困迷をさまよい歩いてきました
「言霊」からも日本には特に、言葉を重要視していますね。
例えば20歳当時、アロハシャツが好きでよく着ていました。もちろんアロハシャツ自体に問題ある訳ではありません。しかしそれをまとった時、どうもチンピラっぽく見られていたようです。着ているだけで避けられていたと、振り返って感じます。
回想してみて、思い当たるエピソードがたくさんあります。今思えば、その清算のために2007.3.31、チンピラまがいの方にぶん殴られたのかもしません。
自衛官当時(19歳の夏でした)、周囲におだてられてサングラスをかけタバコをくわえた写真を撮られたことあります(吸わされたことありますが、自発的に吸ったことはありません)。どんなに誠実で前向きな言葉を使っても、その写真からは説得力は皆無でした。私を知らない方が、その写真を見た方の第一印象は・・・・・・・。
営業時代、スーツを着て七三分けで出かけていましたが・・・、低迷期は長かったです。成果を出せず、幾度も転職を繰り返しました。当時の社長からは「原因はニオイだ」と言われ、意味がさっぱりで深い悩みに陥りウツ。生死をさまようどん底の境地を味わいました。
自衛官時代「制服を着ている」という責任意識から、反動で「犯罪者になってしまうんじゃないか?」と恐怖に怯えながら生活していました。当時の心の弱さが浮かび上がって理解がふかます。だから左翼主義者と自称し、現実逃避していたのか・・・。
幾多の意味不明な経験から、点と点が線になり面につながっていく・・・。
否認と矛盾の生涯
当時は自分を認めきれず、「世界平和」を謳いつつも自分や親と弟を憎み嫌い、家を根絶やしにすると本気でした。他の誰でもない、私自身に悪影響な言葉を聴かせ続けていました。今までの清算ができていないからこそ、結婚した今でも子供がいないのかもしれません(弟にはめでたく3人)。
本当に言葉が思想の衣装ならば、見た目いかにカッコよく装っても、分かる方には【本性】を見透かされてしまうんじゃないでしょうか?
なぜなら当時の私も、成長欲求に燃えて努力を積み重ねていたからです。すべてをフル活用するにはどうすべきか?一所懸命考えてきました。どんなに努力しても真心の限りを尽くしても、方向性が正しく適切でなければ逆効果になってしまうことだってあり得ます。
あなたは、日々の生活の中で、どんな言葉を使っていますか?
言葉は、思想の衣装である。
サミュエル・ジョンソン(イギリスの詩人・批評家、1709~1784)