最高の償い
読み終えKindleを閉じた後も、私は長い時間、身動きできずにいる。この本が、娘 優花にとって、どれだけの意味を持っていたのか――その想像だけで、胸が締め付けられる。「もう少し、もう少しだったのに・・・」あまりにいたたまれない。
タイトルは『自分の名前を愛する力』。私は、長年「名前」に無関心だった。政治の世界で、何千という名前と向き合ってきたはずなのに、実の娘の名前すら、深く受け止めていなかったのだと、今になって痛感している。実の娘と向き合えていないのに、県知事として務まるわけがない。やはり知事を辞めて正解だったと感じている。
当初は死んで詫びることがイチバンだと考えていたが、娘の私を通じて、置き忘れていた本来の役割に気づかせてもらえた。優花の思いを背負って生きていくことが、最高の償いになるのではないか?そんな思いが芽吹いてくる。
完読してみて感じること。全編を通して、著者である龍 庵真さんの言葉は、芯があるのに温かい。まるで私に、いや、かつての優花に語りかけてくるかのようだ。
「名前とは、存在を受け止めるための最初の肯定である」

この一文に、私は泣けてきた。そして思った。あの子がもし、これを最初から最後まで読めていたら、何かが変わっていたのではないか?
本当に残念ながらKindleに残された履歴は、前書きの途中で止まっている。きっと、読むには心が限界で、枯れ果てていたのだ。もしくは――「どうせまたきれいごとでしょ」と、どこかで冷めた線を引いていたのかもしれない。
「名前って、なに?」
優花が遺したメモ。「名前って、なに?」という短い問いが、今も私の中で響いている。そして、それに対する答えは、まだ見つかっていない。
ようやく分かってきたことがある。名前とは「識別情報」で終わるものではないということ。名前には、感情が宿り、記憶が重なり、その人だけの背景がある。誰かに与えられたものかもしれないけれど、人生の中で、意味も価値も変わっていく。
あの子が問いかけてくれたからこそ、私は今、名前と向き合っている。そして、自分自身と向き合っている。今までレールの上を生きるよう、無意識に選ばされてきた。娘がレールから外してくれたのだ。レールに戻るかもしれないが、立ち止まれていることに意味を感じている。
この本の著者――龍さんのFacebookアカウントをフォローしサイトを検索している。SNS上では、過激なことは言っていない。むしろ、穏やかに、丁寧に、人の痛みに寄り添おうとしている空気感。
とは言え、まだ何かを「申し込む」勇気まではない。でも、知りたい。この人が、どんな問いを大切にしているのかを。なぜこんな考え方を抱くようになったのだろう?何を目指しているのだろう?
優花の問いが、私の人生を少しずつ動かしている。それが、ほんのわずかでも「再出発」の始まりなら――きっと、あの子も、どこかで少しだけ笑ってくれる気がする。