今回は、美奈さんの「静観の時間」を書いています。ディープマインドセラピー等を通じて、彼女の体には急激な変化が起きています。情報が整理される前段階であり、あえて動かず、答えを急がない時間です。
体が先に開示してしまった
母の特集記事を読んでから、時間の感覚が少しおかしい。数日が経ったはずなのに、体の中では、まだ同じ場面に立ち止まっている。
《母の名前が脳裏に焼き付いて消せない》
それ以上でも、それ以下でもない。評価されたとか、認められたとか、そういう言葉は浮かばない。ただ事実として、そこにあった特集記事。
私はこれまで、母の料理を見ないようにしてきた。否定するほど、向き合ってもいなかった。気づかないふりをすることが、一番楽だったからだ。しかし今は違う。切り捨てたつもりでいたものが、実は脈々と続いていたもの。体が先に記録をほどき、開示してしまった。
静観による経過観察
・料理の系譜。
・生活の中で受け継がれてきたもの。
・説明できない奥深さ
理屈では理解できる。しかし得体の知れないざわつき感。「どうして今?」「どうしてこのタイミング?」考えようとすると、思考が止まる。
龍先生に相談しても、「もう少し自己対話を深めてみましょう」と、潜在意識のサポートをいただく程度。理解されたくなることはあるが、龍先生は絶対に正しい。それは分かっている。だからこそ、最上級コースを即決したのだ。
今だからこそ、自己対話の醍醐味を自分のものとしたい。とはいえ「今のこの感じを、どう扱えばいいのか?」その湧き出てくる葛藤や違和感を抱えたまま、今日も厨房に立ち続けている。
包丁を持つ手は、いつも通り。仕込みも、指示も、判断も、滞りはない。なのに、どこか1枚、膜が張ったような感覚がある。動けないわけではない。ただ、動かない方が正しいと、体が告げている。
言葉にできない確かさが、処理されないまま、体に預けられている。これを急いで意味づける必要はない。答えを出す必要もない。今はただ、止まっている。それだけで、何かが進んでいる気がしていた。
懐かしい温もり
しばらくして、熱っぽい症状が。決してひどくはなかったが、念のため、あとは仲間に任せることにした。ベッドに横になっていると、いつの間にか眠っていたようだ。おぼろげで短い夢を見た。
小さな手を引かれて、見上げ歩いていた。どこへ向かっていたのかは分からない。周りの景色も、声も、はっきりしない。確かに誰かと一緒だ。悪い気がしないどころか、懐かしい温もり。私にもこのような時期があったのだろうか?

目が覚めた時、考えずも消えないものがある。言葉にしなくても、残ってしまう感覚。言葉にできない確かさが、ピンボケのまま体に残っている。なぜかあえて詮索したくない。