今日、自己対話を通じて、ようやく自分事としてとらえきれました。今は感謝の気持ちが湧いてきます。
不快感と自己責任
年末に契約したLP制作&公式LINE運用代行サービスとのやりとりで、2割引にすることを条件に、一切の誹謗中傷しないと約束することになりました。会社には軽くあしらわれたので、信販会社の担当者にも関わっていただき3社対談。信販会社の方も、あまりの状況に驚きを隠せないご様子。
2割引にされたとて、5年かけて一般車1台買える程度の額を支払わなければなりません。大損害を被ったと感じましたが、会社側は「契約通り」との姿勢を崩しませんでした。その対応に対して、強い不快感。社会貢献活動への投資を夢見ていたにも関わらず、私の判断ミスを悔い嘆き、自分を責めるばかり・・・。
もともとサービス会社には軽くあしらわれていたので、何を言ってもダメです。かつ「先日の2割引の件で、すべて解決したはずでは?」と返信あり。もうこちらで気持ちを整理するしかないと至りました。
前に施術代を踏み倒そうとした方がおり、どうにか支払ってもらおうと様々な策を講じました。誰かをウラむということは、私自身に跳ね返ってきます。結果、会社員へ戻らざるを得なくなりました。
「悪徳業者のために私の人生を振り回されるのか?」問いかけ、誰もウラむことなく穏便に解決した方がいいと言いきかせてきました。ながらもとめどもなく湧き上がってくる感情と、どう向き合えばいいのか?
すべて私の中にある問題だ
座右の銘として30年目になる「過ぎてみれば愛だった」。「過ぎてみれば=渦中の私にはとても愛だとは受け止めきれない現実」だということ。10〜20年後には、振り返ってしみじみ「やはり愛だったんだな・・・」となり得るものです。
通常に考えれば、愛だと感謝できるようになるまではウラミやわだかまりの中で喘ぎ続けるようになります。10年待つのがもったいないので、今感謝できるよう努めています。ジョギング瞑想で何度も何度も唱え、脳内整理がなされていく感覚が分かりました。
前に「変形性同質要素」という題名で共有させていただいた内容。分かりやすく、歩きタバコをしている方に腹を立てるということは、自分自身の中に似たような要素があるからだとお伝えしています。
法則なので、「あなたには当てはまるけど私にはない」はありません。例外はないのです。今私が悪徳業者に腹を立てているのは、「金輪際関わらないと言っているにも関わらず、無価値なものに支払わなければならない歯がゆさ」「狡猾さ」「不誠実」「『申し訳ありませんが』と言いつつも、全く申し訳ないと考えてもいない傲慢さ」です。
「すべて私の中にある問題だ」と解釈することにしました。
幸福は、不幸の顔してやってくる
今回の問題は、形を変えて今まで何度も起きていました。私が適切な解釈に至れず、痛い目に遭ってきました。ようやくメッセージの意味に気づけました。
解釈を変えた途端、
・姓名判断で多くの方々を傷つけてきたこと
・弟をいじめてきたこと
・感情表現がままならず、ケンカに明け暮れていたこと
・卑屈に解釈し、自分を大切にしてこなかったこと
・ご先祖様や過去生においてやらかしてきた罪
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あげ出したらキリがありません。
私がこれから支払っていく代金は、悪徳業者への支払いではなく、今までやらかしてきたあらゆる罪への清算代金だと受け止めることにしました。そう考えるとムシャクシャする感情が激減していくのがハッキリ分かりました。
「幸福は、不幸の顔してやってくる」よく言われますが、今回そのとおりだと実感です。今回の気づきによって、新しいステージが始まる期待感が湧いてきています。
悪徳業者さん、ありがとうございます。
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