健太郎さん、頭の中で強烈リピート。言葉にできないもどかしさ。

オンライン面談の翌朝。私は、昨日の感覚を反芻していた。
「名前に、そんな意味があったのか・・・」
ただの文字列だったはずの「田中健太郎」という名。どこにでもあるような何の変哲もない私の名前に、私にしか持ち得ない「中心軸」のようなものを感じていた。まるで、忘れかけていた地図を手にしたかのような感覚だ。
ライフプロファイリングに関しても、初めて聞いたが大いに興味を持った。海だからこその包容力と、よくも悪くも環境に影響を受けてしまう情熱。
・燃やしたいのに燃やせない(赤)
・守りたいのに、動けない(公)
・流れたいのに、淀んでいる(海)
本来「流れてこそ活きる海」が止まってしまっていたのだ。だからこそ、「何をどうやりたいのか?」「自ら決め動く」「自ら問い、答えを見つける」が重要となってくる。
妻 恵美子に昨日の話をしようか迷ったが、結局、言葉にできずじまいだった。まだ表現できる状況ではない。話したところで、何を言っているのか怪訝な表情がイメージできた。
客観的評価
会社の作業場に入ると、現場に出る前の社員たちが慌ただしく準備している。社員の1人 山本が近づいてきて一言。
「社長、昨日の打ち合わせの件、ちょっと確認いいですか?」
「うん、頼む」
山本がふとつぶやいた。「・・・社長、やっぱなんか変わりましたよね」
「そうか?」
「うん。雰囲気が、いい意味でラクになったというか。なんか、こっちも話しやすいっす。声にはどこか柔らかさがあるし、表情もなんとなく余裕を感じます」
微笑みながら、心の中で思っていた(そうかもしれないな・・・恵美子が言うとおり、まとっていた何かが、少しゆるんできてるのかもしれない)。頑なだった執着が、内側から緩んできた手応えがある。
職人としてたたき上げで今までやってきたが、社長の器とは1職人としての役割ではない。社員たちを見守りながら、考えたとおりに舵を操作していくことが問われている。分かっていたようで、理解しきれていなかった気づきを得た。
「赤海公」としての生き方
夜、ひとりノートを開く。『赤海公』。
「情熱と、包容と、調和・・・全部、中にあったものだったんだな。私が勝手にダメだと決め込んでいただけなのでは?」
燃え尽きたわけじゃない。燃やし方を忘れていただけだ。火は、風がなければ広がらない。息を吹き返すためには、「場」「酸素」が必要だ。そして今、少しずつそれが整い始めている気がした。
「私の赤は、まだ終わっちゃいない。これからだ。今まではガッカリするようなご縁ばかりだったが、これからは違う。私の中に秘めた火を大切にしながら、自主的に関わっていこう」
本音の発掘
夕食後、恵美子に声をかけた。「なあ、ちょっと時間あるか?」
「うん?」
「昨日、面談受けたんだ。名前の意味とか、自分の生まれ持った性質とか、いろいろ聴けた」
「へぇ、どうだった?」
「・・・正直、泣きそうになった。なんていうか、ずっと、自分に期待しなくなってたみたいでさ」
「・・・うん」
「でもな、昨日ちょっとだけ思えたんだ。『私の人生、まだまだ巻き返せる』って」
恵美子は黙ってうなずいた。私も多くを語らなかった。だがその会話の余白が、今の私には十分だった。
——私自身に、「期待してもいい」と思えたこと。これこそが「本音の発掘」ということなのかもしれない。「私は自分に期待してもいい」ずっと言い出したかったのだ。