ある定食屋にて
先日、ランチである定食屋に入りました。その店では、ご飯と味噌汁は、食べ放題です。
そこで、私が来た時すでにドンブリ2杯目じゃないかという状況の、可愛らしい女性がいました(おそらく20代前半)。私は2ヶ月で1回利用する程度ですが、その女性必ずと言っていいくらいに、その定食屋にいます。「もしや毎日来ている?だとしたらこのランチだけで一日を済ませようとしているのか?」と心配になります。
いつも同じように何度もお代わりして、その都度ドンブリ大盛りです。今回、たまたま横の席になったので、強食欲をチラ目に観察していました。ここで、私自身の強食欲当時の記憶が蘇ってきました。あなたの根本解放に結び付けられればいいのですが・・・。
自虐思想の暗黒時代
練馬の自衛官時代、朝食はバイキングで《パンorご飯》と決まっていつつも、私は両方でした。朝食の準備ができた時点ですぐに食べれるよう、毎回ほぼ最前列。しかし食べ終えるのは、時間ギリギリくらい・・・。もちろん噛んでなんていません。昼夕食ともに、やはりたくさん食べました。
ラーメンどんぶりご飯にキムチ・卵・納豆・海苔・・・・、先輩らに当初「ホントに全部食べるんだな?」と確認され、「○○スペシャル」なんて名付けられていました。
自衛官を辞めてからも、近くのサンドイッチ屋さんから耳パンもらったり、スーパーの半額弁当を2つ(売れ残りですから同メニューが多かったです)等々。栄養を一切気にせず、満腹感だけを追求していました。
今思えば暗黒時代の一因は、かなり占めていたように思います。
紙一枚持っただけでぎっくり腰になったことをはじめ、病名診断こそされない不可解な症状に悩まされていました。自身の無価値感や自殺願望、ありとあらゆるメンタル的疾患は、とめどもなく溢れ出てきていました(だからこそ、コリリンテーブルを発見できました)。
満たされなかった愛情
当時は、感謝できないことに、すごく悩んでいました。周囲の皆さんから今日つに「感謝が足りない」と指摘されていたことを機に考えるようになりました。
妬みや恨み・価値観の強要ばかりで、たとえ周囲から認められても、「孤独」「孤立」どちらかの気持ちが大半を占めていました。人生を虚しく終えたかのようにあきらめ、愛情が完全に枯渇しており、まさに餓えていました。
だからこそ、どうにかして無意識に満たそうとします。食事による満腹感は、愛情の満腹感を擬似的・刹那的に味わえます。そんな麻痺状態の時期が、かなり長期に亘っていました。
若い頃から、「胃下垂ですね」と診断されていました。だからと言って、全く問題を感じない麻痺状態です。問題意識がなければ、解決しようと本気には向き合えません。まさかこんなカラクリになっていたとは、考えてもいませんでした。
胃下垂がどう問題なのか?それは、胃が下がった状況にあるのですから、本来あるべき状態ではありません。それでも体は、バランスを保とうとします。不自然な状況で安定を保とうとするなら、どこかにしわ寄せが起きます。
今振り返って私の場合、分かりやすく表面化した症状は、オナラの臭いでした。極力悟られないよう配慮していましたが、問題視していても原因が分からず、どうにもできませんでした。
まずは現状把握
多くのお客様方に、施術を受けてすごく喜んでいただけている一要因に、立ち位置が明確になったことが挙げられます。言葉を変えれば、「動機の深掘り」です。
なぜ?
何のために?
を深掘りする中に、あなたが本当に見出したかった「完成予想図」が、自然と浮き彫り化されてきます。根本解放には、絶対に必要不可欠です。
あなたの体は、その答えを知っています。なぜなら、あなたの最高・最適なパートナーだから。あなたの体は、あなたの一生涯永遠の応援団長です。体の中へ、何をどう取り入れていくのかは、あなたの人生を大きく左右します。
定食屋を出ようとした時、彼女は何とドンブリ4杯目(もちろん大盛り)!驚愕な強食欲のあまり、目を疑いました。