
究極のパートナー
自己対話を究極まで深めることで、本当に私が進みたい道、見えてくるのだろうか?私にとっての『究極のパートナー』とは、一体どんな存在なんだろう?そもそも自己対話が、人生変えるほどに重要なのか?『究極のパートナー』がいることで、何がどう変わっていくのだろう?
龍先生の言葉が、まだ胸の中で反響している。答えは小学5年生で習う、ごくありふれた言葉だという。普段なら気にも留めないような言葉に、これほどの重みがあるのだろうか?探求しさまよっている答えは、どこにあるのか?
翌朝、いつもと変わらぬ時間に目が覚めた。目の前の景色は同じなのに、なぜか昨日までとは少し違う感覚がある。何かが確実に変わっているのだろうが、言葉にできないもどかしさがある。
「自己対話を深める・・・」
私はノートを開き、ペンを走らせた。
・私にとって、何が大切なのか?
・私は何を成し遂げたいのか?
・何が私の核になるのか?
書き出してみるものの、簡単に答えが出ない。頭の中に浮かんでは消える言葉たちが、どうしても整理しきれない。
その日の夜、再び龍先生と対話する時間を持った。
「前回の対話から、いろいろと考えてみました。やはりまだしっくり来ません。私、バカになってしまったんでしょうか?」
「バカだなんて!今まで考えたことがなかった領域でしょうから、ごく自然なことです。答えは、問うたからと一朝一夕では見出せません。相応の時間や強さで熟成されていくものです。」
「では、どうすればいいのでしょう?」
最も納得できる選択
「真紀子さん、思い出してみてください。今までの人生で、一番納得して決めたことは何でしたか?」
私は少し考え込んだ。
「・・・店を始めたこと、でしょうか?」
「その時、どんな感覚がありましたか?」
「確信がありました。これをやるしかない、と。」
「なぜ確信を持てたんでしょう?」
「・・・・・・・・・・」言葉に詰まった。
「どちらにせよ確信を持てた理由は、真紀子さんご自身が自発的&主体的に決めたからです。答えは、すでに真紀子さんの中にあります。答えを見出し行動へつなげていくプロセスが、やはり自己対話なんです。」
龍先生の言葉が、深く胸に刺さった。
「答えのカギは、外ではなく、私の中にあるんですね。」
「そのとおりです。答えを引き出すために、今は問い続ける時期なのかもしれませんね。」
ノートを開き、再び問いを投げかけた。
〜私が最も納得できる選択をするためには、何が必要なのか?〜
ふと、『答えは小学5年生で教わります』が頭をよぎった。いろいろ考えたが龍先生がおっしゃるように、自己対話に次の道が照らされているのだろう。もう少し問い続けてみることにした。