元県知事の孤独
◯◯県 盆地を見下ろす高台の自宅。長年暮らしてきたこの家で、初めて「無音の時間」を感じている。
私は、早乙女 芽衣子(さおとめ めいこ)、72歳。つい2ヶ月前まで◯◯県知事だった。「女 角栄」とも称され、政界でも異例の「母であり、知事である」リーダーとして知られた存在。政界一家に生まれ、政党の後ろ盾もあった。知性と胆力には自信があり、一目置かれていた。夫を病で亡くし娘を1人で育てながら、政治という戦場を生き抜いてきた。知事から国会へいつ乗り出していくのか、噂が絶えなかった。
今は肩書きもなく、呼ばれることもない。むしろ呼ばれたくない。新聞や雑誌の取材も遠ざけた。街で声をかけてくるのは、今も熱心な支持者だけだ。けれど、そのどれにも応えきれないでいる。誰にも会いたくない。もう何もしたくない。生きていくことさえ・・・。
当時インタビューを受けていた自宅リビングには、配達されたままの新聞・宅配の段ボール・未開封の郵便物が散乱している。台所はインスタント麺等の食べ残しや腐りかけている食べ物がそのまま置いてある。お風呂に何日入っていないだろう?数える気持ちにもならない。梅雨が明けた日射しの中、雨戸を閉め切り、陰鬱とした日々。
辞任の本当の理由は、語っていない。「体調不良」「政治的混乱」いくつもの憶測が飛び交ったが、すべて違う。――愛する娘 優花(ゆか)の自殺。

遺影の前で
自ら命を絶ったという連絡を受けた日のことは、青天の霹靂で今も現実味がない。連絡が来たのは、県庁の執務室だった。職員が震える声で伝えてきたあの一報。すぐに向かったが、もう冷たくなっていた。遺書もなく、ただ静かに逝った。享年48歳。
政治への職務に夢中で、娘に関われていなかったことに気づく。結婚後まもなく離婚し、10年以上1人。正月や盆等の節目で会ってはいたが、笑顔で問題なさそうだったので、「幸福だろう」と決め込んでいた。今まで「言えなかった」のだ。
「なぜ自殺なんて・・・」と、表面的にしか関わってこなかった私には、理由が全く分からない。「ごめんね・・・」と謝罪の気持ちと、自分を責め立てる声が脳内に響き渡っている。
遺影の前に座る。娘の笑顔は、写真の中で永遠になった。この笑顔とは、誰に向けたどんな笑顔だったのだろう?私に残されたものは空虚だ。「母親失格」「人間失格」客観的に誰かから言われるわけではない。私自身が、私への罵倒だ。
本当の望み
辞任における記者会見では泣かなかった。訃報にも政治的配慮を求め、冷静に記者の質問に答えた自分を、今はただひたすら恥じている。
葬儀を終えた後、すべてが止まった。1人で住むには広すぎる。リビングの壁面には、知事時代に寄贈された感謝状や表彰状がそのまま並んでいる。だがソファには本や服やアクセサリーが無造作に積まれ、テーブルの上には娘の部屋から持ち出した写真立てがうつ伏せに置かれている。その空間で、朝も昼も夜も関係なく、遺影の前で座っているだけ。
秒針音すら、心に突き刺さる。私はまちがっていた。もう生きていない方がいいのだろう。もう私を心配しないでほしい。関わらないでほしい。
あの子は、どんな名で呼ばれたかったのだろう?どんな人生で、どんな嬉しいことや悲しいことがあったのだろう?なぜ・・・・・自ら人生を閉じてしまったのか?私は「早乙女芽衣子」として、娘 優花へどれほどの愛情を込めてきたのか?
「優花の本当の望みとは何だったのだろう?」
私も後を追って逝くのもいいが、せめてそれだけは知りたい気持ちが芽生えてきた。確かに私はまちがったのだ。しかしながら何をどうまちがったのか、確認せずに死ぬのは優花に申し訳なさすぎる。
おそらくはこれが母親として、早乙女 芽衣子として最後の役割となるだろう。最期は優花のために生きようと決め、何をすることが適切かを、ようやく考え始めた。
あとがき
絶望感に関しては、これまでたっぷり味わってきました。生きる意味を見失い、誰にも助けを求められず、1人沈み込んでいくような日々。それでも、生きていかねばなりません。絶望に浸りながら働かざるを得なかった記憶は、かなりの長期に至ります。
この物語が、どのように進み、どこへ向かうのか――早乙女芽衣子という1人の女性が、自らの命と名にどう向き合っていくのか。ぜひ、これからの展開にご期待ください。