真心と配慮の調和〜外舘美奈さん物語5

以下を書いていて感じたのが、「そうですね」相槌の深み。本当に理解して納得の上で、こだわってみました。

呼び名の交差点

翌日午前9時、厨房の仕込み前。客個室でZOOMを開いた。画面の向こうには、柔らかな光を浴びた佐藤真紀子さん。

「おはようございます。今日は、語り合える時間をいただきありがとうございます。」

「こちらこそ。朝の空気って、語りやすいですね。昨日からずっと、話したくてたまらなかったんです。」

「そうですよね。で、私は佐藤さんのことをこちらでは何とお呼びしたらいいでしょうか?」

「はい。真紀子でお願いいたします。では私も、美奈さんでよろしいですか?」

「もちろんです。ありがとうございます。」

空気が、画面越しに澄んでいく。真紀子さんに、見た目の美しさだけではない魅力を感じる。その魅力の原因を知りたくて、今日のこの時間となったのだ。

存在価値の発掘

「昨日、はじめにお訊きしたとおり、私には輝いて見えます。話の限りには、おっしゃる先生とのご縁から始まったのではないかと仮説を立てたところです。そうでもありませんか?」

「はい!そのとおりです。龍先生なしには今の私はあり得ません。」

「龍先生?中国人でしょうか?もしよければ、少しだけ教えていただけませんか?」

真紀子さんの口角が上がる。語りたくてたまらない空気が、画面越しに伝わってくる。

「はい。龍先生は私の名前を通じて、存在価値を発掘してくださった純粋な日本人です。名前の音・意味・響き、そして場との関係まで。そこでようやく私自身が『佐藤真紀子』であることの意味を、初めて考えました。」

私は、興味深く惹き込まれていくのが分かった。

名前と場の響き

 真心と配慮の調和〜外舘美奈さん物語5

「名前と場の響き・・・。それは、料理にも通じるものがありますね。いかに真心込めた料理でも、相手をいかに気遣うのか?という配慮こそが、明暗を分けますからね。

その『名前と場の響き』が、真紀子さんの中でどう響き合っているのか、もう少し聴かせていただけますか?」

「はい。正直、最初は名前に意味があるなんて考えたこともなかったんです。でも、龍先生に名前の音を丁寧に聴いていただいて、自分でも気づいていなかった場との違和感が浮かび上がってきたんです。」

「へぇ、それはどんな?」

「例えば同じ真紀子でも、家族の中で呼ばれる響きと、職場で呼ばれる響きが、まるで違っていて。ただの私の感覚の違いだと思っていたんです。先生は『場との関係性が名前に現れている』っておっしゃって。そういったことの積み重ねから、名前がただの識別情報じゃなくて、『私の存在価値そのもの』なんだと気づきました。」

「それはすごい気づきでしたね。感じる世界が一変しますよね」

「そうなんです。それ以来、名前の響き方を意識するようになりました。だから美奈さんの店で澄んだ空気を感じて『ああ、ここでは佐藤真紀子として響いていいんだ』って、感動したんです。」

「そうだったんですね。」

生き様のカスタマイズ

「先生は、『龍 庵真(りゅうあんしん)』という名前で活動されていて・・・。でも、ただの名付けではないんです。生き様やあり方から『本来・本当・本物』をカスタマイズしてくださるんです。」

思わず身を乗り出して聴いてしまっている。さらに深呼吸した。

「生き様やあり方から。素晴らしいですね。私が料理でやっていることと、やはり似ているかもしれません。スタッフを雇う上でも、あり方はすごく重要だと考えてきました。技術うんぬんも重要ですが、同じものを作っていても、あり方次第で大きく変わるんですよ」

「そうなんです。私が『空気が澄んでいた』と感じたのも、やはり龍先生の影響を受けているからかもしれません。おかげさまで、見えていた世界から奥行きが増しました。」

「はい。真紀子さんの感想コメントを拝見し、非凡さを感じました。私にとっては料理の美味しさは当然です。場の浄化を気遣うようになってからの世界観が全く違うんです。それを言葉に表していただけたことが本当に嬉しかったんです。」

ご縁の予感

「先生は、名前が喜ぶ場を生み出し整える方です。スゴイと感じるのが、語らせるのではなく、『言葉が自然に溢れ出す場』をつくるんです。」

「やはり料理と同じですね。『食べさせる』のではなく、『食べたくなる場をつくる』です。私もぜひ龍先生に会ってみたいんですが、おそらくはかなりお忙しいんでしょうね?」

「そうですよね。私も最近連絡できていないので、どうなっているか気になり出しました。美奈さんをおつなぎしてもいいか、確認してみますね」

「ありがとうございます。すごく楽しみです。」

ーーー

数日後、真紀子さんからお電話。今週の金曜日10時〜だという。3日後だが、なんとかなりそうだ。3人でオンラインにて。このご縁が、どう変わっていくのだろう?真紀子さんの情熱のきっかけとなったお方。興味が止まらない。

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人生変えたご縁〜外舘美奈さん物語4

「本当に?」と疑ってしまった『人生変えたご縁』。リアルさにものすごくフォーカスしていますが、言葉が溢れ出てきて、自動書記に近い状態。気づいたら深夜1時を回っておりました。

再来店

2ヶ月前、お客様から届いた感想メール。「場の空気が澄んでいた」という言葉が、記憶に深く残っていた。

そのお客様が、再来店。 予約は2ヶ月待ちにもかかわらず、即座に申し込んでいたという事実が、スタッフの間でも話題になっていた。

「佐藤様、あの夜のあと、すぐに次の予約を入れてくださったんですよ」 「2ヶ月待ちなのに、迷いなく。」

厨房の空気が、張り詰める。真価が問われているような気がしている。どんなことになろうとも、絶対に感動を分かち合って店を出ていただく覚悟で臨んでいる。そのための私なのだ。

食事を終えたお客様が、厨房の奥に向かって一礼。その所作に、場の空気が奮える。

「こんにちは。店長の外舘美奈です。先日は本当に素晴らしいコメントをいただき、スタッフ一同感動いたしました。かつ即座に予約を入れてくださり、今日に至れましたこと、心より感謝しております。」

「はい!前回の感動が忘れられなくて、また来ました。この空間にいた時間が、今も体に残っているんです。前回は家族がいたから、あまり話せませんでしたね。」

私は、大きく頷いた。スーシェフの悠太が声をかける。

「もしよければ、初めていらした時のこと、少しだけ教えていただけませんか?」

初対話

佐藤真紀子さんと美奈さんの初対話 人生変えたご縁〜外舘美奈さん物語4

「息子の結婚が決まって、結納の前夜でした。こじんまりとした静かな場で、家族と過ごしたくて探していたんです。口コミで見つけて、直感で選びました。

でも、料理だけじゃありませんでした。場の空気が、澄んでいたんです。料理を通じて癒しや希望や情熱を湧き立たせるような・・・。明らかに美味しさだけではない、ステキな魅力を感じたんです。」

私は、溢れ出る思いに任せ、言葉を返した。

「前回のメールでもいただきましたが、改めて感謝いたします。私のマリアージュが、届いたんだと思いました。さらに本当にいらしてくださり、生で聴かせていただけることに、感無量です。」

「マリアージュ?そうだったんですね。素人の私には分からないことだらけですが、響き合う調和があったんですね。」

「はい。そうですよね・・・。尊敬の念を込めて、改めてお訊きしたいしたいんですが、いいでしょうか?」

「なんでしょう?」

人生変えたご縁

「私には佐藤様がとても素晴らしく、輝いて見えます。幼い頃からそうだったんでしょうか?」

「ありがとうございます。シェフのようなステキな女性に言っていただけると、天にも昇る気持ちです。私はもともと専業主婦で、小さなアパレルショップから始まったんですよ。こうして都内へ頻繁に来れるようになったのも、本当につい最近のことです。」

「そうだったんですね。では何がきっかけだったんでしょう?」

「ある方とのご縁ですね。名前を主に多角的に向き合ってくださった方のおかげです。この方のことを語り出したら、私は止まらなくなってしまいます。いいでしょうか?」

「え!?そんなに佐藤様の人生を変えた方がいらっしゃるんですね?」声色が変わったのが、即座に分かった。

「そうですね。今は営業時間でしょうから、他の方との関わりもありますよね?」

「そうですよね。ご配慮ありがとうございます。佐藤様の声から、語りたくてたまらない雰囲気を感じます。」

「え!?声の変化を感じれるんですか!すごい!先生もそうなんです!」

「先生?佐藤様の先生でしょうか?」

「正確には違いますが、私の人生を変えるきっかけとなった方がいるんです。」

「本当に長くなりそうですね。ではまたあとでご連絡させていただきます。佐藤様がそこまでおっしゃる方、すごく気になります。」

「はい。シェフが予想以上にステキな方だったので、饒舌になってしまいました。あとでオンラインにて、語り合いましょう。」

脳裏に浮かんできた記憶

QRコードを通じてオンラインでつながり、翌日9時からのアポ。予想もしていなかった展開に驚いた。佐藤様がおっしゃる「先生」とは誰なのか、すごく気になっている。佐藤様を「語りたくてたまらない」状態にまで魅せてしまい、《名前を主に多角的に向き合う》《声の変化を感じれる》等、つながりを全く感じない。

こんな胸踊る気持ちになったのは、いつぶりだろう?脳裏に浮かんできたのは、TV取材に応じている師匠のインタビューに感動した場面。高1夏にたまたまつけていたTVで、番組で師匠が現れ釘付けになった。「私が人生賭ける価値があるのはこれだ!」と感じた。

高2で中退し料理の世界へ入って行ったのも、実家での生活に耐えきれなかったことと、「これだ!」という確信だ。その時から、気持ちが揺らいだことがない。当時の感動が、佐藤様の振る舞いから呼び覚まされてきた。

師匠はすでに引退し、隠居なさっている。久々に会いたい気持ちになった。


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味覚の再構築〜外舘美奈さん物語3

美奈さん、味覚が衰えていく中で、どう切り抜けていくかを模索中。信頼関係って重要だと改めて実感です。

マリアージュ

厨房の奥に立つ。いつもの位置。味の輪郭が、どんどん霞んでくる。火入れの香りは読める。動線の緊張も感じる。しかしソースの酸味や塩味が、どう響いているのかつかめない。

「私は、何を味わって生きてきたんだろう?」 「この店で、何を伝えたかったんだろう?」「なぜ、何を、どうあきらめきれないんだろう?」「そもそもなぜ、こんなことになってしまったのか?」

様々な問いが、急き立ててくる。未来の私は、確実に何かをつかみきれている。店の皆を信頼し、新たなチーム編成でお客様を迎え入れている。そのイメージはあるが、何をどうやって再構築できたのか、雲をつかむような感覚だ。

考えに考えても、今の私には解決能力がない。それだけははっきり分かっている。小中学生ながらに大学入試の問題なんて解けないのと同じように、分からないことを分かろうといかに努力したところで無意味だと分かっている。だからと言って、何か策があるのか?何もないーーー。

悠太が言った。「美奈シェフ、味の調整を一緒にやりませんか?僕らの舌も、使ってください。」

まさにこの瞬間、脳内ランプが光ったのを感じた。初めて「他者の舌」を信じてみようと思った。ソースの酸味・塩味・苦味・甘味——それぞれの舌感覚が語る。厨房が、味を言葉にし始める。

味覚の再構築は、舌のマリアージュから始まった。

新チームと新たな響き

美奈さんの確信 味覚の再構築〜外舘美奈さん物語3

味を言語化し共有することで、場の空気が変わった。厨房の動線が滑らかになり、音の粒が整っていく。私は確信した。

「私の舌が曖昧でも、場の響きは整えられる。味は、私1人で作るものじゃない。  素材とソース、火入れと香り——それらが響き合う。それこそが、マリアージュ。」

新メニュー、新役割、新空気。厨房が、再び動き出した。

再出発から数日後、一通のメッセージが届いた。

「料理も素晴らしかったですが、場の空気が澄んでいて、心が静まりました。あの空間にいた時間が、今も体に残っています。ものすごい感動を、本当にありがとうございます。ぜひまたお伺いしたいです。」

私は目を閉じ、歓喜に奮える手応えを噛みしめた。

「料理の感想なんて、いくらでもある。でも『場の空気が澄んでいた』なんて言葉、初めてだった。私のマリアージュが、届いたんだ。」スタッフ全員で、その感想メールを喜んだ。

場の響き

味覚は曖昧でも、場の響きは守れる。 「味わうことの意味」は、私の舌だけではなく、場の共鳴にある。未来の私のイメージが、少しずつ鮮明化されていく。ピンぼけしたモノクロ写真が、高解像度のカラー動画へ変わっていくように。

「私は、味だけを作っていたんじゃない。場の響きを生み出していたんだ。それが、私の『舌感の記憶』だったんだ。」

ステキな感想を送ってくださったお客様へ、即返信。

「ありがとうございます。諸事情から、新たなチーム編成をしたところでした。『お客様と感動を共有できるよう、私たちに何ができるのか?』を真剣に語り合っていた中にいらしてくださり、コメントにスタッフ全員が感動しております。ぜひいらしてくださいませ。本当にありがとうございます。」

もうダメだと絶望感に打ちのめされていたが、仲間に支えられ切り抜けきれそうだ。さらなるマリアージュを求めて、仲間と一緒に進めていこう。

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舌感の記憶〜外舘美奈さん物語2

舌ガンだと申告された美奈さん。親との確執から、40年帰省したことがありません。料理一筋に生きてきたため、知り合いかつ信用できる仲間が、店のメンバーしか思いつきません。

告白の温度

厨房の奥、いつもの位置に立っているはずなのに、 包丁の重さが違う。メンタルが、体に及ぼす影響は甚大だという話を聞いたことがある。身をもって痛感している。現実を突きつけられるまでの私と今の私では、何もかもが違ってきている。

「舌ガンです」 医師の言葉が頭の中で何度もこだまする。味覚は、さらに曖昧になっている。それでも、仲間にはまだ言っていない。言えない。

最も信用している店の仲間—— 伝えた瞬間、何かが壊れる気がしていた。すさまじい恐怖感がある。とはいえ黙っていることも、嘘をついているようで苦しい。

「美奈シェフ、今日のソース、ちょっと違いますね」その一言が、胸に突き刺さる。違うのは、ソースじゃない。私だ。

厨房の音が遠くなる。心の中がざわつきながら、悶々と問いが込み上げてくる。「私は、何を味わって生きてきたんだろう?」 「この店で、何を伝えたかったんだろう?」改めて「味わうことの意味や価値」を問い直す。

舌感の記憶

家を出て帰らないと決めている理由は、母の固執した日本料理へのこだわりだ。子どもの頃から、誕生日ケーキ等も他の皆とは違う、変な色をしたものだった。「家庭の食卓」という話題が、周囲とかけ離れていた。だからこそ、友達を招き入れたこともない。親を誰にも紹介したくなかったし、家族のことを語りたくなかった。

「私は絶対にお母さんみたいな生き方はしない!」と常々口にしてきた。だからこそ、早く家を出て、全く別の世界を生きることにしたのだ。高2当時の17歳で限界を感じ、都内の料理店で修行。一心不乱に没頭し、3年でパリへ。

20歳から10年、美食文化の激戦区で徹底的にしごき抜かれた。30歳で都内の1等地に開業できるよう資金援助してくださる方が現れ、千載一遇のチャンスだととらえた。渡仏前に師匠からいただいた牛刀を携え、日本へ帰国し今に至る。

25歳でソース担当となり、それこそ七転八倒の苦しみだった。ソースを通じて素材とのマリアージュ。感覚を研ぎ澄まさなければならない。皿洗い当時から厨房はまさに戦場だったが、洗練されるほどに内側へ向いていくのが分かった。

たとえ素材がよくなかったとしても、ソースによって極上の味に仕上げることができる。だからこそ、舌感(味覚)には極めて細心の注意を払ってきた。だからこその疑問。なぜ私が・・・・・・?

「死ぬまで料理人」という決意

意を決し、すべての作業を終えてから、皆に残ってもらった。

「美奈シェフ、どうしたんですか?」スーシェフの悠太が問うてくる。

「重大な発表があるの。言うべきか、かなり悩んだんだけどね。」

「何ですか?美奈シェフのためなら、何だってやりますよ」皆が口々に言う。

「私・・・、舌ガンらしいのよ。ステージ2だと言われたわ。腫瘍が舌の左奥裏に3cm程度あって、3人の医師に切除手術を勧められたわ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」一気に場が凍りつき、真空化されたかのようだった。

「そうよね。言ったところで、皆もどうしようもないわよね。私、絶対に切りたくないの。死ぬまで料理人でいたいから。切らずにガンとの問題を解決する道を探したいの」

「確かに今のままではどうしようもありませんが、話してくださってありがとうございます。・・・美奈シェフお1人で悩み苦しむんじゃなく、私にも一緒に背負わせてもらえることを感謝しています。」悠太がたどたどしくも、返してくれた。

「そうですよ!私も一緒に悩み考えます。話してくださり、本当にありがとうございます。」スタッフ9人全員が、改めて1つになれたと感じた。話せてよかったと、心の底から感動し涙が溢れてきた。

告白を受け入れられ感動の涙 舌感の記憶〜外舘美奈さん物語2

だからと言って、まだ何も解決したわけではない。これからどんな展開になっていくのか、考えるほどに恐怖が湧いてくる。今までにも、似たような出来事があった。恐怖を感じていても、払拭できるほどに没頭していこう。

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違和感の正体〜外舘美奈さん物語1

様々向き合わさせていただき、「プロフェッショナルかつストイックに追究してきた方との相性がいい」とピントが合わさってきました。

佐藤真紀子さん
田中健太郎さん
藤堂富美子さん
早乙女芽衣子さん
に続く、5人目の物語。

没頭してきた40年

「お疲れ様〜」

すべての役割を終え、いつもなら充実感とともに帰宅。今日は言いようのない違和感がある。意味不明な不安と焦燥感が襲ってくる。昨日と今日の私は、明らかに何かが違っている。何が分からないのかが分からない。しかし確実にマズいことが起きているようだ。

私は外舘 美奈(とだて みな)、57歳。港区麻布十番で腕を振るうフランス料理人。皿の上に描かれる一皿は、芸術と称され、予約は2ヶ月先まで埋まっている。日本料理人だった母に反発し、中卒後に単身フランスへ。そこで脇目も振らず一心不乱に料理の世界へ没頭してきた40年。

厨房の熱気、スタッフの声、火の音。そのすべてが、私にとって情熱であり、生きがい。感情は、邪魔だ。皿に乗せるのは技術であり、魂の結晶であり、メッセージだから。去年『プロフェッショナル〜私の流儀』(NHK)からの出演依頼があり、そこで不動の信頼を得た。

店から徒歩3分の1ルームにて、言いようのない違和感を抱きながらも、明日に備えて寝る。料理の世界で生きてきた私には、恋愛とは無縁だった。誰かを好きになるよりも、お客様へ料理を通じて感動を提供することが、私の喜びなのだ。

S.ジョブズが着ている服装は黒のタートルにジーンズだったという話に同感である。料理のことしか考えたくない。服装なんて厨房に入れば着替えるんだから、何だっていい。プロフェッショナルの料理人として、世に恥じない生き方を全うしたいのだ。

違和感の正体

味覚の精度への迷い 違和感の正体〜外舘美奈さん物語1

数日後、仕込みを終え、心がザワっときた。スープの味が、分からない。塩も、香りも、温度も、ちゃんと揃っている。今まで塩1mgの違いを見極めきれていた。その精度の感覚への迷いがある。

予約していたランチ後の休憩時間に受診。検査後の診断で言われたショッキングな一言。「味覚に麻痺障害がありますね。味蕾の塩味の神経に異常があるようです。精密検査をお勧めします。」まさに茫然自失な状況。言葉が出てこない。顔面蒼白な感覚がよく分かる。

ディナーでは、スタッフの誰にも気づかれないよう振る舞えた。しかし心の中は、ものすごく動転している。スタッフが優秀なのが幸いだ。今まで咀嚼して詳細に教え施してきただけに、皆立派に育ってくれている。

今までツラくキツい時ほど、笑うよう努めてきた。「大丈夫。きっと大したことはない。すぐに元に戻るよ」と言い聞かせて、どうにか閉店できた。自宅まで徒歩3分だが、すぐに帰りたい気分ではない。コンビニで大好きなカシューナッツとワインを買って帰宅。

終わりの始まり

精密検査の結果が出て、再受診。なんと・・・・・・・・・舌ガン。ステージ2だというのだ。医師からは総合病院へ紹介状を書くからと、手術による切除を勧められた。舌を切るということは、味覚の精度が落ちないわけがない。それだけは絶対にイヤだ。

医師からは「味覚が落ちようとも、生き延びられるんだからいいじゃないですか」と返答。いくら言っても覆りそうになかったので、保留させてもらうことにした。舌を切るということは、料理人としては生きられないのではないか?約40年、料理人として生きてきた。他の人生が、どうしてもイメージできない。

夜の厨房。誰もいないはずなのに、火の音が耳に残る。私は洗い場前で立ち尽くしていた。初めて肉担当になれた記念にと、師匠からもらった牛刀を見ながら、涙がこぼれた。

「なぜ私が?」

今まで健康には極めてこだわってきた。野菜を多く摂り、添加物は控えるよう細心の注意を払ってきた。出かける時も弁当持参。売っている食材なんて信用できない。「◯◯がいいよ」と言われれば、即試してきた。水にもかなりこだわり、浄水器には最高の本格派を組み込んでいる。

「なぜ私が?」

私には志がある。私の店を世界一のフランス料理店とすること。そのためのミシュラン5つ星は通過点だ。NHKからの出演依頼も高じて3つ星まで来れた。料理に私の全人生を懸けてきたのだ。こんな道半ばにして、あきらめきれるわけがないだろう!

「なぜ私が?」

どうしても解せない。納得できない。ガンだなんて、全くもって信じられない。私に限って、そんなことあるわけがないのだ。セカンドオピニオン、サード・・・と試みるが、同じ診断結果。舌ガンという事実、受け入れざるを得ない。しかし手術は絶対にイヤだ。とはいえ、手術するしかないんだろうか?

理解できない、納得できないと言いつつも、症状は進行しているのだろう。「夢であってくれ」「朝目が覚めたら治っている」と願いながら、気がついたら1人でワイン1本空けていた。どんどんまぶたが重くなっていく。

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