芽衣子さん。姓名覚醒セッションを受け、約3ヶ月が経ちました。

問いの継承「名前って、何?」
「名前って、何?」
優花が遺したその問いは、私の中でずっと響いていた。それは単なる疑問ではなく、私自身の人生を根底から揺さぶる問いだったから。
龍先生との対話の中で、「姓名覚醒」という言葉が出てきた時、直感的に「ここから何かが変わる」と感じた。それは肩書きや経歴ではなく、「私という存在が、何に宿っているのか」を再定義するプロセスだった。
名前を主軸とした誕生日・血液型・出生地・出生順——
1つ1つの情報が、名前に宿る意味を照らし出していく。「早乙女芽衣子」という名前が、ただの呼び名ではなく、『私の人生の設計図』だと知った。私は初めて、自分の人生を「自分のもの」として扱える手応えがある。
約3ヶ月のプロセスの中で、何度も優花の問いに立ち返った。「名前って、何?」
それは「私って、誰?」という問いと幾重にも織り重なっていた。過去の私は、役割に生きてきた。 県知事として、母として、周囲の私以外の期待に応えることで、自分の価値を保とうとしてきた。
自己否定の正体
しかし今は違う。名前に宿る意味を通じて、《覚醒》という価値と向き合えている実感がある。分かってみればたわいもないことだが、最も混乱したのが「自己否定の正体」。
昔ある講座で「自己否定をやめれば解決する」と言われたことがある。当然ながら、否定したくて否定しているわけではない。自己対話の中で、自分の中の何者か同士が裁き罵り合っているのだ。正体をつかめなかった当時の私は、自己否定している自覚さえもなかったのだ。
覚醒という実感を味わってみて感じるのは、誰かに認められるための価値ではない。私が私として生きるための、「揺らがない核」としての価値。何かの本で読んだことがあるフレーズ「私は、幸福になるために生まれてきた」が、胸に深く刻み込まれている。
「芽衣子さん、いよいよですね」
龍先生のその言葉が、今は渇いた大地に沁みわたっているかのようだ。優花の問いを継ぎながら、 私自身の人生を、再構成している最中だ。何もやる気が起きず、後追い自殺を考えていた当時からは、確実なコンプリートだ。
だからこそ湧いてくる問題。「私が心から望む幸福とは?」が曖昧なままである。自己否定から解放され、ニュートラルな今だからこそ、考えた方がいいと分かっている。今まで、自分以外の周囲のために生きてきた。名前を通じて核を見据えきれたからこそ、中身が空っぽだと気づいてしまった。
天命と高次元の世界へ
「芽衣子さん、いかがでしょうか?ここまで来ると、全体像を理解し始められたのではないでしょうか?」
「そうですね。かなり膨大な内容ですが、なんとなくつかめてきました。」
「私はこんなやりとりを通じて、『天命に生きる方』を輩出したいと考えています。興味ありますか?」
「はい。龍先生がおっしゃることなら、興味あります。ただ、天命と多くの皆さんが言いますが、どういったものを天命と言うんでしょう?」
「お、さすが素晴らしい質問ですね。ありがとうございます。『天命とは、生まれた目的成就への役割』だと定義づけています。誕生日等からも実感できたのではありませんか?誰しも何らかのプログラミングされた設定に基づいて生きています。ぜひその設定を理解し使いこなしきっていただきたいですね」
「すごい!天命をこうもシンプルに分かりやすくまとめた方、初めてです!はい!ぜひやってみたいです。」
「では、私が32歳当時に思いついたものの、20年近く封印してきたものがあります。『自立具現化コーリング』と言いまして、5〜7次元を自由自在に往来できるようになります。5〜7次元とは『核を突き抜けた世界』です」
「そんなのがあるんですか!なんか不可思議ですが、私にもできるんでしょうか?」
「分かってみれば、カンタンです。逆を言えば分かるまでは五里霧中です。人類史上多くの皆さんが悩み苦しんできたテーマの1つ。『ぜひ反論してください』と言い続けていますが、世界中で普遍性がある内容です。
先ほどの『自己否定の正体』を逆手にとった感覚で、おそらくは世界初のアイデアです。カンタンでシンプルだからこそ、深めがいがありますよ。存在価値の重要性をご理解いただいている芽衣子さんのような方にこそ、受けていただきたいですね。」
予想もしていなかった展開に、感極まった。