直感力と勇気

思い込みの威力

多くの対話の中に感じること。結論、覚悟への道標

直感力は、全ての皆さんに例外なく降りてきています。なのになぜ、「直感力なんてない」と決め込んでいるような方がいらっしゃるんでしょうか?

それは、直感力の存在を否定しているから。「なんとなく気持ちが湧いて来るけど、そんなわけないよなぁ。私なんかに」といった具合に・・・。

なぜそんなもったいない事をしてしまうのか?それは、イメージが湧く自分を信じきれないからです。

例えば奥さんに出会えた時。お客様として施術にいらっしゃった時に、「かわいらしい方だなぁ。一緒になれたらいいけど、ムリだよなぁ~~~」と考えていました。

その心理的背景は、「私は孤独な人生を歩んで死んでいく」と決め込んでいたからです。なんてったって、自己卑下の塊のような生き方をしていました。奥さんには、ホントに救われたと感謝しています。

直感力の根拠

気づきから検証・実践へ。
気づきから検証・実践へ。

逆に、「私は直感力で渡り歩いてきた」という方もいらっしゃいますね。「偶然と必然」でも書いたとおり、たとえ直感的なひらめきでも、明確な根拠があります。

例えば「達成感に満ち溢れている」と見なしている方も、《つもり》な場合が大いにあり得ます。その達成感とは、
・have
・do(can)
・be
どの領域に属していますか?
be以外(wasやwereも含む)では、見せかけです!

あなたは、◯◯を持っているから、◯◯をしている(できる)から、素晴らしいんでしょうか?絶対にちがいます!あなたの存在自体が素晴らしいから、素晴らしいんです!昔も今もこれからも。

ひらめいたかのように見えただけです。認めきれた分、あなたの人生は大きく変化します。

価値観を耕し続ける

「直感力がある!」と言いきれる秘訣は、【勇気=畑を耕す道具】だと見なしています。勇気とは、「未来を思い描く逆算力」です。価値観という土壌に、種(直感力)を蒔きどれだけ鍬を入れ土をほぐしているのか?

私たちは、例外なく「アンテナ受信機」です。例えばラジオは、設定した特定の周波数を拾って音を表現しています。あなたは、どんな周波数を拾っていますか?

特定の周波数しかとらえきれない理由は、個々人の価値観に適しているものしか受け入れていないからです。価値観という土壌を耕していくには、勇気は最適です。勇気を持って、価値観の枠を深め広げ続けた先にあるものが、覚悟です。

覚悟とは、「危険や不利・困難なことを予想して、それを受け止める心構えをすること」(コトバンク)とあります。勇気と直感力を醸成・発酵を継続していくうちに耕されるものです。

何事も勝負とは、《覚悟が強い方が勝つ》と考えていますが、あなたはいかがでしょうか?

そういった意味で、最も関連づいている体の部位とは、脾臓です。
さらにその心奥にあるものとは、脳の視床下部にある弓状核です。

脾臓は、生命エネルギーの根幹的要素を秘めており、新陳代謝の発信源です。新陳代謝が活発化すれば、自然と免疫力は高まります。

免疫力と覚悟は、密接に関連づいています。

Change your life!〜(文字起こし)
偶然or必然?

自分を俯瞰し、味わう

施術時、「痛みの役職」を聴いて状況把握しようとする内に、ある事に気付きました。言わされた感があり、感動しました( ´ ▽ ` )ノ

ご自身じゃ、なかなか分かりませんよねぇ・・・

Universal Flow 整体では、急激に状況が変わる事があります。すごく痛かったのが、3分くらいで心地よくなる方がたくさんいらっしゃいます。もしいくらやっても痛みが変わらない場合、どこかの大元に不具合があり、しわ寄せとして結果的に痛くなってる事が考えられます。その場合、結果の症状と向き合うほど、”時間と労力のムダ”となります。

私は世の中をよくしたいがために、自立整体を継続させていただいています。よって出会ったあなたが、ある期(個人差がありますから、いつになるかは断定できません)を境に、徐々に通う必要がなくなるくらいに健康となることを願って来ました。

ダイエットでも何でも、「できない理由」を突き詰め、原因を一つ一つ解放していきます。ぜひ「できないと決め込んでいる理由」を教えてください。一緒に解決していきましょう。

『あなたの治療』というTV番組

感情と臓器は特に、密接につながっているようです。後ろ向きやマイナスな気持ちで過ごすうちは、自然治癒力が作用しづらくなってしまうようです。という事はどんなに体にいいものを摂ったとしても、傾いた結果となってしまうでしょう(過飲酒、タバコ、暴飲暴食・・・。これらは5~10%ずつの不摂生です。最大の不摂生は、不平不満、愚痴、陰口、・・・「計画的自殺」)。

そこで「『痛みの役職』を詳細に伝えていただけた分、『あなたの治療』というTV番組を真剣に見入ってるという事になる」と話しています。帰って1人で過ごしている時も同じです。

例えば「世界ふしぎ発見」で、野々村がアホな回答をして笑いをとっています(2015.6.13.まではそうですね^^;)。もしあなたが野々村の立場なら、何と言っているでしょう?TVはいつも客観的に見る事ができます。もし野々村の立場なら、緊張して彼と同じような事をしでかしてしまうかもしれません。

ドラマなんて毎回いいとこで終わっちゃいます。大好きな『レ・ミゼラブル(’98リーアム・ニースン)』なんて、何度も見たくなりますし、たくさん紹介してきました。見入った番組ほど次回どうなるか気になります。さも自分が主人公になったように感じる事ありませんか?感情移入していますね。

渦中にいる時には、見えない事がたくさんあります。心臓の鼓動に気付かないように、あまりにも一体だとなかなか分かり得ません。治療するのは、あくまでもあなたご自身です。施術者はサポート役にすぎません。ご縁の都度、成長させていただいています。

潜在的コリがあまりに深く、施術時間で間に合わない場合もあります。そうなった場合、「〇〇の治療」という番組はまだ終わってませ(「施術を受ける!」と決意した瞬間から、施術は始まっています)。そんな時特に、「ぜひぜひその痛みと、そこから湧き出てくる感情を味わい、抱きしめてあげてください」と話しています。

絶好の大チャンス

好転反応がキツく、一人孤独感に襲われる時なんて、絶好の大チャンスです。そんな時、痛みと感情を味わいきった達成感があれば、体が「私」をご主人様として認めるようになってきます。それは悪習慣を克服していく大きな原動力となるでしょう。

克服する上で、最優先かつ最重要事項は、”健康になった時のイメージ”です。習慣を克服できない理由は、現状のままでいいと考える「思いの勢力」が強いからじゃありませんか?現状の変われそうもない習慣に対する敵愾心はどれくらいありますか?体は「私」の事を、常にご主人様と考えています。心が体に対して常に主体であり、絶対君主です。

まずは、体の言い分をすべて聴き入れる事で、「こうするしかなかったんだ」と事情を話せるようになります(施術者は、通訳係・媒介体)。結果、初めてお互いのわだかまりが和解されます。

体はご主人様であるあなたを、一瞬たりとも裏切ろうと考えた事はありません。なぜなら死ぬまで一緒に過ごさなければならないからです。ずっとご主人様との和解を待ち望んでいます。あなたが本気でフタを開けるなら、必ずそうなります。

多くの方々が、「自分自身との和解が最も難しい」とおっしゃいます。それは私も同意見です。幼少期の記憶等、まだまだ見つめ味わいきる事ができず苦しんでいます。都合が悪い事は、忘れるようにできています。体はご主人様のためを想い、あえて表面化させないよう頑なに封印し続けようとこだわる場合があります。

愛された記憶ばかりだからと言って、問題がないとは限りません。愛を受けてきた方ほど、「私はこれだけ与えているんだから、あなたも~」と高い基準を要求するような事も起こり得ます。

最も難しいと考える最内部の”核”が変わるなら、外側の関係がよくならないはずは、ないんじゃないでしょうか?

計画的自殺
無自覚領域と根本原因の解決策
痛みの役職

認知症の根本解放策

照子施設
2021.8.14.訃報のお知らせを受けました。ご焼香だけでもと思いましたが、タイミング合わず残念です。 お客様の生命と向き合う上で大切なことはじめ、たくさんの教訓を学びました。 今はお父様と一緒に、楽しく肩を並べて寄り添っておられるのではないでしょうか?

結論は「いかに痛みと向き合うか?」です。根本解放には、痛みの解釈が大いに関係しています。

先日、ある老人ホームへ出張施術にお呼ばれ。
娘さんがお母さんをすごく気遣っておられ、大きな問題にならないよう、早めの対処を心がけていらっしゃいます。

向き合いきれない理由

約3年前に、地方である山梨の実家へ特急券出していただけ、通い続けていました。当時から不思議に感じていた事があり、今回の施術で確信したエピソード。それは『お母さんが過去の話を極端にはぐらかし続けていた理由』です。同じ話題ばかりを繰り返す理由が、当初は「年配者の典型例」だと片付けていました。

お母さんは、以前から右の股関節が痛いと訴えていましたが、原因は肝臓の潜在的疾患のしわ寄せだと見立てました。痛みを引き出し、緩めていく中に見えてきたのは・・・「お母さんは、自分と向き合おうとしていない」という課題の浮き彫り化でした。

幼少期のトラウマが本質的な問題なのに、向き合おうとしないなら、確実に根本解放には至れません。逆の発想で、愛されてきたと思える記憶に焦点を変えました。即返ってきたのは、ご主人さんとのエピソードでした。「いつも悩みを聴いてくれ、薬を処方してくれたの(私も尊敬する、素晴らしい名医)」これまたずーーっと繰り返します。

「もしや・・・他に愛された記憶があるのか???なぜ過去の記憶を蘇らせたくないのか?もしかしたら、過去の記憶を思い出したくないから、はぐらかし続けたんじゃないのか?」という仮説を立てました。そう考えると、今まで疑問だった事が全て氷解します。娘さんが敬虔なクリスチャンなため、事情を話し祈ってもらうようアドバイス。

愛情と根本解放策

後日、娘さんのFacebookを見て驚きました。

「お母さんが、昔の記憶を少しずつながらも思い出し、ノートに書き始めた!」

さらに時を経て、またお呼ばれ。今度は、施術前娘さんに直に祈っていただきました。当時の自分本意な話とは激変し、医者の妻として医療に取り組むべき心構え等、本質的かつ感動する言葉ばかりが出てきました。娘さんの娘(お母さんから見たらお孫さん)は、医者を志しており、聴かせたくて録音したとか(*^◯^*)

根本解放を前提とした改めての結論は、【痛みとどう向き合うか?】です。体は、過去の記憶を解放して欲しくて、痛みを表現しています。にも関わらず、その痛みから逃れ続け、抑え続けるなら・・・?体(コリリン)は、不本意ながらもご主人様(あなた)の願いを受け入れ、感覚を麻痺させようとしていきます。

麻痺させるなら、相応な血流量でまかなえます(痛みは血流が大いに関係しています)。記憶のポイントは、脳です。脳に血液が行かなくなるなら、脳細胞はドンドン死んでいきます。その結果起こるのは・・・・・・。

娘さんの手記より

照子日記
うちのお母様すごいです。
さくらパンダのように結膜炎でお目々の周りが赤くなっちゃってるのに
何と今日は72年前、自分が唄って学校の先生に褒めてもらった短歌をサラサラ書き出したのです。
自分の母親が39歳で亡くなってしまい
父親と一緒に山口県の萩の墓に納骨しに出かけた際
初雪が降って来てそれが骨壷の三十九で死亡という文字にす~っと涙のように伝い落ちた。
まるで、空も悲しんで涙を流したように感じた、という内容なのです。

——————

今日は素晴らしい経験をした。母が脚の付け根が痛いと言うので、以前山梨まで通って来てくれていた整体師の先生をお呼びした。

不思議な方で「◯◯さんのお祈りが必要なんですよ」というので、「母には祈りは癒しの力を倍増するんだって、だから治療の前にお祈りさせて」と伝えてお祈りした。その後の治療中、母は医療に携わる者の心構えという本質的な話を整体師さんにトウトウと話して、私はビックリしてしまった。

政治・宗教的には真逆育ち(自衛隊上がりで、靖国神社に行くとか)の整体師さんが、「◯◯さんのお祈りのおかげです。前回は自分に対するアテンションというか、いかに夫が自分を大事にしてくれていたか、という自分中心の話でした。今日は、医に携わる者とはどのような心構えで臨まなければいけないかと、医者の妻(経営者)としての理念がバンバン出て来て素晴らしかったですねえ」

へえ。私が祈ったのは、母の社会性、哲学性が出てくるように、では無かった。イエスさまがお母さんを深く愛し、愛で包んでくださっているのを感じてお母さんが安心して治療を受けることができるようにといういたってシンプルなもの。でも愛に満たされると、愛を求めるという「くれくれ行動」ではなく自分は何を世に提供していけるだろう、というエネルギーの方向転換が起こるのかもしれない。

母の話が素晴らしいので医者を目指す娘に聞かせるために録音もした。もしかしたら、この調子で行ったら直接娘に医療談義を弁舌できるかもしれない。愛の力、怖るべし。母の能力、半端ない。引き出す整体の先生すごい。私も祈りと癒し、もっと信じて行こうっと。

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山梨へ通っていた当時は、お母さんがいかに真摯に向き合っていただけるか、大いに考え悩みつつも、無理だとあきらめていました。実感したことは《向き合えないのは奥に秘められた恐怖感が妨げているからで、根本的な解放がなされれば人は誰でも変われる》のです。

お母さんが記憶を取り戻せたことを通じて気づけた、感謝と反省のエピソードでした。

娘さんは誰もが感動するようなお母さん想いで、健康寿命を全うして欲しいとお考えです。大事に至らないよう、事前対処を徹底してくださっています。信頼して私を呼んでいただけるんですから、抜群な成果を出せるよう、精進していきます。

今回のエピソードから、根本解放的な医療改革の兆しを実感しました。

試すに値する冒険(動画文字起こし)
感情解放の重要性〜山梨のお父さん

託された願い

明確な優先順位

今日いらした80代女性と、ステキな感動をシェアできました。

今日で1サイクル目6回を終え、次回から継続すべきかを迷ってらっしゃる状況でした。確かに変化は感じつつも、どう変わっているのかさっぱり自覚できず、さほど価値を感じてはいただけていませんでした。

対話の中に優先順位を明確にすべきだと感じ、ご本人のご意見と合致し、副腎を施術開始。当初は痛みを全く感じず、関連づいているポイントから引き出しても、効果ありませんでした。

痛みがない理由は、
・全く問題無い健康体
・あまりにひどすぎて麻痺した状態
のどちらかですから、話の内容や症状から後者だとはっきり分かります。

自己卑下の要因は、過去を美化した記憶

「私は受け止める覚悟ができている」等の潜在意識を書き換えていきました。何をやってもダメな場合、体がご主人様(当人)を心配し、「これ暴露しちゃやばくね´д` ;?」な状況です。当のご主人様はいたってやる気満々でも、体に伝わっていない事は多々あります。こうして痛みがだんだん表面化してきました。

話の中に、「私はダメな母親」と卑下する言葉が出てきました。「絶対にそんなはずはありません!だとしたら、あんな素晴らしい息子さんが生まれるわけがない!!!」と返しました。

なぜそう考えてしまうのかを振り返っていく中に、【過去を美化してきた記憶】が浮かび上がってきました。過去を美化したくなる理由は、今の自分を蔑みたいからです。今のご自身を、魅力あるとは考えられないと、思い込んでしまっている・・・・・。

問題が浮き彫り化されてきたので、あとは愛情ある記憶を思い出せばいい・・・。

ご主人さんの愛情

ご主人さん(実の夫)は、予科練生で訓練中に終戦を迎え、帰省して結婚されたそうです。「なぜ俺は死ななかったのか?」と悩んでいた事を、死後聞かされたとか。高倉健の『ホタル』を2人で映画館へ行き、大粒の涙を見たのは最初で最後だったそうです・・・。

責任感がかなり屈強だったらしく、「なぜ死後、他人からご主人さんの事を聞かされたと思います?なぜすべての苦しみを背負って逝かれたんでしょう?おそらく【言わなかった】じゃなく、【言えなかった】ではないですか?」との質問に、ご主人さんに愛されていたんだとはっきり分かられたようです。

前にさんまの番組で、知覧記念館を作った方の話に感動しました。「俺はなぜ生き残ったのか?」と悩み苦しみ、戦死した仲間たちの家々を回り、謝ってきたそうです。給料をすべて注ぎ込み、生活に苦しんだであろうに奥様は、一切愚痴を言わなかった・・・。そんな奥様に、初めてのプレゼントを贈りたいといった内容でした。

出典:知覧特攻平和会館HPより

「ご主人さん、お母さんに託したい何かがあるんじゃないですか?」と訊きました。痛みを確認してみて、強烈!しかし、目には感動の涙・・・。

「どうぞ今感じている事を、噛み締めて味わっちゃってください」と促し、再度確認したところ、痛みは完全に消えていました。

お墓がすぐ近くにあるらしく、すぐに墓参りに行くと意気揚々。知覧に行く計画も立てていくと、すごく喜んでいただけました。さらに当分の間は、ご主人さんをテーマに深掘り施術をする事になり、喜んで継続を承認していただけました。

あなたの体は素晴らしい!

私の役割は、あくまでも「体の通訳」です。「◯◯さんの体が素晴らしいんですょ^ – ^」と返し続けています。

明日も1日、喜びと感謝に満ち溢れたあなたでありますよう・・・。

皇室が模範だったから

先日、潜在意識の解放セッションフォロー講座でした(池袋にて)。意識の高い皆さんが集い、スバラシイ時間をシェアできました!たくさんあり過ぎて、何をシェアしたらいいものやら・・・。

例えば、「おもてなし」とは、聖徳太子の【和を以て貴しとなす】から来ている事を知り、改めて感動!

MHD男塾2013.6.2.
MHD男塾2013.6.2.

そこで思い出した事。シェアしてまた感動を分かち合えました今はお亡くなりですが、当時96歳の元軍医(桑木崇秀先生)さんに質問した時の返答。

講話の内容が、かなり感動的で素晴らしかった!「なぜそんなに素晴らしい生き方ができたんですか?」という質問でした。

後になって語り合ったんですが、その場にいた全員が「教育勅語が素晴らしいからだ・・・」類の予想でした。
瞬時に返ってきた言葉が「皇室が模範だったから」驚愕でした!

この瞬間、実感した事。
・教育勅語は、付け焼き刃でできたものなんかじゃなく、深い実践が伴ってできた等身大の活模範だった。
・皇室と一般庶民との距離が、ものすごく親密だった。
・天皇という存在が、いかに民を想い、愛に生きて来たのか!

マッカーサーはじめ、天皇に対面した方々がなぜ改心するほどに感動したのか!特攻隊の皆さん等、親や愛する人を想い、なぜ「この人のためなら死ねる!」と思えたのか!そういった背景が見えてきた事を思い出しました。

明日も1日、喜びと感謝に満ち溢れたあなたでありますよう・・・。

 

東京 池袋から電車で約15分

ぎっくり腰と腎臓

「コリリンテーブル」を解説中
体験会にて「臓器と感情のつながり」解説中

ぎっくり腰と孤独感

Universal Flow Therapy では、「ぎっくり腰の主要因は、約7〜8割が腎臓」と主張しています。根拠は、今までのお客様方との向き合ってきた経験による統計データです。

私自身、紙1枚持っただけでかかった経験があります。先日、約17年ぶりにかかり、ずっと瞑想して追求してきました。3万人超のお客様方と向き合い、検証を重ねていく中に見えてきた、現時点での集大成。

ぎっくり腰の表面的な要因は、不自然な姿勢で瞬発的かつ急激に力を入れるような方に起こりやすいです。私の場合、自衛隊当時の引っ越しで、重い荷物を調子に乗って不自然な姿勢で担いだことから始まりました。それからというものクセになり、息ができなくなるほどの激痛が走ります。許容範囲(基準値はまちまちで、自他ともに見分けがつかない事が多いです)を超えてしまった時に突然襲われたような感覚。

ここで「基準値とは何を計っているのか?」という疑問が湧いてきました。許容範囲が深く広ければ、その分かかりにくくなってきます。ということは、猶予期間が与えられます。腰の強さには自信があり、いかにキツイ体勢から持てるかを試してもいました。

瞑想していく中に見出されてきたものとは、【孤独感】です。周囲の皆さんには何が起きているのか見当がつかない場合がとても多いのです。当のご本人にしてみれば、孤独の極みです。

一貫してお伝えしてしてきたメッセージに「痛む箇所は結果であり、原因は一般的予想外な箇所にある」があります。まさか【痛みの原因が感情にあった】とは、今までの考え方を覆すのではないでしょうか?

メンタル的要因

腎臓に問題を抱えている方々は、たいてい予想外な出来事に対し、アガッてしまったりパニック症状が表れてきます。冷静沈着、頭脳明晰、平和主義、・・・。比較的に譲る場面が習慣化している方に多いです。

理由は、その深奥にある恐怖やみじめさ・孤独感等々を味わいたくないからです。譲れば相手に憎まれる心配はないと考えています。もし、心からの喜びを発露とできているならば、何の問題もないんですが・・・・・・・・・。

もし抑圧して継続している場合、許容限界にドンドン近づく結果となってしまいます。腎臓の役割は、体液のフィルターです。目詰まりを起こし、フィルターの役割を果たせなくなり、外部からの応援を頼まざるを得なくなります。これが人工透析です。

ガソリンスタンドで働いていた当時、ベンツに乗っていながらエンジンオイル交換を絶対にしない方がいらっしゃいました。調子が悪いから診るよう依頼され、オイルが真っ黒で減っています。交換をお勧めしても「補充するだけでいい」を私の在籍期間だった2年間、貫き徹されました。そのお客様はどんな心境だったのか、今でも思い出します。

痛みの優先順位

以前ぎっくり腰に罹った方が、約10分で断定した私の結論に納得できず、精密検査をを受けたそうです。結果、「ぎっくり腰になってよかったですね。もしそのままなら、腎臓を大きく患ってましたよ」という診断に、改めて確信を抱きました。

体の言い分としては、「痛みの優先順位」です。体の都合により、最も解決してほしい箇所へ痛みの成分を送るよう設定されています。もし問題がある箇所すべてに痛みの成分が送られたら、とても生活なんてできるものではありません。体はご主人様であるあなたを想い、考慮しているのです。

今までなぜこんなにも辛く悲しいことばかりが起こるのかと、嘆いてばかりでした。当時の辛かった体験記が役立つようになりました。今となっては、宝物です。

ここに書いた内容は、私自身が無意識にやらかしてしまっていたエピソードです。今までの施術の統計データから、照合できました。多くのお客様方と向き合わせていただけたことに、感謝でなりません。

レース〜本当の勝利とは

以下の「レース」、前に立ち読みで号泣しました(もちろんその場で購入)。

何回読んでも感動し、涙します。いつも読めるよう、保有しておきたいとメール化し始めたきっかけです。原本は直訳でかなり読みづらく、私自身のものとするため意訳に意訳を重ねてきました。おそらく原文とは、かなり違うはず。よってこちらへ掲載する運びとなりました。

主旨は、【”勝つまでやる!”って決意や覚悟があるか?】だと解釈しています。

本当の勝利とは転ぶ度に起き上がること

1 周囲の声

「やめろ!あきらめろ!もう負けだ!」
彼らは叫ぶ。
「大変すぎる。ムリだ」
あきらめかけた時、その弱気は当時のレースの記憶に破られた。

思い起こすと、希望が湧き、意欲がよみがえる。
あのレースを思い出すだけで、決断する勇気を持てる。

2 徒競走の記憶

期待

少年時代。よく覚えている。
ワクワク、ドキドキ。
皆自分が1番になろうと、希望に胸を膨ませスタートラインに並んだ。
同点1番でもいい、それがダメなら2番だ。

父親達はそばから、各々の息子を応援していた。
シャッターチャンスを狙って、場所を競り取っている。
皆々が、1番をといきり立っていた。

笛が鳴り、一斉にスタート。心は希望で満たされていた。
トップでヒーローになることが、最高の望みだった。特に私には。

観衆の中に父親がいる。
私は先頭に近く「父さんはきっと喜んでくれる」
自然と歩幅が大きくなっていく。

スピードを上げて競技場を回った時、浅い窪みがあった。
足を滑らせつまづいた。

失態

一生懸命体を立て直そうと、両手を前に突き出した。
観衆がどっと笑う中、頭からバタンと転んだ。

地面に転がり、希望も失せてしまった。
〜もう1番になれない。
恥ずかしくて悲しくて、ここから消え去りたくなった。

転んだ時、父親が立ち上がった。心配そうな顔をして。
その表情は、はっきり言っていた。
「起き上がれ!レースに勝て!」

急いで立ち上がった。大したことはない。
─少し遅れただけだ─
そして一生懸命に走った。転んだ分を挽回しようと。

挽回するんだ。
─追いつき追い越すんだ─
その気持ちが強すぎ脚がもつれた。つまづき、また転んだ。

二度も転ぶなんて〜さっき転んだ時にやめればよかった―
「なんて惨めなんだろう。出るんじゃなかった」

絶望

笑う観衆の中に、父親の顔を探した。
父親はじっと見つめ、「起き上がれ!レースに勝て!」と言っていた。
そこで少年は立ち上がった。─最後から10m遅れている─
「この10mを追いつくなら」彼は考えた。
「本当に速く走らなくっちゃ」全力疾走して、8〜10m追いついた。
しかし先頭に出ようと急ぎすぎ、またつまづいて転んでしまった!
負けた!じっとそこに倒れた。〜目から涙が溢れた・・・

「もうこれ以上走ってもしょうがない。3度も転び、ビリ確定!走るだけムダ!」

立ち上がろうとする気持ちは萎えた。希望も勇気もすべて。
皆からこんなに離され、こんなに何度も転んで、ずっと負け犬だ。

「負けた。だからもう何をやっても仕方ない」
「これから恥をかきながら生きるんだ」
その時、父親の顔が頭に浮かんだ。
すぐに顔を合わせる・・・・・。
祈られていると、痛切に感じた。

「立つんだ!」という声が、小さくこだました。
「立って追いつけ!お前は転んだままでいる子じゃない。起き上がれ!レースに勝て!」

勇気

「勇気を出して立て!」と胸に響いた。
「まだ全然負けたわけじゃない。本当の勝利とは、転ぶ度に起き上がることなんだよ」

立ち上がり、再び走り出した。
新しい気持ちで、順番なんてどうでもいい。走りきろう。

ずっと遅れてしまった。
〜今までで1番ビリ・・・
それでも全力で走った。1番になろうとするかのように。

3度もつまづき、転んだ。でも3度とも立ち上がった。
もうとても追いつけないのに、最後まで走り抜いた。

1番がゴールした時、観衆は大歓声で讃えた。
1番の彼は、顔をまっすぐに上げ、誇らしげで幸せそうだ。
転んでも、恥をかいてもいない。

転んだ私がビリでゴールした時、歓声はさらに高まった。
最後まで走り抜いたことを讃えた。
ビリだった。うなだれ、誇らしげでもなかった。
が、観衆の声だけなら、誰もが1番と思っただろう。

父親に、悲しさと悔しさまみれに言った。「ダメだったよ」
「父さんにはお前が1番だよ。やはりお前は、私の息子だ!
転んでも転んでも、起き上がったからね」

3 獲得できた成果

すべてが暗く厳しく、立ち向かうのが困難に思える今ーーー。
あの時の記憶が、人生というレースを走る私に力を与えてくれる。

人生とは、徒競走のようなもの。いい時も悪い時もある。
勝利のために、絶対にした方がいいことは、転ぶ度に立ち上がることだ。

「もうやめろ!あきらめろ!お前はもう負けだ!」私に叫ぶ声がある。
しかし心の中からは、「起き上がれ、レースに勝て!」という別の声も聴こえてくる。
どちらを受け入れようか?

『真のリーダーになるための「5つの決定的瞬間」』D.H. グロバーグ p170~181

志〜愛・感謝・喜び

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今ある物事に気づく

あなたは、「感謝しなさい」等々言われた事ありませんか?確かに感謝によってもたらされるメリットは、多大なものです。感謝は、あらゆる物事を成すための潤滑剤です。

おそらくすべての意識ある皆さんは、「感謝」を超重要視されています。しかし感謝とは、どんなにしようとも難しいもの・・・。感謝しようと努めるほどに、「しなければならない」という『我』に苛まれるようになります。
本来の感謝とは、「する」んじゃなく、「今ある物事に気付く(思い出す 」事にあります。

感謝の対極にあるものとは、傲慢です。朝起きれて当たり前、ご飯が食べれて当たり前、服が着れて当たり前、電車に乗れて当たり前、・・・・・。こんな日々が当たり前な状況。これを傲慢と言わずして何と言うでしょう?

そんな日々の出来事を、もし【奇跡だ!】とでも実感できるなら、どんな変化が起こるでしょうか?例えばもし、「やった!私、今朝起きれた!生きてるょ!!」と、毎朝「奇跡だ!」と喜べるなら?もし「感謝が湧いてきた私」に気付き、習慣化できたなら、どこへたどり着くのか?

「もし朝起きた時に〜」と言っている時、最も嘲け笑っていたのは私自身です。「バッカじゃね?」と・・・。継続し続けたある日、笑っていない自分に気づきました。この時の感動は、今でも鮮明に覚えています。

感謝とは、いつも喜べている状態です。もしどんな出来事に対しても、喜びを見出しせているなら、どんな変化が起こりそうでしょうか?喜びに満ち溢れ、行動に表れた時、初めて【愛】となります。

人間の特権

愛とは、行動しなければコミュニケーションが成立せず、愛が自覚できないまま過ぎてしまいます。よって愛は、「愛する」という動詞になった時、初めて実感できるようになります。

あなたは、「愛する」とはどんな行為だと思いますか?表現方法は様々ですが、ムダを削ぎ落とせば「関心を持つ」に尽きます(マザーテレサの名言「愛の反対は、無関心」)。

たとえいかなる「冷めた人」を決め込んでいようとも、【自分自身】に関心を持っていない方はいません。もしあなたが自分を嫌っていたとしても、確実にあなたはあなた自身に関心を持っています(卒業写真等、最初に見るのは誰の顔ですか?)。「愛する」という行為は、「ご自身への興味関心度」が拡大・縮小されただけなのです。

人間とは、夢に生きる動物です。同じ状況でも、「これからだ!」と奮起する方もいれば、「もうだめだ!」と心が萎えてしまう方も・・・。災害等極限状態にある時ほど、分岐点は顕著です。

夢とはまさに、人間の特権です。外見は人間でも、夢を持つ事をやめた瞬間から、人間ではなくなります。逆にもし「~したい」という目的意識や強い願望があれば、精根尽くした先にあるあなたは、どれだけ光り輝いているでしょうか?どれだけ意欲に満ち溢れているでしょうか?

夢の中にも様々あります。「朝から酒浸りな生活が私の夢です」という方もいらっしゃいます。この「夢」の箇所を「志」に置き換えた場合、奇妙な違和感があります。

「志」とは、エゴや刹那的なビジョンから「誰かのために(未来のご自身も含む)」という社会貢献へ昇華させる必要があるのです。

 まず原点は「未来のあなた自身へ、ふさわしい生き方をする」と誓うこと。あなたが魅力溢れる志を培うには、成長のための実践なしにはあり得ません。信頼できるパートナーと本気で切磋琢磨し合い、よりよい人格を創り出していけますよう・・・。

  • スイーツひろみ(火曜日, 16 6月 2015 18:56)

     本気の方同士の切磋琢磨。まさに私の望むところ。
    私が欲しいものは、本気でない、本音で話せていない人を見抜ける力(実はこれにはきっかけがあって、そこから急速に自分の探求を深める事となりました。丁度今日でひと月経ちました)。
  • #2

    龍 庵真(土曜日, 20 6月 2015 19:01)

    素晴らしい!!!
    本気で本音で向き合うからこそ、感動が生まれてきます。
    自分と向き合いきれている分、対人関係がよくなってきます。
    ひろみさんはすでに、その一歩を踏み出していますょ( ´ ▽ ` )ノ

魂〜受け継ぐ