伝統を読み解く〜外舘美奈さん物語22

伝統を読み解く〜外舘美奈さん物語22

体に沁むまで

畑へ向かう朝。手帳を確認して、母の畑へ向かう予定を組んだ。手順だけを知りたければ、本を読めばいい。体感しなければ分からないことがある。最優先に考えている以上、何としても母の生き様を読み解き、核となる奥義を体現していく覚悟である。体に沁むまで。

土の感触を確かめる。水分はどうか、硬さはどうか、日照の角度や時間はどうだったか。収穫の熟度はどう判断していたか。目で、手で、体で読む。干し野菜の重さや層の並び方、鍋に落とすタイミング——それらはすべて、母の判断基準による。その微差の根拠とは、机上の空論では分かり得ないのだ。

戻した干し野菜を出汁に落とす。温度、浸す時間、置き方。それだけで、手順の意味が浮かび上がる。頭で考えなくても、体が先に理解する感覚。手順をなぞるだけでは決して辿り着けない深み。

母の背中を見ながら思う。手順だけを身につけても意味はない。本当に消化するためには、判断の理由や環境まで読み解く必要がある。母のやり方を自分の体に取り込み、消化し、自分の生き方でアレンジして初めて、意味が成立する。

深みの体現

江戸時代から受け継がれてきた我が家の重ね煮の伝統。母は他のことに興味が湧かなかったのだろうか——。ふと、過去の記憶がよみがえる。5歳の祝いに作ったケーキを否定され、17歳で家を出て以来、一切帰らなかった日々。私のような気持ちが湧いたことがないのか?

今、畑の端で黙々と草を抜く母の背中を前に、疑問が自然と手や目に流れ込んでくる。何にこだわり、何を取捨選択してきたのか——。言葉にする必要はないと言わんばかり。ひたすらに黙し、作業を続ける母の姿に、長年の重ね煮思想を示しているように感じられる。

全てが母の意思の現れであり、過去の折り目を消そうとする必要もない。理解しようとするのではなく、体に刻まれた判断の流れを感じ、吸収する——将来の輝く私になるために。

もともと寡黙な母。私も、所作から読み解いていきたい。今日、畑で確かめたことは、フレンチの現場で生かせる。「温度」「間」「火入れ」の感覚として、手に残る。それは単なる技術ではない。母の哲学を、体と手で理解した結果だ。

母が受け継ぎ実践している伝統を読み解くのだ。深みは、ここでしか得られない。これこそが、世界一のシェフへの道を、確かな手応えとして示してくれる。


#ケーキ

#幸せ
#フレンチ
#5歳
#畑

分からないから、確かめる〜外舘美奈さん物語21

夜の厨房。母の特集ページを、何度も読み返している。「重ね煮」という調理手法について、他の文献も取り寄せ研究してきた。陰陽五行論を交えた「鍋の中の宇宙」という感覚等、理解が深まっている。重ね煮調理を経て、天日干しによって、メニューへの活用度が広がっていく。

分からないから、確かめる〜外舘美奈さん物語21

比較検証

母からの小瓶を開ける。重ね煮の干し野菜。根菜もきのこも形は崩れ色は沈み、野菜かどうかも分からない。母が作った小瓶の野菜と、本を読みながら作った私の野菜。違いを比較検証している。

言葉にできない違和感。どれも違う。私の野菜の味は、はじめ強いが、残らない。小瓶の野菜は、静かながら皿を置いたあとも残る。説明できない。もう一度、温度を変える、違う。塩を一粒、崩れる。どうやっても、外れる。

スタッフの仲間にも試食してもらったが、全員が迷わず小瓶を選ぶ。原因は、配分が読めないことではなかろうか?理由は、野菜の状態を知らないからだ。

・収穫時の水分や熟度
・土の硬さ
・日照時間や強さ

判断できる前提が、あまりに足りない。

手帳を開き、母の畑へ行く予定を組む。教わるためではない。条件を知るため。「母の味」ではなく、母が判断し決めていた環境をつかむため。

瓶を閉じる。まだ自信はない。だからと言って逃げない。私が追求しているのは、再現ではない。勘に頼らない。分からないから、確かめる。母がやってきたことを私の生き方で消化するのだ。

誠で、魂で

本場パリで、2世代にわたって3つ星を守り続ける本物たち。あの完璧な張りつめた厨房。1mmや1秒の狂いも許さない皿。まさに怪物、巨匠。

「私なんかじゃ無理」何度も思った。それでも、包丁は置かなかった。あきらめきれない。基準は3つ星。お客様に想像を超える感動を提供すること。評価ではなく、自分の誠で、魂で受け決める。これでいい。まだ届いていないだけで、嘘は混ぜない。

失敗ではない。まだ設計途中なだけだ。瓶を閉じる。畑へ行く。道はまだない。ならば、心の声に寄り添いながら創っていこう。

#幸せ
#宇宙
#野菜
#魂
#手帳
#心の声

私が決めたことだから〜幸せを全うする道

私が決めたことだから〜幸せを全うする道

ここまで読んでくださった方の中には、「結局どうすればいいのか?」と感じた方いらっしゃるかもしれません。今ここで何かを勧める気持ちはありません。

今年は特に、「基盤」をテーマとしています。周囲がどう評価しようと、一喜一憂することなく将来への準備を進めてまいります。

書いた文章を、改めて読み返してみました。何を表現したかったのか、さらにまとめてみました。あなたには、どのように伝わっているでしょうか?

結論は、「『私が決めたことだから』と言えるあなた」を思い出すこと。

本当にこれでいいのか?

この問いは、迷うために置いていません。何度も問い直し、戻ってきた場所を確認するために。どんなに素晴らしかろうと、ほぼすべてにおいて何らかの欠点があります。「49.9 VS 50.1」のような状況でも、決めなければならないことがあります。

決断力を鍛える秘訣は、迷い抜いた期間と情熱次第です。決めても、揺らぎます。「本当にこれでいいのか?」常につきまとうでしょう。「胆力=決めたことを正解とする力」は、今のご時世かなり尊ばれるのではないでしょうか?洗練していく力のことを、柔軟貫徹力と称しています。

疑うことは、素晴らしいとみなしています。私自身、自ら出した答えに対して、幾度も疑ってきました。疑って疑って疑って、「やはりこれしかあり得ない」と洗練されていくのが、確信です。確信に終わりはありません。

何でもやればいいのか?

私は『7つの習慣』に大いに救われました。できることは多いものの、やる価値があることは限られています。あなたの人生において、何がどのように価値があるのでしょうか?

・反応があるからやる
・理解されやすいから出す
・成果が見えやすいから続ける

陥りがちなのが、「木を見て森を見ず」。「経営者と社員では、意見が噛み合わない」と言われる理由です。多くの社員は、自らの持ち場において「これが重要」と考えています。経営者は、社全体や顧客との関係性において「これが重要」と考えています。

誰も雇っていない方でも、どちらかに偏ってはいませんか?「これをやる」と決めるより「これをやらない」と決めた方が捗ることも。

何でもかんでも、やれば進めばいいというものではありません。時には立ち止まってみるのもいいかもしれません。朝ドラに影響を受け、スキップしてみました。なかなかいいものですね。

決めていますか?

まだ決めていないふりをしていませんか?条件が整えば〜という逃げ道を残していませんか?重要な決断を適切に扱っていなければ、ツケが回ってきます。

あなたは「代価の先払い」という言葉、ご存知でしょうか?尊敬する松下幸之助さんは、6歳で奉公に出されたことを幸運だと言いました。理由は、人生において支払うべき代価が、誰しもにあるようです。早いうちから支払えたことがよかったというのです。

私の場合、決めているようで「曖昧に決めていた」「決めさせられていた」人生を送ってきました。振り返ってみれば、悔しく残念に思えることだらけです。だからこそ、他人の評価に翻弄される生き方にウンザリしています。だからこそ、「世の錨となる生き方」を志すことにしたのです。

自己納得感

大テーマ「幸せを全うする道」で伝えたかったのは、方法や正解ではなく、自己納得感(名前や役割を自分の意思で整理できた感覚)についてです。

・決めないまま、流れに妥協している
・誰かの正しさや価値観で、決めさせられている

どちらの場合も、あなたご自身の人生を生きている実感は薄れていきます。だから必要なのは、背中を押されることでも、答えを与えられることでもありません。

「『私が決めたことだから』と言えるあなた」を思い出すこと。

うまくいく保証も、失敗しない確証もありません。それでも、自ら決めた選択だけが、後から「納得」に変わります。

もし今、「考え続けている自覚があるなら」「決めきれない状態が続いているなら」ーーーそれは、あなたの人生を全うできる合図かもしれません。

#幸せ
#人生
#経営者
#6歳
#生き方
#魂
#朝ドラ

「決める」の重要性〜幸せを全うする道

「決める」の重要性〜幸せを全うする道

・休んでも疲れが戻る
・頑張っていないわけじゃない
・前に進んでいる感じがしない

これは体力等の問題ではない場合がほとんどです。これらの問題の原因が解決できれば、結果が望ましい方向へ転じていくのは当然です。

今回の話は、前回の原因にもなり得るのではないでしょうか?施術だけでも3万人をはじめ、多くの皆さんと向き合ってみての確信。

私が決めたことだから

多くの方は、疲れの原因を「年齢」「仕事量」「性格」に置こうとしますが、あなたの場合はいかがでしょうか?問題は決断の先送りか、扇動され決断させられる、「私が決めたことだから」ではない状態。

・決めきれない
・選べない
・もう少し考えれば分かる気がする

この状態が続くほど、エネルギーはじわりじわり削られていきます。ポイントは、メリハリです。常に緊急事態だと、体はON/OFFスイッチの適切なタイミングが麻痺してきます。

憑依体質の方への施術を通じて実感。憑依霊とも対話し、結果として成仏へ導いたことがあります。その霊の言い分は「こいつが『自分の人生を嫌だ』って言うから、私が代わりに生きている」です。ご本人が、「自分の人生への価値」を見出されたので、憑依霊も満たされたのです。

「『今は決めない』」という決断

決めないことは、何もしないことではありません。「現状を維持する」という決断を毎日繰り返しているのです。「『今は決めない』という決断」もあり得ます。違いは、目的やビジョンです。たどり着く先のイメージが曖昧な状況で「『今は決めない』という決断」は・・・。

だから
・疲れる
・重い
・回復しない
の3点セットがつきまといます。

宗教に関わっていた当時、多くの矛盾に打ちのめされていました。離れた方がいいと感じつつも、なんとなくの流れに妥協していました。正しさに生きていたので、できない自分を裁き疎外感を生み出す悪循環にハマっていました。

今思えば、『7つの習慣』を紹介している私を反動分子とみなしていただけたことに感謝しています。そうでなければ、「いつ離れる?」と離教を勧められることはありませんでした。

「離れたら地獄に落ちる」と脅かされ、恐怖ゆえに決めずにおりました。「地獄を解放することが役割だ」と言いながら地獄を恐怖と結びつける矛盾に嫌気がさしました。「宗教には頼っていられない。私が解放する」と覚悟を決め、今に至ります。

考えて確認

1人で考えること自体は、素晴らしいです。考え抜いた土台なしに下した判断は、簡単に周囲の言葉に流されます。1人でどんなに考えても、たどり着けない場所があります。かつ同時に、1人で考え抜いた形跡がないまま他者に問えば、判断はその場で埋もれます。

1人で考え続ける問題は、決めるつもりがないまま考えている場合が多いですが、あなたには当てはまりますか?ある程度決めきれたら、確認したくなるもの。理由は、独りよがり対策です。

よくやらかしてきた叱られシリーズの1つ「確認せずによかれと思って」。例えば分かりやすく、掃除を頼まれました。徹底的にキレイにしようと、時間をかけてじっくり真心の限りを尽くしました。結果、「時間をかけすぎだ」となりました。

学んだ教訓は、途中経過です。ある程度完了できたら確認して、さらに精度を上げるか?もうこれで十分か?判断を仰ぐことにしました。さらに、着眼点も訊くように心がけています。

一緒に可視化サポート

私が扱っているのは、人生を変える方法ではありません。

せき止めつまってしまっている環境から、「自ら判断し決めていいよ」と、あなたご自身に許可を出すこと。「何が分からないのかが分からない」を一緒に可視化サポート。

もし今、考え続けている自覚があるなら――それが合図かもしれません。

#感謝
#エネルギー
#幸せ
#掃除
#自分の人生
#龍

疲れが抜けない理由〜幸せを全うする道

疲れが抜けない理由〜幸せを全うする道

ちゃんとしてきた方ほど疲れる

・疲れが抜けない。
・寝ても回復しない。
・休んでも軽くならない。

あなたには、当てはまりますか?それは「体力がないから」でも、「気合いが足りないから」ではない場合が、すごく多いです。

というか、ちゃんとしてきた方ほど起こりがち。正しくあろうとして、空気を読み、期待に応え、役割を果たし続けてきた積み重ね。結果、いつの間にか「疲れ」を慢性化させてしまう・・・。

今回は、そんなあなたへ、分かりやすいのでは?

開始1分で見えた方針

施術家当時、Tさん(当時40代の女性経営者)と向き合わさせていただいたエピソード。ご紹介で初対面の印象はとても穏やか。言葉数も多くありません。いらっしゃった目的は、決断力。ここぞという場でブレてしまい、詰めの甘さに嘆き苦しんできたそうです。

初回の対話が決定打となり、継続的に受けてくださる覚悟をなさいました。ちょうどその頃から独自の技術への確信が深まり、世界進出を志すように。対話の内容はかなりプライベートではありますが、要所をボカしながら共有いたします。

対話が始まって約1分、何をどういった時間とするか、方針は定まっていました。体に触れる前から、体が私に送ってきたメッセージがあったのは大きいですが、対話を通じて確信が深まっていきました。

「胃について、何か気になることはありませんか?」

「は?胃ですか?痛みもありませんし、検査結果も明確な指摘を受けたことはありません」

臓器の役割と感情

「でしょうね。私の言い分は検査によって表されるものではありません。Tさんが『ありたい自分像』というビジョンへたどり着くプロセス上の話です。そんな視点から今回は胃ではないかと見立てています。」

「そうなんですね。理由をもう少し詳しく聞かせてください」

「かしこまりました。そうですよね。臓器には、それぞれ役割があります。そして役割に基づいた感情があります。各臓器は、ご主人様であるご本人の願いに応えようと、ミッションを忠実に黙々と続けます。

《胃=受け取る臓器》です。期待・責任・役割・空気・立場・・・。消化できる許容量を超えても、受け取り続けようとします。結果、葛藤です。『本音を言えば◯だが、今は⚫️せざるを得ない』と、押し殺してきませんでしたか?」

体からのメッセージ

施術を進める中で、Tさんの口からこぼれ始めます。悔しさまじりの体が吐き出したかった言葉たち。
「ちゃんとしなきゃいけないと思ってながら、できなかった」
「私がやらないと回らないので、ダメなんだ」
「迷惑をかけたくないんです。だからしょうがない」

さらに3歳当時の記憶がよみがえってきます。両親が共働きで、1人家で待ち侘びています。疲れた両親が、夕食中に口論。「もうやめて」といくら泣きわめこうが、かまってもらえなかった・・・。

「何でもかんでも、受け取りすぎている」
「もっと消化に余裕を持たせてほしい」

が、体からのメッセージだったと、Tさんご自身が実感なさいました。その気づきは、一瞬でした。頭での理解でなく、体感覚から伝わってしまったかのように。

「決断できない理由が、ようやく腑に落ちました。決断力がないわけではなかった。受け取る力が強すぎたんですね。」

体のブレーキ

・周囲の期待
・役割として求められる立場
・空気を壊さないための配慮
・・・・・

それらを1つ1つ、判断材料としてではなく、「引き受けるべきものとして胃に溜め込んできた→結果、決断の場面ではいつも遅れる→最後の一押しができない→選ぶ前に、もう疲れてしまう」のサイクルにハマってしまっていたのです。

決断できなかったのではなく、決断に至る前に、消耗しきっていたのです。

施術後、Tさんから「決められなかったんじゃなくて、決めないように体が止めてくれてたんですね」とても感動的な象徴深い言葉でした。

体は無理をさせないために、ちゃんとブレーキをかけていました。Tさんが「弱さ」や「欠点」だと解釈を捻じ曲げていたのです。

この日を境に、Tさんのテーマは「どう決断力を高めるか」から「何を受け取らなくていいか」へと変わっていきました。その変化こそが、Tさんが望んでいたありたい自分像への、最短ルートでした。

Tさんは、決断力自体にはさほど変化はありません。「決める前に、立ち止まれるようになった」。期待や役割を感じた瞬間、無意識に流し込んでいたものを、「これは本当に受け取る必要があるのか?」と、体に問い返せるようになったそうです。

胃に負担をかけていたことを知り、よりよく噛むことも習慣に加えられました。決断力を鍛えたのではなく、疲れない順序を、体が思い出させてくれました。大半の場合、何かを付け足すよりも滞っているつまりを解消することが、数十倍の効果をもたらすことを実感しました。

問いが変われば、解釈が変わり、行動の質が変わります。問いを出す相手は、まずはあなたご自身。今あなたは、どんな問いを自らに投げかけていますか?

#幸せ
#経営者
#共働き
#3歳
#感情

変えたかったのは名前?〜幸せを全うする道

幸せを全うする道

このシリーズは、

・問いが正しかったか?
・解釈が合っていたか?
・名前や選択が間違っていなかったか?

「真偽」を決めるための話なんぞでは決してありません。ただ1つ、「あなたは幸せでしょうか?」

魂と、心と、脳と、体。それらが無理なく噛み合い、生きている実感を持てているなら、あなたの人生は、きっと素晴らしいに違いありません。

たとえ問いをまちがえても。
たとえ遠回りしても。

このシリーズは、幸せを「証明」するためのものではなく、幸せを「全う」するための道を、多角的に見つめ直す記録です。

変えたかったのは名前?〜幸せを全うする道

施術家当時から多くの皆さんからよく聴くお悩み。今でも大いに通じるので、今だからこそ書く必要性を感じています。前々から読んでくださっている皆さんには、飽き飽きしているかもしれませんね。

改めて基礎・基本に立ち帰ります。

名前を変えたら

ある30代女性Sさん。ある信頼する方からのご紹介。こちらを書くにあたって、鮮烈に思い出せた方。

「名前を変えたら、人生の流れが変わる気がするんです。」

Sさんは、これまで本当にたくさんのことを学び努めてきました。月2〜3冊ペースで本も読んできました。講座もトータル¥200万超を投じてきました。信頼関係を重要視し、経営者の会に入りコミュニティ展開を試みてきました。

しかしどこかずっと苦しい・・・。

「このままじゃ終われない」
「とはいえ、何を変えたらいいのか分からない」

だからこそ、名前を変えようと考え至りました。

気持ちは、痛いほど分かります。名前を変えること自体が、決して悪いわけではありません。そこで1つだけ問い返しました。

「なぜ、名前を変えたいんですか?」

少し間があって、返ってきた言葉。「今までの私を、もう生きたくないんです。」

苦しみの原因

その瞬間、話は「名前」ではなくなりました。本当に変えたかったのは、文字でも、音でも、画数でもありません。

「今までを引き受けたまま、生きること」が、あまりにも苦しかっただけ。

名前は、人生を変える魔法ではありません。人生をやり直す覚悟が整った時、初めて意味を持つ入口となるのです。

もし問いをまちがえたまま進めば、名前を変えても、同じような壁にぶち当たります。結果、別の手段を探します。克服するか、あきらめるか?どちらの結果となるまで悩みは尽きません。

大切なのは、「どんな名前にすればいいか?」ではありません。よりも「なぜ、今の人生をここまで否定したくなったのか?」ここに触れない限り、何を変えても同じ場所に戻ってくるのです。

断言できる理由は、私が「幸せ解釈 名前の専門家」と称する根拠でもあります。今に至るまで、確実に20万人超の名前と向き合ってきました。「正しいかどうか」に重きを置いてきた姓名判断当時。結果、強烈な自己矛盾にせめぎ合います。

パンダより大切なもの

パンダより大切なもの

パンダは 象徴 or 本質?

最近「動物園からパンダがいなくなる」という話題が、大きなニュースとして扱われています。1/27に中国へ返還だそうですね。多くの皆さんが惜しみ、悲しみ、「日本からパンダが消える」と嘆き騒ぎます。

私は正直なところ、強い感情が動きません。パンダが嫌いなわけではありません。単に本質的な問いを感じないのです。ほぼ同種の熊は、忌み嫌われ撃ち殺される場面も。野生で殺人事件にまで発展するくらいなので、危険なのは分かります。対面した恐怖を味わったことがないから、差異が分からないのでしょうか?

パンダは、かわいいですね。看板商品として、分かりやすいです。中国外務省から「ぜひ中国へパンダを見にきて」と言えるくらいに、集客力も経済的価値もあります。

しかしそれは「あると安心する象徴」です。「なくなったら本当に困るもの」ではありません。気になっている問題はパンダではなく、「なぜ失っても生き方が変わらないものにこれほど感情を注ぐのか?」という点です。

本当に失われつつあるもの

パンダがいなくなることよりも、もっと抜き取られているものがあります。それは、

  • 自ら考える力
  • 自ら選び決める感覚
  • 自らの時間や生命を、どこに使っているかという実感

です。

気づかないうちに、

  • 誰かが用意した価値
  • 誰かが決めた「大事なもの」
  • 誰かが騒いでいる話題

に、感情を委ねてしまっていませんか?

命の使い方

ここで言う「命」とは、医学的な生死ではありません。「あなたの人生という持ち時間と、そこに注ぐ意志とエネルギー」 のことです。

私が人生かけて関わってきたテーマは、パンダでも、流行でも、恐怖でもありません。「自らの命を、誰のために、何に使うのか?」こちらが曖昧なままでは、何が来ても、何が去っても、結局はまた別の象徴に心を奪われるのです。

誤解を避けたいのが、パンダを否定したいわけではありません。「象徴に反応する人生から、本質と向き合い源に立ち返る人生へ」の切り替えが、今ほど必要な時代はないと感じています。20歳当時から考え続け、話が噛み合わなかった日々。「説教は終わりですか?」と言われたこともありました。

考えることをやめようとしても、なぜか考えてしまっておりました。今振り返って当時の私に言いたいことは、「人生という価値を納得させたかったんだよね」「『これこそが私の生き方だ』と胸張って言いたかったんだよね」。時代の荒波に翻弄され続け、もがき苦しんできたからこその、パンダに見る私の言い分です。

生まれてしまった

こうした問いを抱え続けてきた背景には、ある葛藤がありました。悩みに悩んできた理由は、生まれてしまったから。「こんなつまらない人生、とっとと終わった方がいいだろう」と考えている私がいました。「生まれてしまい、生きながらえてしまっている以上は、何か意味があるんだろう」との熾烈なせめぎ合い。

今、愛する奥さんと一緒に希望を感じています。基盤を整えきれた先にある未来をイメージできたので、時間を要するでしょうが、必ずたどり着けます。今「考え悩み迷い続けてきて、本当によかった」心から感じています。

もしあなたが、

  • なぜか最近、騒ぎに乗りきれない
  • 「価値がある」とみなされているものより、なんとなく違和感が残る
  • 「これでいいのか?」という問いが消えない

そんな感覚を持っているなら、それは冷めているのではなく、目覚め始めているのかもしれません。その感覚があなたの中に「新たに生まれてしまった」のです。私は、その感覚を大切にする側でありたいです。

“屋外の姿”は最後…上野動物園パンダ「シャオシャオ」「レイレイ」中国返還に向け室内に 「観覧予約券」5000円超で転売も…本人確認などで対策

#エネルギー
#幸せ
#中国
#感情
#人生
#パンダ

3神 or 塩?〜人間の起動前夜に

「1」では、感動も感謝も盲点が起点だと書きました。盲点が突かれて剥がれ落ち、世界の見え方が変わる瞬間。そこから「私が決める」へ届くかどうか?でした。

「2」では、主語が薄まるか暴れるか、2極化の時代。暴力に勝る脅威があると書きました。「操縦されているのに、自分が操縦しているつもりになる」「冤罪型の正しさの顔」も含め、主語が扱えなくなる構造があるのです。

今回は「3」。中心はAIでも情報量でもなく、目的意識や判断基準です。あなたの節目における決断や選択いかんによって、プラスにもマイナスにも一気に振れます。その分岐点を、私は「自主軸」にあると見立てています。

3軸「自主×自律×自立」——かけ算が吉にも凶にも

自律と自立は、たいてい良いものとして語られます。

自律軸とは、自然や社会とのつながりから、自らを確立すること。(心身調和)
自立軸とは、自然や社会とのつながりから、自らを確立させること。(自然や社会との調和)

問題は、これが自主とかけ算になった瞬間です。ここで言う自主「自分から動く」では足りません。私はこれを自主軸と呼びます。軸とは回転運動。エネルギーを持ちます。行動や実践の結果の規模が大きく変わり得ます。

自主軸とは「自ら決め、方向と基準を持って動く」こと。方向と基準が狂えば、強さは倍率で狂います。方向と基準が空白なら、強さは他人の都合で勝手に加速します。優秀さは、凶器になり得るのです。私はこれを、脅し文句ではなく現実として知っています。

私が自衛官をやめた理由

ここでは、一般論ではなく、私自身のエピソード。

私は自衛官でした。ながらもある宗教にハマりました。今振り返れば、主語のすべりでした。黒歴史として葬ろうと考えてきましたが、最近ようやくカミングアウトできるように。いつの間にか、判断基準を団体に明け渡していたのです。それでも「自ら選び決めている」と思い込んでいました。

当時は、自律も自立も強かったと思います。師団司令部へ異動になり、エリート街道を突き進むと期待されていました。

今回の「自主軸」に当てはめるなら、ウラミのエネルギーです。表面上は優秀さを装いつつも、何かとんでもない事件をやらかしそうな、内側に秘めた汚物処理はお手上げでした。教理の話を聴いた時、嫌だと言いながらものめり込んでいくのが分かりました。結果、私は自衛官を辞めざるを得なくなりました。

カミングアウトできるようになった理由は、黒歴史を解放できたからとみなしています。まさに自主軸の空白やねじれと、判断基準の外部化です。自発性が残っていないのに、自発性があると思い込んでいたこと。翻弄されているのに、操縦できていると決め込んでいたこと。

振込詐欺に遭っているにも関わらず、指摘されると怒り出すという、指摘する側の話を聴いたことがあります。この錯覚が、本当に危険です。

「神 or 塩?」

3神 or 塩?〜人間の起動前夜に

判断基準は、立派な理念として語れるかどうかではありません。無自覚な咄嗟の対応で出ます。例えば分かりやすく、神対応と塩対応の差。

想定外の瞬間、こちらのあり方が漏れます。だからこそ第三者視点の評価で、「神 or 塩?」の対応が決まります。あなたは常日頃、知らずして「神 or 塩?」の対応をしていらっしゃいます。よくも悪くも、いつか必ず何らかの評価を受けるようになります。

だからこそ、今年のテーマを「基盤」といたしました。反応で生きていないか?上書きに飲まれていないか?冤罪を作っていないか?主語を残せているか・・・?あり方の確立こそが、「塩対応的な私」を遠ざける秘訣だと考えているからです。

神対応は、すごい技術というより、自らへの振る舞い方の結果として出ます。塩対応は、自己否定の漏れとして出ます。どちらも盲点のまま出るから、なお怖いのです。

「私が決めたことだから」

私は、2020年から一貫して主張し続けてきました。改めて自覚した役割は、「『私が決めたことだから』と言える人を増やすこと」です。施術家で世界進出を志しながら大失敗し、ブラック企業で人格否定の卒業試験を経てまいりました。ご自身で納得できてもいないのに、素晴らしい人生を全うできるわけがありません。

目的地だけでは足りません。基準が必要不可欠です。基準があればこそ、偶然は偶然のまま扱いつつも、「それでも私はこう決める」が残ります。その一言がどのようなエネルギーで出てくるかが、人生を決定づけていくのではないでしょうか?

起動前夜とは、その足場を整える時間だと解釈しています。軽さと速さの時代ほど、錨や揺るぎないものが重宝されると見立てています。今、その錨を作っている真っ最中です。

#感謝
#エネルギー
#宗教
#カミングアウト
#自己否定
#幸せ

2暴力に勝る脅威〜人間の起動前夜に

書きながら確信が深まりました。私の役割は、「私が決めたことだから」と言える方を増やすことです。

2暴力に勝る脅威〜人間の起動前夜に

主語の2極化時代

「主語の2極化」とは、主語が薄まる方向と、主語が暴れる方向が同時に進むこと。

「1」では、感動も感謝も盲点が起点だと書きました。盲点を突かれはがれ落ち、世界の見え方が変わる瞬間。そこからいかに「私が決める」へ届くのか?の照合を続けています。

今回は「2」。なぜ今、「私が決める」まで届きにくいのか?私はAIの限界より、社会の形式を疑っています。あまりに矢継ぎ早すぎるのです。

主語が薄まる——「決めたつもり」が増える仕組み

30代くらいまで、「主語がない」とよく言われてきました。文法上の話ではありません。当時は意味不明でしたが、しみじみ噛みしめています。分かりやすく物が壊れた時に、「壊れた」で終わるのか、「私が壊した」まで言えるのか?後者だけが修正を始められます。

今問題だと思うのは、個々人の癖ではありません。社会の様相として「主語が薄まりやすい」こと。

・反応が速すぎる
・次の刺激が早い
・注意が分断される。

盲点を突かれても、気づきとして定着する前に上書きされています。すると「決める」前に次の流れが起きます。結果、操縦されているのに、自らが操縦しているつもりに。ここが決定的。

あなたは、「デフォルト・モード・ネットワーク(「何もしていない時に働く脳の回路」)」という言葉をご存知でしょうか?今はスマホの普及により、信号待ちでもスマホを確認している方の何と多いことでしょう。ボーッとできないのです。

自衛官時代、ものすごく優秀な同期がいました。彼に「これからどうなっていきたいですか?」と問うた時、ヘラヘラ笑いで「分からない」。その時なぜか、背筋が凍りついたのを覚えています。目的意識が空白の優秀さは、外部の都合で簡単に加速させられる——今ならそう言えます。

本当に厄介なのが、《自主×自律×自立》。3軸のかけ算です。自発性(自主)がすべるほど、自律と自立の強さが「マイナス方向」に効き始めます。

主語をすべらせる——「預言」という上からの形式

先日奥さんから「高田馬場の、あれ行こうよ」と誘われた折に、「預言」のキーワードが出てこなかったことがショックでした。ただの脳内検索ミスで名前が出てこなかっただけだと思います。行くこと自体に大きな抵抗はありません。

預言は、私個人としては本当に感謝しています。整体師を志すきっかけとなったのが、拡大解釈的な啓示であり、預言だったから。「どうせムリだ」とあきらめていた背中を、強くあと押しいただけました。整体師の経験なしには、今はあり得ません。

それでも引っかかっています。仮説ですが、「預言」という形式は、予測や助言とは違います。出どころが「上」に設定される言葉。当たり外れ以前に、主語がすべりやすい構造があります。主語が滑ると、誰かが統べやすくなるのです。

問題のポイントは、予想外な言葉を受けた時。言葉が強いほど、「私が決める」が薄くなりがち。真摯に受け止めようとするほど、形式うんぬんより「私が決めたから」と言えるかかが重要です。

主語が暴れる——責任の明確化が、冤罪になる瞬間

主語の問題は、「薄い」だけでは終わりません。逆に、主語が過剰に暴れることもあるのです。私はこれを散々見てきました。自他ともに。

物が壊れた時、本当は「何が原因か」を確認すべきなのに、「誰が壊したか」を先に決めます。その瞬間、主語は修正のためではなく、犯人づくりのために使われるのです。

冤罪型の怖さは、正しさの顔をして起きること。責任を明確にするという名目で、思い込みで責任を押しつけます。結果、構造は改善されないまま、人だけが消耗するのです。

主語が薄いと修正しようがありません。主語が暴れると修正が歪みます。どちらでも、「私が決める」は育ちません。

だからこその基盤——主語が戻れる足場

題名の『暴力に勝る脅威』は、あなたに主語を正しく適切に扱わせないこと。うやむやに煙に巻くことで、真綿を〆るように【いつの間にやら】飼い慣らされていくのです。

だから私は、今年のテーマを「基盤」に置きました。評価を待つのではなく、修正できる自分を先に作ります。主語が薄まる流れにも、主語が暴れる冤罪にも、翻弄されない足場を。

基盤とは、派手な成果はありません。ものすごく地味。多くの皆さんが避けたがるし、私自身も距離を置いてきました。

特に若い頃、「私に期待している方なんているわけがない」等が口グセでした。おかげさまで波瀾万丈の人生となり、幾多の振り回され翻弄されてばかりの半生となりました。何度も味わってきたおかげで、パターンが分かってきました。カラクリを把握できてきたので、今年は卒業試験のようなものだと見立てています。

・反応で生きない。
・上書きに飲まれない。
・盲点の発火を、気づきとして定着させる。
・「私が決める」を残す。

起動前夜とは、風の時代だからこその足場を整える準備期間だと解釈しています。軽く流れていくからこそ、評価や世論に一喜一憂したくありません。錨の役割を全うしたいのです。私は今、そんな時間を生きています。

#幸せ
#感謝
#思い込み
#風の時代
#龍

1感動の臨界点 〜人間の起動前夜に

1感動の臨界点 〜人間の起動前夜に

今回の『人間の起動前夜』における出発点は、プチ講座でのMさんのコメントでした。
「AIには感動させきれない」

Mさんが言いたかったのは、おそらくこういうことです。
「①『演出や構成で心を揺らすこと』や、②『意味を刺すこと』はできても、最後に③『人の行動や選択の芯を立ち上げるところ(=私が決める)』までは届かない。」

私は、その断定の表現が気に入りません。というか、嫌いです。問題をAIの性能にすり替えているように見えます。感動が③に育つ条件自体が、薄められている環境にないか——確かめてみたくなったのです。曖昧にしたくない情熱が、メラメラ湧いてきました。

盲点から観た感動の到達点

まず前提は、《感動や感謝は、根っこでは「盲点」に触れた時に起きる》です。盲点は決して欠陥ではありません。脳の省エネ構造そのもの。私たちは見ているようで見ていません。当たり前なことほど盲点になります。

もし脳が盲点を完全に払拭していたら、瞬間餓死するほどのエネルギー消費量です。だからこそ脳は省エネにこだわり、重要度が低い情報をどんどん省略します。

そんな状況で盲点を突かれ認識できた時、驚き・快感・満足が生まれ、心が動きます。だからこそ、感動を単なる「泣けた」「震えた」で終わらせたくありません。盲点を突かれはがれ落ち、予測が破れ世界への視点が変わること。それを〈感動の発火点〉だと考えています。

ここで整理しておきます。感動には3つの到達点があります。

① 揺れる:刺激で心が動く
② 刺さる:意味が入り、解釈が更新される
③ 決める:ただ感じて終わらず、「私が決める」で締めくくる

本題は③までたどり着く前に、「私が決める」が曖昧にされる流れが定着していることです。

盲点がはがれ落ちる

私は映画『素晴らしきかな、人生』を20歳で初めて見て、以降ずっと繰り返し見てきました。少なくとも4人に紹介し、一緒に涙を流しました。結末を知っていても、やはり感動します。

主人公は、尽くしてきたことを当たり前だと考え、報われない苛立ちもあります。窮地に追い込まれ、自殺まで考えます。ところが、ある出会いを機に世界の見え方がまるっきり変わり、「私は幸福なんだ」と気づきます。ここで起きているのは、盲点がはがれ落ち「視点が反転する」感動。

今年のテーマを「基盤」としています。たとえ評価されずとも、時が熟すのを待つことにいたしました。時代が追いつくまで、結果を焦らず土台を整えると再確認したのです。

きっかけの「AIには感動させきれない」は本当?AIが感動させきれないのではありません。盲点に触れても、気づきとして定着する前に、

・社会が回収してしまいやすい
・反応が速すぎる
・注意が分断される
・内省が育つ前に次へ流れる

のです。だから感動は薄っぺらい①②で終わりやすく、③に育ちにくくなります。問題は、

・「自分で決めたつもり」が減る
・「決められた中でやる」が増える

という、人生の操縦権を放棄し、指示待ちや受け身思考の温床となります。会社員時代は、朝目が覚めた時の憂鬱感が強烈でした。1日の始まりを喜べません。行きたくもない会社へ行き、喜んで働いているように偽っておりました。もう絶対に当時の過ちを繰り返したくありません。

自主軸=目的地設定

今まで「主語」という表現を使ってきましたが、伝わっていない懸念が消えませんでした。ながらも適切な言葉が思いつきません。ようやく降りてきたのが「自主軸(自らテーマを起こす&目的を定める)」。

だからこそ「感動が当事者に届く=私が決める」に変わります。自主軸は、判断基準の原点となり、車で言えば目的地設定とハンドル。盲点に気づく(感動)が、目的地設定(自主軸)に接続した時、感動は③に届きやすくなります。

起動前夜とは、盲点がはがれ視点が変わり、決断が生まれる手前の時間。今、その臨界点を照合しています。『素晴らしきかな、人生』を何度見ても感動し涙するように、感動を構造化させ、手順を踏まえ簡素化できないかを思案中です。

※あえて「盲点」という語を使った理由は、盲点こそが感動の出発点だと見なしているからです。詳細は過去文にまとめました。

感謝&感動の原因は盲点〜脳から観た幸福感