
この手紙は、名前に違和感を抱いたことのある【すべてのあなた】に向けたものです。私の体験を通じて、あなた自身の命の音にも耳を傾けてもらえたら──そんな願いを込めて綴りました。
今回は、統命思想の最初のフェーズ「天命=気づき」の原点にあたる、「名前を誇れなかった幼少期の私」へ向けて、手紙という形で言葉を綴ってみました。過去に何度も書こうとしてやめてきたテーマ。今だからこそ、命の構造が見えてきたからこそ、当時の私に届けたい言葉があります。
智己(ともみ)くんへ
封印してきた記憶
「名前って、何のためにあるんだろう?」
小学生のころ、そんな問いが心の中に湧き上がっていたよね。というより──そう考えずにはおれなかった。きっかけは、「名前の由来を発表する」という宿題。命名者だったおばあちゃんはもういない。親も親戚も、誰ひとりとして答えられなかった。「由来が分からない名前」──それが、君の最初のアイデンティティ。
君はずっと、名前をからかわれてきた。「ともみ?女のごたるね」何度も嘲られ、その度に言葉を飲み込み、ついには相手の指に噛みついた。保育園時代、そのときの骨の感触、まだ覚えているよね。
理由を説明できなかった。悔しさや恥ずかしさをごまかすように、30年以上もその記憶を封印してきたんだよね。怒りの奥には、「名前を誇れない自分」への悔しさや虚しさがあった。どう感情を表現したらいいのか分からない。泣き叫ぶ自分の感情が、自分でも理解できなかった。
「私は、何をどうして欲しいのかさえ分からない」そのもどかしさが、暴力というカタチで表れてしまった。本当は、ずっと承認されたかったんだよね。小3の西本先生には本当によくしてもらえた。だからこそ、暴力から完全に手を切れたんだ。
暗黒時代に灯りを
小1の海の日の記憶も、忘れてはおらんよ。弟に両親がつきっきりで、君はひとりビーチボール。気がついたら足がつかず、もがくことしかできなかった。助けてくれた誰かを探し続けたけど、誰も知らなかった。
今なら分かる。あれは──未来の私だった。どんなことがあっても、生かすと決めていた命の意志。将来、「命」を照らすために、あの日の君を生かしたのは「未来の使命」だったんだよ。
「承認して欲しいけど、自分が嫌い」だからこそ、認められることがあっても、拒否してしまう。何度も感情を抑え込み、本当の気持ちを裏切り続けてきたね。結果、感情が麻痺して、喜怒哀楽を忘れてしまった。悪なる相乗効果にハマっていったね。
ごめんね。その手を取ってあげられなくて、本当にごめんね。ようやく暗黒時代に灯りをともせるよ。これからだね。
・私は、何のために生きているのか?
・なぜこの名前で生まれてきたのか?
・そもそも、なぜ私は生まれてきたのか?
そんな問いが、名前への違和感から始まっていたんだ。翻弄され、挫折と絶望を味わい続けてきた経験を、これから活かしていくからね。
「死ななかった」よりも「死ねなかった」
「こんな自分、いない方がいいんじゃないか?」死に方や死に場所を、ずっと探していたよね。それでもどんなに死を望んでも、君は死ななかった。なぜなら、命のどこかで「生きたい!」と願っていたから。
「死ななかった」よりも「死ねなかった」──────生まれてしまった以上、意味や価値を残さずに死んでたまるもんか!迷惑をかけてきたからこそ、「迷惑に見合った価値とは何か?」を問うてきたね。
今、私はようやく理解できた。君の名前、「智己」は──自分を深く知るために授けられた命の音だった。その名前が嫌いだった分、今は誰よりも「名前の尊さ」を伝えられるようになれた。
名前こそが存在価値の核であり、「名前を好きになれた分、自分を好きになれる」という確信を持てたんだ。
ありがとう。生まれてくれて、生きてくれて、本当にありがとう。
──未来の私より
フェーズごとのシリーズ化
あなたにも、
・自分の名前が好きになれなかった時期
・生まれてきた意味を疑っていた時期
があったのではないでしょうか?
この手紙は、私の統命思想における「天命=気づき」の物語です。私の場合、強烈な葛藤と矛盾に翻弄されてきました。だからこその確信。味わってきた挫折と絶望にも、ちゃんと価値がありました。
次回は、「信じすぎて壊れた20代の私」へ──「選命=選び決める」ことの始まりについて、手紙を書いてみます。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。