声
店を出る。外の空気が冷たい。美奈さんの声が残っている。無理がない、押していない、それでも届く、声。確実に、向き合っていなければたどり着けようがないエネルギーを感じた。私の声はどう?言葉を選ぶ。整える。伝える前に、どこかで止める。さっきの声と、明らかに噛み合っていないと、私自身が自覚している。
「編集長。今日はどうしたんですか?」付き添っていたADが訊いてくる。
「え?何が?」
「え?気づきませんか?いつもは、特集に関することしか話題にしないじゃないですか。今日の後半に訊いていたことが、記事になるとはあまりイメージつきません」
「確かにそうね。あなたには無駄な時間を過ごさせてしまったわね。ごめんなさい。」
まったく彼の言う通りだ。私、どうしたんだろう?記事になりそうもないことをたくさん訊いて、いったい何をしようとしていたのかしら?
なぜだろう?言葉にできない嫌な感じ。なぜ今こんな気持ちになるのか?
よみがえってくる声
麻布十番の店を出てから、それぞれ直帰する予定。四谷で中央線に乗り換える。足は動いているのに、さっきの感覚だけが残っている。私の声を気に入っていないというわけではないのに、美奈さんの声が脳裏から離れない。なぜこんなにも気になってしまうのか?
「編集長、大丈夫ですか?」ADが心配そうに覗き込む。
「ええ。大丈夫よ」
そう答えつつも、自分でも分かる。大丈夫じゃない。確実にいつもの私ではない。けれど、違いを言葉にできない。人混みの流れに紛れていく。さっきまでのことが、少しずつ遠くなる。それでも、消えない。

ホームに立つ。電車が入ってくる音。乗り込む。ドアが閉まる。窓に映る自分の顔を見る。・・・何かが違う。目を逸らす。スマートフォンが震える。仕事の連絡。いつも通り、返す。指は動く。さっきまでの感覚とは、別の場所で。
電車が動き出す。流れていく景色を見ながら、また美奈さんの声が、よみがえってくる。
鳴り響く不協和音
吉祥寺駅に着き、自宅までのいつもの道。美奈さんの声とともに湧いてくるのが、長女 育美の渇いた笑い「ママらしい」。なぜ今これ?不可解な不協和音が頭に鳴り響いている。
言い返そうとして、やめる。言葉を選ぶ。整える。結局、何も言わず押し込める。同時に、さっきの声が重なる。無理がない。押していない。それでも、届く。頭に鳴り響く不協和音を、さらに押し込める。
明らかに噛み合わっていない。だとしたら、私は何かを止めているのではないか?「言わない」ではなく「言えない」?・・・答えは出ない。ただ、はっきりする。このままじゃ、同じことを繰り返す。何をどうすればいいか分からないが、今のままではダメな気がしてならない。
歩き続けるうちに、自宅の灯りが見える。オートロックのエントランスを抜け、エレベータを上がる。最寄り階に着き、ドアの前で手が止まる。このまま入ると、また同じだ。迷う。ノブに手をかけたまま、動けない。