散歩から帰ってきた奥さんと
「ただいま」「おかえり」
何気ない日常のひととき。

日常にある疑問の境界線
ごく当たり前で、普段は意識もしない安心感。もしここで、まったく知らない誰かが勝手に玄関から上がり込み、勝手気ままにくつろぎ始めたらいかがでしょう?
一瞬で空気が変わります。異様で、落ち着かない状況へ。
「奥さんと私」という関係性が、顔と名前が一致して信頼構築できているからこそ、何の問題も起こらないのです。
名前とは、「あなたは誰ですか?」を明確にするための、必要最低限かつ極めて重要な識別情報です。
生まれた瞬間からの戦争孤児など、誕生日が分からない方もいらっしゃいます。知人のNさんは、親御さんのご縁担ぎか分かりませんが、誕生日を1日ずらして出生届が出されています。出生時間がほぼ同じ双子も、明確な区分けが曖昧になってしまうようですね。
現代では、性別の区分も多様になり、性転換手術の話を耳にする機会も増えました。
それでも——名前なしには、存在さえできません。存在するためには、何らかの名前が、必ず必要になるのです。
誰 ?
この感覚は説明が極めて難しいもの。
・姿は見えているのに、誰なのか分からない。
・人であることは分かるのに、特定できない。
だからこそ、不安になります。
あなたは、S.スピルバーグの映画『激突』ご存知でしょうか?主人公は正体不明の巨大なトラックに追われ続けます。運転手の顔は、ほぼ映りません。目的も、理由も、一貫して語られません。
それでも、確かに「誰かがいる」ことだけは分かります。観ている側が感じるのは、恐怖そのものよりも、相手を特定できない不安です。
誰なのか。
なぜなのか。
話し合い、理解し合えるのか。
分からないまま、距離だけが縮まっていくのです。
実在する透明人間
顔も、年齢も、性別も曖昧な存在は、敵でも味方でもなく、判断のしようがありません。名前のない存在とは、実在する透明人間のようなもの。怖いのではなく、関係が結べないから、落ち着かないのです。名前を知り、誰かが理解できれば、途端に落ち着けます。
名前がない存在は、
・善悪を決められず、
・距離も測れず、
・信頼も築けません。
だから多くの方は、「誰?」と問わずにはいられないのです。
ここが、今回の要点です。名前とは、安心のために付けられたものでも、管理のための記号でもありません。信頼関係を結ぶために必要な、最小単位の情報なのです。
「人生最も価値あるものは時間」よく言われます。確かにタイミングは超重要です。A.カーネギーがナポレオン・ヒルに話を持ちかけた時、ストップウォッチで計っていた逸話は有名ですね。視点を変えるとその出会いもやはり、名前があるからこそです。名前なしには、お誘いの声もかけられません。
2025年も大詰めを迎えてまいります。今だからこその節目に「あなたという存在価値」を、改めて振り返ってみるのもいいのでは?