小さな決断〜藤堂富美子さん物語6

小さな決断〜藤堂富美子さん物語6

翌朝の静けさ

翌朝。洗濯物をたたみながら、昨日の対話を何度も思い返していた。

「名前は、守るものではなく現れるもの」が、夜を越えても胸の奥で響いている。

長年、美雅という芸名に誇りを持ってきた。弟子にも、舞台にも、恥じない生き様を刻んできたつもりだった。それは「私であり続けるための鎧」でもあったのだと、今さらながら気づいたのだ。

言葉にうまくできないが、鎧は錆び付いており、磨くことを怠っていたのだ。かつ、今までの磨き方ではダメで、全く新しい何かが必要な気がしてならない。そもそも鎧をまとい続けている必要があるのだろうか?

本当に「守るものではなく現れるもの」ならば、鎧をまとわずとも名前は現れてくるはずだ。私は娘 雅子にも、弟子たちにも、この鎧を着せようとしてきたのかもしれない。

選ばされてきた人生

思い返せば、舞踊の世界に入ったのも、名を受けたのも、「流れ」だった。自らが明確に「これが私」と決めた記憶がない。名前も立場も、人間関係さえも────与えられたものを受け入れ、守ることに必死だった。

もはや「選ばされてきた人生」では、もう立っていられない。

「富美子さんの人生、きっと変わりますよ」真紀子さんの言葉が、今は現実味を帯びて胸に残っている。変わりたい。変わらなければと思っている。でも──どう変わればいいのだろう?何を望んでいるのか、自分でも分からない。

「姓名承認」なるものも、まだ完全に信じているわけではない。占いでもなく、改名でもなく、自分で自分の名前と向き合う?・・・それで何が変わるのか。

それでも確かに、昨日の対話の中で、初めて「もっと自分の名前を深く知ってみたい」と感じた。昨日のご縁が、心にわずかな灯をともしている。

真紀子さんがしきりに言っていた、「似ていると思うんです、私たち」──私に見えていない何かが、真紀子さんには見えているのかもしれない。

「美雅」としての名を、ここで閉じるのではない。「富美子」である私が、どう解釈するのかを選ぶのは、私自身だ。

小さな「決断」

富美子は、携帯端末を手に取り、慎重に文字を打った。

「真紀子さん

昨日はありがとうございました。
龍先生の言葉、一晩たってもまだ胸に残っています。

私・・・自分の名前を、今までとは違う視点で考えてみたくなりました。
改めて龍先生がおっしゃられる「姓名承認」の機会をいただけませんでしょうか。

藤堂富美子」

メッセージを送信後、1人お茶を淹れた。私はこれまで、誰かの言葉に従うことはあっても、自ら決断したと感じた瞬間は数えるほどしかない。すぐに何かが変わるわけではない。ながらも確かに、自ら選んだ「小さな決断」だった。

「まだ私にも、これからがあるのかもしれない──いや、きっとあるに違いない」

そう思えたことが、今は何よりの希望だった。

#舞台
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#洗濯物
#人間関係
#占い

新たな人生へ〜藤堂富美子さん物語5

新たな人生へ〜藤堂富美子さん物語5

いよいよ富美子さんとの初対面。実際に「イメージどおりだった」「イメージとかけ離れていた」両極端に分かれています。

信じたい気持ちと信じきれない疑念

「富美子さんの人生、きっと変わりますよ」真紀子さんの言葉を、何度も反芻している。

「名前を丁寧に見つめる方」──正直、どこかうさん臭いと感じている。信頼する真紀子さんの紹介だから、1度くらい話してみてもいいかもしれない。そう思えたのは、私の中で何かが崩れ始めていたからだろう。

当日、真紀子さんと3人ZOOMの接続ボタンを押す手が少し震えていた。いつも通り、着物をまとい、帯をきちんと締め直す。

「藤間美雅として見られるのか?藤堂富美子として扱われるのか?」私が誰としてこの場に出るのか、正直まだ定まっていない。

画面が切り替わった瞬間、真紀子さんの穏やかな声が響く。

「こんにちは、富美子さん。今日はありがとうございます。富美子さんに龍先生をおつなぎできますこと、本当に嬉しいです。龍先生、どうぞよろしくお願いいたします」

龍 庵真との出会い

「はじめまして。龍 庵真(りゅう あんしん)と申します。お会いできて嬉しいです。」

見た目も話し方も、驚くほど普通だった。むしろ、あまりに気張っていないことが拍子抜けするほどだ。

「軽く自己紹介させていただきます。今まで名前と確実に20万人超は向き合ってきました。おかげさまでGoogle検索よりも速く画数を解説できます。ながらも姓名判断に疑問を感じ、「姓名承認」という造語を生み出せてから、ようやく風向きが変わってきました。

今日は、お名前についての話だと真紀子さんから伺っています。まずは富美子さんが今、何を感じていらっしゃるのか、そちらをお聴かせいただけませんか?」

名前の話じゃないの?と心の中で思ったが、自然と話し始めている自分に驚いた。

守るべき名前と崩れゆく型

「私は日本舞踊を15歳から63年にわたって継続してきました。特に名前に関しては、守らなきゃいけないものだと思ってきました。娘にも、弟子にも、絶対に崩せない『型』として──でも最近、もうその型が意味を持たなくなってきて・・・。」

彼は頷くだけ。何も評価しない。ただ、黙って聞いている。

「私、芸名の藤間美雅(ふじまみやび)という名前に誇りを持ってきました。でも今、それを語るのが、どこか恥ずかしいんです。・・・いや、恥ずかしいというより、本当の私とは違う気がしていて。

なぜなら娘からの一言を機に、今までやってきたことの過ちに気づいてしまったんです。それからというもの、何をやっても失敗する気持ちが湧いてくるんです」

名前と「本来・本当・本物」

少し間をおいて、彼が口を開いた。

「名前は、守るものではなく現れるものだと、私は考えています。本来の名前とは、存在価値の核です。よくも悪くも、生き方やあり方がそのまんま現れてくるものなんですよ。

恥ずかしいと感じていらっしゃるということは、成長や発展の兆しでもあります。顔に泥がついていても、鏡を見たり誰かに指摘されなければ分かりようがありません。気づけてよかったですね。」

「よかったですね」が、胸に刺さる。
名取としての名を守ってきた私には、裏切りにも似た響きだ。過ちを指摘され、追い詰められていくような先入観を抱いていたイメージからは、ずいぶんかけ離れている。

「富美子さんは、『本来』『本当』『本物』の違いって分かりますか?」

「初めて考えます。気にも止めませんでした。」

「まず本来とは、生まれたままの純粋無垢な状態。そこに経験が加わって本当です。さらに同時並行な場合もありますが、価値が加わった状態が本物です。

先ほど、『本当の自分とは違う気がして』とおっしゃられましたね。そう感じてしまうのは、富美子さんが成長したからです。次のステージがあることを知ってしまったんですよ」

「・・・そんなとらえ方は、今までしたことがありませんでした。」

新たな人生の出発記念日

真紀子さんがニコニコしながら聴いている。
「富美子さん、どうぞ感じたことをどんどん話してください。ここでの情報は、誰にも漏らすことはありません。私は、今日が富美子さんの新たな人生の出発記念日になると信じています」

「私、まだやれるんでしょうか?」

「当たり前じゃないですか!私なんて、叩けば埃だらけですよ!それでもちゃんと生きています。人生って、立体構造なんです。苦しく辛い出来事は、後の感謝や感動に変わります。チャンスは不幸の顔してやってきますから」

「そう言っていただけると、なんだかとても楽になれます。真紀子さん、本当にありがとうございます。では、何から話していきましょうか?・・・・・・・・・」

30分経たずに終わってしまうイメージが、結局2時間に。初対面の方に、こんなにも言葉が溢れ出てくるなんて、初めての体験だ。

#着物
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#娘
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名前に揺れる夜〜藤堂富美子さん物語4

名前に揺れる夜〜藤堂富美子さん物語4

静けさと雅子への衝動

真紀子さんとの対話が終わったあとも、しばらく画面の前から動けなかった。

あの短い時間に、私は確かに話していた。けれど、それ以上に聴いていただけたような気がする。画面が消えたあと、空気の音が急に聴こえてきた。久しぶりに、自分の中の静けさに思い出せた感覚だ。

今、雅子にたまらなく会いたい。けれど──会って何をどうしたいのか?謝りたいのか?「ありがとう」を伝えたいのか?もう一度だけ母としての誇りを語りたいのか?

筆が進まない。どんな言葉を選んでも、どこか「私の正当化」になってしまう。

真紀子さんの提案

その夜、真紀子さんからメッセージが届いた。

「富美子さん。今日はありがとうございます。よければ、おつなぎしたい方がいます。お会いしてみませんか?私がとても信頼している方で、名前をとても丁寧に見つめていらっしゃいます。

富美子さんと話していて、昔の私を思い出しました。まだよく分からない点はありつつも、似ている点がありそうな気がしています。今の私は、彼のおかげでもありますから。

富美子さんの人生、きっと変わりますよ」

自問自答

名前────────
舞台で生きてきた「藤間 美雅」と戸籍上の「藤堂 富美子」。私はそのどちらでもあり、どちらでもないのかもしれない。

「名前を丁寧に見つめて・・・」とあるが、名前を丁寧に見つめたところで、何が変わるの?名前なんて呼ばれるための識別情報よね?真紀子さんがおっしゃられるなら、会ってみてもいいけど、また新しい名前や印鑑なんて作らされるのかしら?家族そろって象牙の3本セット買ったじゃない。また?

名前を変えたところで、雅子との信頼関係がよくなるわけじゃないだろうし、私の過ちが解消されるわけでもない。私の人生は失敗だったのだ。これからどんどん転落していくのかしら?

いったん歯車が狂い始めると、至るところで不協和音が起きてくると聞いていたが・・・。まさか私がそんなことに陥るとは、考えてもいなかった。周囲の幸福そうな家庭が羨ましく思えてくる。私だって必死に生き抜いてきたのだ。「ハシゴのかけ違い」が、こんなにも深く、自分を迷わせるものだったとは。けれど──名前を見つめることで、何かが変わるのだろうか?今の私は、ただ湧き出てくる問いに立ち尽くしている。

信じてみよう

湧き出てくる感情と向き合ってみての結論。やはり会ってみようと思う。決め手は、真紀子さんの最後の一言「富美子さんの人生、きっと変わりますよ」。「彼」というから男性なのだろう。

嬉しかったのが、こんな私と真紀子さんが「似ている」と言ってくださったこと。私も真紀子さんのように、輝ける日が来るかもしれない。雅子との和解ができるかもしれない。

期待と不安が行き交いつつも、日程調整の返信を終え、眠りにつけた。30分経たないうちに終わるかもしれないが、真紀子さんを信じてみよう。

#ありがとう
#感情
#舞台
#信頼関係
#魂

自分を語ってもいい〜藤堂富美子さん物語3

自分を語ってもいい〜藤堂富美子さん物語3

言葉にしてしまう恐怖

──コメント欄に返信が届いてから、何度もその文章を読み返している。

「『自分が崩れていく音』とはどういうことなんでしょう?よろしければ、ぜひお聴かせいただけませんか?」

何でもないような言葉。でも、どこまでも優しく鋭かった。読み返すたびに胸が詰まる。すぐに返事を書こうと思ったのに、できないでいる。言葉にならないのではない。言葉にしてしまうことが恐怖なのだ。

画面を閉じて、しばらく考えた。そして、ふと思い立ち、鏡の前に立った。

帯で整える芯

「そうだ、帯を結ぼう」

人と会う予定もない。誰に見せるわけでもない。でも今、私は自分自身のありようを整えたい。箪笥の奥にしまっていた淡い藍色の名古屋帯。軽やかながら芯のある一本。お気に入りの1つだ。

自分の手でゆっくり結んでいく。ひと結び、ひと呼吸。帯のひと巻きごとに、心が落ち着いていくのが分かる。

「私はまだ、言葉にならないものを抱えたままでいる」
「でも・・・それでも、伝えてみたいのかもしれない」
「このままでは絶対にダメだ。どうしても変わりたい。一歩を踏み出したい」

自分を語ってもいい

帯を締め終え、スマートフォンの画面を開く。メッセージ欄に、少しずつ言葉を綴り始めた。

ーーー

佐藤真紀子さん

コメントを読んでくださり、ありがとうございます。
あの一言に、どれだけ救われたか、うまく言えません。

「崩れていく音」というのは──
私の中にずっとあった型が、今、音を立てて壊れていっている感覚です。
それは恐怖でもありますが、どこかで「ようやく」という安堵も混じっています。

この歳になって、初めて「自分を語ってもいい」と思えた気がしています。
よろしければ、少しだけお話しさせていただけましたら嬉しいです。

ーーー

送信ボタンを押したあと、自分の姿を鏡で見た。久しぶりに、自分の顔が「私の顔」に見えた気がした。

毅然とした雰囲気と魅力

メッセージのやりとりから数日後、
「もしご都合よければ、一度だけZOOMでお話ししませんか?」
真紀子さんからの提案が届いた。

迷ったが、その迷いこそが「行くべき方向」だと、今回は思えた。

約束の午後。髪を軽く結い、帯を締め直し、画面の前に座る。

パソコンに映し出された真紀子さんの顔は、写真よりもずっと柔らかく、芯を持っていた。何があっても動じない、毅然とした雰囲気に、魅力に吸い込まれていく。

「初めまして。お会いできて嬉しいです」
「・・・こちらこそ。少し緊張していますけど、ありがとうございます」

2人とも微笑み、しばらく言葉がない。ながらも沈黙が気まずくないのは、久しぶりだ。

「崩れていく音・・・という表現が、とても印象的でした」真紀子さんから。

私は、小さく頷いた。ほんの少しずつ、語り始めた。

矛盾

「私は、舞にすべてを捧げてきた人間です。弟子たちには厳しくしてきましたし、娘にも・・・ずいぶんと、ですね。でも、自分は間違っていないという想いがどこかにあったんです」

「それが娘からの一言で、音を立てて崩れていって・・・もう、何を信じてきたのかも分からなくなってしまって。もう何をやってもうまくいかない気持ちが湧いてくるんです」

真紀子さんは、ただ、静かに頷いていた。傾聴という言葉の価値を、初めて体感できた。聴いていただけているという態度だけで、涙が込み上げそうになる。

「型に閉じ込めていたのは・・・・・、私自身だったのかもしれません。今までの私の生き方は、失敗でした。過ちに気づかず突っ走ってきたことを後悔しています」
「でも・・・、型にはめてきたからこそ私は私ではいられたんだと思います。・・・そんな矛盾を、今も抱えています」

「・・・矛盾を抱えたままでも、言葉にしてくださって、ありがとうございます」

真紀子さんがそう言った時、やっと「私は自分の話をしてもよかった」のだと気づいた。画面越しに深く頭を下げた。それを見た真紀子さんも、穏やかに微笑んだ。

#生き方
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#命
#恐怖

揺らぎ〜藤堂富美子さん物語2

揺らぎ〜藤堂富美子さん物語2

初コメント

佐藤真紀子さんのブログを開くのは、もう何度目だろう。最初はただ読んでいた。けれど、読み返す都度、言葉が自分の内側に深く沁み込んでいくのを感じる。

「私は、誰の人生を生きてきたんだろう?」「私が追い求めてきた幸せって何?」そんな問いが浮かんでは消える。ブログの一文に、ふと目が止まる。

「自分にまとう言葉を洗練し改めるだけで、人生は変わるのかもしれません。」

これまで、私は「まとうもの」として、帯や衣装のことしか考えたことがなかった。今、「言葉をまとう」という感覚を、初めて知ったのかもしれない。

ページの下部、「コメントを残す」という欄。そこにカーソルを合わせるだけで、指先が震える。

文章を書いては、消した。
「素敵な文章でした」
「私も娘を持つ母です」
「舞を生きてきました」
どれも、本当の気持ちではあるけれど、どこか誰でも書ける言葉のように思えてならない。そもそも「本当の気持ち」とは?真紀子さんの言葉を読むほどに、「私は自分の人生を生きようとはしていなかった」のだ。

芸名と本名の揺らぎ

私は今、「誰として」書くのか。それが最も難しかった。芸名「藤間 美雅(ふじま みやび)」なら、何度もTV出演したこともある。本名は、役所に用がある時くらいにしか使うことがない。娘の言葉を機に、「名取り」という権威に、全く価値を感じなくなっている。今までこんなこと初めて。

いろいろ考えようやく、1行目にこう記した。

「佐藤 真紀子 様
はじめまして。藤堂富美子と申します。」

書いた瞬間、胸の痛みを感じた。私の名前は、私がずっとまとうことで守ってきた「型」そのものだった。

「この名前を、公共以外で誰かに見せるのは、何年ぶりだろう?」心の中でそう思いながら、続けて書いた。

「長年、日本舞踊を通して生きてきました。今、思いがけず自分が崩れていく音に耳を澄ませています。

あなたの文章に、女性らしいしなりと凛とした覚悟を感じました。どこかで・・・・舞と同じ匂いを感じます。

勝手ながら、コメントさせていただきました。ありがとうございます。」

送信ボタンに指を置いたまま、しばらく動けなかった。この差し出すという行為に、まさかこんなに多くの感情が詰まっているなんて。その時ふと──「これでいい」という思いが、胸に沁み渡っていった。

心の揺らぎ

次の日。返信が届いた。

「藤堂富美子さん──お名前の響きに、舞うような静けさと強さを感じました。
コメント、心より嬉しく読ませていただきました。『自分が崩れていく音』とはどういうことなんでしょう?よろしければ、ぜひお聴かせいただけませんか?」

たったそれだけの言葉だったが、感極まる思いが込み上げてくる。娘の一言から今までで最も「届いた」と思える言葉だった。真紀子さんへなら、この心の揺らぎを言葉にしてもいい──そう思えてしまう。

舞台でもTVでも、いかなる状況でも物怖じすることはなかった。真紀子さんからは、私の虚無感や偽者感を見透かされそうだ。逆を言えば、それだけ真紀子さんに見てほしい。・・・いや、見抜いてほしいのかもしれない。

──そして、娘のことが脳裏によぎった。

娘に今までの過ちを謝罪しても、本当の意味でお互いのわだかまりが消えることはないだろう。謝罪よりも、「雅子のおかげで」と言えるようなことになれば、感動を分かち合える。きっと雅子は、そんな結末を願っているのではないだろうか?

#舞台
#自分の人生
#娘
#感情
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崩れゆく誇り〜藤堂富美子さん物語1


崩れゆく誇り〜藤堂富美子さん物語1

気づいてしまった

「・・・それって、お母さんの満足じゃない?・・・・・・・」通話後も、しばらく携帯を手に持ったまま、動けない。衝撃的な娘からの一言。

雅子が舞を始めたのは、小学2年。同級生がバレエを習い始めたのに触発されたのがきっかけだった。「だったら、うちは日本舞踊よ」と笑いながら始めさせた。

最初は物珍しさを楽しんでいた。私の目には、娘の才能が確かに見えた。「この子は私よりも大成する」今となってはただの親バカだったのだろうが、当時は揺るぎない確信があった。

だからこそ、稽古は厳しくした。
「舞は甘くない。遊びじゃない」
「気持ちで踊ってはダメ、型がすべて」
何度も泣かせてしまった。

中学に上がる頃、雅子は何度か「やめたい」と言った。その度、言葉を選ばずに返した。

「せっかくここまで来たのに、やめるなんて無責任よ」
「あなたは本当に、惜しい人ね」
「本気でやったこと、一度でもあるの?」

あの時、どんな顔で言ったのだろう?──その時の雅子は泣かなかった。ただ、無表情。

その後、雅子は舞の道には進まず、教員の道へ。今でも趣味として続けてくれてはいるけれど、「母の顔色を見てのこと」だったのかもしれないと気づいてしまった。自分の中の「誇り」だったものが、ただの自己満足だったのではないか?と感じている。

「私が見てきた娘の才能は、勝手な思い違いだったのかしら?」
「私は母親として、娘に何をしてあげたのかしら?」
「舞台の拍手は聞こえても、あの子の小さなため息は聴けていたの?」

崩れゆく誇り

私は、着付け塾「舞乃庵」を主宰する藤堂富美子(とうどうとみこ)、77歳。かつて日本舞踊の名取として舞台に立ち、今は後進の指導にあたっている。弟子の数は年々減り、後継者も見つからないまま。それでもこだわり続け、凛と帯を結び続けている。

会社員だった夫の定年後、5年経たずに看取る。肝臓ガンだった。1人娘の雅子も巣立ち、孫も成長した。やり尽くしたと充実感を持っていた、昨日までは。 今、積み上げてきたものが音を立てて崩れていっている。

「そもそも私は、何のために生きてきたのかしら」
「結局私は、何も遺せないまま死んでいくんじゃないの?」
「ただ舞にしがみつく老女になってしまうの?」
「後継者がいないのも、皆が雅子と同じように私の顔色をうかがってきただけなのかしら?」
娘 雅子からの一言で、現実が浮き彫り化されてきた。今、得体の知れない恐怖感という闇が湧き出ている。

「このままでは終われない──とはいえ、どこへ向かえばいいのか分からない」
「誰かに話したい。けれど、話したところで変わりそうに思えない」
「何もかもがダメに思えてくる。何をやっても失敗しそうな気持ちになる」

歳月を慈しみ、なお花ひらく

初夏の日差しが爽やかな午後、久しぶりに書店へ。本を買うつもりはなかったが、なんとなく足が向いた。書店に入って即目に止まったのが、『婦人画報』。表紙の色合いが優しくて、よく読む愛読書の1つ。

「何かを探していた」というより、「何かが自分の中からほどけてくれるのを、待っていた」のかもしれない。表紙の「歳月を慈しみ、なお花ひらく」という言葉に惹かれていった。

ああ、なんて美しい言葉。それは「頑張れ」でも「前を向け」でもなくて、「今のままでも、咲けるんですよ」と、そっと肩を撫でてくれるような響き。

ある女性の写真が目に留まった。──佐藤真紀子さん。どこかで見たことがあるような、でも初めて出会うような、不思議な気配をまとう女性。

服を仕立てるアトリエで静かに佇むその姿から、派手さは一切感じないながらも、言葉1つひとつに、静かな力が宿っている。

「娘が巣立ったあと、何もない自分と出会えた気がした」
「そこからもう一度、自分に似合う服を探したくなったんです」

私は・・・《何もない自分》を、いまだに怖がっているのかもしれない。

型を持たぬ言葉に救われて

長年、舞だけに人生捧げてきた。教えて、舞台に立ち、結い、支え、怒り、泣かせ、・・・。「私はそれでよかったのだ」と信じてきた。最近になって少しずつ、その信じていたものに亀裂音が響いていた。なんとなく気にしていたことが、娘の一言で一気に崩壊していったのだ。

気づけば、スマートフォンで彼女の名前を検索して、SNSやブログもすぐに見つけた。どの記事も、肩肘張っていなくて、等身大で、でもどこか品のある空気に包まれていて。読みながら、何度も深呼吸している。

そしてふと──「・・・この人に、一度会ってみたい」そんな気持ちが、ふわりと湧き上がってきた。

人と会うのが億劫だったのに、誰かに気を遣って言葉を選ぶのが面倒だったのに。この人なら、何も飾らずに話せる気がした。

あれほど「型がすべて」と言いきってきた私が、型のない言葉に救われる日が来るなんて──ようやく、言葉にならない何かが、ほどけ始めた気がした。


#孫

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「絶望が私を育てた」は卒業できるか?

歩き瞑想で見つけた、新たな胆力の育て方

今朝の歩き瞑想からの自己対話にて。結論は、「潜在意識の更新の重要性」です。無自覚のうちに進めてきましたが、「自覚してみてどうするか?」への道があることへの感謝。

「絶望を乗り越えた先にしか胆力は育たない」と信じていた──────改めて湧いてきた疑問。「本当に唯一の道?」今、「穏やかさの中にも深さは育つ」と確信し始めています。

絶望を越えた先に道がある

絶望こそが私を育てた

これまで、何度も何度も「もうダメだ」と感じてきました。孤立・貧困・拒絶──。まるで、誰からも必要とされていないとさえ思えるような状況。その度、なぜかほんのわずかな光を見出してきました。思いがけない方から手を差し伸べていただけてきた体験談は、数えきれません。

振り返ってみて「絶望が私を育てた」という解釈ができあがってきました。確かに、とんでもなく深く冷たい暗闇を経なければ、今の境地に至れなかったと思うのです。

名前からも「Mr.波瀾万丈」という名前のエネルギーを持っています。当時の師匠からも「もしあきらめたら、濁流の中の小舟のように飲み込まれていく」等脅されてきました。まさに誰もが納得するような、波瀾万丈の典型例のような生き方でした。おかげさまで「あきらめられない」にすがるうちに、「あきらめきれない」ものとご縁できました。

混乱に困惑

ところが最近、「安心・安定・穏やか」をテーマに生きていきたいと、心から望んでいる自分に気づきました。きっかけはライフプロファイリング(あなたの人生傾向を読み解く診断技術)。穏やかに生きることが、私の人生の大動脈であることを痛感しました。

それなのに、今朝の歩き瞑想で心に浮かんだのは「絶望を味わいたい」。「なぜ?」と問うと、「胆力をつけたいから」という声が返ってきました。「絶望を感じずとも、胆力を鍛える方法はある」と答えました。返ってきたのは、「絶望でなければダメ」・・・。

正直、強い矛盾を感じました。絶望という感覚は、挫折が前提にあります。努力を積み重ねて無残に壊れていく状況だからこそ湧いてくる感情です。「安心・安定・穏やか」への方向転換を強く望んでいる今、絶望からは遠のいていくものとみなしていました。混乱に困惑する状況が、ど〜んと覆い被さりました。

矛盾の理由

「なぜ波瀾万丈の人生が起きてしまうのか?」長期における強烈な疑問でした。「リーダーエネルギー診断」を作成する上で、1〜120画の性質エネルギーをすべて名づけております。プロセスにおいて、理由が浮き彫り化されてきました。

ポイントは、一貫性です。出会った多くの方々の共通点は、誠実かつ実直な印象をお持ちです。ご本人において一貫性にこだわるがゆえに、周囲に整合性を当てはめようとします。一貫性のエネルギーに比例して、周囲が矛盾だらけに見えてきます。それでも整合性を保とうとするほどに、気になってしまう感覚が、現象化した状態だとしたら?

そう考えた時、ものすごくスッキリしました。同じ画数をお持ちの方々へ、共有させていただき、現状100%賛同していただけています。今回も、今までの一貫性ゆえに私の意識がこだわってきました。

潜在意識の倫理観は、世の一般的な価値基準とは違う場合が大半です。なぜなら、「ご本人が、強く長く願ってきたこと」が最優先だから。私の場合、挫折や絶望がいかにデフォルトだったのかを思い知りました。

信念の衝突

「違和感を瞑想を通じて感じた」ということは、今までは何も感じなかったのです。私の価値観として「絶望によって鍛えられる」が一体化していたのです。無意識ながらに考えていた自分に、恐怖を感じました。

今までは、絶望が私を鍛えてくれました。確かに事実です。だからといって、今後もずっと繰り返す必要があるのでしょうか?「穏やかな日々の中で胆力を養い器を深め広げていく」のは、本当に不可能なのでしょうか?

過去の私と、これからの私。信念の衝突が起きていたのだと客観視できました。まさに映画でも観るかのように、困惑している私を把握できたのです。理解できたからには、セルフセッションです。大いにスッキリできました。

徹底的に向き合い、癒しと浄化に努めてきました。「マイナスからプラスへ転じる瞬間だった」のではないかと振り返っています。潜在意識を数値化できるようになれたことは、とてもよかったと感謝しています。一見何も変わっていないようでも、数値上の変化があるからこそ、認めることができました。

「穏やかな強さ」という生き方

例えば
・平凡な日々の中で「感謝」を育む。
・「何もない」ことに、自分の存在価値をじわじわと認めていく。

こうした経験も、立派に胆力を育てているのではないでしょうか?

よく、歩き瞑想中に裸足になります。 砂利道の上は涙が出るほど痛くて、靴のありがたみが身に染みます。こういった「小さな気づき」の積み重ねもまた、胆力を深める道だと感じました。物事に適切に敏感であるほどに、ふさわしい対応ができるもの。

感情解放の重要性を20年以上にわたって強調してきましたが、さらに確信が深まっています。感情を抑え込んでいると、感動が響きにくくなり、他をも抑え込もうとします。

「苦しまなくても、本物になれる」 「絶望に頼らなくても、深さは育つ」 「穏やかさの中でも胆力を育てていい」新しい信念への移行です。 過去を否定するのではなく、未来をより豊かにする選択肢として。過去にすがる必要はありません。今を見据え地に足つけた更新にこそ、今の自分の真価があるのです。

【追伸】あなたは今、どんな「ご自身の育て方」を選んでいますか?私には波乱や絶望を通じてしか得られないと思っていた強さ────実は、穏やかな日々の中でも、じわじわと育まれているのかもしれません。

もし「生き方に変化を生み出したい」と感じているなら、それこそがあなたの新しい道。過去を否定せず、今を見つめ、これからを主導する勇気を持てた時──あなたの「深さ」は、穏やかに、確実に深まっていくのです。その歩みこそが、誰にも真似できない、あなただけの成熟の道です。

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