ある方の話を聴いていて、ある元左翼主義者のことを思い出しました。
まじめに生きようと志しつつも
彼は、中卒で自衛官になりました。ながらも「武器=殺人の道具」としか考えておらず、毎年射撃訓練を義務化されていることに「殺人の練習をしている」と、罪悪感を持っていました。
まじめに生きようと志しつつも、小1当時の海開きの日に溺れたり、バイクの免許取得日に事故を起こしたり等、まじめに生きているようには疑問な方も多かったのではないでしょうか?
17歳から酒を飲み始め、時には記憶がなくなり気づいたら朝ベッドの上に(同僚の皆さんが担いで寝かせてくれていました)。部隊配属で赴任した初日に、先輩から調子に乗りすぎだと叱られました。
大いに反省し、絶対にまじめに生きようと決意し、「◯◯であらねばならない」を徹底化。典型的な空回りの始まりで、何をやってもうまくいかないかのような錯覚。
先輩等は、酒を飲んだ変わりようにおもしろがって、さらに飲ませます。記憶がなくなり感情が暴走します。本音と建前を使い分けていることが暴露され、信用をなくしていきます。結果、20歳で禁酒を固く誓います。
わずかな可能性に期待し応援してくださる方もいらっしゃいます。逆にいじけて「こんな役に立てていないのに、なぜ応援してくれるんだ?」と、好意を寄せてくださる方を忌み嫌っておりました。
あえて避けてきたドス黒い心の闇
大隊長との対話から「『武器を殺人の道具としか考えられない』って言うけどな、今この目の前にある鉛筆だって、お前の目にブスッと刺し込めば死ぬよな?試しにやってみようか?」と言われた時、まさに恐怖を感じました。
「こんな鉛筆でさえも、立派に殺人の道具になるってことだよな?じゃあ最大の武器って何だと思う?」と問い、しばしの沈黙。大隊長は答えを言わず、彼に考えさせます。
あえて避けてきたドス黒い心の闇が、はっきり分かってしまった瞬間。武器を扱っている彼自身の心に問題があったことを明確に自覚しました。ここから彼の人生は、大きく変わり始めます。どちらにせよ波乱万丈の荒波に翻弄されてばかりでしたが・・・。
彼は、明らかに左翼手義者でした。なぜなら唯物論者だからです。唯物論者であるメリットは、汚い心を見なくていいから。心をいくら見つめたところで、キレイなものなんてありません。ならばいっそのこと、[ない]と決めつけてしまえばいい。
彼はそう考えてきました。考えることにしたからと、湧き出てくる感情は抑えようがありません。にじみ出てくる以上、ひた隠しにしている様が周囲にはよく分かります。
「言葉」は諸刃の剣
お分かりかと存じますが、文中の「彼」とは私自身です。周囲は「ズレズレだけどマジメに生きようとしている」と評価してくださる方も。一方、世界平和を謳いつつも、「矛盾している」と言われてもきました。「どうずれているんですか?」「どう矛盾しているんですか?」と訊いても、明快な返答はありません。ずっと考えて仮説を立て試みてきました。
大隊長への答えを今返すなら、「最大の武器は言葉だ」と断言します。例えば分かりやすく自殺者。「言葉」によって、ご本人自身の存在価値を叩きのめします。だからこそ絶望し、死を選ぶのです。
「言葉」は、生かしも殺しもする、諸刃の剣です。「言葉」のエネルギーは、「言葉」を発するご本人の感情に大きく左右されます。感情はご本人の存在価値と密接に関連づいています。存在価値はご本人のお名前に色濃く表現されています。お名前を好きな方に自己承認できている方が多いのは、うなづけるのではないでしょうか。
体に触れることが不要となった今、「さすがにもう施術とは呼べないよな・・・」と感じています。メールでさえも、骨折の治りが早まった等の評価をいただいた実例があります。信頼関係を前提に、言葉による施術は実際に成立しています。
ちょっと前まで「死んで詫びる」という発想がよく湧いていました。今は違います。「どんなに惨めでも生きて、お世話になった方々へ恩返し&恩送りする」と決めて生きています。
あなたのお名前は、あなたの存在価値の核心です。あなたのお名前の価値を正しく適切に把握することが、望ましい人生を歩む第一歩となるのです。