名前に揺れる夜〜藤堂富美子さん物語4

名前に揺れる夜〜藤堂富美子さん物語4

静けさと雅子への衝動

真紀子さんとの対話が終わったあとも、しばらく画面の前から動けなかった。

あの短い時間に、私は確かに話していた。けれど、それ以上に聴いていただけたような気がする。画面が消えたあと、空気の音が急に聴こえてきた。久しぶりに、自分の中の静けさに思い出せた感覚だ。

今、雅子にたまらなく会いたい。けれど──会って何をどうしたいのか?謝りたいのか?「ありがとう」を伝えたいのか?もう一度だけ母としての誇りを語りたいのか?

筆が進まない。どんな言葉を選んでも、どこか「私の正当化」になってしまう。

真紀子さんの提案

その夜、真紀子さんからメッセージが届いた。

「富美子さん。今日はありがとうございます。よければ、おつなぎしたい方がいます。お会いしてみませんか?私がとても信頼している方で、名前をとても丁寧に見つめていらっしゃいます。

富美子さんと話していて、昔の私を思い出しました。まだよく分からない点はありつつも、似ている点がありそうな気がしています。今の私は、彼のおかげでもありますから。

富美子さんの人生、きっと変わりますよ」

自問自答

名前────────
舞台で生きてきた「藤間 美雅」と戸籍上の「藤堂 富美子」。私はそのどちらでもあり、どちらでもないのかもしれない。

「名前を丁寧に見つめて・・・」とあるが、名前を丁寧に見つめたところで、何が変わるの?名前なんて呼ばれるための識別情報よね?真紀子さんがおっしゃられるなら、会ってみてもいいけど、また新しい名前や印鑑なんて作らされるのかしら?家族そろって象牙の3本セット買ったじゃない。また?

名前を変えたところで、雅子との信頼関係がよくなるわけじゃないだろうし、私の過ちが解消されるわけでもない。私の人生は失敗だったのだ。これからどんどん転落していくのかしら?

いったん歯車が狂い始めると、至るところで不協和音が起きてくると聞いていたが・・・。まさか私がそんなことに陥るとは、考えてもいなかった。周囲の幸福そうな家庭が羨ましく思えてくる。私だって必死に生き抜いてきたのだ。「ハシゴのかけ違い」が、こんなにも深く、自分を迷わせるものだったとは。けれど──名前を見つめることで、何かが変わるのだろうか?今の私は、ただ湧き出てくる問いに立ち尽くしている。

信じてみよう

湧き出てくる感情と向き合ってみての結論。やはり会ってみようと思う。決め手は、真紀子さんの最後の一言「富美子さんの人生、きっと変わりますよ」。「彼」というから男性なのだろう。

嬉しかったのが、こんな私と真紀子さんが「似ている」と言ってくださったこと。私も真紀子さんのように、輝ける日が来るかもしれない。雅子との和解ができるかもしれない。

期待と不安が行き交いつつも、日程調整の返信を終え、眠りにつけた。30分経たないうちに終わるかもしれないが、真紀子さんを信じてみよう。

#ありがとう
#感情
#舞台
#信頼関係
#魂

自分を語ってもいい〜藤堂富美子さん物語3

自分を語ってもいい〜藤堂富美子さん物語3

言葉にしてしまう恐怖

──コメント欄に返信が届いてから、何度もその文章を読み返している。

「『自分が崩れていく音』とはどういうことなんでしょう?よろしければ、ぜひお聴かせいただけませんか?」

何でもないような言葉。でも、どこまでも優しく鋭かった。読み返すたびに胸が詰まる。すぐに返事を書こうと思ったのに、できないでいる。言葉にならないのではない。言葉にしてしまうことが恐怖なのだ。

画面を閉じて、しばらく考えた。そして、ふと思い立ち、鏡の前に立った。

帯で整える芯

「そうだ、帯を結ぼう」

人と会う予定もない。誰に見せるわけでもない。でも今、私は自分自身のありようを整えたい。箪笥の奥にしまっていた淡い藍色の名古屋帯。軽やかながら芯のある一本。お気に入りの1つだ。

自分の手でゆっくり結んでいく。ひと結び、ひと呼吸。帯のひと巻きごとに、心が落ち着いていくのが分かる。

「私はまだ、言葉にならないものを抱えたままでいる」
「でも・・・それでも、伝えてみたいのかもしれない」
「このままでは絶対にダメだ。どうしても変わりたい。一歩を踏み出したい」

自分を語ってもいい

帯を締め終え、スマートフォンの画面を開く。メッセージ欄に、少しずつ言葉を綴り始めた。

ーーー

佐藤真紀子さん

コメントを読んでくださり、ありがとうございます。
あの一言に、どれだけ救われたか、うまく言えません。

「崩れていく音」というのは──
私の中にずっとあった型が、今、音を立てて壊れていっている感覚です。
それは恐怖でもありますが、どこかで「ようやく」という安堵も混じっています。

この歳になって、初めて「自分を語ってもいい」と思えた気がしています。
よろしければ、少しだけお話しさせていただけましたら嬉しいです。

ーーー

送信ボタンを押したあと、自分の姿を鏡で見た。久しぶりに、自分の顔が「私の顔」に見えた気がした。

毅然とした雰囲気と魅力

メッセージのやりとりから数日後、
「もしご都合よければ、一度だけZOOMでお話ししませんか?」
真紀子さんからの提案が届いた。

迷ったが、その迷いこそが「行くべき方向」だと、今回は思えた。

約束の午後。髪を軽く結い、帯を締め直し、画面の前に座る。

パソコンに映し出された真紀子さんの顔は、写真よりもずっと柔らかく、芯を持っていた。何があっても動じない、毅然とした雰囲気に、魅力に吸い込まれていく。

「初めまして。お会いできて嬉しいです」
「・・・こちらこそ。少し緊張していますけど、ありがとうございます」

2人とも微笑み、しばらく言葉がない。ながらも沈黙が気まずくないのは、久しぶりだ。

「崩れていく音・・・という表現が、とても印象的でした」真紀子さんから。

私は、小さく頷いた。ほんの少しずつ、語り始めた。

矛盾

「私は、舞にすべてを捧げてきた人間です。弟子たちには厳しくしてきましたし、娘にも・・・ずいぶんと、ですね。でも、自分は間違っていないという想いがどこかにあったんです」

「それが娘からの一言で、音を立てて崩れていって・・・もう、何を信じてきたのかも分からなくなってしまって。もう何をやってもうまくいかない気持ちが湧いてくるんです」

真紀子さんは、ただ、静かに頷いていた。傾聴という言葉の価値を、初めて体感できた。聴いていただけているという態度だけで、涙が込み上げそうになる。

「型に閉じ込めていたのは・・・・・、私自身だったのかもしれません。今までの私の生き方は、失敗でした。過ちに気づかず突っ走ってきたことを後悔しています」
「でも・・・、型にはめてきたからこそ私は私ではいられたんだと思います。・・・そんな矛盾を、今も抱えています」

「・・・矛盾を抱えたままでも、言葉にしてくださって、ありがとうございます」

真紀子さんがそう言った時、やっと「私は自分の話をしてもよかった」のだと気づいた。画面越しに深く頭を下げた。それを見た真紀子さんも、穏やかに微笑んだ。

#生き方
#娘
#傾聴
#命
#恐怖

揺らぎ〜藤堂富美子さん物語2

揺らぎ〜藤堂富美子さん物語2

初コメント

佐藤真紀子さんのブログを開くのは、もう何度目だろう。最初はただ読んでいた。けれど、読み返す都度、言葉が自分の内側に深く沁み込んでいくのを感じる。

「私は、誰の人生を生きてきたんだろう?」「私が追い求めてきた幸せって何?」そんな問いが浮かんでは消える。ブログの一文に、ふと目が止まる。

「自分にまとう言葉を洗練し改めるだけで、人生は変わるのかもしれません。」

これまで、私は「まとうもの」として、帯や衣装のことしか考えたことがなかった。今、「言葉をまとう」という感覚を、初めて知ったのかもしれない。

ページの下部、「コメントを残す」という欄。そこにカーソルを合わせるだけで、指先が震える。

文章を書いては、消した。
「素敵な文章でした」
「私も娘を持つ母です」
「舞を生きてきました」
どれも、本当の気持ちではあるけれど、どこか誰でも書ける言葉のように思えてならない。そもそも「本当の気持ち」とは?真紀子さんの言葉を読むほどに、「私は自分の人生を生きようとはしていなかった」のだ。

芸名と本名の揺らぎ

私は今、「誰として」書くのか。それが最も難しかった。芸名「藤間 美雅(ふじま みやび)」なら、何度もTV出演したこともある。本名は、役所に用がある時くらいにしか使うことがない。娘の言葉を機に、「名取り」という権威に、全く価値を感じなくなっている。今までこんなこと初めて。

いろいろ考えようやく、1行目にこう記した。

「佐藤 真紀子 様
はじめまして。藤堂富美子と申します。」

書いた瞬間、胸の痛みを感じた。私の名前は、私がずっとまとうことで守ってきた「型」そのものだった。

「この名前を、公共以外で誰かに見せるのは、何年ぶりだろう?」心の中でそう思いながら、続けて書いた。

「長年、日本舞踊を通して生きてきました。今、思いがけず自分が崩れていく音に耳を澄ませています。

あなたの文章に、女性らしいしなりと凛とした覚悟を感じました。どこかで・・・・舞と同じ匂いを感じます。

勝手ながら、コメントさせていただきました。ありがとうございます。」

送信ボタンに指を置いたまま、しばらく動けなかった。この差し出すという行為に、まさかこんなに多くの感情が詰まっているなんて。その時ふと──「これでいい」という思いが、胸に沁み渡っていった。

心の揺らぎ

次の日。返信が届いた。

「藤堂富美子さん──お名前の響きに、舞うような静けさと強さを感じました。
コメント、心より嬉しく読ませていただきました。『自分が崩れていく音』とはどういうことなんでしょう?よろしければ、ぜひお聴かせいただけませんか?」

たったそれだけの言葉だったが、感極まる思いが込み上げてくる。娘の一言から今までで最も「届いた」と思える言葉だった。真紀子さんへなら、この心の揺らぎを言葉にしてもいい──そう思えてしまう。

舞台でもTVでも、いかなる状況でも物怖じすることはなかった。真紀子さんからは、私の虚無感や偽者感を見透かされそうだ。逆を言えば、それだけ真紀子さんに見てほしい。・・・いや、見抜いてほしいのかもしれない。

──そして、娘のことが脳裏によぎった。

娘に今までの過ちを謝罪しても、本当の意味でお互いのわだかまりが消えることはないだろう。謝罪よりも、「雅子のおかげで」と言えるようなことになれば、感動を分かち合える。きっと雅子は、そんな結末を願っているのではないだろうか?

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#自分の人生
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#感情
#日本舞踊

崩れゆく誇り〜藤堂富美子さん物語1


崩れゆく誇り〜藤堂富美子さん物語1

気づいてしまった

「・・・それって、お母さんの満足じゃない?・・・・・・・」通話後も、しばらく携帯を手に持ったまま、動けない。衝撃的な娘からの一言。

雅子が舞を始めたのは、小学2年。同級生がバレエを習い始めたのに触発されたのがきっかけだった。「だったら、うちは日本舞踊よ」と笑いながら始めさせた。

最初は物珍しさを楽しんでいた。私の目には、娘の才能が確かに見えた。「この子は私よりも大成する」今となってはただの親バカだったのだろうが、当時は揺るぎない確信があった。

だからこそ、稽古は厳しくした。
「舞は甘くない。遊びじゃない」
「気持ちで踊ってはダメ、型がすべて」
何度も泣かせてしまった。

中学に上がる頃、雅子は何度か「やめたい」と言った。その度、言葉を選ばずに返した。

「せっかくここまで来たのに、やめるなんて無責任よ」
「あなたは本当に、惜しい人ね」
「本気でやったこと、一度でもあるの?」

あの時、どんな顔で言ったのだろう?──その時の雅子は泣かなかった。ただ、無表情。

その後、雅子は舞の道には進まず、教員の道へ。今でも趣味として続けてくれてはいるけれど、「母の顔色を見てのこと」だったのかもしれないと気づいてしまった。自分の中の「誇り」だったものが、ただの自己満足だったのではないか?と感じている。

「私が見てきた娘の才能は、勝手な思い違いだったのかしら?」
「私は母親として、娘に何をしてあげたのかしら?」
「舞台の拍手は聞こえても、あの子の小さなため息は聴けていたの?」

崩れゆく誇り

私は、着付け塾「舞乃庵」を主宰する藤堂富美子(とうどうとみこ)、77歳。かつて日本舞踊の名取として舞台に立ち、今は後進の指導にあたっている。弟子の数は年々減り、後継者も見つからないまま。それでもこだわり続け、凛と帯を結び続けている。

会社員だった夫の定年後、5年経たずに看取る。肝臓ガンだった。1人娘の雅子も巣立ち、孫も成長した。やり尽くしたと充実感を持っていた、昨日までは。 今、積み上げてきたものが音を立てて崩れていっている。

「そもそも私は、何のために生きてきたのかしら」
「結局私は、何も遺せないまま死んでいくんじゃないの?」
「ただ舞にしがみつく老女になってしまうの?」
「後継者がいないのも、皆が雅子と同じように私の顔色をうかがってきただけなのかしら?」
娘 雅子からの一言で、現実が浮き彫り化されてきた。今、得体の知れない恐怖感という闇が湧き出ている。

「このままでは終われない──とはいえ、どこへ向かえばいいのか分からない」
「誰かに話したい。けれど、話したところで変わりそうに思えない」
「何もかもがダメに思えてくる。何をやっても失敗しそうな気持ちになる」

歳月を慈しみ、なお花ひらく

初夏の日差しが爽やかな午後、久しぶりに書店へ。本を買うつもりはなかったが、なんとなく足が向いた。書店に入って即目に止まったのが、『婦人画報』。表紙の色合いが優しくて、よく読む愛読書の1つ。

「何かを探していた」というより、「何かが自分の中からほどけてくれるのを、待っていた」のかもしれない。表紙の「歳月を慈しみ、なお花ひらく」という言葉に惹かれていった。

ああ、なんて美しい言葉。それは「頑張れ」でも「前を向け」でもなくて、「今のままでも、咲けるんですよ」と、そっと肩を撫でてくれるような響き。

ある女性の写真が目に留まった。──佐藤真紀子さん。どこかで見たことがあるような、でも初めて出会うような、不思議な気配をまとう女性。

服を仕立てるアトリエで静かに佇むその姿から、派手さは一切感じないながらも、言葉1つひとつに、静かな力が宿っている。

「娘が巣立ったあと、何もない自分と出会えた気がした」
「そこからもう一度、自分に似合う服を探したくなったんです」

私は・・・《何もない自分》を、いまだに怖がっているのかもしれない。

型を持たぬ言葉に救われて

長年、舞だけに人生捧げてきた。教えて、舞台に立ち、結い、支え、怒り、泣かせ、・・・。「私はそれでよかったのだ」と信じてきた。最近になって少しずつ、その信じていたものに亀裂音が響いていた。なんとなく気にしていたことが、娘の一言で一気に崩壊していったのだ。

気づけば、スマートフォンで彼女の名前を検索して、SNSやブログもすぐに見つけた。どの記事も、肩肘張っていなくて、等身大で、でもどこか品のある空気に包まれていて。読みながら、何度も深呼吸している。

そしてふと──「・・・この人に、一度会ってみたい」そんな気持ちが、ふわりと湧き上がってきた。

人と会うのが億劫だったのに、誰かに気を遣って言葉を選ぶのが面倒だったのに。この人なら、何も飾らずに話せる気がした。

あれほど「型がすべて」と言いきってきた私が、型のない言葉に救われる日が来るなんて──ようやく、言葉にならない何かが、ほどけ始めた気がした。


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