずも残るもの〜外舘美奈さん物語16

16・17・18と、ある3人の視点から書いてみます。まずは、主人公 美奈さん。

客層の変化

店の営業は、変わらず続いている。予約は埋まり、キャンセルも少ない。特別なことはしていない。メニューも、仕込みの流れも、以前と同じ。

それでも最近、1つだけ、微妙な違和感。客層が、少しずつ変わっている。

派手さはない。だが「料理が好き」というより、「何かの確認に来ている」ような人が増えた。写真を撮らず、質問も少なく、静かに食べる。帰り際も饒舌ではない。「美味しかったです」と短く言い、深く会釈して帰っていく。

評価とも、称賛とも違う。観察に近い視線。

似ている空気

仕込みの最中、スーシェフの悠太が、ふと口を開いた。「・・・前にも、こういう空気、ありましたよね」

「どの時?」包丁を動かしたまま、少しだけ眉を上げた。

「TVの人が来た時です。『プロフェッショナル』の話が来た頃」

手が、一瞬止まった。

確かにあの時も、正式な取材依頼が来る前に、同じような客が増えていた。
・名刺を出さない人
・肩書きを言わない人
それでも、厨房の動きや、皿の温度、間のとり方を、やけに見ていた。

「・・・似てる?」

「はい。取材って感じじゃない。でも、明らかに『見てる感じ』です」

私は、小さく息を吐いた。「気のせいよ」

そう言いながらも、内側では否定しきれない。

数日後、店に一通の封書が届いた。差出人は、都内の出版社名。その名前を見ただけで分かった。私が長年、季刊で読み続けている出版社だ。先日の母の特集記事で釘付けになった。料理だけでなく、暮らしや思想を扱う、そんな少し硬派な編集部より。

中身は、取材依頼ではない。丁寧な挨拶文とともに、「参考までに」と一冊の雑誌が同封されている。母・美智子がコラム連載している、あの季刊誌の最新号だ。

錯綜

主張せずも残るもの〜外舘美奈さん物語16

ただ一箇所、鉛筆で小さく記されているメモ書き。「昔ながらの重ね煮思想が、現代料理にどう受け継がれているか?」

営業後の夜の厨房。灯りを落とす前に、しばらく立ち尽くす。場は、動いているように感じる。理由は分からない。

重ね煮思想とフレンチ。あり得ないはずなのに、否定しきれない。ページをめくると、母の毎回のコラム記事の一文が目に入った。

——料理は、主張しなくても、残る時は残る。

今までの師匠たちも、同じようなことを語ってきた。その意味を、理解したつもりでいた。でも今は、《理解したつもり》では済まされない。噛みしめるほど重くのしかかってきて、息が止まり、頭が真っ白になった。

スイッチに手を伸ばす。厨房の灯りが、1つずつ消えていく。鍵をかけ、外へ出る。夜の空気は、驚くほど澄んでいた。

あとがき

次回は、主人公 美奈さんは登場しません。「封書が送られた経緯」について。美奈さんの周囲で起きている水面下を追います。

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