もし今、生命に関わるような病にかかったなら?
先日の雑談カフェにて、素晴らしい質問をいただき思い出させていただきました。
もし今、生命に関わるような病にかかったなら?
今まで海開きの日に溺れたり、バイク事故を起こしたり等、死に目に遭ってきました。かつ、自殺願望に苛まれてきた期間は30年以上です。
「なんで俺は死なんとや?」20歳をピークに、悩み苦しんできたことにより、死生観はずっとともにありました。今となっては、病気にならなかった免疫力の強さに感謝です。
そういった意味では、生まれ変わったとしか考えられません。生死の境をさまよい死にながら生きてきたという感覚です。
都合が悪い記憶は、忘れるように脳機能ができています。長きにわたって封印してきたテーマでした。ここ10年くらいは、もし本当に死ぬと考えようものなら、断固拒絶してきました。「今のままでは死にきれない」という強烈な生への欲求がありました。
存在価値の証明
先日、死と改めて向き合ってみて、感じたことは・・・
名前を観続けている・・・・・・・
というイメージ。おそらくは最愛の奥さんとのご縁によって、解放された何かがあるのかもしれません。
今までお世話になった方・虐げてきた方・憧れ尊敬する方・嘲笑った方・・・、「この世に悪い名前は存在しない」と明言しているとおり、いかなる方のお名前も素晴らしいです。
その方が生きていようが死んでいようが、どちらでもかまいません。名前を思い出すだけで、その方の存在価値の証明となります。走馬灯のように流れていく記憶の中で現れてくる方々へ、感謝の意を露わにしているイメージが湧いてきました。
あなたは「人は3回死ぬ」という話、聴いたことありませんか?1回目は母親の胎中から生まれ出ることで、胎中のあなたは死にました。2回目は、一般的な肉体から永遠に離れる死。3回目は、人々の記憶から忘れ去られる死。例えばイエス・キリストは、十字架によってなくなったことで、2000年以上経った今でも覚えられています。
少なくも20万人超のお名前と向き合ってきた経緯から、ご縁させていただいた方々へ感謝し認め、和のエネルギーを分かち合いながら死んでいく・・・。
あなたには、どんなご臨終のイメージがありますか?