追悼の意
2011.3.11.から10年。直に被災していないながらも、様々なことがありました。コロナ禍の今と同じく、「この日を境に人生変わった」という方は多いはず・・・。
実際に現地へボランティアで行かせていただきました。毎年この日は、参拝等亡くなっていかれた方への鎮霊をしたい気持ちになっています。よって一人ながら参拝させていただきました。
【自殺】という問題
死者・行方不明者は関連死も含め、22,000人となるようですが・・・。毎年30,000人超が亡くなっている【自殺】という問題(体の言い分的視点の『計画的自殺』も入れたら、100倍どころではすみません)は、どうしたらなくなるのでしょうか?
そもそも自殺という選択をしてしまうのは、どういう要因なのでしょう?私自身、セルフイメージが強烈に低かったことは前にお伝えしたとおりで、相応の自殺願望に常にさいなまれていました。
特に自殺への欲求が露わになるのは、
・大失敗をやらかし、迷惑をかけてしまったお詫び
・経済的困難はじめ、生きていくことに希望を感じなくなった
ような場合でした。
現代日本においては、表面的・物理的な要因からの選択はまずあり得ません。ならば内面・メンタル的に、ご自身の良心を抹殺するほどの何かがあった時。
「立場」への理解
総称してこれだと思えるのは、立場です。立場とは、
・その人の置かれている地位や境遇。また、面目。
・その状況から生じる考え方。観点。立脚点。
という意味合いがあるようですね(goo辞書)。
「苦しい立場に追い込まれる」「負けたら立場がない」 等よく用いられます。役職や親、男女・・・としての立場を失った時、自殺という選択をするのです。
それぞれの立場と価値観が絡み合って、大小の解釈が常時起きています。生きてきた価値観によって立場ができ、立場によって価値観形成がなされます。
もしあなたが自殺しようとしている方を救いたいなら、お金等物理的なものを与えても一時的な解決にしかなりません。まずは「立場」を理解し、寄り添っていただけることは、自殺願望が強かった私には、本当に救われる思いがしました。
酸いも甘いも苦いも、すべて飲み込んで前進。過ぎてみれば、すべては愛。自殺しようと本気で考えてきた今までがあったからこそ、生を全うする価値と向き合って来れました。
今までを振り返って、いかにセルフイメージが人生の全てを決するか、痛感しています。