ひらめきの秘訣
ずっと考えてきた事ですが、ある方に話していて言葉化されました。「ひらめきの秘訣」とでも言えるでしょうか?
ニュートンさんは、万有引力を発見した偉大な科学者です。彼は、りんごが木から落ちたのを見てそれに気付きました。この事実、すごくないですか?凡人の私には、そんな些細な出来事から万有引力の発見なんていう偉大な発見には、どう考えても結びつきそうもありません。
彼と私の相違点は何でしょう?私は「考えてきた土台」だと見ています。いわゆる「努力(真心を尽くした質と量)」です。彼は天才だったと、史実にあります。なぜそう言われるようになったのか?たぶんパッと見には、相当な変わり者だったんじゃないでしょうか?周囲と話がかみ合っていないくらいに、別次元の思いをめぐらしていたんじゃないでしょうか?
ニュートンさんは変人?
例えば分かりやすく、ニュートンさんの時代にタイムスリップしてみたとしましょう。
近くの野良仕事でもしているおじさんに、「ニュートンさん宅って、どこでしょう?」とでも訊こうものなら・・・。答えてはくれるでしょうが、付け足されそうじゃありませんか?「あんな変わりモンの家に何しにいくんだ?」
私には万有引力と言う考え方が、彼が生きている間に世に受け入れられていたとは、到底考えられません。なぜなら、あまりにも天才すぎて、周囲の皆さんには価値が分からなかったんじゃないでしょうか?
さらに、りんごが木から落ちて気づけたという史実が本当なら、そんな記念になるようなものを記録に残さないわけがありません。
もしその種でも残っていようものなら、オークションではいかほどの値がつくでしょう?都合のいい解釈をするために、後世の誰かが書き換えたと考えた方が、自然じゃないでしょうか?それでもここは分かりやすく、「りんご」としておきましょう。
神様視点
彼はクリスチャンですから、神様の存在を確信していたでしょう。神様は、なぜニュートンさんに万有引力の発見をさせたかったんでしょうか?気づいたのはりんごでしたが、神様はずーーっと前からどうしたら気づかせきれるのかを、真剣に考えていなかったでしょうか?万有引力は、りんごだけに働いているわけじゃありません。
【なぜりんごは落ちたのか?】なんて、当時あまりにも当たり前な出来事を考えるには、よほどの俯瞰を要します。神様視点に立てなければ、まず厳しいんじゃないでしょうか?
ガリレオやコペルニクス、吉田松陰もそうですね。ガリレオは地動説を訴え貫いたがために、自ら毒を飲んで死にました。吉田松陰は、黒船を見てしまったばかりに、牢獄に囚われ30歳の若さで亡くなってしまいました。
なぜ彼等は生命をかけてまで訴え続けたんでしょう?
「なぜこんな事が起こるんだろう?どうしてもつじつまが合わない」私もこんな具合によく考えています。しかしどう考えても、分からないものは分かりません。そこでりんごが出てきます。
ニュートンさんは、この時りんごが落ちなければ、その分偉大な発見は先延ばしになっていたでしょう。どんなに考えてても、「りんごが落ちた」という事実は絶対に必要でした。今の私達において、りんごに相当するものとは何でしょう?私は「よき???=運勢」だと考えています。
すべてをかける価値
もし何の努力もなしにりんごに相当するような???があっても、必ずすれ違います。価値が分かりません。今まで私も含めた多くの皆さんが、価値が分からずにたくさんの???をムダにして来られたものと思います。殺されたガリレオも、訴え続ける事に死を覚悟できるくらいの「りんご」を見つけちゃったんでしょうね。
あなたは、本気で価値ある「りんご」が欲しいですか?私はUniversal Flow Therapy 理論を全世界に普及させ、誰もがこれを当たり前に考えるようになる世の中にするため、すべてをかけています。もしこれが実現すれば、八つ裂きに遭おうがかまいません。さて、あなたにおける「りんご」とは、何でしょう?