名前を呼ぶ=生命の肯定〜早乙女芽衣子さん物語4

白紙のままのノート

心の耳を澄まし自分と向き合うためのノートは、白紙のままだ。インタビュー等、雄弁に語ってきた今までは何だったのか?何を書くべきかも分からないし、自分が自分を責めずにいられるのか?そもそも書くことで、「許された気になっていいのか」さえ分からない。いかに自分を偽ってきたかを思い知らされる。

それでも私は、今日もページを開いた。開いて、何も書かず、閉じる。これを繰り返して、もう何日になるだろう?鉛筆を持つ指先が、震えている。決して年齢のせいではない。何かを書くことが、決めることのように思えて恐いのだ。

今日は久しぶりにラジオをつけてみた。つけたはいいが、すぐに消した。言葉が、耳にけたたましく感じる。ニュースも、音楽も、DJのMCも、まるで全部「外界」のようだった。世界と隔絶された強烈な分離感がある。

ただ1つ、気にかかる言葉があった。「あなたは、あなたを何と呼びますか?」という短い詩の一節。詩の内容は覚えていない。その一文だけが胸に残り、こだましている。

呼ばれたい名前

私は、私を何と呼んできた?そして優花を、私は何と呼んできた?「優花」と呼ぶ時、私はどんな思いでその名を口にしていたのだろう?思い返してみると、「ゆか」というその音を、私はいつも「早くしなさい」「何してるの」と叱責とセットだった。優しく呼んだ記憶が、驚くほど少ない。

「優花と2人で生きていくためには、私がやらなければならない」と考えていた。「優花のために」と考えてきたことが、すべて裏目に出ていたのではないか?優花に接してきた対応が、側近スタッフたちにも反映されているとしたら?本当に信頼関係があったのか、疑問が湧いてきた。

気づいてしまった瞬間、目の奥が熱くなる。でも涙は出ない。ただ、じっと考えている。思いを向けている。――彼女は、自分の名を「呼ばれたい名前」として感じていただろうか?

もしかしたら、「名前を呼ばれるたびに傷ついていた」のかもしれない。そう考えると、たまらなくなる。私は、彼女の名前に、何を込めてきたのだろう?その問いが、また私に返ってくる。

名前を呼ぶ=生命の肯定

「・・・芽衣子・・・・・」自分の名を、声に出してみる。空気がわずかに震える。部屋の中で、自分の声がこんなに響くのは、何ヶ月ぶりだろうか。

「呼ぶという行為」は、存在価値を認めることなのだと、ようやく分かりかけてきた。名を呼ぶことは、「その人の居場所」を、この世界に刻むことなのかもしれない。

私は、優花の名を、ただの記号として使っていた。存在を抱きしめるようには、呼んでこなかった。その後悔とともに、ようやく「声に出せなかった名前」という、私自身の罪に気づいた。

そして、ようやくノートに、たった一言だけ。

「名前を呼ぶ=生命の肯定」

名前を呼ぶ=生命の肯定〜早乙女芽衣子さん物語4

それが私の、死んだ娘への最初の贈り物だ。

投稿者:

RyuAnshin

Universal Flow Therapy 健創庵 龍 庵真(りゅうあんしん)と申します。
 少なくも20万人超の名前と向き合わさせていただいた経緯から、Google検索より速く開設できます。 統命思想というオリジナル事業を立ち上げ、天命に生きる方を輩出するために今を生きています。 絶対に目標達成したい方へ、未知の可能性を実感の自立具現化サポート。 
 
 15才で自衛官となり、出身地の長崎よりも首都圏での生活が2/3となりました。 
 私自身のセルフイメージが強烈に低く、どんなに素晴らしいことをしても、悪い意味でバランスをとるような出来事が起きていました。 マジメに生きようともがきつつも、運命の荒波に翻弄され続けた期間は、30年を超えます。 
 今まで一貫してお伝えしてきたのは、 本当の癒しは、ご自身にしかできません。 
 「自立具現化コーチング」という独自の理論により、 ・過去と未来を今ココに集約させ ・究極のパートナーからアドバイスを受ける ・本当に望んでいる思いを発信源に、過去の記憶を癒す 方法を編み出しました。 
 どうぞよろしくお願いいたします。

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