
静けさと雅子への衝動
真紀子さんとの対話が終わったあとも、しばらく画面の前から動けなかった。
あの短い時間に、私は確かに話していた。けれど、それ以上に聴いていただけたような気がする。画面が消えたあと、空気の音が急に聴こえてきた。久しぶりに、自分の中の静けさに思い出せた感覚だ。
今、雅子にたまらなく会いたい。けれど──会って何をどうしたいのか?謝りたいのか?「ありがとう」を伝えたいのか?もう一度だけ母としての誇りを語りたいのか?
筆が進まない。どんな言葉を選んでも、どこか「私の正当化」になってしまう。
真紀子さんの提案
その夜、真紀子さんからメッセージが届いた。
「富美子さん。今日はありがとうございます。よければ、おつなぎしたい方がいます。お会いしてみませんか?私がとても信頼している方で、名前をとても丁寧に見つめていらっしゃいます。
富美子さんと話していて、昔の私を思い出しました。まだよく分からない点はありつつも、似ている点がありそうな気がしています。今の私は、彼のおかげでもありますから。
富美子さんの人生、きっと変わりますよ」
自問自答
名前────────
舞台で生きてきた「藤間 美雅」と戸籍上の「藤堂 富美子」。私はそのどちらでもあり、どちらでもないのかもしれない。
「名前を丁寧に見つめて・・・」とあるが、名前を丁寧に見つめたところで、何が変わるの?名前なんて呼ばれるための識別情報よね?真紀子さんがおっしゃられるなら、会ってみてもいいけど、また新しい名前や印鑑なんて作らされるのかしら?家族そろって象牙の3本セット買ったじゃない。また?
名前を変えたところで、雅子との信頼関係がよくなるわけじゃないだろうし、私の過ちが解消されるわけでもない。私の人生は失敗だったのだ。これからどんどん転落していくのかしら?
いったん歯車が狂い始めると、至るところで不協和音が起きてくると聞いていたが・・・。まさか私がそんなことに陥るとは、考えてもいなかった。周囲の幸福そうな家庭が羨ましく思えてくる。私だって必死に生き抜いてきたのだ。「ハシゴのかけ違い」が、こんなにも深く、自分を迷わせるものだったとは。けれど──名前を見つめることで、何かが変わるのだろうか?今の私は、ただ湧き出てくる問いに立ち尽くしている。
信じてみよう
湧き出てくる感情と向き合ってみての結論。やはり会ってみようと思う。決め手は、真紀子さんの最後の一言「富美子さんの人生、きっと変わりますよ」。「彼」というから男性なのだろう。
嬉しかったのが、こんな私と真紀子さんが「似ている」と言ってくださったこと。私も真紀子さんのように、輝ける日が来るかもしれない。雅子との和解ができるかもしれない。
期待と不安が行き交いつつも、日程調整の返信を終え、眠りにつけた。30分経たないうちに終わるかもしれないが、真紀子さんを信じてみよう。
#ありがとう
#感情
#舞台
#信頼関係
#魂