青天の霹靂
今日は予定が大幅に変更になってしまいました。ご本人は≪生きたい!≫という情熱に溢れた方ですから、おそらく今までの習慣性を克服するための峠を越えようとしているんだと感じています。
昨夜山梨のお母さんから電話がかかってきました。「お父さんが危篤状態だから、明日はキャンセルでお願いします。もし来てもらっても施術どころじゃありませんから」
まさに青天の霹靂!
お父さんとの出会い
8/12(金)に初めて塩山に行ってから、毎週出張していました。お母さんが調子よくなってきたからという理由から、病室のお父さんへ。
病室に入るなり、ギョッとしました。「よく生きてるな!」といった印象で、体がねじれて死後硬直のように冷たく固まり、胃に穴を開けられ流動食を摂り続けている意識不明の状態でした。
交通事故に遭ってから、12年・・・。何かしら生きたいと考える情熱がなければ、どう考えても、とっくに息絶えておかしくありません。実際何度もご家族が呼ばれたそうです。
施術するうちにどんどん体が温まり、体が緩んできました。
聴くところによれば、元産婦人科の名医で、仕事が生きがいだったそうです。ある運動家でもあり、会を設立しTV出演するほど、有名になったそうです。ある日それを乗っ取られ、悔しい思いを消化しきれないまま事故に遭ってしまわれたようです。その悔しい記憶がずっと残ったまま、感情が解放されてはいないんだと諭されました。
仕事以外に関しては寡黙で、どんなに深夜でも率先して出産に立ち会って来られたとか。語りたいことをどう伝えるべきか手段が分からず、悔しくて死にきれない思い・・・・・・。感情表現したくとも、今までの習慣からどう語るべきか麻痺してしまった。そうこうしているうちに、語れなくなってしまった(ー ー;)
「先生!一緒に組んで世の中変えましょうね!そのためにも先生が、どうしても必要なんです!」等々語りかけると、近くで見ている娘さんにもはっきり分かるくらいの改善ぶりでした。帰り間際の娘さんの祈りがまた感動します。25年間お手伝いをしている方が、定期的に個人でお見舞いに来ているそうです。足を触って、「冷たくない!」と感動されていたとか・・・。
前回はもしかしたら仙骨矯正できるかもと思い、道具を持っていきました。結果残念ながら、膝と股関節があまりに固く、伸ばせず厳しかったです。
感情解放の重要性
「よぉし、次回こそは・・・」と決意をしていた矢先の出来事でした。ぜひこのお父さんに、些細ながらもあなたの想いを傾けていただけませんか?必ず快復に向かい、ともに世の中を変えるために一致団結している日が来る事を、信じてやみません。
この危篤状態は、多くの皆さんの祈りも重なり、乗り越えきれました。
以下、娘さんからのコメントです。こちらの記事を、娘さんに転送しました。特急電車からの返信でしょう。読んでまた涙が・・・。
「ありがとうございます。素敵な文章です。私達の数ヶ月の歩みが色鮮やかに描かれていて、ほっとするし、また、せっかくいいとこだったのに~と悔しくもなります。神さまは準備ができた~とおっしゃっています。
私の心も平安で喜びがあります。吉永さんが心をこめて治療してくださり、何よりも父を尊敬して接して下さったこと感謝します。まだ終わりじゃないので、また塩山駅でお迎えに行くことを期待しています。」
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2012.1.21、残念ながらお亡くなりに。線香あげさせていただき、位牌の前で思わず涙がこみ上げてきました。施術でお父さんと向き合った日々は、私には素晴らしい宝物です。