感涙!珠玉エピソード〜未来の深掘り

今まで、数えきれないほど多くの未来を、深掘らせていただきました。たくさんの感動エピソードがありますが、そんな中から選りすぐりを抽出してシェアします^ – ^

アトピー息子さんのお母さん

彼女は、生まれた時からアトピー症状の息子さんと向き合ってきました(今は全快)。「もしご自身報われたと、強烈に実感できたなら、どう変化しています?」の問いに、「アトピーの幼い子と親子で一緒に読める(読んで励みになるような)『自然治癒』をテーマにした絵本を描いています」と返ってきました。

「へぇ>* ))))>< じゃあ、それがどんどん深まって広がっていったなら、どうなっていますか?」等々の質問を経て、「大成功した暁に、イチバン大切な方からどう評されているでしょう?やっぱご主人さんですかね?」と訊いてみて、答えにホロッと目頭を熱くしました。

「いえ、主人のお母さんです。なぜなら、自然療法でアトピーを治すことを、唯一認めてくれた方だから。涙を流して喜んでくれると思います。自分の母親からは、新興宗教呼ばわりされたんです。それを・・・」

「じゃあ、そんなお義母さんに、どう応えていますか?」の問いに、「ただただ抱き合って泣いてます。言葉は不要です」情景がものすごく伝わってきて、涙をこらえました。

孤独に走り続けてきた40代女性

よく言われるキャリアウーマン的な、才能あふれるステキな女性です。しかし周囲の意見とかみ合わず、衝突ばかりだったそうです。よりハイレベルな成功を求めて、施術を受けにいらっしゃいました。そこで「もし誰かに、深く理解されたと実感できたなら、どう変わっていますかね?」と問うてみました。

「私の人生、誰からも理解されないものだと思っているから、そりゃ嬉しいわよね。その方のためなら、どんな苦労もいとわないと思うわ」「なるほど!そうですか!じゃあそれが、もし自分自身だったら?」「え・・・・・・・・・・・・、私が自分のことを?そんなこと、考えたこともなかったわ。できるの?」

「もちろんですよ!自分を理解できてもいないのに、他人を理解できるわけないじゃないですか!まさにここが、出発点です」

かなりの沈黙が続きましたが、堰を切ったように彼女の目から、大粒の涙が溢れ出しました。「私、全く理解しようとはしてなかった!今までたくさんの勉強をしてきたのに・・・・・、だから今まで・・・・・」

「改めて。もし自分を理解できたら、どう変化していそうでしょう?」
「どう考えても、人生が確実に変わるわね!輝かしく!!!」
「そうなんですね!どうしてですか?」
「孤独な原因が分かって、それが解決できるに決まっているから」
「ヘェェ!そりゃ素晴らしいですねぇ!!さすがです!!!!!」

以降の彼女は、もともと魅力的でしたが、さらに輪をかけての美しさを醸し出すように。やはり表面的にどんなに着飾っても、内面からにじみ出てくる輝きには、かないようがないんだと痛感でした。

死を克服した唄い手の女性

よく話題に挙げています憑依霊と対話してきた彼女は、ホントに素晴らしかったです!(好転反応=吉兆の証)

まさにここが転換点で、本気で変化を望む彼女に対し、憑依霊に「絶対邪魔すんなょ!」と釘を刺せました。憑依霊たちは今まで超重要ポイントなキモを、決まってはぐらかすようなことばかりをしてきました。手応えある解放セッションを、初めてできました。

「じゃあもし仮に、本当に呪い殺されたとしましょう。◯さんが生きてきた証を残せるなら、何だと思いますか?」
「絶対に唄。私の人生それしかなかったから。」
「なぜそう言いきれるんですか?」
「その唄を知る人が、誰もいなくなるかもしれないから」

「あら、そうなんですか!その唄を、誰も知らないってことが、どう問題なんでしょう?」
「作った方の生き様や、風土への愛しさや慕わしさが忘れ去られていくから」

「それは確かに厳しいですよねぇ。じゃあ『呪い殺される恐怖』と、『唄を語り伝えない後悔』を天秤にかけるなら、どっちが重くなりますか?」
「・・・・・・絶対に後者」
「ならば呪い殺されても、唄を語り伝えきれるなら、本望じゃないですか?」
「それもそうよね!私、実は自分らしい生き方してるじゃない!」

こんなやりとりを土台に、「死を克服する覚悟」というキーワードが生まれてきました。解放イメージは、お互いに感動したという『素晴らしきかな、人生!』のラスト名場面でした。彼女の人生は、劇的に変化していきました。

ディープマインドセラピー
未来の深掘り
好転反応=吉兆の証

ゴミから教わったこと

掃除後の歓談。青空の下で、充実感を満喫。
掃除後の歓談。青空の下で、充実感を満喫。

鍵山秀三郎さん(イエローハット創業者)に、掃除で自称弟子入りボランティアしていた時期がありました(過去、毎月の街頭清掃では世話人させていただいていました)。生活できなくなるくらいまで没頭熱中し、底をつき新聞屋に住み込みで働くようになりました。

鍵山先生は、今でもすごく尊敬するお一人です。見た目には、「何の変哲もないじいさん」です。そこがまたすごい・・・。そんな出会いを基に体験したエピソード。

ある駅前掃除にて

ある日どうにも再利用できそうにない、カビだらけの本が無造作に山積みしてありました。あきらかに周囲の邪魔です。もしそれが私ならと考えると、「そりゃ腐るよなぁ…」と同情心が湧いてきました。すごく申し訳ない気持ちになりました。本来あるべき使われ方をしていないからです。

「ゴミ」とは、人間が勝手に決め付けているから「ゴミ」になっているだけです。「ゴミ」と見なせるような物は何一つ存在しないと考えています。どんな物でも、捨て方次第で再利用の価値が生まれてきます。使い方次第で鉛筆も殺人の道具になり得、銃や刀も芸術品として崇められるようなものになり得ます。

「せめて私は、願われるような処理をするから・・・」という思いで触れた時、ビビッときました。”本が私を信頼してくれた!”という実感があり、感動して大粒の涙が溢れてきました。

人は誰しも、どんなに自分で自分を信頼しようとすぐに限界がきます。他(たとえゴミでも)から信頼されることで初めて自分の価値を認識できるようになります。自分を信頼し愛せている分、他を信頼し愛せるようになります。すべては「鏡」です。

それまで私は、ボランティアとは自分以外の誰かのためにやるんだと考えていました。ゴミは”自分自身の喜びのためにやれ”と教えてくれました。

ボランティアとは、誰かに頼まれてやるようなものじゃありません。自発的なものでなければヤラセになってしまいます。与えることで、「与えた喜び」を受けています。教えてもらえた感謝の気持ちと、それまでの自分の不足さを反省しました。人生を大転換させた経験の1つでした。

変形性同質要素

捨てたゴミから捨てたその方の気持ちが、伝わってきた体験記があります。

同じく掃除していた時(新宿アルタ前でした)、誰かが吐いた汚物がありました。それを素手で片付けている時、上司に散々いびられ、言うに言えなかった悲しみと憤りが伝わってきました。どうやら隔てるものがないほど、純粋に感度がいいらしいです。その体験以降、私はその掃除の場では手袋をしないよう努めています。

「問題から逃げると、ますます問題が大きくなります。避けられない問題は受け容れる。その上で、できるだけ問題に近づいて問題解決を図ることです」(鍵山秀三郎)

様々な批判をしてくる方、何かにつけて腹を立てている方、たまにいらっしゃいますね。自分の中にも、必ず「変形性同質要素」があります。私たちの脳は、オファー波(送信)とエコー波(受信)という関係にあり、ご本人の周囲を見ればご本人自体が見出せると言われています。私はそこをよく見つめ味わうことで、たくさん解放された感があるんですが、あなたには似たような経験ありませんか?

経験からの実感で、普遍的なものだと断言できます。ゴミ(他にも「金」や「食べ物の好き嫌い」いろんな面において同じです)を見つめる目と、人を見つめる目は、そっくりです。