声に宿るもの〜藤堂富美子さん物語9

富美子さんは、日本舞踊の世界でTV出演するほどの名人。そんな彼女の変容を、まずは声から表現。

変化の共有

真紀子さんとのZOOMでの再会は、思った以上に自然だった。画面の向こうには、変わらぬ穏やかな眼差し。けれど、私の中には明らかに、先日とは違う「何か」が育っている。

「お久しぶりです、富美子さん」 「こちらこそ、ありがとうございます。なんだか、不思議ですね・・・。またこうしてお話しできることが」

言葉を交わす内に、心が柔らかく解けていく。今の私は、もう他人行儀ではなかった。

「実はあのセッション以降、周囲の人から『声が違う』って言われるんです」

思いがけず、自分からそんな話を切り出していた。口にした瞬間、私自身が一番驚いていたかもしれない。

「やっぱり!それ、私も感じました」 真紀子さんが、少し身を乗り出すように言った。 「どこか柔らかく、でも芯があって。なんというか、伝えるための声じゃなくて、伝わる声って感じがして」

伝える声と伝わる声。 なるほど、そんな違いがあるのかもしれない。

2つの名の狭間で

「正直、美雅としての私が正解だと思い込んできました。芸名の方が評価されやすいし、弟子や関係者との関係もあります。でも今、富美子でいることに、変な抵抗感がないんです」

「分かります。名前って、ただの識別情報じゃなくて呼ばれ方なんですよね」

呼ばれ方──────。 それは、自分がどう在ろうとするかに直結する。

芸名に生きることは、ある意味では「課せられた責任」への義務でもあった。 今の私は、富美子という「命名」に立ち返ることで、責任のためではなく私のために声を出せるようになっていた。

「声が変わったのではなく、ようやく戻ってきたのかもしれませんね。先生もよくおっしゃるけど、『正確に言うと変わるわけではなく、本来の状態に戻る』ですから」 真紀子さんがそう言った時、胸の奥がじんわり温かくなった。

「戻ってきた・・・・・。そうかもしれません」

思えば、いつからだろう。誰かの期待に応えようと、いつも「〜しなければ」で言葉を発していたのは。今は、自分の内なる声が出ようとしている。誰かのためではなく、私の中から生まれてくる声。富美子という名に宿っていた、まだ使われていなかった声。

今、ようやく───思い出したのだ。

娘からの電話

真紀子さんからのメールの余韻に包まれていたその夕方、携帯電話が震えた。着信画面に浮かんだのは、「雅子」。娘からの電話だった。

「もしもし、お母さん?週末の法事のことで連絡したくて」

そうだった。亡き主人の十三回忌が近づいていたのだ。

「ありがとう、助かるわ。場所は去年と同じお寺?」

「うん、叔父さんたちとも連絡済み。あとね・・・、声が何か違うよ」

「え?」

唐突に言われた言葉に、思わず声がつまった。

「なんていうか・・・柔らかいっていうか、ずっと遠くで話していた声が、急に近くなったみたいな。なんか不思議」

──やっぱり、聴こえていたのか。

娘にまで伝わっていた声の変化。 龍先生が言っていた周波数の話が、急に現実味を帯びてきた。

法事の準備と家族の気配

法事の準備に追われながらも、静かな確信が根を張っていた。仏間に飾る花を選ぶ時、雅子が小声で言った。

「お母さん。あのさ・・・もしかして、何か始めようとしてる?」

「どうして?」

「雰囲気がね、変わったっていうか。前はいつも張りつめてたのに、今は、自然体って感じがするの」

娘の観察眼には舌を巻く。あえて言葉にしなかったが、心のどこかで「気づいてほしい」と願っていたのかもしれない。

「今ね、自分の名前と向き合っているの」

「えっ?『富美子』?」

「そう。美雅じゃなくて、富美子として生きてみようかと思って」

娘はしばらく黙っていたが、ふっと微笑んだ。

「いいと思う。美雅のお母さんも好きだけど、富美子って呼ぶと、なんか温もりを感じるよ」

受け継がれてきたもの

3代続く舞踊の家系。その流れに乗るように、15歳で名取となり「美雅」を襲名した。祖母の美麗(みれい)、母の雅麗(まれ)、そして私 美雅(みやび)。名前にまつわる意味と歴史。それは誇りであり、重荷でもあった。

「舞いの美しさに、心の雅を重ねる」──それが、美雅に込められた意味だと母は言っていた。「美雅」という名には、かつて込められた想いがあった。けれど今、「美雅」に込められた願いを、託された使命として生きていきたい────

今、私が迎え入れようとしているのは、役割だけではない。名前の意味に宿る本質、命の音(ね)そのもの。富美子という名前の声は、今ようやく私の中に根づこうとしていた。やはり私には、龍先生のサポートを受けた方がいいのだろう。真紀子さんが尊敬するなら、きっと私にもそうなる未来があるのだろう。

「これでいい」の奥へ

法事を終え、親族と別れた後の帰路。

「ねえ、お母さん」

雅子がぽつりとつぶやいた。

「なんかさ・・・今日のお母さん、昔に戻ったっていうより、初めて会った感じだった」

「それって、いい意味?」

「うん。なんか、ちゃんと一人の女性っていうか。お母さんがお母さんである前に、『富美子さん』っていう1人の人間だったんだって、今さらだけど思えたの」

富美子は、ただ頷いた。──そう。今、私はようやく「私自身」に還ろうとしているのかもしれない。その実感が、心地よく胸を温めていた。

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投稿者:

RyuAnshin

Universal Flow Therapy 健創庵 龍 庵真(りゅうあんしん)と申します。
 少なくとも20万人超のお名前と向き合わさせていただいた経緯から、生き方より理想を創り出す「姓名承認マイスター」を広げています。 
 究極のセルフマネジメントで自立成長を応援。 絶対に目標達成したい方へ、未知の可能性を実感の理想具現化サポート。 
 
 15才で自衛官となり、出身地の長崎よりも首都圏での生活が2/3となりました。 
 私自身のセルフイメージが強烈に低く、どんなに素晴らしいことをしても、悪い意味でバランスをとるような出来事が起きていました。 マジメに生きようともがきつつも、運命の荒波に翻弄され続けた期間は、30年を超えます。 
 今まで一貫してお伝えしてきたのは、 本当の癒しは、ご自身にしかできません。 
 「立名コーチング」という独自の理論により、 ・過去と未来を今ココに集約させ ・理想とする未来のご自身からアドバイスを受ける ・理想とする未来のご自身を発信源に、過去の記憶を癒す 方法を編み出しました。 
 世界中にiPhoneレベルで 「理想の自分像って?」 を訊き合って認め讃え合えている感動世界を見るために、今を生きています。 
 どうぞよろしくお願いいたします。

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