「1」では、感動も感謝も盲点が起点だと書きました。盲点が突かれて剥がれ落ち、世界の見え方が変わる瞬間。そこから「私が決める」へ届くかどうか?でした。
「2」では、主語が薄まるか暴れるか、2極化の時代。暴力に勝る脅威があると書きました。「操縦されているのに、自分が操縦しているつもりになる」「冤罪型の正しさの顔」も含め、主語が扱えなくなる構造があるのです。
今回は「3」。中心はAIでも情報量でもなく、目的意識や判断基準です。あなたの節目における決断や選択いかんによって、プラスにもマイナスにも一気に振れます。その分岐点を、私は「自主軸」にあると見立てています。
3軸「自主×自律×自立」——かけ算が吉にも凶にも
自律と自立は、たいてい良いものとして語られます。
自律軸とは、自然や社会とのつながりから、自らを確立すること。(心身調和)
自立軸とは、自然や社会とのつながりから、自らを確立させること。(自然や社会との調和)
問題は、これが自主とかけ算になった瞬間です。ここで言う自主「自分から動く」では足りません。私はこれを自主軸と呼びます。軸とは回転運動。エネルギーを持ちます。行動や実践の結果の規模が大きく変わり得ます。
自主軸とは「自ら決め、方向と基準を持って動く」こと。方向と基準が狂えば、強さは倍率で狂います。方向と基準が空白なら、強さは他人の都合で勝手に加速します。優秀さは、凶器になり得るのです。私はこれを、脅し文句ではなく現実として知っています。
私が自衛官をやめた理由
ここでは、一般論ではなく、私自身のエピソード。
私は自衛官でした。ながらもある宗教にハマりました。今振り返れば、主語のすべりでした。黒歴史として葬ろうと考えてきましたが、最近ようやくカミングアウトできるように。いつの間にか、判断基準を団体に明け渡していたのです。それでも「自ら選び決めている」と思い込んでいました。
当時は、自律も自立も強かったと思います。師団司令部へ異動になり、エリート街道を突き進むと期待されていました。
今回の「自主軸」に当てはめるなら、ウラミのエネルギーです。表面上は優秀さを装いつつも、何かとんでもない事件をやらかしそうな、内側に秘めた汚物処理はお手上げでした。教理の話を聴いた時、嫌だと言いながらものめり込んでいくのが分かりました。結果、私は自衛官を辞めざるを得なくなりました。
カミングアウトできるようになった理由は、黒歴史を解放できたからとみなしています。まさに自主軸の空白やねじれと、判断基準の外部化です。自発性が残っていないのに、自発性があると思い込んでいたこと。翻弄されているのに、操縦できていると決め込んでいたこと。
振込詐欺に遭っているにも関わらず、指摘されると怒り出すという、指摘する側の話を聴いたことがあります。この錯覚が、本当に危険です。
「神 or 塩?」

判断基準は、立派な理念として語れるかどうかではありません。無自覚な咄嗟の対応で出ます。例えば分かりやすく、神対応と塩対応の差。
想定外の瞬間、こちらのあり方が漏れます。だからこそ第三者視点の評価で、「神 or 塩?」の対応が決まります。あなたは常日頃、知らずして「神 or 塩?」の対応をしていらっしゃいます。よくも悪くも、いつか必ず何らかの評価を受けるようになります。
だからこそ、今年のテーマを「基盤」といたしました。反応で生きていないか?上書きに飲まれていないか?冤罪を作っていないか?主語を残せているか・・・?あり方の確立こそが、「塩対応的な私」を遠ざける秘訣だと考えているからです。
神対応は、すごい技術というより、自らへの振る舞い方の結果として出ます。塩対応は、自己否定の漏れとして出ます。どちらも盲点のまま出るから、なお怖いのです。
「私が決めたことだから」
私は、2020年から一貫して主張し続けてきました。改めて自覚した役割は、「『私が決めたことだから』と言える人を増やすこと」です。施術家で世界進出を志しながら大失敗し、ブラック企業で人格否定の卒業試験を経てまいりました。ご自身で納得できてもいないのに、素晴らしい人生を全うできるわけがありません。
目的地だけでは足りません。基準が必要不可欠です。基準があればこそ、偶然は偶然のまま扱いつつも、「それでも私はこう決める」が残ります。その一言がどのようなエネルギーで出てくるかが、人生を決定づけていくのではないでしょうか?
起動前夜とは、その足場を整える時間だと解釈しています。軽さと速さの時代ほど、錨や揺るぎないものが重宝されると見立てています。今、その錨を作っている真っ最中です。