私の話が伝わりにくい理由
ここ最近の瞑想で、つながり納得できたことがあります。なぜ私の表現が伝わりにくいのか?────「内容が、私の人格の器を超えている」からです。
振り返ってみると、10年以上前の施術家当時からの悩みでした。多くの場合、聴く耳持つ前に「こいつの話を聴く価値があるのか?」と、人格査定が入ります。分かりやすく内容の情報量が1,000で、私の器の許容量を100とします。900は隠されている現状なのだと理解できました。
今までは「理解者を探す」ことに意識が向いていましたが、優先順位は逆でした。まずは私の器を深め広げ、伝えたい内容がきちんと伝わる土台を作ること。本格的に届けていくのは以降の話です。この順番の大切さに、ようやく気づけたのです。
気づけたきっかけは、無自覚の正体である「◯◯◯◯」。あまりの格差を目の当たりにしてしまったのです。
あなたも毎日している◯◯◯◯
9割が無自覚というのは、自己対話。あくまで私の体感で、統計データがありません。相応に、データにする価値がないとみなされているのか?しようとしてはいるが、つかみどころがなさすぎてできないのか?
なぜ自己対話でこのような展開になるのでしょうか?「人生の質は、内側の対話の質で決まる」聞いたこと、ありませんか?私の場合、幼少期から周囲との価値観が合わず、自己対話せざるを得ませんでした。思い返した限りには小4の「死んで呪い殺してやる」が出発点。本当に紆余曲折ありました。
長年「自己対話なんて誰でもしているはず」と思っていたのですが、現実を知って驚きました。「している自覚がない方」が圧倒的に多いのです。その無自覚さが人生を迷わせてしまう原因でもあります。

例えばな場面。家族のために、夕食を作ろうとしている時。食材の買い出しに出かける前から、「◯◯ちゃんは魚が好きだから〜」なんて考えたなら、未来の「料理を皆で食べているあなた」と対話しているのです。これも立派な自己対話の一種。気づかないだけで、誰もが日常的に続けています。
「ただの・・・」と言えますか?
・「また同じ失敗した・・・」
・「なんか気が重いな」
・「あの人、どう思ってるんだろう」
・「私って、やっぱりダメなのかな」
・「まあいっか、今日はこっちにしよう」
・「なんであんなこと言ったんだろう」
すべて「自分の内側との会話=自己対話」です。
多くの方は、それを「ただの気分」「ただのつぶやき」として扱ってしまいます。私が初めて気がついたのは、「お風呂で体を洗っている時に多い」という話を聴いた時。なんと「あ〜、ムカつく!」と叫び声まであげていたのです。
ある日の買い物にて。となりでブツブツ声が聞こえてきます。「これ、買ったら◯◯がキツくなるよな〜。だけど欲しいな〜。あれを切れば買えるようになるかな?しかしな〜」
周囲に聞こえていることを自覚していない典型例ですね。
人生を揺さぶる「無自覚な対話」
何気なく思った一言が、その日の気分を作り、やる気や行動を決め、人間関係や仕事の結果にまで影響します。
親しい友人と買い物へ出かけたとしましょう。「AとB、どっちがいい?」と問われたので、「Aかな」と返したらガッカリな顔をされた記憶、ありませんか?訊いてきた方は、「Bがいい」と半分決めていたのでは?確認の意味であなたに問うていたとしたら?
もともと強烈なネガティバーです。「俺はなんて不幸な星の下に生まれたんだろう?」が口グセだった20歳当時。振り返ってみて、やることなすこと全てが裏目に出ていたのは「そりゃそうなるよなぁ」と、大いにうなづきます。
私自身、よく「考えてみます」を多用していました。自らに問うたのが「『考えてみます』って、自分の中の誰と?」。多くは対話をしている自覚がないから、気づいたら心が重くなっていたり、自信が揺さぶられていたりします。あなたの場合、いかがでしょう?
自己対話で何が変わる?
すごく分かりやすいのは、気持ちの回復です。
・落ちてもすぐ戻れる
・不安の原因が分かる
・自分の本音をつかめる
・余計な我慢がなくなる
・他人に振り回されにくくなる
これらは全部、内側で起きているカラクリに気づけるから。別の言葉で表現するなら、客観視。さもTV番組を見るかのように、起きている出来事を傍観できるのです。
客観視のメリットは、感情移入が減ることです。例えば英会話のビデオセットを買ってしまった22歳当時。法外なやり方に感情的になりましたが、渦中から抜け出て傍観していると、買うようになてしまった背景や気持ちの移り変わりが伝わってきます。結果、当時の過ちを許せるように。
大小の差はあれども、日常的に多くの選択や◯想をしています。日々の積み重ねの結果、ここぞという時に成果に結びつけるスターが現れます。Mr.ジャイアンツ長嶋さんの「ボールが止まって見えた」なんて分かりやすい実例です。
自己対話は生理現象の1つ
もしあなたに「どうしたらあなたのような呼吸ができるのか、ぜひ教えていただけませんか?」と問われても、「はぁ?」となりませんか?自己対話とは、呼吸が勝手に行われているようになされています。
重要ポイントは、扱い方次第。私の場合、32歳当時に生み出した「究極のパートナー」との対話を繰り重ねています。対話相手がはっきりしているほど、人生の軸はブレません。もちろん、生み出した後の設定や調整等は、ご要望に合わせて関わらせていただきます。
だからこそ、まず最初の一歩は──「私は内側で何をしゃべっているんだろう?」と、少し意識を向けてみる。これだけで、人生の見え方が変わり始めます。
もしあなたが今、理由の分からないモヤモヤや、前に進めない感覚を抱えているなら──あなたからのメッセージお待ちしております。