舌ガンだと申告された美奈さん。親との確執から、40年帰省したことがありません。料理一筋に生きてきたため、知り合いかつ信用できる仲間が、店のメンバーしか思いつきません。
告白の温度
厨房の奥、いつもの位置に立っているはずなのに、 包丁の重さが違う。メンタルが、体に及ぼす影響は甚大だという話を聞いたことがある。身をもって痛感している。現実を突きつけられるまでの私と今の私では、何もかもが違ってきている。
「舌ガンです」 医師の言葉が頭の中で何度もこだまする。味覚は、さらに曖昧になっている。それでも、仲間にはまだ言っていない。言えない。
最も信用している店の仲間—— 伝えた瞬間、何かが壊れる気がしていた。すさまじい恐怖感がある。とはいえ黙っていることも、嘘をついているようで苦しい。
「美奈シェフ、今日のソース、ちょっと違いますね」その一言が、胸に突き刺さる。違うのは、ソースじゃない。私だ。
厨房の音が遠くなる。心の中がざわつきながら、悶々と問いが込み上げてくる。「私は、何を味わって生きてきたんだろう?」 「この店で、何を伝えたかったんだろう?」改めて「味わうことの意味や価値」を問い直す。
舌感の記憶
家を出て帰らないと決めている理由は、母の固執した日本料理へのこだわりだ。子どもの頃から、誕生日ケーキ等も他の皆とは違う、変な色をしたものだった。「家庭の食卓」という話題が、周囲とかけ離れていた。だからこそ、友達を招き入れたこともない。親を誰にも紹介したくなかったし、家族のことを語りたくなかった。
「私は絶対にお母さんみたいな生き方はしない!」と常々口にしてきた。だからこそ、早く家を出て、全く別の世界を生きることにしたのだ。高2当時の17歳で限界を感じ、都内の料理店で修行。一心不乱に没頭し、3年でパリへ。
20歳から10年、美食文化の激戦区で徹底的にしごき抜かれた。30歳で都内の1等地に開業できるよう資金援助してくださる方が現れ、千載一遇のチャンスだととらえた。渡仏前に師匠からいただいた牛刀を携え、日本へ帰国し今に至る。
25歳でソース担当となり、それこそ七転八倒の苦しみだった。ソースを通じて素材とのマリアージュ。感覚を研ぎ澄まさなければならない。皿洗い当時から厨房はまさに戦場だったが、洗練されるほどに内側へ向いていくのが分かった。
たとえ素材がよくなかったとしても、ソースによって極上の味に仕上げることができる。だからこそ、舌感(味覚)には極めて細心の注意を払ってきた。だからこその疑問。なぜ私が・・・・・・?
「死ぬまで料理人」という決意
意を決し、すべての作業を終えてから、皆に残ってもらった。
「美奈シェフ、どうしたんですか?」スーシェフの悠太が問うてくる。
「重大な発表があるの。言うべきか、かなり悩んだんだけどね。」
「何ですか?美奈シェフのためなら、何だってやりますよ」皆が口々に言う。
「私・・・、舌ガンらしいのよ。ステージ2だと言われたわ。腫瘍が舌の左奥裏に3cm程度あって、3人の医師に切除手術を勧められたわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」一気に場が凍りつき、真空化されたかのようだった。
「そうよね。言ったところで、皆もどうしようもないわよね。私、絶対に切りたくないの。死ぬまで料理人でいたいから。切らずにガンとの問題を解決する道を探したいの」
「確かに今のままではどうしようもありませんが、話してくださってありがとうございます。・・・美奈シェフお1人で悩み苦しむんじゃなく、私にも一緒に背負わせてもらえることを感謝しています。」悠太がたどたどしくも、返してくれた。
「そうですよ!私も一緒に悩み考えます。話してくださり、本当にありがとうございます。」スタッフ9人全員が、改めて1つになれたと感じた。話せてよかったと、心の底から感動し涙が溢れてきた。

だからと言って、まだ何も解決したわけではない。これからどんな展開になっていくのか、考えるほどに恐怖が湧いてくる。今までにも、似たような出来事があった。恐怖を感じていても、払拭できるほどに没頭していこう。