
今までの過去を、統命思想を交えて振り返っています。ずいぶん整理が捗っていく感覚。同じことを振り返っていますが、同じことに感じない不思議感。
「信じることしかできなかった。結果、《生きている実感》を失っていった──────」統命思想の「選命=決める」フェーズを、私自身の体験から綴った手紙です。
智己さんへ
正しさ
自衛官をやめ、なけなしの希望を握りしめて飛び込んだ「信仰の世界」。当時の君は、本気だったよね。世界を変えること、志に生きること、誰かの役に立つこと──それが「正しさ」だと、信じて疑わなかった。
・・・あまりに信じすぎた。いつの間にか、「自分で考えること」が悪のように感じるようになっていた。「こうすべき」「ああしなければ」──君の中の問いが、1つずつ死んでいった。
何かにつけて「神が決めたこと」────働き方も、生き方も、献金も、全部上からの指示に従えば救われると思っていたよね。「地獄を解放しよう!」と語りながら、地獄へ堕ちることへの恐怖で脅かされていた。
人生かけてのめり込み、尽くし抜いた結果、自暴自棄とあきらめ感。心を救うために入ったが、完全に逆効果・・・。「こんなはずじゃなかった」「なぜこんなことに・・・・・」
なぜなら、君自身が納得できていなかったから。心の奥底に溜まっている疑問を無視し続けた成れの果て。自発的に選び決めていたと考えていたことが、実は選ばされ扇動されていた。ようやく気づけたきっかけは、『7つの習慣』を紹介していた時に反動分子とみなされ、「いつ離れる?」と責任者からの一言。
君は『7つの習慣』によって救われた。だからこそ皆にもと考えていた。なのに反動分子扱い?「いつ離れる?」???「正しさ」って、君が思う「正しさ」だけではない・・・。
信じることでしか、生き延びる術がなかった20〜30代。「違和感」は確実にあった。誰よりも真剣に心からやっていたからこそ、「本当にこれでいいのか?」という問いが、抑圧してきた君の中に滲み出してきた。だからこそ、麻痺という均衡を崩せた。
幸せ解釈
「本当にこれでいいのか?」その問いこそが、命の目覚めの第一歩だった。今まで「正しさ」を重要視して生きてきた。
・結果、幸せになれただろうか?
・「生まれてきてよかった」と思えているだろうか?
・何のために生きているのか、分かっただろうか?
全くもってNo。前よりも悪くなってしまった。では、これからどうすればいい?どうすれば幸せになれる?何をどうすれば、「私の命を全うできた」と充実感を持てるんだろう?
統命思想の言葉で言えば──「選命=決める」の始まり。湧いてきた疑問があるからこそ、「決める」ための選択肢ができる。まちがった判断をしてきた今までに対して、どう改めればいいんだろう?
「決める」って、簡単じゃないよね。決めるってことは、何かを「捨てる」ってことでもあるから。当時の君にとって、それは「世界そのものを失うような恐怖」だった。自衛官をやめた時も、履歴書の書き方から教わった。中卒から自衛官だった私には、世界をあまりに知らなすぎた。
それでも、君は選んだ。「信じすぎた自分を終わらせる」っていう、人生で最も勇気がいる選択だったね。あの瞬間から、誰かの命を生きるのではなく、自分の命を生きる旅が始まったんだ。
「幸せになれただろうか?」と問うているなら、問いの最も率直な「幸せかどうか」を基準にすれば、命と直通できるのでは?そうだ。「幸せ解釈」こそが、私には真偽よりも重要な価値観だ。これからは、「今幸せ?」を問うことを習慣化させよう。
今、君の名前『智己』を「自分を深く知るための命の響き」だと語れるようになったのは、あの日の決断があったからだよ。
ありがとう。一度壊れた命を、君自身が選び改めてくれたことに、心から感謝しているよ。壊れたものを立ち直せたことで、免疫力がついたよね。ありがとう。
──未来の私より
結び
この手紙は、統命思想における「選命=決める」フェーズの記録です。人生には、信じすぎて壊れる瞬間があるかもしれません。そこには、「自ら決め直せる命」が眠っています。
誰しも、壊れたら壊れたままでは生きていけません。各々の期間は違えども、立て直す日がきます。壊れた記憶は、「失敗」ではなく「経験」だったとしたら?人生における華々しいラストを飾るための名場面の1つなのかもしれません。
次回は、「立命=定める」──「自分の意志でこの道を生きる」と決めた日について、書いてみます。