
智己さんへ
自分の居場所
選命を経て、信じすぎて壊れた命を決めたあの日から────本当に、いろんなことがあったよね。どんなに決めたとしても、動き出した歯車の軌道を変えるためには、かなりの力を要する。かつ、全く違った歯車に乗り換える必要もあった。
生きるために、稼がなければならなかった。ウツになった時のご縁から整体師を志し、念願叶ってなれた。だからと言って離教への恐怖感。見守られることもなく、たった1人で日々をこなすことで精一杯。責任者からは見放され、離れたも同然だったが、抜けきれない。「地獄に行く」と脅かされていたことが、こんなにも恐怖だったのか。
結果、辞められたのは、元奥さんとの出会いからだった。好意を持ってくれたことから、人を好きになる許可を初めて出せた。「結局は、ずっと独身人生なんだろうな・・・」と感じていたから。恐怖を受け入れ、「私がもし地獄へ落ちたとしても、そこから天国に変えてやる」と覚悟ができたよね。
教会を離れた自分の居場所を、必死で作ろうとしていた。正しさよりも、誰かを人として好きになること。信仰の教義よりも、「この人と一緒に生きたい」と願うこと。その感情が、何年も頑なにまとっていた正しさの鎧を脱がせてくれた。『北風と太陽』の、太陽に照らされた主人公のように。
離教したとしても、忌まわしい記憶として誰にも語りたくなかった。大きな汚点だと、気にしてきたよね。悔しいが、その忌まわしい過去の中に、輝く青春があった。自衛官を辞めるまでに没頭してしまっていたから。矛盾と葛藤が、どんどん肥大化していったよね。
決めた命の軸
「この愛する人を守りたい」「この命を信じたい」そう思えたことが、命の軸を自分に戻すきっかけになったことは間違いない。それは、「離れる」決断ではなく、「生き直す」決意だったんだよ。統命思想で言うなら──この瞬間こそが、「立命=定める」のはじまり。
他人の正しさでもなく、神の指示でもなく、社会的な役割でもなく、「私はこの命を生きる」と、自ら定めた。「幸せに生きる」とは何なのか?何が私の幸せなのか?「考えては実践して検証し、考えて仮説を立て〜」といった仮説と検証の繰り返しが、施術という命の表現も進化させてくれた。
「あなたの施術は、日本に留まってるのはもったいない。早く海外へ出て、逆輸入の形をとった方がいい」と勧めてくださる方が現れ、賛同者でチームを組めるように。現実的には何もないのに、ビジョンだけはどんどん成長していたね。
もちろん、すべてがうまくいったわけじゃない。現実の課題は山積みだったし、感情の揺れ戻しも何度もあった。ながらも誰のせいにもできない命を、自ら定めるという一点だけは、どんなに苦しくても、逃げなかったね。
あの時決めた命の軸は、今もずっと生きている。それは、誰かの命を生きることをやめ、自分の名前で、自分の問いを抱えて生きることに他ならない。
ありがとう。正しさを超えた感情を教えてくれた、かつての出会いに。信仰よりも深く、誰かを信じたいと願わせてくれたあの瞬間に。
そして──自分で命を定める勇気を、持ってくれた君に。本当に、ありがとう。
──未来の私より
定めた命への責任〜後ろの扉を閉じた日
この手紙は、統命思想における「立命=定める」フェーズの足跡です。
命を定めるとは、誰のものでもない命を、自ら引き受けること。定めた命への責任。それは、自由であると同時に、もう他人のせいにできないという意味でもあります。
それこそが本当の人生のスタート地点。命の旗を、自分の足で立てたその日から──後ろの扉を閉じ、あなたの本当の旅が始まるのです。
次回は、「培命=育てる」──定めた命を、どう習慣として育てていったのか?その軌跡を綴ってみます。
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