日本軍が大東亜戦争において成し遂げた成果は、東南アジアに大きな希望を遺したと、昨今やっと適性評価されるようになってきました。本当に嬉しいことです。
光を当てるなら、影ともしっかり向き合う必要があります。同じ過ちが繰り返されないよう、肝に銘じてまいります。
命を尊重しない戦いに未来はありません
何にでも吉凶や表裏等ありますが、全体主義の陥りやすい落とし穴、まさに凶の部分です。「植民地の解放」という大義ある戦争に勝つためには、このような価値観が必要だったのでしょう。しかし、日本軍の兵士1人のことを貴重視できなかったことが、最凶の敗因です。零戦の構造においても、機体を軽くするために後ろから撃たれたら確実に死ぬようにできています。
動画を載せることが機能上できないようですが、今回の朝ドラ『エール』からのストーリーとしては主人公である窪田正孝(作曲家の古山裕一)が、ビルマへ従軍慰安へ出かけたことに始まります。
危険地帯から離れた場所へ3人。うち2人はさっそく戦地へ行って、1人帰ってきました。まさに地獄絵図だったと語っており、「険しい山、濁流の大河、悪疫、食糧不足。戦う以前に命を保つことさえ難しい。前線部隊への武器や弾薬、食糧の補給さえも全く追いついていない。それなのに進撃命令を出す司令官。全て無謀で無駄な死・・・、まさに犬死にです。」と嘆く様に、心が痛みます。
窪田が「日本は勝てるんですか?」と訊いた時、「日本は負けます。命を尊重しない戦いに未来はありません」と言いきって・・・。全くそのとおりだと同感の気持ちを抱きました。
自己承認と全体承認
米軍側は日本文化を尊敬し緻密に勉強し、圧倒的な武力と暗号解読力で差をつけ、全く歯が立たない状況を作り出しました。かたや日本側は「鬼畜米英」と称し、外国文化を一切禁じました。
孫氏の兵法でよく知られる「敵を知り己を知れば、百戦殆からず(謀攻編)」は、前々から謳われ続けてきたにも関わらず、なぜ無視したのでしょうか?やみくもに敵対視したところで、素晴らしい作戦とはなり得ないだろうに・・・。
全体主義という1つの目的のためにフォーカスしすぎると、弊害やしわ寄せが出てきます。
私自身、「天命を全うする」と世界平和のために奮起しつつも、家庭崩壊し大失敗。今なら、自らのことを全く尊重していなかったことがよく分かります。まさに「天命ビジネスの闇」と言えるのではないでしょうか?
自己承認と全体承認は、比例関係にあります。まずは、基盤構築。基盤を盤石なものとするほどに、柔軟かつ先鋭フォーカスとなり得ます。自己承認こそが、コミュニケーションの核なのです。