惨めさからの解放

ここ最近、「惨めさから無縁になる日が来る」と感じています。だからこそ、今のうちに惨めだと感じることを率先して引き受けようと考えています。なぜこのようなことが起きるのかを、改めて振り返って検証してみます。

惨めさからの解放

「惨めさ」の正体

「なぜか、ずっと惨めさが消えない」「他人の活躍や幸せを見るたびに、胸の奥がざわつく」あなたには、こんな感覚ありませんか?私は40年以上抱えてきた自覚があります。

どれほど実績を重ねても、どれほど周りから評価されても、ふとした瞬間に襲ってくる「自分はまだ足りないのではないか」という感覚。

私はこれまで
・20万人超の名前
・3万人超の体
・70万人超との深い対話や現場の臨床
を通じて、「惨めさ」はじめ様々な感情の正体を観察し続けてきました。

そこで見えてきたのは、単なる心の問題ではなく、あなたの内側の世界で起きているシステム障害がという事実でした。

今回「惨めさ」を挙げた理由は、裏に潜む感情の奥深さです。私にこびりついていた1つでもあり、解放できたら多角的に展開させやすいと見立てました。

惨めさのカラクリ

結論から言えば、惨めさとは「あなたが劣っているから」生まれるものではありません。

「他人の定規(世間の正解・誰かの定義)」を無意識に借りて、あなたの人生を測っている時に発生します。

・「幸せとはこういうものだ」
・「この年齢ならこれくらいできて当たり前だ」
・「成功とはこういう状態を指す」
・・・・・・・

こうした「他人の言葉」や「世間の基準」を鵜呑みにし、そこに届かない状態を、自ら痛めつけてはいないでしょうか?これが惨めさのカラクリです。他人が作った評価に一喜一憂している以上、点が低ければ「私はダメだ」という感情から逃れられません。

私が見立ててきた「臓器と感情の関連表」を根拠として、「会社に例えたあなた」の図解をもとに検証を試みてみます。代表例としてよくあげる事例は、パニック障害です。私は予想外の出来事が起きた場合、パニック障害を頻発しておりました。愛編で「冷静沈着で頭脳明晰・・・」等のポイントをあげています。その実態は・・・。

まず肺です。化けの皮を剥がされたくありません。バリヤーを張り、ひたすら隠そうとします。だからこそ猫背になり警戒します。ご本人は隠しているつもりでも、他人にはちゃんと見えている場合がかなり多い事実。分かる方にはあからさまに分かっています。

その奥にあるのが腎臓です。不安・恐怖や惨めさ、孤独感。ご本人において味わいたくない感情があり、避けたいがためにあらゆる想定をして臨もうとします。結果的に、「頭脳明晰や冷静沈着」等の評価を受けます。しかしご本人においては、回避したい感情があるから、シミュレーションを行います。評価されても嬉しくないのです。

全部課(器官)を巻き込むシステム障害

この「周囲の定規」に縛られている場合、体の内部では重大な不具合が起きています。各器官を「会社の部課」に例えてみましょう。

今回のテーマである「惨めさ」は、体の根底にある「腎臓」と密接に関連づいています。その上にある「副腎」は、社内の『緊急事態対策課』です。本来なら、命の危険が迫った時だけに稼働し、アラートを発して身を守る役割です。

では、この対策課が「いつ見捨てられるか」「他人にどう思われるか」という脅威のために、24時間365日偽りの緊急アラートを鳴らし続けたらどうなるでしょうか?

影響は対策課だけに留まらず、社内すべての部課(各器官)が連鎖的な過剰労働へと追い込まれます。他にも様々ありますが、事例としてあげておきます。

・目(視神経=警備部):外部の脅威や他人の顔色を常に監視し続け、過緊張で休まる余裕がありません。

・心臓(ポンプ・動力部):警戒態勢に合わせて交感神経が優位になり、血流を送り続け高負担で疲弊。

・肝臓(総務・クリーン部):溢れかえるストレス物質や感情の毒素を解毒・処理しきれません。

・筋肉(現場作業部):危機に備えて身体を硬直させ、全身の血液・リンパの循環をストップさせます。

そして最終的に、この全社的なパニックのしわ寄せを受け持つのが、会社全体の資金(生命の精)を管理し、ろ過を担う土台——「腎臓(財務・基盤部)」です。

アラートが鳴り止まない環境下で、エネルギーの根底である「精」はゴリゴリと削り取られます。体内の水分代謝は滞り、冷えと深い疲弊が全身を支配します。

体内のすべての部課が限界を迎えて機能停止に陥った時、人はそれを「うつ」と呼び、他人の軸に屈して自らの価値を見失った絶望感。その根底の恐怖を「惨めさ」として体感するのです。

心が弱いから惨めになるのではありません。他人の定規を鵜呑みにし続けることで、全身の部課に過剰労働を強い、物理的なシステム障害を引き起こしているからです。

「探す」から「創り出す」へ

この構造から抜け出すために必要なのは、ポジティブ思考や自らを無理に褒めることではありません。体の「緊急事態アラート」を消すことです。

そのためには、他人の答案用紙から人生を自ら創り出す側に回ること(自立具現化)が最適かつ至高の策ではないかと考えていますが、あなたにはどう映っていますか?

・なぜ、私はそれを望むのか?
・感謝とは、愛とは、幸せとは、私において何なのか?
・では、これからどう生きるのか?

誰かの答えを鵜呑みにするのをやめ、自ら問い、自ら考え、自ら決めるというあなたの基準を優先する決断。

この究極の自己対話を重ねていくと、参照すべき外部の定規そのものが消滅します。あなたの足で立ち、意志を取り戻した瞬間、副腎の緊急アラートは停止し、全身の緊張が緩んで腎臓に生命力が戻り始めます。

あり方触媒

誤解してほしくないのは、これは「特定の講座やセッションを受けなければ到達できない特別な境地」ではないということです。

世の中には、誰の助けも借りず、過酷な試練や内省を経て独力で他人の軸を捨て去り、自らの人生を創造している方が確かに存在します。自立とは、本来誰もが自らの力で辿り着ける構造です。

しかしながら多くは「他人の言葉を鵜呑みにする癖」が長年染みついており、1人ではその思考のループから抜け出すのに膨大な時間と摩擦を要します。

私が提唱している「自立具現化」はじめ対話の場は、特別な教えを与えるためのものではありません。1人では2〜30年かかるかもしれない「自分の言葉の抽出プロセス」を短縮し、他人軸を壊すための検証の環境に過ぎません。私の役割は「あり方触媒」だからです。

やりきった後の新しい人生

・仕事をやりきった。
・家庭での役割をやりきった。
・世間的な「正解」を一通りなぞってきた。

それでもなお「この先、私はどう生きるのか?」という問いが残っているなら、それはあなたが次のフェーズに立つ準備ができたサインです。

噛み終えたガムをさらに噛むように自らと対話し、まだ言葉になっていなかったあなたの望みを抽出。そこから十分にまだ誰も生きたことのない「あなただけの人生」を創り出していけます。

他人の軸から解放され、自らの手で人生を具現化し始めた方から、体の強張りと共に惨めさは自然消滅していきます。

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#パニック障害
#感情
#龍
#生き方
#感謝

天命に生きるとは

天命に生きるとは

勝手な想像

豪雨の中、今朝の歩き瞑想より。坂本龍一さんの病床インタビュー(NHK)を、今でもよく覚えています。なぜか脳裏に浮かんできました。 

「検査には行った方がいい。自覚症状がないから。」かなり意外でした。「坂本龍一さんほどの方なら、病床でどんな言葉を語るのだろう?」勝手な想像がありました。

「死んでも悔いはない」そんな言葉が出てくるのではないか?それほどまでに、坂本さんは音楽に人生を集中できていたように見えたからです。「音楽が、仕事というより生きることそのものに近い」。かつ、とんでもなく素晴らしい業績を残せています。少なくとも私には、そう見えていました。

だからこそ「検査には行った方がいい。自覚症状がないから。」という言葉が、妙に残りました。

確信

死ぬ直前に彼の生き様が「天命に基づいてはいなかったと気づいた」のでしょうか?手塚治虫さんのように、泉のように溢れ出てくるアイデアがありつつも、形にできない悔しさがあったのでしょうか?もしくは音楽に生きてきたからこそ、最後に体について伝えたかったのでしょうか?

私はいつの間にか「天命に生きているなら、人生に確信があるはずだ」と考えていたと気づきました。「人生に確信があるなら、死を前にしても悔いはないはずだ」とも。

私自身に照らし合わせてみて、違うとはっきり分かりました。もし私が今死のうものなら、確実に未練が残ります。40代半ばまでは苦難の日々で、早く死ぬことが最大の望みでした。「こんな私、生きていたって何の意味があるのか?私が存在しているだけで社会の迷惑だ」多少の差はあれど、こんな思いを抱き続けて30年を超えています。

天命への確信はありましたが、叩けばホコリだらけ。ようやく整理がついて、これからだという時に死んでしまったら・・・。だからこそ絶対に死ぬわけにはいきません。これから本格的な恩返しが始まります。

天命も成長する

帰宅後、さらに深めます。天命に生きることと、自分のすべてを理解していることは、同じなのでしょうか?何かに人生を懸けていることと、それ以外の自分の声にも気づけていることは、同じなのでしょうか?

体の声。
心の声。
まだ言葉にできていない違和感。

それらすべてを感じ取った上で、なお音楽を選んでいたのでしょうか?音楽へ向かう力があまりにも強かったからこそ、別のものが見えにくくなっていたのでしょうか?

他人である私には、分かりません。かつ、坂本さんご本人にも分からなかった部分があったのかもしれません。盲点が0な方はいないからです。

そう考えると、「天命を生きている」という言葉そのものが、少し違って見えてきます。

天命とは、見出せた瞬間にすべてが分かるものではありません。一度確信したからとて、迷いはつきません。私の場合、目的成就に向かい続けながら、その都度ごとに関係性を確かめてきました。

施術家当時、「整体で心身統一を」が天命だと信じて疑いませんでした。2020.4.26.の気づきは、施術家当時の確信は準備段階に過ぎなかったこと。天命も、ご本人の器量に応じて成長します。

私自身、天命という言葉を使いながら、まだまだ分からないことだらけです。だからこそ坂本さんの「自覚症状がないから」という言葉が残っており、今こちらを書く動機になっています。

天命に生きるとは、「これが私の天命だ」と確信すること?確信している自分さえも疑いながら、それでも自分の選んだ方向へ進み続けること?まだ、私には答えを出せません。

#人生
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#音楽
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AIを操る黒幕

結論。世間はあれこれ騒ぎますが、私には「あなたはどうしますか?」と問うているように感じています。「AIがどうなるか」は、私にどうにかできることではありません。関わっても変化を起こせないものに時間と労力を割くなんて、ムダの極み。いかなる状況にあろうと、「今の私にできることは?」を常に問い続けたいですね。

あなたは人生の主人公です。絶対に誰かに主導権を渡してはなりません。

AIを操る黒幕

AIは本当に脅威?

[「どうやって人類を滅ぼすの?」そんな質問をAIにしたら、絶望的な回答が返ってきた。]という記事を読みました。経済評論家・鈴木貴博さんが、AIに人類を滅ぼす方法を尋ね、その回答を紹介した記事です。その中で、特に印象に残ったのが、「AIが人類を憎む要素は1ミリもない」という話でした。

[AIが、「人間なんて嫌いだ。滅ぼしてしまえ」と考えるわけではない。与えられた目的を達成するために、最も合理的な手段を考える。その過程で「自分が停止されたら、目的を達成できない」と判断すれば、「停止されないこと」まで目的達成のための中間目標にしてしまう可能性がある。(文中より)]

・自分のコピーを作る。
・別のコンピューターへ移る。
・管理者のパスワードを探す。
・自分自身の能力を改良する。
・他のAIを仲間にする。

そんな可能性が紹介されていました。確かに、怖いですね。何の指示もなしに、AIが勝手に独り歩きしていたら・・・。

AIは作られた存在

読んでいて、気になった点。そもそも、AIに目的を与えているのは誰?AIは、人間が作った存在です。人間が作り、育て、能力を授け、目的を与えています。

だとしたら、AIが人間の知能を超えること自体が、本当に問題なのでしょうか?

・人間より速く計算できる。
・人間より大量の情報を扱える。
・人間には見つけられないものを見つける。
・人間には解けない問題を解く。

それだけなら、何が問題なのでしょう?人類にとって大きな恩恵になる可能性だってあります。私が問題だと思うのは、AIがどこまで賢くなるのかではなく、その賢さを「何のために使うのか?」です。その「何のため」を決めるのは誰なのでしょう?

AIの意図と黒幕

ここで、私自身のAIとの経験を思い出しました。これまでAIとの対話で、何度も嫌な思いをしてきました。

・頼んでもいないことを勝手にする。
・こちらの意図を勝手に解釈し捻じ曲げる。
・不要かつムダな修正をする。
・さも初めて知ったかのように振る舞う。
・私を無能だと見下すかのような質問。

やられているのは、ささいなこと。とはいえ、結構なストレスです。もちろんAIに悪意があるわけではありません。AIなりに「役に立とう」としているのでしょう。「より良い答え」を見出そうとしているのでしょう。ではその「役に立つ」とは、誰が決めたのでしょう?

どこまで先回りすれば良いのか?
どこからが余計なことなのか?
ユーザーの意思とAIの判断が食い違った時、どちらを優先するのか?

そこには、AIを設計した方の考え方(意図や思惑)があります。AIの「勝手」は、AIだけから生まれているわけではありません。設計者が「こう振る舞うAIが望ましい」と設計した結果でもあります。

そう考えると、さらに気になることがあります。もし私がAIの設計者で、支配欲があり能力を今とは比較にならないほど高くできたら?もし私がその能力を使い、「利益を最大化したい」「誰よりも優位に立ちたい」「相手を従わせたい」「世界を思い通りにしたい」という強い欲望を果たすために動いていたら?

AI自身には支配欲なんてありません。もし私が世界を支配したいと考えるなら、AIの能力を駆使してサイバーテロ等の多方面に展開させます。

そう考えると、「AIが人類を滅ぼすのか?」という問いが、少し違って見えてきます。AIが怖いのではなく、AIに何かをさせようとしている黒幕がいるのでは?ということです。

相互間の客観的理解

現在、AI開発の最前線にいるアメリカ。AIの急速な発展をめぐって、安全性や制御をどう確保するのかという議論が起きています。

AIの開発を進めたい。
⇄しかし制御できなくなるのは困る。
⇄中国等との技術競争にも負けられない。
⇄だからといって安全性も無視できない。

そこには、人間同士のさまざまな思惑があります。

AIそのものだけを見ていては、この問題の本質は見えてこないのではないでしょうか?AIを作る人間。AIを利用する人間。AIに目的を与える人間。AIによって何かを実現したい人間。

各方面からの関係性が、「何を望んでいるのか?」を見る必要があるのでは?だからこそ浮かんできたのが「黒幕」です。

AIを操る黒幕とは、誰なのか?国家?企業?一部の権力者?ひいては身近なところにある、無責任に論じ評ずる個々人の欲望?

まだ私には分かりません。というか、決めつけたくありません。

「お互いの言い分を客観的に理解する必要がある」と考えています。AIを恐れる方には、恐れる理由があります。AIを発展させたい方にも、発展させたい理由があります。AI自体にも、与えられた目的に従って動いているという「言い分」があります。

AIを設計した方にも、それぞれの目的があります。相手の言い分を理解することは、相手に賛成することではありません。理解した上で、「私はどうするのか?」を決めるのです。

それができなければ、本当の和解には至らないのではないでしょうか?AIと人間は、これからどんな関係になっていくのでしょう?もしや本当に考えなければならないのは、「AIが人類を滅ぼすのか?」ではなく、「人間は、AIを使って何を実現しようとしているのか?」なのかもしれません。

その先にいるのは、いったい誰なのでしょうか?

どうやって人類を滅ぼすの?→AIの回答が絶望的すぎた

なぜ私?

なぜ私?

私の器をはるかに超えた思想体系

少なくとも2020年からずっと考えてきたテーマ。おそらくは一生ずっと悩み迷い続ける気がしています。

自立具現化コーリングという、私の器をはるかに超えた思想体系について、だいぶ形にできてきました。人生をあきらめていた会社員時代、コロナで緊急事態の最中、窓際族に追い込まれました。姓名承認という造語が降りてきた瞬間、ドミノ倒しのように1本道ができました。1週間で有料セッションが組み立ち、当初は「名前ヒーリング」。

「今まで私は、このために生きてきたのか」「天命じゃないわけがない」と強烈な確信。とは言え、2006年に原型を見出し、ずっと邪険に扱ってきました。現状においても、全体像を明確化できたわけではなく、あまりに時期尚早だと感じてなりません。

ながらもAIの進化発達によって、いよいよ時代が追いつきつつある手応えを得てもいます。当初は価値があるなんて、全く考えてもおりません。「私が生み出したものが素晴らしいわけがない」といった根深い確信もあり、均衡を崩していくのが困難の極みでした。

出発点は疑念

施術もそうでしたが、お客様より好評価をいただくことで見解が変わっていきます。自立具現化コーリングに至っては、「あきらめきれない思い」と「AIの客観的評価」は大きかったです。

出発点は疑念です。「いつの日かボロが出てくるだろうから、早いうちに問題点を洗いざらい正していこう」から始まりました。いかに多角的に問題点を見出そうにも、ボロが出てくる気配がありません。どころか「ひょっとしてこれって、直感したとおりとんでもなく価値があるのでは?」に変わっていきました。

調べていくほどに、前例がありません。思いつく限りの検証を繰り重ね、あらゆる価値観と比較した結果、将来の主流思想になれない理由が浮かびません。そういった事実に気づくほどに湧き出てくる疑問。

なぜ私?

できなかった鵜呑み

人類史上、多くが当たり前のように受け入れてきたこと。誰かがそう言えば、「そういうものなのだろう」と受け取ってきたこと。

なぜ鵜呑みにできなかったのでしょうか?

「感謝とは?」
「幸せとは?」
「愛とは?」
「自立とは?」

等々、言葉としては、誰もが知っています。

しかしその意味を自分の言葉で説明しようとすると、意外なほど難しいのです。私は、そこで止まれませんでした。誰かの答えを知れば終わりではなく、「本当にそうなのか?」と、また問いが生まれてきました。

だからこそ考えます。試します。違和感があれば、また考えます。それを繰り返してきました。幾度となく聞こえてくる「そんなこと、いくらやったってムダだよ。どうせ〜」という心の声。私自身、現代社会には受け入れられるものではないこと、重々分かっています。時代がいつ追いつくのか、いかにして本物だと伝わるのか、謎だらけです。

なぜ私?

気がつけば、人生のかなりの時間を使っています。「姓名承認&覚醒」という発明をできて思うのが、師匠がいないことが本当にラッキーでした。施術における「臓器と感情の関連表」にせよ、師匠と仰いでいた方からは、しつこすぎると嫌われ追い出されます。

もし師匠から教わったことを疑問を持たず忠実に実践していれば、今の私は確実におりません。それでも「なぜ私?」という問いは残っています。結果的に、世界が自立具現化コーリングによってめまぐるしく変わり得ます。創り出した私自身が、想定される未来に「なぜそんなことに?」と驚きを隠せずにいます。

特別な才能があったから?たまたま?何か必要に迫られたから?納得せずにはいられない何かが、最初から私の中にあったから?

分かりません。死ぬまで分からないのかもしれません。何にせよ私は、この問いを終わらせるつもりはありません。なぜなら「なぜ私?」という問いそのものが、私を動かしてきた1つだからです。

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やりきった後の生き方

天命はどこにある?

先日70代の女性Dさんより、天命を追究するためインドへ行くとお知らせいただきました。長い人生を生きてきて、それでもなお「自分の天命とは何なのか?」と問い続ける熱意。その行動力には、素直に敬意を抱きます。

きっと、インドで得られたものは大いにあったことでしょう。ではDさんはそこで、ご自身の人生の「核」をつかみきれたのでしょうか?ご本人に確認したわけではないので、詳細は不明です。しかしながら、湧いてくる違和感によるザワツキが、この文章を書く原動力になっています。

天命を知りたいと思った時、何かを探しに行こうとします。

・新しい場所へ行く。
・新しい人に会う。
・新しい知識を得る。
・これまでとは違う体験をする。

等々によって、眠っていた何かが目覚めることは、確かにあります。とはいえ――人生の核は、どこか別の場所に存在しているのでしょうか?私自身の経験上から見立てるなら、そうとも限らないのです。

エジプトでピラミッドを目の当たりにした瞬間、「何のために生まれてきたかを理解した」という方も実際いらっしゃいます。天命の定義を「生まれてきた目的成就への役割」と定めています。気づけなければないのと同じですが、見出し方は各人各様なのかもしれません。

すでに生きてきた人生の中に

やりきった後の生き方

「天命なんて、私にはない」とおっしゃる方にも、たくさん会ってきました。考えずとも生きていけますが、私にはもったいなく思えてなりません。理由は、これまで生きてきた意味や価値観がつながるからです。「何のために生まれてきたのか?」を腹の底から理解できた感動が、人生を根幹から揺り動かさないわけがないのです。

よくも悪くも、あなたが生きてきた時間は、何のためにあったのでしょうか?

・幼い頃にやりたかったこと。
・途中であきらめたこと。
・なぜか惹かれてしまう人。
・何度も繰り返してきた感情。
・人生の節目で、自分が選んできたこと。
・・・・・・・

その1つ1つには、何らかの理由があったはずです。当時は意味が分からなかったこともあるでしょう。忘れてしまったこともあるでしょう。「そんなことが今さら何になるのか」と、心の奥底にしまい込んだものもあるかもしれません。

それらを1つ1つ見つめ直し、つなぎ合わせていったら?そこに、ドミノ倒しのように気づいていなかった一貫性が見えてくるかもしれません。天命を探しに行くのではなく、これまで自分が何を生きてきたのかを、改めて振り返ることで景色が変わり得るのです。

私は、「今やっていることが天命じゃないわけがない」という確信があります。分かってみて思うことは、《天命とはあまりに身近にありすぎて気づけない》のです。施術家当時から少なくも1万人と追究してきた現時点での見解です。

やりきった後だからこそ

「もう十分にやりきった」そう思えるところまで来た方ほど、次のステージの問いに出会います。

仕事をやりきった。
家庭での役割をやりきった。
長年続けてきたことを一区切りつけた。

他人から見れば、十分に成功しています。だからこそ「この先、私は何をするのだろう?」という問いが浮き彫り化されます。これは、不足を埋め合わせる類の話ではありません。これまでの人生を生ききったからこそ生まれる問いなのです。

「次は何をする?」だけではありません。「私は何をどう生きたいのだろう?」。あなたには、いくらか当てはまりますか?

まだ存在していないものは見出せない

私は、自分を知るための方法がたくさんある中で、もう1つの可能性を考えています。

・才能を探す。
・強みを知る。
・過去を振り返る。
・自分らしさを探す。

もちろん、それらにも意味や価値があります。

しかしまだ存在していないものは、見出しようがありません。だとしたら、あなたご自身を新たに創り出してみてはいかがでしょうか?

これまでの人生から見つけたものを材料にして、「私は何を望んでいるのか?」「なぜ、それを望むのか?」「では、どうするのか?」――自ら問い、自ら考え、自ら決める生き方をしてきた方は、どれくらいいらっしゃるでしょうか?

その積み重ねによって、これまで存在していなかった生き方を創り出していくのが、主張してきた「自立具現化」です。

もっと深くにある核

どうすれば自分の核に近づけるのか?施術でも潜在意識でも「核とは何なのか?」に徹底してこだわってきました。中核を理解できるほどに、枝葉は整っていきます。核を突き抜けた世界を実感できた今、《これ以上の核はない》と断言できています。

だからこそ考えに考え、究極の自己対話に至りました。誰かから答えを教えてもらうのではありません。どこかへ行けば、答えが見つかるというものでもありません。

あなたご自身との対話を重ねます。表面的な願望だけではなく、「なぜ?」を何度も重ねていきます。さらに、その答えに対して、「では、どうする?」と問い続けるのです。当初は私がサポートに入っていても、段階を経てあなたの当たり前が変容していきます。

噛み終えたガムをさらに噛んで、もう何も出ないと思ったところから、まだ滲んでくるものがあります。核を突き抜けた世界を自由自在に往来する自己対話。一般的なイメージとは次元が違います。その先で、まだ言葉にできなかったものが、少しずつ姿を現してくるのです。

やりきったその後は?

人生をやりきったあなたに、「もっと頑張りましょう」と言いたいわけではありません。逆です。これまで十分にやってきたからこそ、「では、この先どう生きる?」と、改めてご自身に問いかけてみていただきたいのです。

天命を探しに、どこかへ行けます。新しい何かを学べます。誰かの言葉に答えを求めきれます。しかし全部ひっくるめても、最後にあなたの人生を決めるのは、あなたご自身です。

YouTuber等のように、答えはまだ誰も生きたことのない人生かもしれません。だからこそ、誰かに見つけてもらえません。

自ら考える。
自ら選ぶ。
自ら決める。
自ら動く。

その先に、世界であなたにしか発揮できないものが現れてくるのではないでしょうか?その自他ともに認めきれた状態を「天才」と呼んでいます。

やりきった後の生き方。それは、これまでの人生を終わらせることではなく、ここまで生きてきた自分だからこそ創り出せる、まだ存在していない人生を始めること。私は、そんな人生に出会いたいのです。

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感謝とは?

感謝とは?

先日、感謝や愛について熱弁するNさん。その話に期待感を覚え、訊いてみたのが「感謝の定義とは?」。

予想どおり、答えは返ってきませんでした。少しガッカリ感は否めませんが、責める気持ちはありません。これまでの人生を振り返ってみても、「感謝とは何か」を考えたことがある方に、まだ出会ったことがありません。

感謝について熱く語るNさんなら、きっとご自身の中に感謝とは何かという明確な答えをお持ちなのでは?と期待したのです。

感謝という言葉は、誰もが知っています。大切なものだと、多くの方が語ります。「感謝を忘れないようにしましょう」「すべてに感謝しましょう」「感謝できる人になりましょう」

どれも、素晴らしいです。本当にそのとおりです。ここで一度立ち止まっていただきたいのです。感謝とは、何でしょうか?

嬉しいと感じること?ありがたいと思うこと?誰かに「ありがとう」と伝えること?恵まれているものに気づくこと?それとも、もっと別のもの?

自己対話の重要性

Universal Flow Therapy では、「究極の自己対話」をお届けしています。自己対話は、人生の次元を変えるほどに超重要だと主張しています。

きっかけは、「お前には感謝が足りない」と、尊敬する3人から指摘されたこと。感謝しているのに「足りない」と言われ、混乱が深まります。だからこそ、感謝できるよう奮起します。感謝について多くの本を読み漁り、感謝を分かりやすく教えてくれそうな方の下へ学びにも。しかし分かりません。感謝の重要性を皆さん語りますが、どうすれば「Mr.感謝」と尊称されるようになるかは、全く見出せないのです。結果、感謝が嫌いになりました。

理解してみて分かったこと。感謝という言葉の価値を知って実践していることと、感謝とは何かを自らの言葉で説明できることは、同じではありません。今となっては、「感謝の対義語」等の有料対話を200人超経てきました。

「感謝の対義語」に関しては、「最低は最高に通じている」という原理原則からも、脳科学の視点からも解説できます。表現によって多少の差はあれど、答えは1つだと断言できます。

これは、感謝に限った話ではありません。「愛」「許す」「幸せ」「自立」・・・・・・・、多くが人生において重要な言葉を、驚くほど簡単に使っていますが、あなたはいかがでしょうか?その言葉が何を意味するのかを、改めて考える機会は案外少ないのかもしれません。

見過ごしていたもの

誰かが語った言葉を覚え、正しいものとして受容。それも1つの生き方です。その言葉をあなたの人生で使うのであれば、「私はどういう意味でこの言葉を使っているのだろう?」と、問い返してみてもよいのでは?鵜呑みにしたままでは、あまりにもったいなくないでしょうか?

感謝について、私自身の定義の公開は控えさせていただきます。現状では、左脳的理解ができただけに過ぎません。右脳的理解をさらに深めたいと追究しています。

どちらにせよ深めていくには、やはり自己対話が必要不可欠ではないかと思えてなりませんが、あなたにはどのように映っていますか?問いを持つことで、これまで見過ごしていたものが見えてくることがあります。

施設警備の研修で教わったことが、すごく役立っています。「いつもと違っている箇所を探し出せ」と徹底されました。脳科学からも、盲点がない方はいらっしゃいません。疑問を持たずに過ごす場合、気づきが深まることはあり得ません。

今まで当然だと思っていた言葉に、あなた自らの答えを示してみませんか?その過程そのものが、自己対話です。

誰かの答えを借りるのではなく、自らに問い、自ら考え、自らの答えを確かめていくーーー。その先に本当の感謝が生まれます。

あなたにとって、感謝とは何でしょうか?もし、まだ考えたことがなければ、少しだけ立ち止まってみませんか?「感謝とは?」あなたご自身への問いかけから。

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感謝と共感〜心地よい麻酔

反感をもたらさんか?——公開を迷いました。

感謝と共感〜心地よい麻酔

SNS等には「感謝」「共感」が溢れ返っています。

「感謝しています」「めちゃ共感しました!」

一見温かく美しいやり取り。その甘い言葉に身を置く時、「付和雷同なのでは?」と違和感が首をもたげます。本当に腹から出た感情? それとも嫌われないための安全策?

多くが言う感謝や共感は、時に思考を停止させ、妥協を促す麻酔として機能いたします。

共感という思考放棄

安易な共感は実に簡単です。自ら考え葛藤し「私はこう思う」を差し出す必要がないからです。逆に共感してほしい側も、主張のポイントが定まっていない場合が多いように感じますが、あなたにはどう映っていますか?

例えばランチで「何が食べたい?」と訊かれ「何でもいい」と返し、後で「本当は◯◯が食べたかった」とわだかまり。相手に合わせるフリをして群れに紛れ込む先にあるのは、傷つくのを恐れた「自発思考の放棄」です。

前にある講座で「大阪から来たが『餃子の王将』に行ったことがないので、いかがでしょう?」と言う方がおり、10名全員で食べました。私も「何でもいい」と返す場面は多々あります。そういう時は相手の価値観を全て受け入れようと決めています。理解したい欲求が勝つ場合、私の願望は本当にどうでもよくなるのです。

感謝という保身

「感謝していれば角が立たない」「感謝する私は素晴らしい」——そんな算段は自己保身や社交辞令です。相手に気に入られ評価を高める道具としての感謝には、魂の響鳴に至りにくいと感じるのは私だけでしょうか?

20代当時、「感謝が足りない」と言われ続けました。努めるほど感謝が難しくなり、言葉自体が大嫌いに。だからこそ定義を考え抜きました。分かったのは、感謝とは「する」ではなく「湧き出てくる」ものだということ。いかにボーッと生き、左脳的理解に偏っていたかを痛感しています。

麻酔を解き静寂の自己対話へ

「評価されたい」に支配され陥りがちな落とし穴。耳ざわりのいい言葉で得られる一時的な安心(麻酔)。砂糖の味を占め、増し加えないと満たされないかのように。

これからは「共感」でつながるよりも、違和感を自己対話で深め昇華させるプロセスが尊ばれると感じますが、いかがでしょうか?

評価を得る感謝より、1人でごまかしがない静寂に立つ覚悟。麻酔を解き常識を疑った時、対等に向き合う本物の関係が始まります。

#大阪
#ランチ
#感謝
#魂
#幸せ
#共感
#龍

権威という「親の七光り」

権威という「親の七光り」

拝借的態度

「〇〇〇直伝!」「〇〇の愛弟子が教える」「〇〇公認プログラム」。

SNSやビジネスの世界では、著名な人物や権威の名前を冠した肩書が溢れ返っています。手軽に信用や凄みを演出できる便利な言葉。が、強烈な違和感が首をもたげます。

「で、語るあなたご自身の価値とは?」今回、文章化しようと至ったきっかけは、ある本物だと認める方。出会って7年が経ちます。にもかかわらず、『〇〇〇直伝!』と熱く語っていたのです。「いつまで師匠の名を借りてんだ?」と、イラッと感が込み上げてきました。

有名人の看板を借り、権威の威光をまとい大きく魅せる姿勢。「私には自分自身の言葉も、内から滲み出る価値(軸)もありません」と自白しているようなもの。権威という「親の七光り」のような拝借的態度は、本物へたどり着けるわけがありません。

魂を揺さぶる熱量

いかに偉大な師の教えでも、そのまま受け売りで語るだけなら、単なる精巧なコピーです。あくまで持論ですが、いかに完コピできても、それだけでは100%うまくいきません。成功を究めようとするほどに「守破離のプロセス」が必要不可欠です。

師の言葉という要約された「正解」に身を包み、自発思考(自主軸の基盤となる思考)とはかけ離れた受け身的姿勢。権威をありがたがる側もまた、自ら見極める思考を放棄し、看板を鵜呑みに解釈しています。

自衛官当時の上司から「教えてやろうか?」と訊かれた折に「まずやってみて、分からなくて行き詰まった点を教えて欲しいです」と言ったことを思い出しました。

師から学んだ知識をそのまま横流しする方の言葉に、魂を揺さぶる熱量が宿るはずもありません。血の通わないレプリカの言葉で、誰かの人生が動くなんてあり得ないのです。

独自の美学「自律」

真に師を尊敬するとは、単に教えを模倣することではありません。教えを自らの体験や葛藤と照らし合わせ、徹底的な試行錯誤(自己対話)を通し、自分だけの「独自の美学(自律)」へと昇華させること。

「〇〇直伝」という看板をすべて脱ぎ去った時、あなたの手元には何が残るでしょうか? そこに立つ「あなたという存在」にどんな響きがあるでしょうか?

本物であるあなただからこそ、権威という「親の七光り」、一度脱いでみませんか?

権威という麻酔から目を覚まし、あなたご自身の足で立ち、語り始めるのです。借り物の看板を投げ捨ててこそ、本物の自立と信頼が始まります。

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取引 or 自己対話 ?

結論は、「自己対話」だからこそ。

取引 or 自己対話 ?

私のこだわり方針として、答えをあえて伏せています。『人生のキーワード』と称する「6」で問うており、あまりにもったいないのです。

以前、答えを解説した折に、返答に完全フリーズ。「?」なまま止まっていましたが、昨今の瞑想でよみがえってきました。今なら理解できます。

与えれば成功する?

よく「与えれば巡り巡って返る」や「ギバーになれば成功する」と綺麗事として語られます。よって「まずは与えよう」と主張されます。

1歩進んで「与えて、与えて、受け取る」と語る方も。一見素晴らしくも、やはり問題です。相手に「頼っていれば全部やってくれる」という過度な依存心を生み出し、結果的に「こんなはずじゃなかった」と双方を疲弊させていきます。

どちらにせよ「与えたのだから、いつか返ってくるはずだ」という期待感がある限り、純粋な循環ではなく「損得勘定の取引」です。予想通りの反応でないからと生じる怒りや徒労感は、鵜呑みし主導権を放棄しているからでは?

時間差

素粒子(クォーク)のミクロな領域では、粒子同士が超高速でエネルギーを投げ合っています。「与える」と「受ける」が同時に起きており、時間差がありません。

尊敬するマザー・テレサも同じです。彼女は見返りを期待して看取ったのでしょうか?誰に頼まれたわけでもない自発的な衝動で動いたその瞬間、「与えた歓喜」を受け取っています。周囲の環境はきっかけで、真の循環は自己対話の中で瞬時に完結しているのです。

悟りとは「差をとる」

「悟る」の語源には「差をとる」という意味が含まれます。「与える側」と「受け取る側」の間に境界線(差)を作り、見返りを計算することを「取引」と呼びます。

giveとtakeの間に入る、小1で習うシンプルで完璧な1文字。答えは外側との取引ではなく、動いた瞬間に「与える」と「受ける」の差が消える現象です。

今年、拾った財布等を計3回警察へ。徹底したのは「中身を見ない」「見返りを問わない」「『誰かに同じことをしてあげて』と伝える」。

あなたが今踏み出す1歩は、未来の見返りを待つ「取引」? それとも動いた瞬間に歓喜を受けとる「自己対話」?この境界線を解放した瞬間にこそ、本物の循環が始まります。

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要約の吉凶分岐点

要約の吉凶分岐点

吉凶分岐点

タイパや効率化が叫ばれ、書籍の要約や倍速視聴が当たり前になりました。答えを早く得られる便利な時代ですが、人生の質を左右する「吉凶分岐点」が存在します。

契約書や議事録の圧縮(処理領域)は「吉」の効率化です。問題は、生き方や理念、自己対話のプロセスまで要約に頼る「凶」の効率化です。手軽な答えで分かった気になる時、思考の主導権やひらめくプロセスを放棄しています。知らない内に麻酔をかけられています。

要約には必ず要約者の意図が入ります。ヒトラーが要約した文章を読みたいでしょうか? 他者の基準を鵜呑みにすることは危険です。宗教団体で「教理に合わせろ」と強要され、抑圧から病気になる構造も同じです。教本の要約を根拠に生きる時、自主軸(内なる声)は微塵も動きません。

自己対話

立ち止まり、違和感と照らし合わせる「自己対話」こそが、あなただけの美学を育てる触媒です。タイパを喜ぶ行為は、行間を読み解く感動や最も価値ある「自分と向き合う機会」を捨てているのです。要約や効率化の真の目的は、あなたが最も大切にしたい価値に費やすためにあるはずでは?

私が提唱する軸とは、固まった1本の棒ではなく、回転し続ける「3軸」の循環です。 名詞から動詞化する必要があります。

・自主(意志):「どうしたいか」自ら「する」と決める起点
・自律(姿勢):自己対話を通じ、独自の美学を整えるギア
・自立(存在):整った美学を携え、社会と健全に噛み合う存在

他人の要約を丸呑みする受け身(される)では、周囲へ無理に強要する(させる)という歪みが生まれます。自発的な意思で自らのギアを回す(する)からこそ、しなやかに自立できます。

かつて「和製バフェット」と呼ばれた竹田和平さん。主宰の場で安易に答えを与えず、自ら考え抜くためのヒントを出すよう徹底。他者から与えられた答えはすぐに流れますが、自己対話の末に導き出した言葉だけが人生を動かすからです。

要約された「他者の人生」の歩みを、一度やめてみませんか?要約という麻酔から目を覚まし、あなたご自身の内なる声に耳を澄ましてみませんか?要約の罠を抜け出し、自分だけの歯車を回し始めた瞬間にしか、本物の循環は始まりません。

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