今回は、母 外舘美智子さん。主人公ではありませんが、今回に限り美智子さん視点で書いているので、「私=美智子さん」です。
自然との調和の中に
畑の端で、最後の草を抜いた。手袋を外すと、指先に土の匂いが残る。水を一杯飲んで、台所に戻った。今朝の朝食用に、自家菜園の庭から収穫したばかり。今日は大根と人参が甘い。葉物は少しだけ苦みが立っている。季節の変わり目だ。
包丁で切り、野菜たちの層をつくる。鍋に重ね、塩をひとつまみ。火を入れる前に、いったん手を止める。重要なのはタイミング。鍋の中の食材たちに、どうして欲しいか問いかける。暮らしは、自然との調和の中にある。
朝食後、主人と散歩に出かけることを日課としている。まもなく米寿を迎えるが、100歳を超えても元気でい続けたい。だからこそ日々の活力を、自然の恵みからいただいている。無理をせずに、続けられる形で続ける。
封書の温度
ポストに入っていた封書が目に止まる。封筒は都内の出版社。季刊のコラム連載で、何度もやり取りしてきた編集部だ。台所の隅で、封を切る。紙がすべる音。
文面は丁寧で、余計な熱がない。
・先回の4ページ特集への反響が想定より大きいこと。
・次号以降の構成を検討していること。
・「思想が看板としてではなく、実践として染み出している翻訳例」を探していること。
・現時点ではまだ検討中で、編集部側でも確認を重ねていること。
・もし差し支えなければ、打ち合わせの時間をいただきたいこと。
褒め言葉や称賛はない。続けるための用件だけが、淡々と並んでいる。それが逆にありがたい。続けるための言葉は、いつもこういう形でいい。
先回に限り、コラムと追加で4ページの特集。何を書けばいいのか迷ったが、編集部の助言があって形にできた。読者目線と私の主張を噛み合わせてもらえたことに感謝している。
出せない名前

手紙を読み終え、折り目に沿って畳む。その時、胸の奥が疼き出す。理由は、言葉にしたくない。しかし、分かってしまうのが本当に厄介だ。
——あの子のことは、出せない。出さないのではない。出したら、余計なものが混ざる気がする。暮らしの話が、別の話になってしまう。私が残したいのは、意味ではなく、手触りだ。温度だ。
鍋の火を見ていれば、それが分かる。火は嘘をつけない。こちらの揺れが、そのまま湯気に出る。味に直結する。
砂時計の砂が落ちきった。火を止める。湯気が上がる。鍋の中で、野菜の層がゆっくりほどけていく。
返事を書く前に、今日の味を確かめよう。焦って決めない。私にできることが何なのか——それは、頭で決めるより、舌と体で確かめた方がいい。
暮らしの中で続いてきたものは、今日も同じように、静かに続いている。
あとがき
次回も、編集長視点です。スタッフに確認させ、Goサイン。