日々の生活で感じる小さな奇跡


あなたは日々の時間の流れを、どのように感じておられますか?解釈次第では、日常は奇跡で満ちており、一つひとつが人生に深い意味をもたらします。

日々の生活で感じる小さな奇跡

感謝の気持ちが分からない

ポイントはオープンマインド。日々の小さな出来事に幸福を見出し、周囲と分かち合うこと。まだお名前は出せませんが、ある先輩かつ恩師の壮絶な生き様を共有させてください。Lさんに心から感動し、生き方のモデルとなっています。

ある医師Lさんご本人の体験談より。Lさんは奥様から「あんたほどの冷血人はいないわ」と罵られたことがあります。それはご本人の息子さんが亡くなられた時の担当医でした。「あの時、◯◯を⚫︎⚫︎しておけばよかったのかな?」と、極めて冷静に振り返っていたそうです。

様々な出来事から、「感謝の気持ちが分からない」ことを発端として、感情の薄さに疑問を感じ始めます。いかに向き合おうとも、どうしても分かりません。

どうしても理解したかったLさんは、仕事を継続しながら無期限断食を始めます。医師会のスケジュールをどうしても外せなくなり、21日で終わらせざるを得なくなりました。

お前なんかに食べられたくない!

断食明けの食事で、重湯(ほぼ研ぎ汁に近いお粥)に口をつけようとした時、米の声が聴こえました。「お前なんかに食べられたくない!」今まで考えたこともなかった状況に、本当に驚かれました。

それからというもの、事あるごとに涙々・・・。泣き崩れて患者様に向き合えなくなるほど、感謝の気持ちが込み上げてきました。

しばらくして、世界中の頭脳明晰な科学者たちと向き合い始めます。20年超にわたり、議長を務められました。終始役割を全うすることにこだわり、ある都市での講演会直後、お亡くなりに。まさに生涯現役でした。

お亡くなりになってから、断食当時のエピソードを知りました。私には何でもできるスーパーマンのような印象だったので、鮮烈でした。

すぎてみれば愛だった

私自身35年超、感謝していても「もっと感謝したら?」と、ご指摘いただく場面が本当に多かったです。「どうしたら感謝できますか?」と訊いても、誰も教えてくれません。結果、「感謝の対義語」「感謝の定義」等考えるようになりました。

「朝起きれたことに感動できたら、どんなにステキなことでしょう!」と言いつつも、私自身が嘲け笑っていた時期があります。それでも言い続けていた時、バカにする声が一切聞こえなくなっていたことに気づいた時、猛烈に感動しました。

今となっては、多くのご指摘くださった方々に感謝しています。深く祈り考え検証し、納得できる答えにたどり着けました。振り返ってみて、少々のことではへこたれない強靭な精神的足腰を得ました。

イチバンの座右の銘として「すぎてみれば愛だった」を21歳からあげています。「すぎてみれば愛」ということは、渦中にある出来事は愛とは思えていないということ。将来、いろんなことを克服して「愛だった」と感じれるようになります。

将来の感謝を先取りする覚悟で、「渦中の出来事をも・・・」と切り換えようとしている最中にあります。まだまだ先は長いです。一歩一歩着実に、踏みしめてまいります。

まとめ

心に響く感動を分かち合うこと。幸福感を高めるだけでなく、周囲との関係を深め人生をより豊かにします。日々の生活の中にある小さな奇跡に感謝し、その感動を誰かと共有。1つひとつの積み重ねが、感謝とともにある生活を創り出します。

たまに奥さんが、散歩に誘ってくれます。私から言うこともあります。何げなく自宅周辺をうろつくだけですが、手をつないで語り合いながら歩けていることが、この上ない幸せだと感じています。

幸せな家庭とは、日々の変化の中でお互いが歩み寄って作られていくものだと考えていますが、あなたにはいかがでしょうか?今日からあなたも、小さな奇跡にフォーカスし、その一つひとつに感謝を創り出してみませんか?

#感謝
#奇跡
#感動

感涙!珠玉エピソード〜未来の深掘り

今まで、数えきれないほど多くの未来を、深掘らせていただきました。たくさんの感動エピソードがありますが、そんな中から選りすぐりを抽出してシェアします^ – ^

アトピー息子さんのお母さん

彼女は、生まれた時からアトピー症状の息子さんと向き合ってきました(今は全快)。「もしご自身報われたと、強烈に実感できたなら、どう変化しています?」の問いに、「アトピーの幼い子と親子で一緒に読める(読んで励みになるような)『自然治癒』をテーマにした絵本を描いています」と返ってきました。

「へぇ>* ))))>< じゃあ、それがどんどん深まって広がっていったなら、どうなっていますか?」等々の質問を経て、「大成功した暁に、イチバン大切な方からどう評されているでしょう?やっぱご主人さんですかね?」と訊いてみて、答えにホロッと目頭を熱くしました。

「いえ、主人のお母さんです。なぜなら、自然療法でアトピーを治すことを、唯一認めてくれた方だから。涙を流して喜んでくれると思います。自分の母親からは、新興宗教呼ばわりされたんです。それを・・・」

「じゃあ、そんなお義母さんに、どう応えていますか?」の問いに、「ただただ抱き合って泣いてます。言葉は不要です」情景がものすごく伝わってきて、涙をこらえました。

孤独に走り続けてきた40代女性

よく言われるキャリアウーマン的な、才能あふれるステキな女性です。しかし周囲の意見とかみ合わず、衝突ばかりだったそうです。よりハイレベルな成功を求めて、施術を受けにいらっしゃいました。そこで「もし誰かに、深く理解されたと実感できたなら、どう変わっていますかね?」と問うてみました。

「私の人生、誰からも理解されないものだと思っているから、そりゃ嬉しいわよね。その方のためなら、どんな苦労もいとわないと思うわ」「なるほど!そうですか!じゃあそれが、もし自分自身だったら?」「え・・・・・・・・・・・・、私が自分のことを?そんなこと、考えたこともなかったわ。できるの?」

「もちろんですよ!自分を理解できてもいないのに、他人を理解できるわけないじゃないですか!まさにここが、出発点です」

かなりの沈黙が続きましたが、堰を切ったように彼女の目から、大粒の涙が溢れ出しました。「私、全く理解しようとはしてなかった!今までたくさんの勉強をしてきたのに・・・・・、だから今まで・・・・・」

「改めて。もし自分を理解できたら、どう変化していそうでしょう?」
「どう考えても、人生が確実に変わるわね!輝かしく!!!」
「そうなんですね!どうしてですか?」
「孤独な原因が分かって、それが解決できるに決まっているから」
「ヘェェ!そりゃ素晴らしいですねぇ!!さすがです!!!!!」

以降の彼女は、もともと魅力的でしたが、さらに輪をかけての美しさを醸し出すように。やはり表面的にどんなに着飾っても、内面からにじみ出てくる輝きには、かないようがないんだと痛感でした。

死を克服した唄い手の女性

よく話題に挙げています憑依霊と対話してきた彼女は、ホントに素晴らしかったです!(好転反応=吉兆の証)

まさにここが転換点で、本気で変化を望む彼女に対し、憑依霊に「絶対邪魔すんなょ!」と釘を刺せました。憑依霊たちは今まで超重要ポイントなキモを、決まってはぐらかすようなことばかりをしてきました。手応えある解放セッションを、初めてできました。

「じゃあもし仮に、本当に呪い殺されたとしましょう。◯さんが生きてきた証を残せるなら、何だと思いますか?」
「絶対に唄。私の人生それしかなかったから。」
「なぜそう言いきれるんですか?」
「その唄を知る人が、誰もいなくなるかもしれないから」

「あら、そうなんですか!その唄を、誰も知らないってことが、どう問題なんでしょう?」
「作った方の生き様や、風土への愛しさや慕わしさが忘れ去られていくから」

「それは確かに厳しいですよねぇ。じゃあ『呪い殺される恐怖』と、『唄を語り伝えない後悔』を天秤にかけるなら、どっちが重くなりますか?」
「・・・・・・絶対に後者」
「ならば呪い殺されても、唄を語り伝えきれるなら、本望じゃないですか?」
「それもそうよね!私、実は自分らしい生き方してるじゃない!」

こんなやりとりを土台に、「死を克服する覚悟」というキーワードが生まれてきました。解放イメージは、お互いに感動したという『素晴らしきかな、人生!』のラスト名場面でした。彼女の人生は、劇的に変化していきました。

ディープマインドセラピー
未来の深掘り
好転反応=吉兆の証

ゴミから教わったこと

掃除後の歓談。青空の下で、充実感を満喫。
掃除後の歓談。青空の下で、充実感を満喫。

鍵山秀三郎さん(イエローハット創業者)に、掃除で自称弟子入りボランティアしていた時期がありました(過去、毎月の街頭清掃では世話人させていただいていました)。生活できなくなるくらいまで没頭熱中し、底をつき新聞屋に住み込みで働くようになりました。

鍵山先生は、今でもすごく尊敬するお一人です。見た目には、「何の変哲もないじいさん」です。そこがまたすごい・・・。そんな出会いを基に体験したエピソード。

ある駅前掃除にて

ある日どうにも再利用できそうにない、カビだらけの本が無造作に山積みしてありました。あきらかに周囲の邪魔です。もしそれが私ならと考えると、「そりゃ腐るよなぁ…」と同情心が湧いてきました。すごく申し訳ない気持ちになりました。本来あるべき使われ方をしていないからです。

「ゴミ」とは、人間が勝手に決め付けているから「ゴミ」になっているだけです。「ゴミ」と見なせるような物は何一つ存在しないと考えています。どんな物でも、捨て方次第で再利用の価値が生まれてきます。使い方次第で鉛筆も殺人の道具になり得、銃や刀も芸術品として崇められるようなものになり得ます。

「せめて私は、願われるような処理をするから・・・」という思いで触れた時、ビビッときました。”本が私を信頼してくれた!”という実感があり、感動して大粒の涙が溢れてきました。

人は誰しも、どんなに自分で自分を信頼しようとすぐに限界がきます。他(たとえゴミでも)から信頼されることで初めて自分の価値を認識できるようになります。自分を信頼し愛せている分、他を信頼し愛せるようになります。すべては「鏡」です。

それまで私は、ボランティアとは自分以外の誰かのためにやるんだと考えていました。ゴミは”自分自身の喜びのためにやれ”と教えてくれました。

ボランティアとは、誰かに頼まれてやるようなものじゃありません。自発的なものでなければヤラセになってしまいます。与えることで、「与えた喜び」を受けています。教えてもらえた感謝の気持ちと、それまでの自分の不足さを反省しました。人生を大転換させた経験の1つでした。

変形性同質要素

捨てたゴミから捨てたその方の気持ちが、伝わってきた体験記があります。

同じく掃除していた時(新宿アルタ前でした)、誰かが吐いた汚物がありました。それを素手で片付けている時、上司に散々いびられ、言うに言えなかった悲しみと憤りが伝わってきました。どうやら隔てるものがないほど、純粋に感度がいいらしいです。その体験以降、私はその掃除の場では手袋をしないよう努めています。

「問題から逃げると、ますます問題が大きくなります。避けられない問題は受け容れる。その上で、できるだけ問題に近づいて問題解決を図ることです」(鍵山秀三郎)

様々な批判をしてくる方、何かにつけて腹を立てている方、たまにいらっしゃいますね。自分の中にも、必ず「変形性同質要素」があります。私たちの脳は、オファー波(送信)とエコー波(受信)という関係にあり、ご本人の周囲を見ればご本人自体が見出せると言われています。私はそこをよく見つめ味わうことで、たくさん解放された感があるんですが、あなたには似たような経験ありませんか?

経験からの実感で、普遍的なものだと断言できます。ゴミ(他にも「金」や「食べ物の好き嫌い」いろんな面において同じです)を見つめる目と、人を見つめる目は、そっくりです。