
智己さんへ
曖昧な温度差
命を定めてから、いよいよ現実の中で生きる日々が始まった。想像以上に、定めた命は揺らいだ。というよりも──揺らぎの中でしか、育たなかった。
「早く海外へ出て逆輸入すべきだ」と背中を押してくれた方がいた。ビジョンは育つのに、現実が追いつかない。焦りだけが先行し、賛同してくれていたチームの意見さえ、聞き流すようになっていった。やりがいを追いすぎて、周囲と同調できなくなっていった。
それでも、君は育っていたんだ。育つという言葉が、受動的すぎることに気づいたから。
君は育て直した。育てる覚悟を持って日々と向き合うようになった。
施術で語っていたことを文字起こししてくださった方がおり、「大したこと語ってるわではないのに──」と感じていた中、初めて客観視。施術がどんどん神がかってきて、奇跡のようなことが当たり前のように起きてきた。
しかし広まらない。原因、今ならよく分かる。言語化できなかったから。言葉を通じてでなければ、興味を持たせられない。超右脳派で、「受けてみれば分かる」と言い続け、価値の言語化が曖昧な温度差のまま値上げ・・・。結局、長期にわたって味わってきた孤立の再来。
自立とは
ある日、自分に言い聞かせたよね。「朝起きられたことを奇跡だと心から感動できたら、人生は変わる」。でも内なる声の返答は・・・「そんなこと、ただの理想だ。バカじゃないのか?お前なんかに何もできるわけないだろ」。
それでも君は自他ともに言い続けた。ある朝、「心の冷笑」が聞こえなくなっていたことに気づけた感動。本当に嬉しくて、涙が出てきたよね。君の命はまた少しだけ強くなった。育っていた。
誰かに支えられた記憶は、確かにある。それ以上に、支えきれなかった、支えてもらえなかった記憶の方が多い。「自立とは、誰にも頼らずに生きていける状態」だという辞書の定義に、君はずっと腹を立ててきた。
なぜなら──君は「誰かと一緒にしか生きていけない」と、知っていたから。長期にわたる孤独と向き合い、独りで生きることの厳しさを味わってきた。いじめられていた当時、「もう俺を無視してくれ」と祈ってきた。祈って得た孤立とは、まさに深く冷たい闇。
孤立したくないから、ウワッツラを合わせて生きていた時期もあったね。体にも影響が出て、献血200回近くやっているのに、貧血で悩んだ時期は長かったよね。自分に嘘をつき続けた成れの果てが、体に出てくる病気だと、施術と照らし合わせて実感したよ。
体に嘘はつけない。心でごまかしたものが、血や骨や神経に宿っていく。気づけたからこそ──命はまだ育ち続けてくれている。
生きて死を超える
30代半ばまで、周囲と話が噛み合わない私はバカだと本気で考えていた。「私は努力なんてしない方がいい」「私は存在自体が邪魔なのでは?」さんざん考えてきた。孤独で、投げ出したくなる日も多かった。苦しい渦中でも「熱意を持つための熱意」と呼んで、情報を探し、思考を練り、身の回りを整えようとした。
君は壊れていた。ウツになれるならまだマシだ。生きていかねばならない以上、ウツになっている余裕すらない。かつ、「壊れたままでは生きていけない」とも分かっていた。
「死んでしまいたい」って思ったこと、何度もあるよね。心の中で、何度も君自身を殺してきた。無意識ながら死ねなかった理由も、今なら分かる。死んだところで魂と肉体が分かれるだけ。本当の「無」にはなれない。だから壊れたなら、やはり立ち直るしかない。いかに壊れていようと、生きてさえいれば、修復はいかようにもできるから。
だからこその問い。「私はたくさんの人に迷惑をかけてきた」「逆を言えば、迷惑をかけたことがない方はいない」「だったらこれからは、誰よりも率先して迷惑を引き受ける側になろう」「そのために、今の私に何ができる?」この問いこそが、君の命を育ててきた土壌だった。
育てたのではなく、育てられていた。生きながらに死を超えてきたね。命に。過去に。迷惑に。絶望に。すべてに育てられて、君の命は根を張ったんだ。
ありがとう。何度も折れそうになりながらも、それでも立ち直る力を捨てなかった君へ。
──未来の私より
結び
この手紙は、統命思想における「培命=育てる」フェーズの記録です。命とは、定めただけでは生きていけません。毎日の小さな選択と葛藤の中で、命はようやく育っていくのです。
そして壊れた日々さえも、命にとっては養分だったとしたら────人生には、無駄な日は1つもないのかもしれません。
次回は、「貢命=贈る」──でもそれは、美しい贈り物の話ではありません。むしろ、傷ついた命が、知らぬうちにどう届いていたかを、ようやく見つめ直せるようになった今だからこそ書ける、贈り方の未熟さの記録です。