
こんな尽くしてきたのに、なぜ?
《こんなに尽くしてきたのに、報われない。》そんな想いが、あなたの中に眠っていませんか?ひたすらに尽くしてきた努力に対して、成果を出せず、誰にも評価されず。むしろ「なんであんなに尽くしてきたんだろう?」と虚しくなる・・・。私の場合、人生の約半分は当てはまるイメージを抱いておりました。
特に利他的に誰かのために尽くしてきた方ほど、ある日ふと「自分の人生」がどこにも見当たらないように感じてしまうことがあります。それでも「意味がなかった」と決めるには、まだ早いかもしれません。
セルフイメージが極めて低かったことと重なり、大嫌いな姓名判断を確実に20万人は経てきました。今でこそ「姓名承認&覚醒」と発明できたので、比較できるようになりました。当時は姓名判断しかないので、嫌いな理由を語れません。周囲と話が噛み合わず、「私はバカだ」と本気で考えてきた期間は30年以上です。
点だった人生
努力しても、理解されない。やりがいがあるようで、成果にはつながらない「ヌカに釘」な日々。やりきった感からの達成感はあっても、周囲との温度差を感じ、疎外感を抱いておりました。
書いていて思い出したエピソード。自衛官と会社員だった当時(時期も場所も全く違います)、「核弾頭」と呼ばれていました。何を言っているのか意味を理解できず、無視。 あの言葉の意味を問い直すこともせず、ただ「私は疎まれている存在なんだ」と勝手に解釈して、距離を置いていったのです。
特に20〜30代の頃。信仰の世界で「正しさ」に人生を賭けていたはずなのに、最後には虚無と疑念と孤独が残りました。当時の努力は、どこにも「つながっていない」と感じていました。点。点。点。バラバラの出来事。意味のない苦しみ。そう思っていたのです。だからこその自殺願望。強烈な消滅欲求がありました。
名前と命が「線になる」
ある日、自分の名前をきっかけに、何気なく過去の出来事を振り返っていました。すると、それぞれの「点」だった体験が、まるで1本の線でつながっていくように感じたのです。──────ああ、そうか。この名前の音・字・響き。これまで味わってきた痛みや選択のすべてが、この名前に刻まれていたんだ・・・。
「核弾頭」と呼ばれていたあの頃のことも、その「点」の1つです。なぜそう言われたのか、当時も、今も、正直よく分かりません。───なぜ、私はその意味を問わなかったのでしょう?なぜ「周囲が何と言おうと、私は私だ」と笑い飛ばせなかったのでしょう?
いつの間にか私は、「嫌われているのかもしれない」と感じ始めていました。今思えば「疎外感」は、周囲から避けられていたのではなく、私が周囲を避けていたことの裏返しだったのかもしれません。
「核弾頭呼ばわりする奴らと時間をともにしたくない」その無言の決意が、壁となって孤立を深めていたのだと思います。
もし、その場にあなたがいてくれたら──どう感じ、どう対応していたでしょうか?
【統命思想】という視点に当てはめる習慣を持ってから、ようやく「自分がなぜこの人生を選んだのか」、その命の線を意識的に引き始めたのです。
命の面積が広がる時
点が線になった時、命は初めてつながりを持ち、さらに広がり始めるのです。その線が、次第に面になっていきました。様々なつながりの中で、命が少しずつ面積を持ち始めたのです。信じてくれている仲間、応援してくれている奥さん、信頼してくれたお客様方。
今朝の歩き瞑想で湧いてきたのが、まだまだ根強い消滅欲求。少し前まではどよ〜んとした重苦しいイメージを受けていましたが、だいぶ軽くなった実感があります。「何がきっかけ?」と問うてみても、浮かんでくるのは深い孤立の闇。「信頼関係がまだ未熟だ」と返答ありました。成長の伸び代があることや解放の方向性を見出せたことを嬉しく感じています。
どんな時も自責に傾きながらも、「生まれた以上、勝手には終われない」というこだわりが、私を支えてくれていました。気づけば「極陰、陽に転ずる」の境地が、少しずつ訪れていたのです。
1つの痛みだけではありません。あり方を打ち立ててきた想いのすべてが、命の面に色として残っていくのです。どんな色も、今の人格形成への模様になっていたのです。
立ち上がる命
気づけた時、過去の努力や痛みが、立体化されて現れます。よく「深いですね」と言われることが本当に多かったです。私にはいたって当たり前なので、言われている意味や価値をなかなか理解できずにいました。
「深さ」とは、器の大きさのこと?と仮説立てています。様々な経験をできたおかげで、「受け止めきれている器」の存在を理解できました。お客様からのコメントで、「安心してネガティブになれる」と評されたことがすごく嬉しかったです。
・美しいものを、心から美しいとうなずけるようになった。
・自分の選択に、言い訳しなくなった。
・何も持たずとも、「ここにいる」だけで価値があると思えるようになった。
これは、腑に落ちた命の形です。「熱意を持つための熱意」等の名もなき努力の粒が、線や面になり、命として立ち上がった実感。
「整合性」は、後から見つかるもの
「整合性」というと難しく聞こえるかもしれません。一貫性とも表現できそうです。無意味だと思っていた自分に納得できる日が来るということでもあるのです。だから、今分からなくてもいいのです。すべてに「整合性」が見出せる日が来ることを、どうか信じていてください。
あの頃、あなたが尽くした理由。あの時、あなたが迷った意味。今なら、少しずつつながり始めていませんか?世には、「あなたにしかできないこと」があります。現時点ではとうていムリなことに思えても、将来は分かりません。
今までの経験から、つながっていった経験があるなら、これからつながっていくことも多いのではないでしょうか?何ごとも、解釈次第で人生はいかようにも変わり得ます。
私がようやくつかめた強みは、解釈力です。特に20代当時は、「正しさ」という真偽にこだわってきました。「その真偽を通じて、幸せになれた?」という自問自答。答えは、当然ながらNo。「じゃ、どうすりゃいい?」等の積み重ねが「幸せ解釈」です。
名前に関してお伝えしていることは、私の明確な統計データが根拠にあります。条件反射的にGoogle検索よりも速く言葉が出てきます。冴えている時ほどの感覚ですが、「言わされている」のです。後になって、まちがった解説をしてしまった事実に気づいたこともあります。一期一会のご縁から、「幸せになってほしい」と願いを込めた発した言葉が、ふさわしいのだと考えることにしています。
結論
命は、点では終わりません。点が線になり、面になり、やがて立体として「存在」になります。あなたの名前にも、命にも、設計図(ブループリント)が最初からあるのだとしたら?
天命の定義を、生まれた目的成就への役割だと主張しています。天命がない方はいらっしゃいません。生まれた目的を知らずしても、生きてはいけます。私は死ぬ前に確実に後悔すると感じたので、真剣に探究してきました。あなたにも価値あるテーマだと感じていただけているなら幸いです。
天命に気づけた日こそ──「無意味な努力が、線→面→立体になった日」。天命というテーマに基づいた生き方は、「毎日が記念日」になり得ます。
そんな日の始まりが、今日であってもいいのかもしれませんね。このブログをここまで読んでくださったあなたなら、きっと、あなたの人生の命の線を、見つけ始めているはずです。
✨存在価値を立体的に見直してみたいあなたへ
20万人超の名前と向き合ってきた確信は、名前こそが存在価値の核です。「姓名承認」という造語が降りてきましたが、つい先日の次のステージである「姓名覚醒」。
「統命思想」「姓名覚醒」という命のレンズを通して、あなたの名前から命の流れを読み解く視点をお届けしています。名前が腑に落ちると、人生がつながります。過去が、未来を照らし始めます。
いよいよ、あなたの出番です!