
体に沁むまで
畑へ向かう朝。手帳を確認して、母の畑へ向かう予定を組んだ。手順だけを知りたければ、本を読めばいい。体感しなければ分からないことがある。最優先に考えている以上、何としても母の生き様を読み解き、核となる奥義を体現していく覚悟である。体に沁むまで。
土の感触を確かめる。水分はどうか、硬さはどうか、日照の角度や時間はどうだったか。収穫の熟度はどう判断していたか。目で、手で、体で読む。干し野菜の重さや層の並び方、鍋に落とすタイミング——それらはすべて、母の判断基準による。その微差の根拠とは、机上の空論では分かり得ないのだ。
戻した干し野菜を出汁に落とす。温度、浸す時間、置き方。それだけで、手順の意味が浮かび上がる。頭で考えなくても、体が先に理解する感覚。手順をなぞるだけでは決して辿り着けない深み。
母の背中を見ながら思う。手順だけを身につけても意味はない。本当に消化するためには、判断の理由や環境まで読み解く必要がある。母のやり方を自分の体に取り込み、消化し、自分の生き方でアレンジして初めて、意味が成立する。
深みの体現
江戸時代から受け継がれてきた我が家の重ね煮の伝統。母は他のことに興味が湧かなかったのだろうか——。ふと、過去の記憶がよみがえる。5歳の祝いに作ったケーキを否定され、17歳で家を出て以来、一切帰らなかった日々。私のような気持ちが湧いたことがないのか?
今、畑の端で黙々と草を抜く母の背中を前に、疑問が自然と手や目に流れ込んでくる。何にこだわり、何を取捨選択してきたのか——。言葉にする必要はないと言わんばかり。ひたすらに黙し、作業を続ける母の姿に、長年の重ね煮思想を示しているように感じられる。
全てが母の意思の現れであり、過去の折り目を消そうとする必要もない。理解しようとするのではなく、体に刻まれた判断の流れを感じ、吸収する——将来の輝く私になるために。
もともと寡黙な母。私も、所作から読み解いていきたい。今日、畑で確かめたことは、フレンチの現場で生かせる。「温度」「間」「火入れ」の感覚として、手に残る。それは単なる技術ではない。母の哲学を、体と手で理解した結果だ。
母が受け継ぎ実践している伝統を読み解くのだ。深みは、ここでしか得られない。これこそが、世界一のシェフへの道を、確かな手応えとして示してくれる。