崩れる朝〜堺歩美さん物語10

崩れる朝〜堺歩美さん物語10

残響

朝。目が覚めても、昨日の感覚が残っている。美奈さんの「届く声」が、頭に鳴り響いている。顔を洗うが、鏡は見ない。キッチンに立ち、コーヒーを淹れる。音だけが響く。

足音。直美が来る。

「おはよう」

「・・・おはよ」短い。続かない。パンを焼く。皿にのせる。いつもの動き。

「今日、何時に出るの?」

直美がかすかに引きつり笑う。「ママらしい」

鼓動が止まる。「どういう意味?」

「そのままだよ。ちゃんとしてるフリしてるだけでしょ」

露呈

空気が変わる。

「フリって何?」声が少し荒強くなるのが分かる。

「いつもそうじゃん。言いたいこと言わないで、あとから勝手に抱えて」

言い返す言葉を探す。見つからない。

「別に・・・そんなこと」

「ほらね」被せられる。

「ママ、何も言わないで『分かってるでしょ?』って顔するの、もう無理」髪をクシャクシャにしながら。

胸の奥が動く。「・・・そんなつもりは」

「つもりじゃなくて、そうなってる」

言葉に詰まる。昨夜、ドアの前で止まった感覚が重なる。今朝、飲み込んだ言葉も。同じ動き。同じ止まり。

「ねえ、ちゃんと話してよ」テーブルを、指でトントン鳴らしている。

まっすぐ言われる。逃げ場がない。言葉を選ぶ。整える。・・・出てこない。沈黙。そのまま立ち尽くす。直美が息を吐く。

「やっぱりね」ボソッと言って、視線を外す。コーヒーを一口。

その瞬間、はっきり分かる。今までと同じことを、またやった。何も変わっていない。目の前で。「やっぱりね」と視線を外されたまま終わるはずだったのに、なぜか・・・。

崩れ

「・・・待って」と口に出してしまい、自分ながらに驚く。何を言おうとしているのか分からない。それでも、このまま引けばまた同じになると分かっているから、引けない。直美が振り返る。喉が詰まる。言葉が出ない。それでも、出す。

「・・・私、分かってるフリしてるかも」

言った瞬間、逃げていたことが発覚する。直美の表情が変わる。

「やっと言った」なんとなく嬉しそう。

直美の一言で、支えていたものが崩れる。何をどう言えばいいのか分からないまま、流れを止められない。

「うまく言えない。でも・・・ずっと避けてきたと思う」整えられていない言葉が、そのまま出ていく。今までなら選んで、整えて、結局出さなかった言葉が、形にならないまま外に出る。初めてだ。こんなふうに話すのは。

直美は何も言わない。ただ見ている。評価も否定もなく、そのまま受けている。その沈黙の中で、もう隠せないと分かる。このまま取り繕えない。ここで止めたら、さっきと同じになる。

それでも、どう続ければいいのかは分からない。ただ1つだけはっきりしている。このやり方では、もう無理だということだけ。

#パン
#キッチン
#コーヒー
#人生
#ママ
#幸せ

天才性を思い出す

天才性を思い出す

天才は状態である

「変わりたい」と願い続けているのに、何も変わらない。むしろ、変わろうとするほどズレていく。この違和感、あなたには覚えありませんか?こういった流れは、もしや天才性発掘のサインなのかもしれません。

天才は、生まれつきの能力だと思っていた、40代前半までの私。誰とも話が噛み合わず、孤独の極致。意味不明に「核弾頭」だと称され、バカだと決めつけてきました。

流れが全く変わったきっかけは、施術のお客様でもあった某コピーライターさん(「Universal Flow 」の発案者)。「あなたはまぎれもなく天才よ」と、施術体験会後の懇親会で評してくださいました。

現実の荒波に翻弄され、すっかり忘れていたのを思い出せたのが、コロナ禍に降りてきた『姓名承認』です。この言葉を機に、「私は確かに天才で、天命を生きていないわけがない」と確信いたしました。

天才よりも天才性

『フロンティア あなたの中の天才脳』(NHK)では、天才とは
1「生まれながらの天才(先天性サヴァン)」。
2「事故等で脳が損傷し起きる天才(獲得性サヴァン)」
だと主張しています。

疑問が湧きました。Google検索より速く名前の解説が浮かんでくるようになったきっかけは、営業の真っ最中。事故とは完全に無縁で、ネガティブイメージ全開でした。まさに突然変異と言わんばかり。

私の主張は、「天才」そのものではなく「天才性」です。もはや名前に関する私の能力は、条件反射です。姓名判断が大嫌いだったので、名前の世界と距離を置こうと何度試みてきたことか。裏腹にいつの間にやら、名前関連に紐づけた思考へ。変わったことが邪魔でした。

「天才性」とは、必要に応じて望ましい能力を発揮できている状態です。よって偶然ではなく意図的に入れるものなのです。鍵はプロセスと妨げている正体の理解です。

対話の精度

1人でいくらでも深く考えられます。だがそれは「深い気がしているだけ」かもしれません。「核心に触れているのか、ただ気持ちよく納得しているのか?」自己対話では判別がつきにくいのです。

・自分の中で正しかったものが、他者の一言で簡単に壊れる
・曖昧だったものが一気に具現化する

誰かとの対話によって、こういった場面に遭遇したこと、ありませんか?自己対話した方がいいと、多くの皆さんが考えていながら足踏みしてしまう理由の1つ。《思い込みの暴走》です。

ひらめいたアイデアが、本当にクリエイティブな世を揺り動かす発見なのか、何のことはないただの勝手な思い込みかは、誰とどんな対話を重ねるかによります。

問いは思考の確認

「あんた、どう思う?」尊敬する松下幸之助さんの口ぐせ。「経営の神様」と名高い彼が、知らなくて訊いているとは、どうしても思えませんでした。

「あんた、どう思う?」と尊敬する方から問われれば、嬉しくない訳がありません。喜び勇んで考え答えます。彼は、問うた答えがどう反応されるかを、確認していたのでは?

問いは、思考を壊します。自らだけでは完成しないものを、外に出すことで初めて確かめているのです。本当の自己対話は深まるほどに、確認したくなるのです。

変容とは

冒頭の問い「『変わりたい』と願い続けているのに、何も変わらない。むしろ、変わろうとするほどズレていく」に戻ります。

天才性を発掘し変容を起こせた方々は、変わっているのでしょうか?私の主張は「思い出して、自発的に更新への意欲を明確化させ、たどり着けた」です。変容は結果です。事故が起きた等のあまりに急激だった場合、プロセスが曖昧化されます。だからこそ「突然変異だ」となります。

仮にあなたが思わしくない状態だとしましょう。それは、何らかの不具合があって「本来の状態」を忘れてしまっているからだとしたら?もしその「本来の状態」を思い出せたなら、あなたの人生が変われない理由とは何でしょう?あなたが考える「変われない理由」を1つ1つ解放していった先にあるものとは?

変えようとするほど、ズレます。理由は、本来の状態から離れる方向へ力を使っているからだとしたら?あなたが「どうしてもあきらめきれない」「これをやらずには死ねない」と感じていることとは?

結論

多くの皆さんから「おかげさまで変われました」と感謝される場面もありました。ずっと疑問に感じていた点です。私は、「変えた」覚えがありません。

もともとあなたは、「本来の状態をかっこよく生き抜いている」のです。あなたは幸福になるために生まれてきたのですから。

#幸せ
#NHK
#事故
#思考
#感謝
#龍

声〜堺歩美さん物語9

店を出る。外の空気が冷たい。美奈さんの声が残っている。無理がない、押していない、それでも届く、声。確実に、向き合っていなければたどり着けようがないエネルギーを感じた。私の声はどう?言葉を選ぶ。整える。伝える前に、どこかで止める。さっきの声と、明らかに噛み合っていないと、私自身が自覚している。

「編集長。今日はどうしたんですか?」付き添っていたADが訊いてくる。

「え?何が?」

「え?気づきませんか?いつもは、特集に関することしか話題にしないじゃないですか。今日の後半に訊いていたことが、記事になるとはあまりイメージつきません」

「確かにそうね。あなたには無駄な時間を過ごさせてしまったわね。ごめんなさい。」

まったく彼の言う通りだ。私、どうしたんだろう?記事になりそうもないことをたくさん訊いて、いったい何をしようとしていたのかしら?

なぜだろう?言葉にできない嫌な感じ。なぜ今こんな気持ちになるのか?

よみがえってくる声

麻布十番の店を出てから、それぞれ直帰する予定。四谷で中央線に乗り換える。足は動いているのに、さっきの感覚だけが残っている。私の声を気に入っていないというわけではないのに、美奈さんの声が脳裏から離れない。なぜこんなにも気になってしまうのか?

「編集長、大丈夫ですか?」ADが心配そうに覗き込む。

「ええ。大丈夫よ」

そう答えつつも、自分でも分かる。大丈夫じゃない。確実にいつもの私ではない。けれど、違いを言葉にできない。人混みの流れに紛れていく。さっきまでのことが、少しずつ遠くなる。それでも、消えない。

声〜堺歩美さん物語9

ホームに立つ。電車が入ってくる音。乗り込む。ドアが閉まる。窓に映る自分の顔を見る。・・・何かが違う。目を逸らす。スマートフォンが震える。仕事の連絡。いつも通り、返す。指は動く。さっきまでの感覚とは、別の場所で。

電車が動き出す。流れていく景色を見ながら、また美奈さんの声が、よみがえってくる。

鳴り響く不協和音

吉祥寺駅に着き、自宅までのいつもの道。美奈さんの声とともに湧いてくるのが、長女 育美の渇いた笑い「ママらしい」。なぜ今これ?不可解な不協和音が頭に鳴り響いている。

言い返そうとして、やめる。言葉を選ぶ。整える。結局、何も言わず押し込める。同時に、さっきの声が重なる。無理がない。押していない。それでも、届く声。頭に鳴り響く不協和音を、さらに押し込める。

明らかに噛み合わっていない。だとしたら、私は何かを止めているのではないか?「言わない」ではなく「言えない」?・・・答えは出ない。ただ、はっきりする。このままじゃ、同じことを繰り返す。何をどうすればいいか分からないが、今のままではダメな気がしてならない。

歩き続けるうちに、自宅の灯りが見える。オートロックのエントランスを抜け、エレベータを上がる。最寄り階に着き、ドアの前で手が止まる。このまま入ると、また同じだ。迷う。ドアノブに手をかけたまま、動けない。

#幸せ
#長女
#エネルギー
#龍
#電車
#麻布十番

求めてきたマリアージュ〜堺歩美さん物語8

求めてきたマリアージュ〜堺歩美さん物語8

前回からに続き、美奈さんへのインタビューはまだ続いている。厨房の奥で、小さく火の音がしている。営業日の賑わいとは違い、店全体がゆっくり呼吸しているような静けさだ。

私はメモ帳のページをめくった。

「もしよろしければ、そのセラピーについて、もう少し詳しく聴かせていただけますか?」

美奈さんは小さく頷く。

見えない領域

「そのセラピーって、どんなことをするんですか?」

率直に尋ねると、美奈さんは少し笑う。

「それが、一言で説明するのが難しいんです」

「難しい?」

「ええ。何かを教わる、という感じでもないんです」

そう言って、少し考えるように視線を上げる。

「むしろ、自分の反応を見ていく感じ、でしょうか」

反応。その言葉を書き留める。

「体の反応、ですか?」

「体もそうですし、考え方もですね」美奈さんが続ける。

「龍先生は、何かを押し付けることはありません。こちらの反応を見ながら、質問されるんです」

質問。それはカウンセリングのようなものだろうか?美奈さんは首を振る。

「少し違う気がします」

料理に似ている

「どう違うんでしょう?」

「うーん・・・」考える間を置いてから、美奈さんはゆっくり返してくる。

「料理に近いかもしれません」

思わず顔を上げた。「料理?」

「はい」美奈さんは頷いた。

「どういうことでしょう?」

「素材って、それぞれ持っている味がありますよね。無理に変えるんじゃなくて、そのまま活かす」

確かにフレンチでも和食でも、よく聞く話だ。

「龍先生も、それに近い感じなんです」

「どういう意味ですか?」

「もともと自分の中にあるものを、ただ見つけていく感じなんです」

その言葉を聞いた瞬間、なんとなく既視感を覚える。さっき美奈さんが言っていた言葉。

《自分の中にあったものを、やっと使えるようになってきた》と、どこかつながっている気がする。

無理が減る

「だから最初は、何が起きているのかよく分からないんです」

美奈さんが微笑む。

「でも、続けていると気づくんです」

「何に?」

「無理が減っていることに」

穏やかな声。

「料理でも、店でも、人生でも。今までは頑張っていたところが、自然に動くようになるんです。『あ、これが求めてきたマリアージュなんだ』って感じています。」

私はペンを止めた。「頑張らなくなる」。それは一見、怠けているようにも聞こえる。けれど美奈さんの話を聞いていると、そういう意味ではない気がする。むしろ逆だ。本来の力が、邪魔されなくなる。そんな感覚ではないか。

周囲も変わる

「不思議ですよね」

美奈さんはそう言って、気持ち肩をすくめた。

「説明しようとすると難しいんです。でも、店のスタッフも少しずつ変わってきていて」

隣に座っていたスーシェフが、小さく笑った。「確かに。言われて気づけました」

短い一言だったが、どこか実感がこもっている。その様子を見ながら、ふと思う。もしそれが本当なら。それは単なるセラピーの話ではない。

深い人

私はもう一つ、気になっていたことを尋ねた。

「その龍先生は・・・どんな方なんですか?」

少しだけ間を置く。

美奈さんは一瞬、遠くを見るような表情をした。

そして、ゆっくり答えた。

「そうですね・・・」

小さく笑う。

「一言で言うなら」

少し首をかしげてから、言った。

「とても深い人です」

その答えは、思っていたよりもずっとシンプルだった。けれど不思議と、強く心に残った。

深い人。そう言われた瞬間、なぜか訊き返せない。

#幸せ
#カウンセリング
#人生
#フレンチ
#料理
#和食
#龍

「声」の理由〜堺歩美さん物語7

前回からの美奈さんへのインタビューが、今回も続きます。

「声」の理由〜堺歩美さん物語7

思いがけない話題

「実は、私・・・」

美奈さんはそう言って、少し言葉を探すように視線を落とした。厨房の灯りがほのかに揺れている。さっきまで聴いていた料理や店の話とは、それた雰囲気が流れ始めていた。

「こういう話、まさか取材ですることになるとは考えてもいませんでしたが・・・」

そう前置きしてから、ゆっくりと続けた。

「今、あるセラピーを受けているんです。きっかけは、舌ガンです。ステージ1で、もう寛解していますけどね」

セラピー。私はメモをとる手を止めた。料理人の話としては、意外な言葉だった。しかもガン、舌ガンだった時期があったなんて。

「最初は正直、半信半疑でした。料理のことでも、店のことでもないですしね。でも、受けていくうちに・・・、不思議な変化が起きて」

「変化・・・・・・ですか?」

「ええ」美奈さんは穏やかな表情のまま、頷いた。

体の変化

「考え方が変わった、というより・・・、『体の感じ方が変わった』という方が近いかもしれません。」

体の感じ方。その言葉に、少し首をかしげる。「どういう意味でしょう?」

美奈さんは少し考えてから、言葉を選ぶように話し始めた。

「例えば、呼吸ですね。前より深くなった気がします。あと、声も。無理に出そうとしなくても、自然に出るようになったというか・・・。当たり前の基準が違うんです。私が変わることで、店も変わりました。私が何かをしたわけではありませんが、スタッフ全員に影響がありました。」

そう言いながら、少し照れくさそうに笑った。となりのスタッフとアイコンタクトを交わしている。

「さっきおっしゃられていた『声』も、もしかしたらその影響かもしれません」

思わず頷いた。確かに、ただ落ち着いているだけの声ではない。どこか無理がなく、自然に響いてくる。今まで声に関しては、特別な感覚がある。多くのインタビューを経てきて、声と感情は密接に関連づいている。「声で人生が読み解ける」と自負している。

美奈さんの声は、長期にわたって今の声なわけがない。一般的には、どうやっても手をつけられない領域があると考えるとつじつまが合う。明らかに何らかの出来事を通じて、磨かれた声だ。それは技術では説明しようがない種類のものだ。

出会い

「そのセラピーは、どなたが?」

そう尋ねると、美奈さんは姿勢を正し、凛とした声で

「龍 庵真(りゅう あんしん)という男性です」

その名前を聞いた瞬間、改めてメモを再開した。

「龍先生、ですか?日本人?」

「はい。日本人です。きっかけは友人のお勧めです。あまり詳しいことも分からないまま、試しに受けてみたんです」

「受けてみて、どうでしたか?」

美奈さんはすぐには答えない。考えるように間を置き、それからポツリ。

「すぐに理解できたわけではないんです」

「そうなんですね」

「ええ。今でもよく分からない点は多いです。」

当たり前が変わる

続けた理由を尋ねると、美奈さんの声のトーンがまた変わった。「体の方が、先に反応していたからです。『当たり前が変わる』ので、振り返った時に気づけました。」

体が、先に反応する。その言葉は、どこか印象的だった。「例えばどういう反応ですか?」

「うまく説明できないんですけど・・・、なんとなく無理がなくなっていく感じです。『マリアージュ』って、フレンチでよく聞きますよね?私の中で、どんどんパズルが組み合わさっていくような」

料理の話をしている時とは、少し違う口調だ。けれど、不思議と説得力がある。

「頑張らなくても、自然に動けるようになるというか。料理の時も、店のことを考える時も。『なんだ。私って、これをやりたかったのね』って」

そう言いながら、美奈さんはカップにお茶を注いだ。湯気がゆっくりと立ち上る。

探求の始まり

「それで、続けているうちに気づいたんです」

「何に、ですか?」

「自分の中にあったものを、やっと使えるようになってきたんだなって」

その言葉を聴いた瞬間、私はかすかに視線を上げた。

《自分の中にあったもの》それは料理の技術の話でも、店の経営の話でもない気がした。もっと根本的な、核のような何か。

「それが・・・、さっきの『声』につながっているのかもしれませんね」美奈さんはそう言って、照れくさそうに微笑んだ。

私はメモ帳を閉じ、もう一度美奈さんの顔を見た。

料理人としての人生。
母から受け継いだ資質。
今話しているこの変化。

それらが、どこかでつながっている気がする。ただ、まだ全体は見えていない。静かにペンを取り直した。

「もしよろしければ、そのお話・・・。取材の域を超えてるようにも感じますが、もう少し詳しく聴かせていただいてもいいでしょうか?」

美奈さんは驚いたように目を丸くしつつも、間を置き頷いた。「ええ。もちろんです」

次回は、美奈さん視点の見解です。

定休日のまかない〜堺歩美さん物語6

以降、1日のインタビューですが、3回(現状の予定)に分割します。歩美さんにおいて、大いに重要な転換点となります。

静かな店

店の前に立つと、営業日の賑わいとは違う静けさがあった。「定休日」の表示がなされ、看板の灯りも落ちている。それでも、厨房の奥から柔らかな灯りが漏れていた。

扉を開けると、スタッフに導かれ、オーナーシェフ 美奈さんがいた。客席は片付いていて、規模のわりに広く感じる。厨房の空気だけが生きているようだった。私はカウンター越しに、厨房に立つ美奈さんへインタビューさせていただくことになった。

定休日のまかない〜堺歩美さん物語6

「いらっしゃい。今日は営業じゃないから、気楽にどうぞ」

「はい。ありがとうございます」

「今日はお伝えしていた通り、まかないです」

「はい。楽しみにしておりました」

美奈さんは微笑みながら、鍋に火を入れた。手際は静かで無駄がない。包丁の音も控えめで、どこか落ち着いたリズムがある。

語られる歩み

料理が出来上がるまでの時間、2人はぽつりぽつりと話し始めた。

最初は店のこと。次に料理のこと。やがて話題は、自然と美奈さんのこれまでの歩みに移っていった。母のこと。店の歴史のこと。志のこと。

料理の道を継ぐことが、最初から決まっていたわけではなかったこと。むしろ距離を置こうとしていた時期もあったこと。

「継ぐって、言葉にすると簡単ですけどね」

美奈さんは鍋を混ぜながら、朴訥に言った。

「本当は、ずっと葛藤していました」

母の背中。
守ってきた味。
店という場所の重さ。

それらを受け取ることが、どれだけ簡単ではなかったか。話を聞いているうちに、少しずつイメージができ上がってきた。

やがて料理ができ上がり、カウンターに皿が並び、スタッフが食卓の準備をしてくれる。美奈さんとスーシェフだと言う方と、私のAD。4人で食卓を囲む。

見た目は素朴だが、ほのかな心地よい香り。ナイフとフォークを取り、一口運ぶ。派手さはないながら、どこか奥行きがある。

話はそのまま続いた。

店を続ける中での壁。
料理人としての迷い。
母との距離。

私はメモを取りながら、時折顔を上げて美奈さんを見た。その時。ふと、違和感に気づく。いや、違和感というより──妙に心に残る感覚。声だ。柔らかい。落ち着いている。けれど、ただ穏やかなだけではない。どこか芯がある。静かなのに、不思議と耳に残る。

首をかしげてしまう。(・・・なんだろう)今まで取材で会ってきた人たちとは、どこか違う。説明しにくいが、確かに感じるものがある。何かを乗り越えてきた人の声。気づくと、言葉が口から出ていた。

「美奈さんの声って・・・」

美奈が顔を上げる。「はい?」

「なんというか・・・」少し言葉を探した。

「落ち着きとともに、すごく芯がありますよね」

美奈さんは少し照れくさそうに笑った。「そうですか?」

「ええ。今まで会った人と、ちょっと違う感じがして」

一言

私自身も、うまく説明できない。ただ、ふと疑問が浮かぶ。何があったら、こんな声になるんだろう?料理の話。人生の話。それだけでは、まだ足りない気がする。もう少し踏み込んでみることにした。

「これまでの経験が、声に出ているんですかね?」

そう言うと、美奈さんは少しだけ考えるように視線を落とした。

そして、静かに言った。

「もしかしたら・・・、あるかもしれません」

少し間が空く。

「実は、私・・・」

その言葉の続きが、私のこれからの探求を、大きく変えていくことになる。

#幸せ
#料理
#人生
#鍋
#料理人
#龍

運命の手紙〜堺歩美さん物語5

今回で大きな一区切り。思いがけない巡り合わせは、逆算と事実検証を重ねて至ります。今回のために、多くの伏線を張ってきました。

候補全滅

企画の候補として挙がっていた店は、いくつもあった。だが実際に当たってみると、取材拒否・スケジュール不一致・企画との方向性のズレ・・・。1つ、また1つと消えていく──。

気づけば、候補名がすべてなくなっていた。そんな時、編集部の新人がぽつりと一言。

「そういえば・・・、麻布に変わった店があるらしいですよ。前にTV局に勤めていて、その時一緒にやったカメラマンの話です」

紹介された店の名前を見て、少し眉をひそめた。フレンチ。今回の企画の対象は、庶民的な飲食店ではなかったか。フレンチのような格式ばった類では相性がいいと思えない。

「違う」と思いつつも、なぜかその名前が頭に残った。「変わった店」とはどういう意味なのか?

打診

数日後、1通の封筒。正式な取材依頼ではない。ただの打診。いわば、軽いジャブだ。

「現在このような企画を検討しており、貴店も候補の1つとして挙がっております」

断られても構わない。むしろその可能性の方が高い。それでもなぜか、送らずにはいられなかった。封を閉じ、業者へ郵送依頼。なぜこんなにも心がざわつくのか?

他にも多くの候補を挙げて打診を送っている。どれもことごとくつながらない。企画自体は悪くない自負がある。あまりの行き詰まりに、長女 育美からの「ママらしい」がのしかかってくる。完全に無関係なのに、なぜこうも気になってしまうのか?

確信

数日後。返事が届いた。

まず、オーナーシェフの美奈さん自身が、弊社のこの本の愛読者だと言う。事務的な質問。企画の趣旨、取材の形式、掲載時期等。

話の元のカメラマンに「変わった店の理由」を訊くとともに、スタッフに下見を兼ねて食べに行かせた。

「候補扱い、終わりでいいと思います」誰も「どんな味だった?」とは問わない。訊いた瞬間、話が平らになる。私が欲しいのは評価ではなく、次号テーマへの「翻訳事例としての成立」だから。

一言だけ返す。「理由は?」

担当は、言葉を選ばなかった。選ぶ必要がないからだ。「思想を掲げていないのに——揃ってます。説明じゃなく、実践として。——読者が分かったつもりで終わらない、温度と間がしっかり伝わる形がイメージできました」

会議室に、短い間が落ちた。沈黙は躊躇ではない。ここで熱を入れた瞬間に、宣伝が始まってしまう。担当者の確信めいた返答に、大いに手応えを感じた。

告白

運命の手紙〜堺歩美さん物語5

改めての本格的な打診に対して返信。なんと今回の特集のきっかけとなった外舘美智子さんと親子だと言う事実。そういえば名字が同じだと、伝えられて初めて気がついた。

「実は、私たち親子です。私が17歳で家を出て、先日畑の手伝いに行くまで、全くの連絡をとっていませんでした。どちらかが死ぬまで母に会うことはないと考えていましたが、特集記事を読んだ時から動揺を隠せませんでした。

さらに狙ったかのように御社から打診をいただき、畳み掛けるように話が進んでいったことに驚いています。この手紙を書くにあたり、腹を決めなければと考えた次第です。どうぞよろしくお願いいたします。」

しばらく、返信の手紙を見つめていた。候補だと見立てていた方々が全て潰れ、ノーマークだったフレンチにまとまり、かつ美智子さんの娘さんだったなんて・・・。身震いがする。まさに運命の導きとしか言いようがない。

企画の起動

その夜、オフィスはすでに静まり返っていた。机に資料を広げ、今までを振り返っていた。企画の新たな起動だ。

これは単なる飲食店の記事ではない。1つの系譜。1人の料理人から、娘へと続く物語。料理の味だけではなく、生き方を描く企画。そう思った瞬間、頭の中で構図がはっきりした。

メモ帳を引き寄せる。ページの上に、新しいタイトルを書いた。『継がれる味』そしてその下に、小さく書き足す「母と娘の物語」。

これはいける。この企画が「絵」にならないわけがない。当日が楽しみだ。

#幸せ
#飲食店
#長女
#生き方
#フレンチ
#龍

本物の好相性〜堺歩美さん物語4

今回のこだわりは、美奈さん物語との矛盾はないか?です。あえて同じ文章を用いています。

美智子さんの特集企画

編集部の会議室を出た後も、私の頭の中には1つの言葉が残っていた。

「好相性」

今回の特集は、美智子さん。人や野菜との関係性の中で、凛と立つ人物として知られる彼女を軸に、「本質的な好相性とは何か」を探る企画だ。

特集にふさわしい人物を探すため、候補者を洗い直した。

・精進寄りで『整える食』を看板にしている料亭板前
・マクロビで陰陽を語れる料理教室講師
・薬膳・陰陽五行を前面に出す薬膳料理家
・発酵で『腸と暮らし』を謳う発酵マイスター
・・・・・・・・・

経歴だけ見れば申し分ない。実績もある。評価も高い。それでも、どこか決定打がない。取材メモを閉じながら、小さくつぶやいた。

「・・・違うんだよな」言葉にしにくい違和感。何かが欠けている。デスクに戻り、資料を広げた。人物・歴史・文化・伝統――思いつく限りの資料を引き寄せていく。しかし、どこかしっくり来ない。

伝統が背負うもの

ふと目に止まったのは、江戸時代から続く老舗の話だった。とりわけ美智子さんの重ね煮思想は、江戸時代から代々受け継がれてきたもの。伝統や格式をいかに承継してきたのか?美智子さんが生活に溶け込ませていく生涯で、オリジナリティはどれくらい発揮されているのか?どんな葛藤があったのか?

何百年も続く家。
継承される技術。
守られる格式。

その記事を読みながら、息を吐く。

パリの三つ星を歴代受けている老舗レストラン。
日本検察の有罪確定率99.9%。
名家や老舗企業の後継者問題。

どの世界でも、長く続くものには共通点がある。「失敗できない」という空気だ。

評価を落とせない。
伝統を傷つけられない。
前例を壊せない。

それは誇りであると同時に、見えない恐怖でもある。「型破り」とは、基礎から忠実に鍛錬してきた者にしかなし得ない。美智子さんがまとっている空気感は、明らかに温故知新を生き様として体現させているのだ。

本物の好相性とは

本物の好相性〜堺歩美さん物語4

ペンを手に取り「好相性とは何か?」メモ書き。そしてその下に、もう一行。「安心して同じ型に入れること?」自分で書いた文字を見つめる。違う気がする。もう一行書く。「型を壊しても成り立つ関係?」手が止まる。どちらが本物?

夜になり、オフィスはひっそりとしている。椅子にもたれ、天井を見上げる。

もしかして―――頭に浮かんだ考えを、すぐに否定しようとした。しかし消えない。《今探している枠の中に、本物はいないのではないか?》候補者が悪いわけではなく、この企画の問いに応えるものではない。そんな気がしてしまう。

PCを閉じた。このままでは特集が組めない。新しい視点を見出し活路を探さなければ。誰か、本当に「好相性」という言葉の意味を体現している人。美智子さんの温故知新という生き様に応えきれる人。

そう思った瞬間、スマートフォンが震えた。画面を見る。長女「育美」。また?連日は本当に珍しい。通話をタップする。

「もしもし?」

ほんの数秒の沈黙のあと、電話の向こうで育美の声がした。

その声を聴いた瞬間、胸に別の不安がよぎった。仕事の問題とは別の、もっと身近な――家庭の問題が、しめやかに深まり始めていた。

#幸せ
#長女
#龍
#薬膳
#好相性

間。〜堺歩美さん物語3

間。〜堺歩美さん物語3

長女 育美から

15時。原稿の赤入れを終えてコーヒーブレイク中、スマートフォンが震えた。画面に表示された名前を見て、思わず手が止まる。長女 育美から。

珍しい。通話をタップ。

「もしもし」

「ママ?」

外にいるらしい。風の音が混じっている。

「どうしたの?今、どこにいるの?横浜?」

育美はすぐに答えない。わずかな間を置いて返す。

「さっき、おばあちゃんから電話あった」

母だ。札幌から。

間。

「直美のこと、心配してた」コーヒーカップを机に置く。

「もうやるべきことは全部終わったよ。弁償もしたし、警察も店の人も初めてだろうって」

事実。電話の向こうで、育美がかすかに「うん」と言った。

「それ、直美にも言った?」

「言ったよ」

「そっか」

少し沈黙が流れる。育美が続ける。「あとね」

「うん?」

「昨日、直美からLINE来た」

なぜだろう?息がつまる。呼吸が2拍ほど止まる。

「なんて?」

育美は息を吸ってから言った。

「一言だけ」

間。育美にも言いにくいことがあるのだろうか?

「ママらしい」

「ママって、怒らないよね」

は?拍子抜け。間を空けて言うような重要なこと?育美には言いにくいことなの?なぜ直美は私にも言ったことを重ねて育美にも?

電話の向こうで、風が強くなる。

「それだけ?」

「うん」

また沈黙。育美の苦笑う気配。

「なんかさ」

「なに?」

「直美、怒られると思ってたっぽい」

・・・・・・・・。育美が続ける。

「でもママ、怒らないじゃん」

その言い方に、なんとなく引っかかる。

「怒る必要ある?弁償したし、初めてだし。怒ったって何も解決しない」

育美の渇いた笑い。「ママらしい」

その言葉が、心に雪が降り積もるように落ちた。

編集企画会議

17時。予定されていた会議。外舘美智子さんの特集記事の件。

「料理ページなのに、生活欄から反響が来てます」
「健康系の読者層も動いてます。創刊以来のダントツレビューです」
「『説明されていないのに腑に落ちる』って、同じ言い回しが多いですね」

想定外の反響に、どう特集をつなげていけばいいのか?ひとまずは、美智子さんに相性がよさそうな候補をあげてみることに落ち着いた。

直美との件は、今は切り離した方がいい。集中しよう。

正しいかどうか〜堺歩美さん物語2

私自身、正しいかどうか?かなり長期にわたって重要視してきた判断基準。

根底にあるものとは・・・。

触れない朝

警察署から帰宅した翌朝、次女 直美はいつも通りに起きてきた。平坦な声で「おはよう」

トーストを焼きながら返した。「おはよう。大学は?」

「行く」

・・・・・・。昨夜のことには触れない。触れても触れなくても、日常は変わらない。触れたところで、何のメリットがあるというのか?コーヒーを注ぎながら、考え振り返る。

謝罪は済んだ。弁償も済んだ。大学側への連絡も確認した。警察からの注意も受けた。今後同じことが起きないよう話もした。やるべきことは、すべて終わっている。何が足りないというのか。

無言の朝食後に

無言の朝食後、直美が机をバンと叩き席を立ちかけ、ふいに言った。「ねえ」

私は顔を向ける。

「ママってさ、本当に絶対に怒らないよね」

昨夜と同じ言葉。昨日言ったことを覚えていないのか?

「怒る場面じゃなかったから。しかも怒ったって何もいいことないじゃない」と返した。

直美は片側だけ口角を上げ、コーヒーカップの縁を指でなぞりながら、笑った。「そういうことじゃない」

正しいかどうか

その一言が、重々しく空気を変えた。長い沈黙が続く。

正しいかどうか〜堺歩美さん物語2

指を机でトントン鳴らしたり、体を震わせながら「ママって、いつも正しいよね」

うなずきかけて、止まる。正しいかどうかは分からない。ながらも、間違えないよう心がけてきた。

直美は続けた。「私が何考えてるか、訊こうとしないよね」。

言葉がすぐに出て来ない。聴く必要があるなら、訊く。今まで「訊いて欲しい」と言われたことがなかった。とはいえ何をどう訊けばいいのか、分からない。直美は、何を訊いて欲しいのか?

直美はそれ以上何も言わず、玄関を出た。ドアが閉まる音が、やけに大きかった。

助ける側の記憶

昼休み、札幌の母 麻由美に電話をかけた。昨日から今朝のことを話す。母は聴いてから―――

「あなたは昔から冷静だったものね」

悪い意味ではないと思う。

「歩美が慌てるところ、見たことないわ。」

私は笑った。「慌てても、仕方ないし」

母は少し黙った後、ポツリとこぼした。「お父さんが亡くなった時も、あなたは泣かなかったものね。」

あの時は、そうするしかなかった。「歩美はしっかりしてるね」父の言葉からも、私の強みだと受け止めている。

「助かったわ。あなたがいてくれて。」

母の声は、感謝だった。ながらもその言葉に、なんとなく些細な違和感が混じる。

《助かった》のか。私は、「助ける側」だったのか。

「分からない」

電話を切った後、机の上の原稿に目を落とす。文字は整っている。構成も問題ない。しかし朝の直美が言った言葉が、脳裏をよぎる。うまく切り換えきれない。

「私が何考えてるか、訊こうとしないよね。」

私は、聴こうとしていないのだろうか?それとも、どう訊けばいいのか、分からないのか?訊いたところで、何がどうなるのか?初めて思う。

今――、何を感じているのだろう?答えが出ない。理由も分からない。「分からない」ということがあるのだと、初めて知った。

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